2018.05.18(金)大会

【セイコーGGP2018大阪 クローズアップ vol.2 戸邉直人】今季初戦で自身5度目の「2m30超え」試行錯誤経てたどり着いた“現在地”

戸邉直人/男子走高跳/つくばツインピークス

今季初戦で自身5度目の「2m30超え」
試行錯誤経てたどり着いた“現在地”
男子走高跳で日本歴代3位タイの2m31を持つ戸邉直人(つくばツインピークス)。屋外シーズンの初戦となる4月22日の筑波大競技会で、2m30をクリア。2014年9月以来、通算5度目の“2m30超え”を果たした。プロ1年目だった14年は、自己記録を含めて2m30以上を4度成功するなど絶好調だった。しかし、15年は北京世界選手権にも出場したもののケガが相次ぎ、16年も春先に左ふくらはぎを痛めてリオ五輪出場を逃し、昨年も低迷していた。そんな中で、華麗なる復活を遂げた26歳が今季、そして2020年の東京五輪に向けた”決意”を語った。

月刊陸上競技6月号より/一部加筆・修正)



2014年9月以来となる2m30の成功
1月下旬からの約1ヵ月間で、戸邉直人(つくばツインピークス)は欧州での室内大会3試合に出場した。「シーズンに入るにあたり身体の状態が良かった」ことから、「2m30を跳んで、世界室内選手権(3月上旬/英国・バーミンガム)の標準記録に挑戦できれば」と考えていたという。

しかし、結果的には初戦から2m20、2m24、2m26。「徐々に上げられた点は良かったけれど、記録としては満足できるものではなかった」と振り返る。ただ、その3戦を通して、課題が明確になるという収穫もあった。

「例年は室内シーズン終了後に帰国し、いわゆる冬季練習のような体力的に高めるトレーニングをしていました。でも、今年は室内で技術的な課題がはっきりしたので、その改善のために体力強化より技術練習を中心に取り組むことにしました。また、ここ2年は屋外のシーズンベストが2m25~26でしたから、少し違うアプローチをしてもいいのかな、という思いもありました」

大きな改善点として、助走を7歩から9歩に変えた。その意図を戸邉は「室内をやっていて、7歩助走では十分に加速するのが難しかった。踏み切りへの入りづらさを感じたので、もっとスピードを持って入れるようにするために2歩延ばしました」と説明する。

そうした試みは、屋外シーズンの初戦となる4月22日の筑波大競技会で、さっそく一つの成果として現れた。2m15、2m20、2m25をすべて1回でクリア。「2m25ぐらいを跳べれば、初戦としては良い入り」と考えていた戸邉だったが、自らが定めた基準をいとも容易く乗り越えた。

その後、2m30は2回失敗したが、「感触は悪くなかった」という。「その日は全体的に踏み切りが近く、(身体が)上がっていく時にバーに当たる失敗があったので、踏み切りを少し遠くにして余裕を持って入れるように修正しました」と柔軟かつ高い対応力も発揮し、3回目の跳躍で実に3年7ヵ月ぶりとなる高さを成功させた。

「屋外の今季初戦だったので、記録を狙ってというよりは、状態を確認する意味合いが強くて、その中でやってみたら跳べてしまった。思いのほか跳べたという感じです」

そう語る戸邉はこの日、06年に醍醐直幸(富士通)が作った日本記録(2m33)の更新を狙って2m34にも挑戦。クリアこそならなかったものの、成功の可能性を感じさせる跳躍を見せた。「今までの競技人生で、シーズン初戦で跳んだ高さがシーズンベストになったことはない。その感じなら今季はもっと行ける気がしています」と、今季への確かな手応えをつかんでいる。



“雌伏の3年”を乗り越えて
戸邉は千葉・野田二中3年で全中を制し、専大松戸高3年だった2009年に20年ぶりの高校新記録(2m23)を打ち立てると、筑波大に進学した翌年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。大学2年時に日本選手権を制するなど、早くから国内トップレベルの位置をひた走ってきた。

そこからさらに飛躍を遂げたのが、2014年である。大学院に通いながら、実業団に所属しないプロアスリートとしてスタートを切ったこの年、5月に日本歴代3位タイの2m31をクリア。7月以降の欧州遠征で三たび、2m30以上を跳んだ。自身が「絶好調だった」と言うように、当時の戸邉はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

しかし、そのシーズンを境に、右肩上がりだった成長曲線の角度が徐々に緩やかになっていく。

15年のシーズンを前にした冬季練習で踏み切り脚の左足アキレス腱を痛めたのが、最初のつまずきだった。5月の国際陸連(IAAF)ダイヤモンドリーグ上海大会で北京世界選手権の参加標準記録である2m29をクリアし、日本選手権も4年ぶりに制して初の世界選手権代表の座をつかむまでは順調に回復したかに思われた。が、本番では公式練習中に右腰を痛めるアクシデントもあり、予選落ち。15年は「最低限の結果は残せたと思いますが、課題がたくさん出た」(戸邉)シーズンとなった。

そうして迎えた16年のリオ五輪イヤー。冬季のトレーニングはしっかりとこなせた一方で、例年参戦していた室内大会はとりやめた。「1月に大学の修士論文の提出があったから」というのが理由だが、「その分、日本でじっくりトレーニングを積むことができていた」と言う。ところが、初戦となる静岡国際に向けていよいよという4月下旬、跳躍練習中に踏み切り脚の左ふくらはぎを肉離れ。6週間ほどトレーニングを積めなかったのが痛かった。

そんな戸邉に追い打ちをかけるように、突然の悲報が届く。6月2日、筑波大陸上競技部の図子浩二前監督が亡くなったのだ。まだ52歳。戸邉にとってはパーソナルコーチであると同時に、大学院の指導教員でもあった。リオ五輪の代表選考を兼ねた日本選手権が約3週間後に迫り、ようやく跳躍練習ができるという段階での恩師の急逝。戸邉は当時を「現実感がなくて……、状況がよくわかっていませんでした」と振り返る。

ふくらはぎの故障は何とか回復したものの、日本選手権までに跳躍練習は3~4回しかできなかった。大一番がシーズン初戦となってしまった戸邉は結局、試合勘を取り戻すまでには至らず、6位と惨敗。リオ五輪出場という目標は果たせなかった。

「ケガをするまではオリンピックに行けないことは想定していませんでした。本番でどうするかを考えていたので、いざ行けないとなると放心状態。リオ五輪は自宅で観戦しましたが、図子先生のことも含めて、先のことがまったく見えない感じでした」

すぐに「4年後へ」と気持ちを切り替えることはできなかった。だが、戸邉は9月頃から筑波大競技会や日大競技会といった小さな試合に出場し始める。そこにあったのは、「また1つひとつ積み上げていくしかない」というシンプルな思いだった。そして、シーズンベストは2m25にとどまったものの、「日本選手権までにはうまく組み立てられなかった技術を、本来のあるべき姿に取り戻せた」との感触を得られたという。

シーズン終了後の冬季は、例年以上に体力の養成に努めた。「寒い時期のウエイトトレーニングは質も量も向上し、クリーンやスクワットのMAXは今でも自己ベスト(クリーン125kg、ハーフスクワット215kg)と言える重さを挙げられました」。暖かくなるにしたがって、スプリントやジャンプ系のトレーニングを増やし、徐々に跳躍の動きに移行していった。

体力がついた実感を得られたことで、戸邉は17年シーズンに向けて、「技術的に助走の入り方をカーブを強調するようなかたちに変えた」。ただ、その挑戦も完全に消化できたとは言い難い。ロンドン世界選手権の参加標準記録(2m30)にチャレンジすることすらできず、日本選手権も3位タイ。7月上旬に欧州で2度2m26をクリアしたが、2大会連続の世界選手権出場はならず。そのため、「シーズン後半は助走で攻めていくのをやめて、もう一度以前のかたちに戻して組み立て直すことにしました」。

模索は続いた。だが、そうした模索は自身のパフォーマンスを上げていくためには避けては通れないもの。戸邉の表情には、そんな達観にも似た境地が見て取れる。決してネガティブには捉えていない。



2020年東京五輪への青写真
今季2戦目となった5月3日の静岡国際は2m28で優勝。自己新の2m32は失敗したものの非常に惜しいもので、改めて好調ぶりを見せつけた戸邉。今後は5月20日のゴールデングランプリ大阪に出場し、欧州遠征を挟んだ後、6月下旬の日本選手権に臨む予定だ。世界的なビッグゲームがない今季は、8月のアジア大会(インドネシア・ジャカルタ)が最大のターゲットになる。

「日本選手権は、アジア大会の代表に選ばれるためには優勝、最低でも3位以内に入っておかないといけません。でも、日本選手権でピークを作るという意識はあまりなく、なだらかに上げて行きながらアジア大会でピークを迎えたいです」

男子走高跳は、世界の中でもアジアのレベルが高い。ロンドン世界選手権でも表彰台に上がった3人のうち、2人はアジア勢。優勝したのが世界歴代2位(2m43)を持つムタズ・エッサ・バルシム(カタール)だ。だからこそ戸邉は、「世界と戦う上で、アジアのトップレベルを超えていくのは重要な課題」とし、「来年、再来年に向けて、自分がどこまで戦えるのかを試すことができればいい」というプランを描いている。

そして、そのプランには続きがある。2年後の東京五輪へとつながる壮大な青写真だ。20年の五輪開催が東京に決まったのは13年9月、戸邉が大学4年時の日本インカレ期間中の朝だった。その頃にはすでに「20年のオリンピックが、競技者として狙うべき最大の舞台になる」という軸ができ上がっていた。しかも「それが日本で、東京で行われるというのであれば、より大きな意味を持つ。二重の意味でより大切にしたいです」と、胸の奥に抱えた熱い思いがのぞく。

「20年の東京でメダルや入賞を目指すのであれば、来年の世界選手権で決勝に進まないと厳しいですし、来年の世界選手権で決勝に行くならば、今年は2m30以上は跳んでおかないといけない。そんなふうに逆算した長期プランもあります。できれば今年中に日本記録は超えたい。天候も体調も良く、技術的にもまとまって良いかたちが作れれば、自然に無理なく出せる高さだと思っています」

順風満帆ではなかったこの3年を、戸邉は「足踏み」と語る。だが、それを無駄なことだったとは捉えていない。

「その時の僕としては、トレーニングにしても技術的なことにしても、いろいろ試していた時期です。もがいていた苦しさはありましたが、今になって思えば、その思考錯誤から得られたものは多い。それは今後に向けての大きな財産になります。それに、体力的には一昨年、昨年と集中的にやってきましたし、技術的にもいろんなことを試してきた分、引き出しが増えたので、14年よりも今の方が良い状態が作れているはずです」

やや遠回りをしながらも、自分の信念は曲げずに真摯に競技に向き合ってきたからこそ、今がある。再び輝き始めた戸邉の今後に、注目せずにはいられない。


文:小野哲史
写真提供:フォート・キシモト


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