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2021.12.03(金)

【記録と数字で楽しむJMCシリーズ】福岡国際マラソン(2)「最後の福岡」ハイレベルなレースに期待



・文中敬称略。
・所属は当時のもの。

日本人が「サブ10」で走ったコース別の内訳

2021年11月30日現在で2時間10分を切る「サブ10」で走った日本人選手は、78年2月5日の別大で2時間09分05秒6をマークした宗茂(旭化成)から数えてこれまで「146人」で「269回」。参考までに世界歴代での「サブ10」は、「1144人」と「3335回」で日本人のシェアは「12.8%」と「8.1%」である。

146人が自己ベストを出したレースをコース別にみると以下の通りだ。
なお、「東京」には、07年から行われている現在の「東京マラソン」の他に、81年から06年に行われていた「東京国際マラソン」と「東京・ニューヨーク友好マラソン」のデータも含めた。また、「発着点の標高差が42.195mを超える下り坂コース」と「発着点の直線距離が21.0975kmを超えて離れているコース(片道コース)」に該当するボストンマラソンの記録は除外した。

【2021年11月30日現在の2時間09分59秒以内の日本人選手146人が自己ベストを出した大会別の内訳】
 4分台5分台6分台7分台8分台9分台サブ10合計割合
福 岡16972315.8%
びわ湖141122226041.1%
別 大49138.9%
東 京13614103423.3%
防 府220.14%
広島W杯110.07%
海 外2245138.9%


また、146人が269回マークしている2時間09分59秒以内の大会別の内訳は、下記のようになる。

【2021年11月30日現在で日本人選手が2時間09分59秒以内を出した269回の大会別の内訳】
 4分台5分台6分台7分台8分台9分台サブ10合計割合
福 岡1813335520.40%
びわ湖141129448933.10%
別 大615217.80%
東 京141024276624.50%
防 府551.90%
広島W杯110.04%
海 外1248173211.90%
         
合 計12113381141269 


このデータからすると日本人の「サブ10」は、自己ベストでも回数でも「びわ湖毎日マラソン」がトップ。
21年2月28日が最後のレースとなった第76回大会で、鈴木健吾(富士通)の2時間04分56秒の日本新を筆頭に、日本人選手が好記録を量産。6分台4、7分台9、8分台13、9分台13で、「サブ10」が計40人も生まれたのが大きい。40人中33人が自己ベストだった。なお、日本の実業団に所属する外国籍の選手2人も「サブ10(7分台と9分台)」で、合計42人。これは、20年12月6日のバレンシアの30人を大きく上回る世界最多人数だった。

びわ湖での日本人選手の「サブ10」のトータル回数89回から21年の40回を減算すると「49回」。好記録続出の21年のレース前までは東京の66回、福岡の55回よりも少ない数字だったことになる。最後の最後に大きな大きな花火を打ち上げた。

なお、15年前の2006年末現在の日本歴代リストでの「サブ10」は、「50人」で「計100回」だった。その大会別の割合は、以下の通りだ。

【2006年末現在の日本歴代2時間09分59秒以内の大会別内訳】
 自己ベスト回数
福岡11人(22%)33回(33%)
びわ湖15人(30%)24回(24%)
別大6人(12%)7回(7%)
東京6人(12%)15回(15%)
その他12人(24%)21回(21%)
   
合計50人100回


以上のように、15年前のデータでは、福岡のシェアが21年11月末現在よりも高く、回数ではトップで100回の「サブ10」の3の1が福岡でマークされている。

また、06年末現在の日本歴代リストでの自己ベスト(PB)が「2時間29分59秒以内(3764人)」「2時間19分59秒以内(976人)」「2時間14分59秒以内(324人・計967回)」の大会別の内訳の割合を調べたのが下記だ。

【2006年末現在の日本歴代2時間29分59秒、19分59秒以内、14分59秒以内の大会別内訳】
 2.29.59.以内PB2.19.59.以内PB2.14.59.以内PB2.14.59.以内回数
福 岡8.2%12.9%16.7%22.4%
びわ湖13.4%22.8%25.9%22.0%
別 大16.1%20.8%19.4%14.0%
東 京6.5%5.2%8.0%11.2%
その他56.5%37.9%29.5%30.0%
     
合 計3764人976人324人967回


以上の通りで、先の「サブ10」のデータを含めて、よりレベルが高くなるほど福岡の占める割合が高くなっている。

ついでに30年前の1991年末時点での日本歴代の「2時間14分59秒以内(131人・389回)」と「2時間09分59秒以内(10人・25回)」のデータも調べてみた。

【1991年末現在の日本歴代2時間14分59秒以内、2時間09分59秒以内の大会別内訳】
 2.14.59.以内PB2.14.59.以内回数2.09.59.以内PB2.09.59.以内回数
福 岡24.4%31.4%10.0%36.0%
びわ湖19.1%14.9%0.0%0.0%
別 大26.0%19.5%30.0%18.0%
東 京7.6%10.0%10.0%18.0%
その他22.9%24.2%50.0%32.0%
     
合 計131人389回人10人25回


個人別の2番目以下の記録もすべて含めた「パフォーマンス」の回数では、福岡が他の大会に大差をつける36.0%でトップ。21年11月末現在の「サブ10」では、びわ湖と東京に遅れをとっているが、15年前、30年前では、日本で最もハイレベルなレースが福岡で繰り広げられてきたというデータだ。


福岡での「サブ10」の年別人数

67年(第21回)の世界初の「サブ10」以降に福岡でマークされた「サブ10」の人数(外国人選手を含む)を年別にまとめると以下の通り。

【福岡国際マラソンでの「サブ10」の年別人数】
・カッコ内は、日本人選手の人数

年 (回 数)優勝記録サブ10人数
67年(第21回)2.09.36.41(・)
80年(第34回)2.09.45.2(2)
81年(第35回)2.08.18.2(1)
83年(第37回)2.08.52.6(4)
85年(第39回)2.09.51.1(1)
87年(第41回)2.08.18.1(1)
92年(第46回)2.09.04.1(・)
93年(第47回)2.08.51.2(・)
94年(第48回)2.09.45.2(・)
95年(第49回)2.09.30.4(1)
97年(第51回)2.07.28.3(2)
98年(第52回)2.08.42.5(4)
99年(第53回)2.07.54.5(2)
00年(第54回)2.06.51.5(2)
01年(第55回)2.09.25.3(2)
02年(第56回)2.09.13.2(1)
03年(第57回)2.07.52.10(6)
04年(第58回)2.09.10.1(1)
05年(第59回)2.08.29.3(1)
06年(第60回)2.06.52.5(2)
07年(第61回)2.06.39.4(2)
08年(第62回)2.06.10.4(3)
09年(第63回)2.05.18.5(・)
10年(第64回)2.08.24.1(・)
11年(第65回)2.07.36.3(1)
12年(第66回)2.06.58.4(2)
13年(第67回)2.07.16.4(1)
14年(第68回)2.08.22.5(2)
15年(第69回)2.08.18.4(1)
16年(第70回)2.08.48.2(1)
17年(第71回)2.05.48.6(2)
18年(第72回)2.07.27.3(1)
19年(第73回)2.07.10.2(1)
20年(第74回)2.07.05.7(5)
   
合計(計34大会) 114(55)


以上の通りで、67年から20年までの54大会中34大会で「サブ10」がマークされ、97年以降は24年連続継続中だ。
日本人選手の「サブ10」は、80年(第34回)が最初。
78年からの3連覇を果たした瀬古利彦(エスビー食品)の2時間09分45秒が、福岡での第1号である。2位の宗猛(旭化成)も2時間09分49秒で続き、2人が同時にサブ10を達成した世界で初めてのレースとなった。

83年(第37回)では6人(うち日本人選手4人)が「サブ10分」。これまた世界初のことだった。
このレースでは瀬古利彦(エスビー食品)が、追いすがるジュマ・イカンガー(タンザニア)をラスト100mのスパートで一気に突き放した。78~80年の3連覇に続く4回目の優勝で、71年(第25回)から4連勝したフランク・ショーター(米国)と回数で並んだ。この2人の「優勝4回」は、現在も大会最多記録だ。

なお、あるメディアでこの時の「瀬古のラスト100mは12秒0!」と報じられた。が、これは間違いで、12秒0は最後の直線80mのタイムだ。100mなら15秒0である。「直線80m・曲線120m」というのがほとんどの日本の競技場の規格をよく知らない記者が、「直線は100m」と思い込んで報じたのであろう。
筆者が残っている動画から5回計測したところその平均値は「ラスト80m11秒8」で「100m換算14秒8」だった。いずれにせよ、42.095kmを走ったあとの「100m14秒8」は、やはり「速い!」ことは間違いない。

03年(第57回)の「サブ10」は大台の10人(うち日本人選手6人)。これも、世界で初めてのことだった。


大会記録と日本人大会最高記録

大会記録は、09年(第63回)の「2時間05分18秒」でツェガエ・ケベデ(エチオピア)が保持している。
日本人の大会最高記録は、02年(第54回)の「2時間06分51秒」で藤田敦史(富士通)が当時の日本最高記録をマークして優勝した時のものだ。

それぞれの記録がマークされた時の5km毎は、

<大会記録/2.05.18./ツェガエ・ケベデ/エチオピア/09年(第63回)>
5km15.02.15.02. 
10km29.53.14.51. 
15km44.43.14.50. 
20km59.45.15.02. 
Half1.03.05.63.05. 
25km1.14.58.15.13. 
30km1.29.47.14.49. 
35km1.44.24.14.37. 
40km1.59.01.14.37. 
Finish2.05.18.6.17.62.13.(前後半差△0.52.)


<日本人の大会最高記録/藤田敦史/富士通/2002年(第54回)>
5km14.54.14.54. 
10km29.58.15.04. 
15km45.05.15.07. 
20km1.00.06.15.01. 
Half1.03.28.63.28. 
25km1.15.24.15.18. 
30km1.30.37.15.13. 
35km1.45.44.15.07. 
40km2.00.28.14.44. 
Finish2.06.51.6.23.63.23.(前後半差△0.05.)


いずれも前半より後半の方が速い「ネガティブ・スプリット」での記録だった。


34年前、氷雨の中での大激走劇!!

91年以降の現在のコースとは異なるものも含むが、大会史上最も速いタイムで各5kmを通過したのは、

【福岡国際マラソンでの5km毎通過最速記録】
5km87年サイモン14.30.14.30.(2位・中山竹通 14.35.)
10km87年サイモン29.03.14.33.(2位・中山竹通 29.05. 14.30.)
15km87年中山竹通43.40.14.35.
20km87年中山竹通58.37.14.57.
Half87年中山竹通1.01.55. 
25km87年中山竹通1.13.48.15.11.
30km87年中山竹通1.29.02.15.14.
35km09年ケベデ1.44.24.14.37.
40km09年ケベデ1.59.01.14.37.
Finish09年ケベデ2.05.18.6.17.


87年12月6日の中山竹通(ダイエー)の30kmまでは「圧巻」としか言いようがない。
翌88年のソウル五輪の選考会を兼ねてのレース。代表を狙う選手や関係者の間では「一発勝負」の合意ができていた。が、有力候補の瀬古利彦(エスビー食品)が11月15日の東日本実業団駅伝のタスキ中継で左足をひねって腓骨下端を剥離骨折。11月24日に「福岡欠場」を発表したのだった。

テレビも新聞各紙も大騒ぎとなった。その報道の中に、中山のコメントとして「這ってでも出てこい!」というのがあって、物議をよんだ。が、実際には「自分であれば、這ってでも出ていったと思う」という旨の発言だったようだ。

また、瀬古に別な機会を与えるべきかどうかでも賛否両論が交差し、しばらくの間、日本中の大きな話題となった。最終的には、翌年3月の「びわ湖」で追試のチャンスが設けられ、18℃の高温のもと2時間12分41秒の平凡なタイムながら優勝して、3枚目の五輪切符を手に入れた。

話は福岡に戻って、気温7.5℃、北北東の風5.5m。冷たい雨の中をスタートしたレースは、無名の21歳・ロバート・サイモン(タンザニア)がダッシュした。400m63秒8、800m2分13秒8とトラックレースのようなスピードで飛び出し競技場外へ。
3km(8分34秒)では中山を先頭する2位集団(8分59秒)に150m近い差をつけた。中山は次第にその差を縮め10km過ぎでサイモンをとらえ、14.3kmまで併走したサイモンを突き放す(サイモンはその後、途中棄権)。ここから中山の「一人旅」が始まった。雨と風が強まる。
中山の10km通過29分05秒を87年のトラック10000m日本リストに当てはめると、24位相当。15kmの43分40秒は、20000mの途中計時とはいえ瀬古の持つ15000mの日本記録43分38秒2とほぼ同じという信じられないものだった。現世界記録(2時間01分39秒/18年)のエリウド・キプチョゲ(ケニア)の10km通過が29分01秒、15kmが43分38秒だったので、31年も前に中山はそれに匹敵するスピードで突っ走ったのだった。

20kmで気温は6.5℃に低下、北西の風4.5m。20km58分57秒。ハーフ61分55秒は、その当時のハーフマラソンの日本最高記録63分40秒を1分45秒も上回り、カルロス・ロペス(ポルトガル)が85年に出したマラソンの世界最高記録2時間07分12秒を出した時のハーフ通過63分24秒よりも1分29秒も速いペース。

上記と重複する部分があるが、以下は、中山と当時の世界最高記録(2時間07分12秒/カルロス・ロペス/ポルトガル/85.4.24=ロッテルダム)とのペースの比較だ。

 中山竹通当時の世界最高(ロペス)
5km14.35. 14.35.0.23.14.58. 14.58.
10km29.05. 14.30.0.59.30.04. 15.06.
15km43.40. 14.35.1.49.45.29. 15.25.
20km58.37. 14.57.1.33.1.00.10. 14.41.
Half1.01.55. 1.29.1.03.24. 
25km1.13.48. 15.11.1.09.1.14.57. 14.47.
30km1.29.02. 15.14.0.59.1.30.01. 15.04.
35km1.44.25. 15.23.0.49.1.45.14. 15.13.
40km2.00.45. 16.20.-0.11.2.00.34. 15.20.
Finish2.08.18.  7.33.-1.06.2.07.12.  6.38.


25km過ぎで一時雨が上がり35kmまで「2時間6分台」のペースを維持した。が、ここから天は味方してくれず激しいみぞれに見舞われ、気温も4℃台に低下。冷え切った身体は思うように動かなくなり、ラスト7kmで大幅なペースダウンを余儀なくされ、「6分台の世界最高記録」の夢は潰えたのだった。残念!!


福岡での着順別最高記録

21年2月28日の「ラストびわ湖」では、「サブ10」が外国人選手を含めて42人、日本人だけで40人もいた。
「ラスト福岡」もこれを上回るような「記録ラッシュ」で“有終の美”を飾ってもらいたいところだ。

以下は、福岡での「着順別最高記録」である。

1)2.05.18.09年(第63回)ツェガエ・ケベデ(エチオピア)
2)2.06.50.07年(第61回)デリバ・メルガ(エチオピア)
3)2.07.13.07年(第61回)佐藤敦之(中国電力)
4)2.08.10.03年(第57回)アントニオ・ペーニャ(スペイン)
5)2.08.21.03年(第57回)ハイル・ヌグセ(エチオピア)
6)2.08.37.03年(第57回)尾方剛(中国電力)
7)2.08.48.03年(第57回)小島忠幸(旭化成)
8)2.09.42.03年(第57回)ビンセント・キプソス(ケニア)
9)2.09.58.03年(第57回)野田道胤(ホンダ)
10)2.09.59.03年(第57回)オスカル・フェルナンデス(スペイン)
11)2.10.13.03年(第57回)ルク・クロトワール(オランダ)
12)2.10.38.03年(第57回)バンデルレイ・リマ(ブラジル)
13)2.11.42.03年(第57回)磯松大輔(コニカミノルタ)
14)2.12.24.20年(第74回)細森大輔(YKK)
15)2.12.49.20年(第74回)大津顕斗(トヨタ自動車九州)
16)2.12.59.20年(第74回)中村泰之(スズキAC)
17)2.13.25.17年(第71回)メラク・アベラ(黒崎播磨/エチオピア)
18)2.13.37.17年(第71回)パウロ・パウラ(ブラジル)
19)2.13.59.20年(第74回)川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)
20)2.14.27.99年(第53回)間野敏男(八番麺屋)
21)2.14.35.99年(第53回)前田了二(本田技研)
22)2.14.39.99年(第53回)レチェク・ベブロ(ポーランド)
23)2.14.46.99年(第53回)池田克美(NEC)

・以上、2時間15分00秒以内

これをみると、03年の第57回大会が全体的レベルが高かったといえそうだ。翌年のアテネ五輪の選考会も兼ねていた。1~3位は、
1)2.07.52. 国近友昭(エスビー食品)
2)2.07.55. 諏訪利成(日清食品)
3)2.07.58. 高岡寿成(カネボウ)
国近と諏訪が五輪切符を手にし、2時間06分16秒の日本最高記録保持者の高岡は3秒差に泣いた。

先にも述べたが、10人の「サブ10」は、世界最多人数だった。


「最後の福岡」は?

「最後の福岡国際マラソン」となる今回は、コロナの影響で20年に続き外国人招待選手は不在だが、9人の国内招待選手を中心にハイレベルなレースに期待がかかる。

招待選手は自己ベスト順に以下の通りだ。

2.06.11.設楽悠太(Honda)=日本歴代3位
2.06.35.細谷恭平(黒崎播磨)=同6位
2.06.45.髙久龍(ヤクルト)=同7位
2.06.54.上門大祐(大塚製薬)=同11位
2.07.05.定方俊樹(三菱重工)=同13位
2.07.12.大六野秀畝(旭化成)=同15位
2.07.27.川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)=同20位
2.07.38.大塚祥平(九電工)=同25位
2.08.03.寺田夏生(JR東日本)=同41位
 <欠場>2.07.20. 木村慎(Honda)=同17位


出場予定の9人は2時間6分台4人、7分台4人、8分台1人。
これだけレベルの高い記録を保持する国内招待選手が揃ったのは、史上初。

21年2月28日の「ラストびわ湖」のように「サブ10」のみならず「サブ9」「サブ8」「サブ6」がたくさん生まれるかもしれない。

ペースメーカーとして、日本人選手2人、日本の実業団に所属する外国籍の選手4人が、25kmか30kmまでいくつかのグループでレースを先導する。
具体的な設定ペースは直前の発表までわからないが、ターゲットは日本記録の「2時間04分56秒」か大会記録の「2時間05分18秒」、福岡の日本人最高記録である「2時間06分51秒」、それともう少し低い「2時間08~09分台」あたりのグループもありそうだ。

ペースメーカーがはずれた30kmまで先頭集団に生き残った選手が、そこから12km先の平和台のフィニッシュ地点を目指して「ヨーイ、ドン!」となる。「最後の福岡」を制するのは、果たして誰か??


「JMCポイント」でトップに立つのは?

20年12月1日~21年10月31日の「第0期」が終了した時点での「JMCポイントランキング」の暫定版が下記に掲載されている。

https://www.jaaf.or.jp/files/upload/202111/jmc-series0-ranking-male.pdf

下表は、そこから上位60位までを抜粋して、福岡に出場する選手にマークを付記したものだ。
ピンク色は招待選手。青色は一般参加選手を示す。なお、招待選手のうち、設楽悠太、上門大祐、定方俊樹の3人は、「第0期」には出場していない。よって、この3人は、今回の福岡のほかに22年3月31日までに、もう1レースに出場してポイントを獲得する必要がある。

今回の福岡が、「第1期」の最初のレースとなるため、「第0期」にポイントを獲得している選手に今回のポイントが加算される。よって、当然のことながら、福岡終了後の2レース合計のポイントランキングには、今回の出場選手がずらりと並ぶことになる。
12月19日の防府やそれ以降のレース(22年2月6日の別大、2月27日の大阪、3月6日の東京)に出場する選手は、その都度のポイントランキングをにらみながら、「2時間*分*秒以内で、*位以内に入れれば、この選手の上にいけそうだ」とかを考えて臨むことになる。

「ラスト福岡」と今後の「JMC」を、どうぞテレビの前で存分にお楽しみいただきたい。
拙稿が少しでもそのお供になれば、幸いである。


※12月5日(日)12:00~テレビ:朝日系列など全国29局ネット、ラジオ:九州朝日放送発全国6局ネット



【JMC・第0期JMCランキング暫定版(男子)/2021年10月31日現在】
・第0期の国内大会、オリンピックのみ。第0期の海外大会は含まれていない。




野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)
写真提供:フォート・キシモト


▼JMCシリーズ特設サイト

https://www.jaaf.or.jp/jmc-series/


▼オンエア情報(予定)

12月5日(日)12:00~
テレビ:朝日系列など全国29局ネット
ラジオ:九州朝日放送発全国6局ネット

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