
今大会までのエピソード
日本陸上競技連盟創立100周年の節目を迎えた昨年、34年ぶりの2度目の東京開催となる世界陸上競技選手権が開かれ、日本は銅メダル2を含む入賞11と、23年ブダペスト大会に並ぶ過去最高の入賞数を記録した。世界最高峰のダイヤモンドリーグを転戦できる選手、海外を拠点にする選手が着実に増え、山﨑一彦強化委員長は「メダルや入賞の再現性」を高く評価、「プレッシャーのかかる中で結果を出せない弱い日本人、という印象を脱却できた」と総括する。オリンピック・サイクルの4年周期での強化における「最終到達点」であるロサンゼルス2028オリンピックに向けて、東京世界選手権に続く国内開催のメガスポーツイベントが愛知・名古屋アジア競技会大会。日本陸上界としては、東京世界選手権で生まれた陸上の熱をつなげ、さらに広げていくための重要な1年として受け止める。
2026年の幕開けとともにロードから、流れは引き継がれていった。男子ハーフマラソン競歩で山西利和(愛知製鋼)が1時間20分34秒の世界記録を樹立し、マラソンでも好記録が続出する。トラック&フィールドシーズンに入ると、男子800mでは落合晃(駒大)が日本人初の1分43秒台を2度樹立したのをはじめ、日本歴代上位記録が大幅に入れ替わるほどハイレベルに。世界選手権派遣水準をもとに定められたアジア大会派遣設定記録も、多くの種目で突破者が生まれた。
迎えた日本選手権では、6月6日~7日に岐阜市で行われた混成の部の女子七種競技で、田中友梨(スズキ)が日本人初の6000点超え(6050点)を達成した。翌週、愛知・名古屋アジア競技大会の陸上競技メイン会場となるパロマ瑞穂スタジアムで開催されたトラック&フィールドの部では、3日間で延べ5万5598人の大観衆が詰めかけ、東京世界選手権に負けない熱狂が生み出される。
男子400mハードルで17歳の後藤大樹(洛南高2京都)が予選48秒31、決勝48秒09というU20日本新・高校新、さらにはU18世界最高という衝撃的な大記録を連発。男子100mでは多田修平(住友電工)が5年ぶり2度目の優勝を飾り、同200mでは水久保漱至(宮崎県スポ協)が予選で日本歴代2位の20秒07(+0.5)、決勝も20秒14(+0.6)と好タイムを並べ、初優勝を飾った。
女子も、やり投の北口榛花(JAL)が5投目に62m86を投げ、逆転の2年ぶりV奪還。5000mでは地元・愛知出身の山本有真(積水化学)が第一人者・田中希実(豊田自動織機)を終盤に逆転する粘走を見せ、日本歴代6位の14分59秒89で初優勝を飾った。女子100m、200mは井戸アビゲイル風果(東邦銀行)がいずれも制し、2年連続2冠に輝く。
その後は、国内外で研鑽を積む。男子110mハードルの村竹ラシッド(JAL)は、世界最高峰のダイヤモンドリーグ(DL)で常に上位争いを繰り広げた。同種目では日本選手権を3連覇した泉谷駿介(住友電工)も、その後に日本人2人目の12秒台に肉薄する13秒00(+1.2)をクロアチア・ザグレブで、13秒01(+0.8)をDLパリでマーク。さらにDLローザンヌの女子やり投では、北口が1年2ヵ月ぶりの優勝を飾った。
DLファイナルには北口、村竹、三浦龍司(SUBARU)の3人が進出し、北口が65m44を放って2位。村竹は7位、三浦も8位に入った。
世界の一握りしか出場できない初開催の世界アルティメット選手権では、北口が会心の一投を放つ。3年ぶり日本新、世界歴代10位タイとなる68m92で初代女王に輝いた。110mハードルは村竹、泉谷、阿部竜希(エターナルホスピタリティグループ)の3人が出場し、村竹と阿部が決勝に進出。決勝では、阿部が13秒24(-0.6)で5位に食い込み、村竹が13秒71で6位に続いた。泉谷は準決勝で13秒85(+0.6)の8着。400mには中島佑気ジョセフ(富士通)が出場し、45秒00の5着で決勝進出にあと0.03秒届かなかった。
国内では日本グランプリシリーズを中心に好記録が続出。女子100mハードルの中島ひとみ(長谷川体育施設)は8月9日の富士北麓ワールドトライアルで予選、決勝ともに12秒62、8月15日のAthlete Night Games in FUKUIでは12秒60(+0.7)と日本記録を3度樹立した。
それぞれの過程を経て、2026年シーズンの総決算となる愛知・名古屋アジア競技大会を迎える。「アジアナンバー1」の座を目指し、北京2027世界陸上競技選手権大会、そしてロサンゼルス2028オリンピックに向けて重要な一歩を踏み出す大会となる。
【日本チームの特徴、有力選手】
●トラック&フィールド(中長距離、マラソン、競歩以外)
日本チームを率いる山﨑一彦強化委員長が「優勝、メダルを目指せるメンバーを選出できた」と胸を張る布陣が整った。世界と戦うエースたち、経験豊富なベテラン、日本の未来を担うホープと、さまざまな年代の選手たちが名を連ね、目標に掲げる「アジアナンバー1」を目指して挑む。
金メダルに最も近いという視点で言えば、代表格は男子110mハードルコンビとなるだろう。昨年の東京世界選手権5位入賞で代表に早期内定した村竹ラシッド(JAL)と、日本選手権で3連覇を達成した泉谷駿介(住友電工)が、日本勢としては1982年ニューデリー大会(インド)の藤森良文以来の金メダルはもちろん、日本勢ワン・ツー、さらにはアジア記録(12秒88/劉翔・中国、2006年)更新の可能性も十分に秘めている。
女子やり投には、日本が誇る「金メダリスト」北口榛花(JAL)が初出場する。昨年の東京世界選手権こそ、右肘を痛めた影響で予選敗退となったが、2023年ブダペスト世界選手権、24年パリ五輪を連覇。今季から男子世界記録保持者のヤン・ゼレズニー氏とコーチ契約を結び、新たなスタートを切っている。最大のライバルは5月のダイヤモンドリーグ(DL)・厦門大会(中国)で世界歴代2位の71m74を放った驚異の18歳・嚴子怡(中国)となるが、9月12日の世界アルティメット選手権では3年ぶり日本新、世界歴代10位タイとなる68m92をマークし、嚴子怡らを抑えて優勝している。女王としてのプライドを自国開催の大会で示してくれるだろう。

ライバルは多いが、やはり男子短距離陣の存在は大きく、日本チームの核を担うことになる。3連覇が懸かる200mには、日本選手権を初制覇、予選で日本歴代2位の20秒07(+0.5)をマークした水久保漱至(宮崎県スポ協)、ケガの影響で辞退した鵜澤飛羽(JAL)に変わって日本選手権2位の林明良(慶應義塾大)が出場。100mは日本選手権を5年ぶりに制した多田修平(住友電工)、18年ジャカルタ大会200m金の小池祐貴(同)がエントリーした。両種目ともに、100mで日本記録を上回る9秒94、200mでも20秒03を持つ20歳、プリポル・ブーンソン(タイ)を打ち破ることが、アジアの頂点に立つための必須条件となるだろう。400mに出場する、東京世界選手権6位の中島佑気ジョセフ(富士通)、日本選手権で日本人5人目の44秒台(44秒98)に突入した林申雅(筑波大)は中東、インド、スリランカ勢との激戦必至だ。
スプリント陣の力を結集するリレーでは、4×100mは2大会ぶりの金メダルへは前回王者の中国が強敵。また、来年の北京世界選手権の出場権獲得のためにはタイムも求められる。4×400mはカタール、インドとの争いを制し、3大会ぶりの栄冠を手にできるか。

近年活況の女子100mハードルも、44年ぶりのアジア制覇をうかがう位置にいる。日本選手権を初制覇した中島ひとみ(長谷川体育施設)は、その後に12秒62、12秒60と日本新記録を立て続けにマーク。福部真子(日本建設工業)も破られた日本記録の奪還を狙ってくるはずだ。日本勢ワン・ツー、さらなる日本記録更新がしっかりと視界に入る。

男子跳躍では走幅跳の橋岡優輝(富士通)、走高跳で世界大会3連続入賞中の赤松諒一(SEIBU)といった経験豊富な選手や、三段跳の宮尾真仁(東洋大)ら勢いのある若手がそろう。日本選手権で2年ぶりに王座を奪還した橋岡は、日大時代の恩師である森長正樹が1998年バンコク大会で獲得して以来の金メダルなるか。赤松は、踏み切り脚の左足のケガからの復調状況がメダル争いへのカギとなるだろう。

男子投てき種目は、やり投などに五輪、世界選手権金メダリストがそろうなどハイレベルだが、やり投の﨑山雄太(ヤマダホールディングス)、ハンマー投の中川達斗(山陽特殊製鋼)や福田翔大(住友電工)、お膝元・トヨタ自動車所属の円盤投・湯上剛輝らが堂々と挑戦。十種競技の丸山優真(住友電工)も、4月に日本記録(8321点)を出したパフォーマンスを発揮できれば十分にチャンスがある。

女子も日本選手権100m、200m2年連続2冠の井戸アビゲイル風果、400m第一人者の松本奈菜子の東邦銀行コンビ、前回銀メダルの棒高跳・諸田実咲(アットホーム)、2023年アジア選手権金メダルの秦澄美鈴(住友電工)らが、アジアの強豪たちに挑戦。400mハードルの青木穂花(ゼンリン)は、1992年広島大会に出場した母・早穂子との母娘出場となる。

このほか注目は、何といっても男子400mハードルの後藤大樹(洛南高2京都)。日本選手権では予選48秒31、決勝48秒09という特大のU20日本新・高校新、さらにはU18世界最高とう大記録を打ち立てえた。この種目には世界選手権でメダル獲得経験のあるアブデラーマン・サンバ、8月末に今季アジアリスト1位の47秒56を出したバシーム・ヘメイダのカタール勢が強力だが、U20世界選手権銀メダルを経て挑む初めてのシニア国際大会で、22年オレゴン世界選手権セミファイナリスト・黒川和樹(住友電工)とともにどんな走りを見せるか。
前回の中国・杭州大会は、当初予定の2022年からコロナ禍の影響で1年延期となり、2023年9月の開催。ブダペスト世界選手権から約1ヵ月後というタイトなスケジュールだった関係もあり、戦略的な選考となった。その中で金メダル2を含む17のメダルを獲得している。今季の〝最強メンバー〟をそろえた32年ぶり自国開催の今大会は、大きな成果をつかみにいく。
●中長距離、マラソン
中東などからはアフリカ諸国からの国籍変更選手も含めて出場し、さらにインド勢も強力。メダル獲得は決して簡単ではない。その中でも、世界と互角に渡り合う3000m障害の三浦龍司(SUBARU)が、初のアジア大会でどんな走りを見せるかに注目が集まる。昨年の東京世界選手権では、最後の水壕を3位で越えるなど終盤までメダル争いを繰り広げ、国立競技場を熱狂の渦に巻き込んだ。今季もダイヤモンドリーグ(DL)で世界最前線との勝負に身を置いて力をつけ、アジア制覇をステップに来年の北京2027世界選手権、2028年のロサンゼルス2028オリンピックでのメダル獲得を見据える。中東やインド勢のラストスパートには注意を払う必要があるが、青木涼真(Honda)とともに日本勢ワン・ツーも射程圏だ。

女子では、第一人者・田中希実(豊田自動織機)が1500m、5000m、10000mの3種目で代表入りを果たした。10000mでは初の国際大会出場となる。今季は日本選手権の5000mで2位に敗れるなど苦戦が続くが、海外レースを重ねて再び上昇の流れをつかんでいる。3000m障害で世界大会の金メダルを持つウィンフレッド・ヤヴィ(バーレーン)、ノラ・ジェルト(カザフスタン)らがどの種目を選択するかによってレース展開は変わるだろうが、世界水準の勝負に挑むことでさらなる高みへの道筋が見えてくる。昨年の東京世界選手権10000m6位入賞の廣中璃梨佳(ユニクロ)は欠場となったが、日本選手権5000mで田中を逆転して初優勝を飾った山本有真(積水化学)、3000m障害で力をつける齋藤みう(パナソニック)ら、アジアの舞台で飛躍を期す選手たちがそろう。

男子長距離陣は1500m、5000mの2種目に出場する森凪也(Honda)、10000mの鈴木芽吹(トヨタ自動車)らが、アジアの強豪たちに挑戦。森は今季、持ち味のスピードに磨きがかかり、5月のセイコーゴールデングランプリ3000mでは7分38秒98の日本新をマークした。鈴木もアジア大会選考レースだった5月の木南記念をセカンドベストの27分20秒11で制するなど、着実にベースアップが進んでいる。熾烈になるであろう終盤の争いにどう立ち向かうかが、メダル獲得への大きなポイントだ。
中距離陣も力のある選手がそろった。800mは大学2年の落合晃(駒大)、高卒1年目の久保凛(積水化学)の男女日本記録保持者が、昨年のアジア選手権に続いてアジアに挑む。落合は今季、5月3日の静岡国際で日本人初の1分43秒台(1分43秒90)をマークすると、30日のMiddle Distance Circuitでは1分43秒45に更新。さらに7月10日のDLモナコでは1000mで2分15秒24の日本新を出すなど、昨年の東京世界選手権予選敗退を糧に、大きな成長の跡を示す。久保も東大阪大敬愛高卒業を経ての社会人1年目のシーズンで、序盤は苦戦したが、日本選手権ではアジア大会派遣設定記録を突破する2分01秒54で3連覇を達成。見事に重圧を乗り越えてみせた。
男子1500mには森とともに第一人者・飯澤千翔(住友電工)が出場。昨年のアジア選手権では日本勢44年ぶりの金メダルに輝き、東京世界選手権にも出場を果たした。日本選手権も持ち味のスパートを見せて3連覇と、国内では頭一つ抜けた存在となっている。

マラソンは陸上競技4日目の9月26日に、男子午前7時30分、女子午前7時50分の時差スタートで行われる。パロマ瑞穂スタジアムを発着点に、国の重要文化財に指定される名古屋市役所庁舎前などを巡り、名古屋城がそびえる名城公園を折り返しとする周回コースを2周して争うレースに、男子は吉田祐也(GMOインターネットグループ)と山下一貴(三菱重工)、女子は佐藤早也伽(積水化学)と矢田みくに(エディオン)が挑む。昨年の東京世界選手権を経験した吉田、23年ブダペスト世界選手権で日本人トップ(11位)だった山下、世界選手権にブダペスト、東京と2大会連続で出場した佐藤、そして1月の大阪国際で初マラソンとしては日本人で初めて2時間20分を切る2時間19分57秒をマークした矢田と、実力者たちが名を連ねた。この種目の金メダルは、男子は2018年ジャカルタ大会の井上大仁、女子は1998年バンコク大会の高橋尚子まで遡る。地元の大声援を背に、真っ先にパロマ瑞穂スタジアムに帰ってくる姿を見られるか。
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