
日本陸連が、国際レベルでの活躍を期待できる資質を持つ競技者を、中長期的・多面的なスタンスで強化・育成する「ダイヤモンドアスリート」制度。陸上競技を通じて豊かな人間性を持つ国際人となり、将来的に日本および国際社会の発展に寄与する人材の育成を期して、さまざまなプログラムを展開しています。第12期は、12月1日に東京都内で認定式が行われたのちに、最初のプログラムとなるリーダーシップ研修を、例年同様、メディア公開のもと実施。講師に、ダイヤモンドアスリートのOB(第1期生)として国際舞台で活躍しているサニブラウンアブデルハキーム選手(東レ、男子短距離)を迎えて行われました。
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研修には、同会場で行われた認定式・修了式に出席した第12期ダイヤモンドアスリートの中谷魁聖(東海大)・濱椋太郎(法政大)・古賀ジェレミー(東京高)・ドルーリー朱瑛里(津山高)の4選手と、同ダイヤモンドアスリート Nextageの松下碩斗(静岡高)・後藤大樹(洛南高)の2選手、そして、修了生の北田琉偉選手(日本体育大)の7名が出席。ゲスト講師として招かれたサニブラウンアブデルハキーム選手に加えて、2004年アテネオリンピック女子ハンマー投代表の室伏由佳ダイヤモンドアスリートプログラムマネジャー、そして、日本陸連アスリート委員会委員長で、認定式・修了式において認定アスリートを発表した男子走高跳日本記録保持者の戸邉直人選手(JAL)も臨席。いずれも豊富な国際経験を有する豪華な顔ぶれが揃ったなかで進んでいくことになりました。

サニブラウンアブデルハキーム選手は、1999年3月生まれで現在26歳。小学生のころから陸上に取り組み、城西大城西高に進んだあたりから、ぐんぐん頭角を現していきました。2年時の2015年、コロンビアのカリで開催された世界ユース選手権(2017年まで実施されていたU18年代の世界選手権)に出場。100mと200mをともに大会新記録で2冠を達成。そして、その後、北京で開催された世界選手権男子200mにも出場して、大会史上最年少セミファイナリストに。そして、2017年ロンドン世界選手権では、やはり大会史上最年少での決勝進出を果たして7位に入賞。この快挙は、国際的にも高く評価され、国際陸連(現ワールドアスレティックス)の年間表彰においても著しい活躍を見せた新人に贈られるライジングスター賞を受賞しました。

(写真:アフロスポーツ)
高校を卒業した2017年秋からは、アメリカの名門フロリダ大へ進学。フロリダに拠点を移して競技活動に取り組むなか、2019年には日本人2人目の9秒台スプリンターに。その後、プロアスリートとして活動することを宣言します。同年のドーハ世界選手権ではアンカーを務めた男子4×100mリレーで銅メダルを獲得。2022年オレゴン世界選手権では男子100mで日本人初の決勝進出を果たして7位に入賞、翌2023年ブダペスト世界選手権では100m6位と2大会連続でファイナリストになるとともに、4×100mリレーでも5位入賞を果たしました。その間、オリンピックにも東京(2021年)、パリ(2024年)と2大会連続で出場。パリオリンピックの100mでは、決勝進出には僅かに届かなかったものの、準決勝で世界大会における日本人最高となる9秒96の自己新記録(日本歴代2位)をマークと、日本を代表するスプリンターとして、数々の輝かしい実績を残しています。

2014年度に創設されたダイヤモンドアスリート制度の第1期生でもあり、「海外への進学」や「世界を舞台に戦う」など、ダイヤモンドアスリートが目指す取り組みの先陣を切ったといえる人物。近年では、社会貢献活動にも取り組み、陸上界のみならず、スポーツ界の価値を高めるロールモデルといえる存在となっています。
今年も田原陽介ダイヤモンドアスリートコーディネーターの司会で進んだ研修は、田原コーディネーターの「サニブラウン選手、“ようこそ”というか、“おかえりなさい”。ちょっと懐かしい昔の写真を出させてもらいます」と、2016年度に撮影された第3期ダイヤモンドアスリートの集合写真が掲示されるところから始まりました。写真がスクリーンに映し出された瞬間に、研修参加選手だけでなく、傍聴していた関係者の間でも「うわあ」「若いなあ」「懐かしい」と声が漏れ、会場がざわつきます。それもそのはず、サニブラウン選手は、当時、城西大城西高3年生。サニブラウン選手自身も思わず「若っ!」と声を上げました。
参加選手たちの緊張感のあった表情が少し和らいだところで、田原コーディネーターは、ダイヤモンドアスリート1期生として、高校1年の冬から認定アスリートとなったサニブラウン選手の経歴を紹介。そして、「今年は、世界と戦うために、“目線を世界に向けてほしい”というところで、サニブラウン選手にいろいろと聞いていこうと思っている。室伏マネジャーや戸邉選手にも参加していただくので、どんどん(質問を)ぶつけてほしい」と呼びかけ、プログラムを開始しました。
進学先に国外大学を選んだ先駆者
高校生の段階で、シニア年代の日本代表に選出され、2015年北京世界選手権男子200mで大会史上最年少の準決勝進出を果たしていたサニブラウン選手は、卒業後の進学先にアメリカのフロリダ大学を選択。高校を卒業してすぐに拠点をアメリカに移しました。今でこそ、進学先に海外を選ぶダイヤモンドアスリートも増えてきましたが、当時の日本のU18年代トップ選手では例のなかったスタイル。2019年にはプロ転向を表明し、以降もフロリダにトレーニング拠点を置いて、競技活動に取り組んでいます。ここでは、田原コーディネーターが、アスリートとしても、人生においても、大きな選択となる進学先を海外にすることを決めた背景を質問。サニブラウン選手は次のように話しました。

・高校2年時に「自分でも勝負できる」と実感
高校2年(2015年)のときに世界ユース選手権に出場し、そこで競技で結果を残すともに、アメリカ選手団のコーチ陣や各国の選手たちと話す機会があった。いろいろな話をするなかで、「世界にはこういう選手たちがいるのだな」ということを知った。また、その経験は、その後に出場した世界陸上(北京大会)でも活かされ、また、そこで世界の(シニアの)トップレベルがどういうものなのかということを知った。もちろん、世界陸上やオリンピックは中・高校と陸上を続けてきたなかでテレビでは見ていたが、自分がその舞台に立つことは全く想像していなかった。しかし、世界ユースで初めて世界の舞台に実際に立ったとき、「俺でも勝負できるかもしれない」と感じることができた。(アメリカへの進学は)そうした高校2年のときの経験が、一番のきっかけになったと思う。
・トップ選手が通った道を選ぶことへのワクワク感
アメリカへ行くことにしたのは、「このまま日本でやるのも悪くはないが、誰もやっていないし、本当に世界のトップの人間が練習している舞台に行って、挑戦してみるのも悪くないんじゃないか」という気持ちになったから。いろいろな人と話をして、アメリカやジャマイカなどのさまざまなトップ選手を見て、そういう選手が通ってきた道を、もし自分が歩んだらどうなるのだろう」と想像してみたら、ワクワクして、好奇心がものすごく湧いてきた。それが大きな動機となった。
世界の舞台で戦う醍醐味や苦労

サニブラウン選手は、世界選手権には2015年北京大会で初めて出場して以降、2025年東京大会まで6大会連続で代表入り。前述した通り、4×100mリレーの銅メダル獲得・5位入賞のほか、100m・200mという非常に競争率の高い個人種目でも計3回の入賞を達成しています。田原コーディネーターは「100m・200mという種目で日の丸をつけて戦うのは、非常に緊張度の高いことだと思うが」と述べ、サニブラウン選手に質問を投げかけ、サニブラウン選手から、次のような言葉を引きだしていきました。
Q:世界の舞台で戦う醍醐味は?
サニブラウン:最近強く思うのは、世界陸上やオリンピックの舞台に立つと、「帰ってきたな」という感じがすること。もちろん大会の小さい大会も大事で、そこでしっかり全力を尽くすことも大切だが、やはり日の丸を背負って、世界一を決める大会に出て、そこで世界の強豪と戦うときは、ものすごく生きている感じがしていいなと思う。それが陸上競技をやっているなかで一番の楽しい時間であると感じている。
Q:レースは好きでたまらない? 不安や葛藤はないのか?
サニブラウン:もう走りたくて仕方がないという感じ。そもそも練習はきついもので、こんなことを言ってはいけないのだろうけど、試合をしているほうが楽なので(笑)。でも、一番大きな舞台となる世界選手権に向けて、ずっと冬季から練習を積み重ねてきて、その積み重ねてきた自信もある。むしろ、「ずっと積み重ねてきたことを、この舞台で出せたら、自分はどうなるんだろう」と考えると、ものすごく楽しみになる。自分がやってきたことやコーチと一緒に積み重ねてきたことを世界の強豪相手に出したら「あ、これは、絶対に負けないな」というメンタルで試合に臨むことができ、自分がそこで競技することに対して、ものすごく前向きなモチベーションになる。それが自分の生きがいという感じである。
Q:世界で結果を出すために、苦労したり取り組んだりしたことは?
サニブラウン:自分自身は、めちゃくちゃ苦労したという経験はあまりない。いろいろな経験をして、いろいろな選手を見てきて感じているのは、実力がある選手はいっぱいいるけれど、それを大舞台で出せるかといわれたら、ものすごく限られてくるということ。100mでたとえると、9秒7で走ろうが、結局、その大会のその組で勝てないと前に進めないわけで、そこで実力を出せるのは、もちろん速い選手ではあるけれど、勝てるのは強い選手。世界の舞台で勝つためには、最終的には精神力が試されるのかなと思う。そういう舞台で戦うためには、日ごろからそういうレベルの選手たちと試合するのが大事だし、そういう選手たちがどんなマインドを持って、練習に臨んでいるのか、試合に臨んでいるのかを知ることが大切だと思う。
ここで田原コーディネーターは、フィールド種目を主戦場とする戸邉選手にも、次のようなQ&Aを展開しました。戸邉選手は大学生(筑波大学)のころから単身でヨーロッパに渡ってトレーニングを積むとともに、オリンピックや世界選手権だけでなく、ヨーロッパの各大会を転戦。2019年には国際陸連(現ワールドアスレティックス)が主催する世界室内ツアーで、日本人初の総合優勝も果たしています。

Q:戸邉選手の取り組むバー種目は、精神面のコントロールが必要。世界の舞台で戦うために必要なことや苦労したことはあるか?
戸邉:フィールド種目は、試合が始まってから終わるまでの時間が長く、その間、ずっとフィールドのなかで過ごすことになる。世界で戦うという意味では、まず日本の試合の進め方と、海外の競技会の進め方が全く違うことがあるので、そこに順応することが必要。逆に、海外の進め方に慣れてしまうと、今度は、日本の大会が難しくなる。そういう苦労はけっこうあった。
Q:日本の試合との違いというのは?
戸邉:試合の進め方自体が違っていて、公式練習のやり方が違うというケースもある。また、バーの高さが徐々に上がっていくバー種目では、日本の試合であれば、自分が試技を開始するまでに、1時間とか1時間半とか待つ時間が生じるけれど、これがダイヤモンドリーグや世界選手権、オリンピックになったら、最初の高さから試技をやっていくことになる。そうなると、当然、ウォーミングアップの仕方や試合に向けた(心身の)つくり方も変わってくる。そういう点にも難しさがある。
「日の丸をつけて世界で戦うときに必要なもの」は?
こうしたやりとりを踏まえて、今度は、ダイヤモンドアスリートたちに、「自分が日の丸をつけて世界で戦うときに、どういう条件が揃っていると活躍できるか」という問いが投げかけられました。ダイヤモンドアスリートたちは、フリップボードとして用意されたスケッチブックにそれぞれの答えを書き込んでいきます。まだ代表経験のない選手は、“もし自分が世界に出たときに、整えておかなければいけないもの”を考えてみることになりました。迷わずに文字を書き始める者もいる一方で、何を書こうかと考え込む者、いったん書いたものをやめて新しく書き直す者と、選手たちが少し思案する様子を見せたことに気づいたサニブラウン選手が、「自分の場合を言いましょうか」と、すかさずフォロー。「どんな状況でも最大のパフォーマンスができるようにすること」と挙げたうえで、「世界大会は、毎回やる場所が違うし、大会の運営方法も違う。ダイヤモンドリーグさえウォーミングアップエリアが整備されていないこともある。しかし、アップ場がどうだろうと、競技会場がどうだろうと、ご飯がどうだろうと、何があろうと結果を出さなければないのが、プロとして世界で戦う、日の丸を背負って戦ううえで大事なこと。どんな条件下でも自分のベストパフォーマンスができるように心身ともに整える。そこは日ごろからの積み重ねがものすごく大事」と説明しました。
また、ここで室伏マネジャーや戸邉選手も加わって、ウォーミングアップ場がない、指定された時間通りの運営にならない、ダイヤモンドリーグなどの宿泊は全く知らない他国の選手といきなり同室になることも…といった、日本では考えられないような「海外大会あるある」のエピソードが次々と紹介され、「日本がどれだけ恵まれた環境で競技をできているかは世界に出てこそわかる」(サニブラウン選手)ことも明かされました。
こうした“ヒント”も耳にしながら、各選手は、次の言葉を書き込み、その理由を一人ずつ説明しました。

◎北田琉偉「自己理解」
棒高跳は何時間も競技が続く種目。そのなかで、どれだけ自分を理解しているか。普段の練習から「この暑さなら動きすぎないほうがいい」といった自己理解ができていれば、どんな状況でも適応して、コンスタントに跳べるのではないかと思う。
◎松下碩斗「自信」
先日、交流事業で台湾のインターハイのような大会に出場した際、言語が通じづらいといったことが大なり小なりストレスになって雰囲気にのまれてしまうことを感じた。世界の舞台となると、さらに大きな緊張度が来ると思う。そんなときでも今までの自分の取り組みを信じて走ることが勝利の秘訣になるのかなと思う。
◎後藤大樹「Try and Error」
今シーズンのインターハイなどで、顧問の柴田博之先生から、「とりあえず、やってみろ。最初から成功は求めていない」と言われた。なんでもまずはチャレンジしてみて、できなかったらできなかったで考えるという精神で臨むほうが、自分は記録も狙えて、将来も(世界で)戦っていけるのかなと思う。
◎ドルーリー朱瑛里「心と身体のバランスを整える」
結果が出るときは、心と身体のバランスが一致しているときだと思うのだが、つい身体のことばかりに注意が行きがち。例えば、国際大会などで「環境が違う」「緊張している」「食事が違う」など、いつもと違う状態になると、心が動揺して、身体の調子が良くても結果が出せないことがある。そこをうまくマッチしていくことが必要になる。試合のときに心と身体のバランスを良い状態でマッチできるようにするためには、普段の練習でも、できないことがあったときに、ただ悲観的に捉えるのではなく、「何ができたのか、次、何ができるのか」を考えるなど、練習のときから意識して、自信を持ってレースに臨めるようにすることが大切だと思う。
◎古賀ジェレミー「応援」
スポーツは、一人ではできない。ほかの人と交流したり戦ったりすることで成り立つものだと思う。また、応援してくれる人が一人だけでもいると、それをパワーにできると思う。自分ができると思っていても、そのときどきでうまく行かないことも出てくる。日本を背負って世界で戦うとなったときに、応援を力に変えられるような心の豊かさも競技をしていくうえで大事かなと思う。
◎濱 椋太郎「遊び心」
適切であるかどうかわからないけれど、「遊び心」という言葉で表現した。(サッカーをやっていた自分が)もともと陸上を始めたのは、「走るのが楽しい、走って勝つのが楽しい」から。その心を忘れたときは終わりかなと思っている。だんだんレベルが上がっていくにつれて、「強い人は、どういうレースをしてくるのかな」という好奇心というか、楽しんでいる気持ちが強くなってきている。自分も試合のときに「ここを変えてみたら、自分はどうなっちゃうのかな」みたいなことをやってみるくらい余裕があるような、楽しいという感情を忘れていない状態でいられることが、大舞台で力を出すうえで必要だと考えた。
◎中谷魁聖「楽しめている時、勝った時を想像できている時、継続できている時」
自分の場合は、臨む試合での目的や目標に対して、どう戦っていくかを深く想像できていたり、楽しめたりしていると結果が出やすいと感じているので「楽しめている時」と書いた。「勝った時を想像できている時」と書いたのは、逆に、うまくいかないときや練習ができていないときは、自分が勝ったときの想像ができていないと感じるから。また、「継続できている時」というのは、勝ったときの想像ができているときと、そうでないときとの差がどこにあるかを考えて書いた。心身ともにうまくいっていないときは、いつもできていた普通のこともできなくなっている。目標に向かって、計画的に継続して進んでいけているかは、すごく大事だと感じている。各選手の言葉について感想を求められたサニブラウン選手は、「1期生の先輩として、こんなことを言うのもなんだけど、“自分がみんなの立場だったときは、そんなこと全然考えていなかったな”と思いながら聞いていた」と打ち明け、「まずは、やっぱり、こういう議題を挙げて、考えてみることがすごく大切だと思う」とコメントしました。そして、「別に正解があるわけではないし、かつ、持っているものは各々で違うこと。ただ、こういうことを日ごろから考えておくと、いざ、自分がその舞台に立ってやっていくとなったとき、それが“芯”となってパフォーマンスにつながる。その心を忘れずに、これからも続けることが大事だと思う」と話しました。
>リーダーシッププログラムレポート②に続く
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真:フォート・キシモト
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