競技面でも、人生においても、自身の可能性を最大限に活かせる人材を育てるべく、日本陸連が大学生アスリートを対象に、2020年度から実施している「ライフスキルトレーニングプログラム」は、昨年12月から第4期生( https://www.jaaf.or.jp/lst/#student )に向けたプログラムがスタートしています。1月20日・21日には、初めて1泊2日の合宿研修形式が実現。味の素ナショナルトレーニングセンターにおいて、第2回・第3回の全体講義が対面で行われました。初日は13時から21時まで、2日目は8時半から12時半までと、ともにみっちりと詰まったタイムテーブルが組まれたなか、受講生たちは“自分の最高を引き出す技術”習得のための濃密な時間を過ごすとともに、仲間同士の絆を深めました。
再び4期生のみがテーブルについて行われた第3回全体講義は、スポーツ心理学博士の布施努特別講師が、受講生一人一人に、前日行われたOBを含めてのグループディスカッションの感想を聞いていくことからスタートしました。布施特別講師は、「陸上の価値を考える」という奥の深いテーマについて、受講生たちが自分の考えをまとめ、異なる視点を持つ仲間とともに意見を出し合ったこの経験や、将棋の羽生善治九段や免疫学の世界的な権威として知られた石坂公成博士の言葉などを例に、考えることによって仮説をつくる能力は上がり、より精度の高い仮説思考のサイクルを回していけるようになることを説明。また、言葉にするのが難しい内容を、相手に伝えようと工夫するなかで、「自分の言葉」が磨かれ、より納得性のある「ストーリーをつくる」ことへとつながっていくことが示されました。
さらに、“MacintoshやiPhoneの生みの親”として知られるスティーブ・ジョブズ氏が、母校スタンドフォード大学の卒業式で行った「伝説の名スピーチ」の映像を視聴して行ったディスカッションや、意見交換のなかで上がってきた受講生たちのケースを例に、「行動変容が起きるのは長期の記憶」「内発的な好きと外発的な好きの違い」「結果が出たあとでも次の一歩を踏み出せるか」「終わりなき挑戦を可能にするには」などについて、考えを深めていきました。
僅かな休憩を挟んで、講義はこの日の本題へ。布施特別講師は、「スポーツのなかで重要に鍵となってくるのは、“自分で決められるか”ということ」と述べて、「自己決定能力」について話を進めていきました。
布施特別講師は、自己決定能力は、取り組んでいることの経験や意識が高まるとともに、次の5つのステップを踏んでステージが上がっていくとして、
・第1段階「コーチ(や誰か)に言われたから、やる」
・第2段階「やらなければならないから、やる」
・第3段階「自分にとって重要だから、やる」
・第4段階「やりたいと思うから、やる」
・第5段階「楽しいから、やる」
の各段階を紹介。段階が上がるごとに、その動機づけは、外発的かつ義務的なものから、内発的かつ能動的なものへと変化していくことを説明しました。受講生たちは、布施特別講師からの「今、陸上をやっている自分は、どの段階にいる?」という問いかけに答えていくなかで、自身の状況を確認するとともに言語化。そのうえで、布施特別講師が示した、「それぞれの段階は、スパイラル状にステージが広がりながら上がっていくこと」「第2段階の“やらなければならないから”と第3段階の“自分にとって重要だから”の間には、大きな違いがあること」を理解しました。
続いて紹介されたのが、自己決定能力のステージが上がっていくときにも、大きな違いが生じると示された「内発的モチベーション」について。実は、これは前日の全体講義で紹介された『オリンピックメダリストに共通する5つの特徴』の1つでもあります。布施特別講師は、スピードスケート金メダリストの小平奈緒選手のケースを例に、内発的モチベーションが高まることによって、どういう変化が起きるかを紹介。それらは、仮説思考のサイクルを回すことによって活性化するとともに、将来のなりたい自分から逆算して自身の今後をプランニングしていく「縦型思考」、「CSバランス」や「役割性格」が役立ってくることを示しました。
同じくメダリストに共通する特徴である「オートマチズム(心も身体も自然に動けるようになっている)」に関する説明では、「重要なことに時間を使えているか」を題材に、不安があるときの対処法を例に、オートマチズムを実現するために必要な優先順位の絞り方も披露。また、メダリストが共通して有する「ピーキング」能力については、その獲得にあたって「CSバランスをとる」「アテンション・コントロール(意識をどこに置くか)」「行動の可視化」が重要で、実践の過程においては、「役割性格」や「仮説思考」も生きてくることがレクチャーされました。
最後に紹介されたのは、先に挙がった「行動の可視化」を実現する手段として有効な、「KPIの作り方」です。KPIとは、Key Performance Indicatorの略称で、目標を達成するための各プロセスにおいて、達成の度合いを計り、評価をする指標となるもの。ここでは、達成したい最終的な目標を、「信頼されるリーダーになる」にした場合を例に具体的な方法が示され、受講生たちは、試しに例をつくって、書きだしてみる作業に取り組みました。「最初は、設定が難しく感じるかもしれないが、実際に何度もつくっていくうちにコツがわかってくる。まずは、実践してみることが大事」と布施特別講師。次回の全体講義までの課題として、①ジョブズ氏のスピーチから得たヒント、②アテンション・コントロールや役割性格も意識したうえでのピーキングの実践に加えて、③トレーニングで設定される小さな目標のKPIを作成し、それに基づき実践する、の3つを提示しました。
ここで第3回目の全体講義は終了し、最後に、続けて行われた2・3回目の全体講義を受け、濃密な知識のシャワーを浴び続けたような時間を過ごした受講生たちが、一人ずつ、この2日間の感想を述べて全体講義を終えました。両日で学んだことや、すぐに取り入れられそうと思ったことを、自分自身の言葉で伝えようとする受講生たちの様子に、大きな成長が感じられました。
【第3回全体講義受講後:受講生コメント】
金本昌樹(早稲田大学3年、400mハードル)
新しい知識がたくさん入ってきて、今後の競技や人生に活かせそうだなと感じる2日間でした。また、「仮説思考」については、これまでも無意識にやっていたことに気づくとともに、今まで感覚的にやっていたのが、今回の講義で知識として言語化されて頭のなかに入ってきたことで、改めてきちんと理解ができました。
このプログラムを受講しようと思ったのは、「もっと自分を変えていきたい」という気持ちがあったから。私は、すでに高校と大学とで、自分がだいぶ変わったなと感じているのですが、その背景には、早稲田大学の競走部でさまざまな指導者や先輩の方々、後輩と出会いがあり、そこでの関わりによって自分が変化し、競技においても人間的にも成長できたことが影響しています。その経験から、私自身の人生は、変わることで成長しているのだと感じたので、ライフスキルトレーニングを受けて自分が変わることで、さらに成長していけるのではないかと考え、応募しました。実際に、今までになかった考え方や意見、さまざまな知識に触れることで、自分の考え方も変化していて、日々成長を感じているところです。
ほかの受講生との会話のなかで発見できることもたくさんあります。今日の講義で印象に残っているのは、柳井(綾音)さんが、「不安要素を練習で見つけて、それを練習で潰していく」と話したこと。私自身は、試合で不安要素を見つけて、それを練習で日々克服していくというスタイルでやっていて、練習から不安要素を見つけていくということは考えていなかったので、「ああ、そういった視点があるのか」と感じました。すぐにやってみようと思っています。
昨年の秋に、48秒台にあと少しというタイム(49秒04)が出たことで、それまで考えたことのなかった「世界」が見え始め、今では、「世界で戦えるようになる」という思いが明確になっています。そのきっかけとなった昨年の日本インカレは、実は勝負には敗れて3位。本当に悔しい思いをしました。ただ、そのときを振り返ると、レース前も、レース中も、ずっと競争相手となる選手のことばかりを意識してました。講義を受けたなかで、それは「横型比較」であったことに気づき、「もし、あのときに縦型比較ができていて、自分に集中したレースをしていれば…」と、敗因を整理することができました。今年の日本選手権も厳しい戦いになります。そういった場面で自分の走りに集中すること、それができるような自分になることを目指して、取り組んでいきたいと思っています。(談)
内藤未唯(神奈川大学3年、競歩)
めちゃくちゃ濃い2日間だったな、というのが今の一番の感想です。
私は、すごいネガティブで、物事がうまく行かないと、どんどん悪いほうへ考えてしまうことが課題だったのですが、「別の視点で物事を捉える」という布施さんからのアドバイスを聞いて、「そういう見方もあるんだな」と、すごく勉強になりました。また、講義のなかで、オリンピックメダリストや、自信満々のように見えるアメリカの短距離選手も試合前には「こうなったらどうしよう」と考えているという話を聞いたり、ほかの受講生の皆さんが「こういうことを不安に感じる」といったことを話してくれたりしたのを聞いて、「自分だけではないんだ」と、少しホッとしました。
今回の講義で特に印象に残っているのは、オートマチズムのところで紹介された不安への対処の話です。「不安要素があると、ついそのことばかり考えてしまうので、逆に最初からその不安について考える時間をつくる」とか、対処できることは3つが限界。最大3つに絞って、1週間でできることできないことを取捨選択していく」というのは、2月に控える日本選手権(20km競歩)に向けて、やってみようと思いました。また、役割性格を演じるということも大事だなと思いました。ついネガティブになってしまいそうなときに、「アスリートとしての自分」を演じきることができたら、何か変わってきそうな気がしています。
ほかの受講生の皆さんの話を聞いたことで、それぞれにいろいろな視点があるんだなと感じたし、皆さんの具体的な例を聞けたことで、自分の引き出しが増えたように思っています。実は、もともとは内向的で、人と話すこともとても苦手なのですが、この講義のおかげで、自分の引き出しのなかにあったものを取りだして言語化し、ちゃんと自分の言葉で伝えることが経験できました。また、そのことに快感を覚えたというか(笑)、すごく楽しいなと思えたことも大きな収穫です。そういう面は、競技だけではなくて、今後、人生のいろいろな場面で活かせるんじゃないかと感じています。(談)
【第3回全体講義参加OBコメント】
伊藤 陸(スズキ)第1期生
第4期から運営サイドに加わって、受講生のサポートをしています。日本陸連内で、そうした役割を務める人を新たに加えようということになったそうで、声をかけていただきました。ちょうど冬季トレーニングが始まる時期だったし、ほかにも、いろいろと考えることが必要な状況でもあったために、最初に話をいただいたときは、正直なところ「引き受けて大丈夫なのかな」と悩む思いもありました。ただ、社会人として競技以外の仕事もするようになったときに、どうやら僕自身は、そのことを「楽しいな」と思いながら取り組めるタイプのようで、実際に、今年度から所属しているスズキでやっている仕事にも、面白さや意欲をもって取り組むことができています。この話をいただいたことで、「さらに経験が積めるなら…」と思い、引き受けました。
ここまで、1回目の全体講義はオンラインで、そして、今回、対面での実施となった2・3回目の全体講義では、その場に立ち合うことができたわけですが、4期生が受けている様子を見ていて、受講生だったころの自分を、客観的に見ているような気持ちになりました。「ああ、僕も、そんなことを思っていたな」とか、「きっと、(自分と)同じところで迷っているんだろうな」とか、「今、すごくいっぱい考えているんだろうな」とかいうのがわかるんですね。
一方で、3年程度ではありますが、受講生として学んだときから時間が経った今、その間の自分の行動や結果を思い起こし、「ああ、あのときは習ったことが使えていたんだな」とか、「あのときは、そこの考えが至っていなかったな」と、改めて振り返ることもできています。それは自分にとって、とても貴重なこと。声をかけていただいてありがたかったなと思いますし、自分のそうした経験を話したり共有したりすることで、少しでも4期生の役に立つことができたらいいなと感じています。
社会人1年目がもうすぐ終わろうとしていますが、社会に出てから言われることって、本当に、このライフスキルトレーニングで学んだこと「まんま」だなと感じることばかり(笑)なんです。学生のころは、そんなに強く思わなかったことも、社会人となったとたんに肌で感じることが多く、そういう意味で、昨年は特に大きな刺激を受けた1年でした。
遭遇するいろいろな物事に対して、常に「なんでもやってみよう」「どんな感じなんだろう」という気持ちで取り組んできましたが、そのなかで、今、ライフスキルトレーニングで学んできたことが、自分の日常にどんどんマッチしてきているように思います。僕の場合は、「社会人として、こういうことをしたい」ということに対して、まだ不透明なところがあるのですが、この取り組みを続けていくことで、「自分がこの先、社会人としてやりたいこと」が、しっかり見えてくるのかなとも感じています。本当にちょっとずつではありますが、「ただいま、成長中」(笑)。頑張りたいですね。(談)
文・構成/写真:児玉育美(JAAFメディアチーム)
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