2016.09.05(月)選手

【リオ五輪帰国後インタビュー】 第2回 男子50km競歩[荒井選手](その1)

リオデジャネイロオリンピックで、銀メダル1,銅メダル1、入賞2(ともに7位)という結果を収めた陸上競技日本選手団。メダリストや入賞者の皆さんは、リオ大会で何を感じ、何を学んだのでしょうか?
彼らの貴重な経験を、2020年東京オリンピックで生かすべく、スタートさせたこの企画。
第2回は、男子50km競歩で3時間41分24秒をマークして3位でフィニッシュ。オリンピックにおける日本競歩史上初のメダリストとなった荒井広宙選手(自衛隊体育学校)へのインタビューをお届けします。

◎写真/競技写真:フォート・キシモト、インタビュー写真:高橋将志
◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)

入賞狙えるかな→メダル行けるかも→メダルだ!
レースのなかで目標値は上がっていった

――改めて銅メダル獲得、おめでとうございます。まず、大会の話から伺いましょうか。調子はどうだったのですか? 万全だった?
荒井:リオに入る前に、アメリカで事前合宿を行ったのですが、実はそこに入ったときには時差ボケが強く出て、倦怠感だったり変なお腹の張りみたいのがあったりして、最初はちょっと不安だったんです。でも、だんだんと解消されて、合宿が終わるころには問題もなくなり、そこからは調整がうまくいったという感じでした。

――では、レース当日は?
荒井:ベストコンディションでしたね。そこまでにやれることはすべてやり尽くして、ベストのコンディションで臨むことができました。

――入賞あるいはメダルを目指してのレースでした?
荒井:そうですね、(出発前の段階で)「最低でも入賞、チャンスがあればメダル」と言っていましたから・・・。でも、レースが始まったときは、自分のベストを尽くそうというか、力を出し切るぞという気持ちでしたね。そして、レースが進むにつれて(競り合う)人が減ってきて、まずは“入賞が狙えるな”という気持ちになって、そこからさらに人が減ったところで、今度は“もうちょっとでメダル、行けるかも”と思って・・・。そうやってレースのなかでだんだんと目標値が上がっていって、最後は“メダルだ!”という思いで歩いたという感じです。

――“メダル!”と思ったのはどのあたり?
荒井:(人数が)絞られて、3人くらいになってくらいですかね。記憶が曖昧な部分も多いのですが、一度、1位と並んだところとかあったと思うのですが、そのあたりでは“なんとか3位には入りたい”という気持ちでした。とにかくメダルを、何色でもいいから取りたいと思って歩いていました。

――では、レース中、順位は正確に把握できていたわけですね?
荒井:把握していましたね、ちゃんと。常に見ていたので。

――暑さはどうでした?
荒井:いやあ、暑かったです。スタートしたときの気温は、20℃ちょっとくらいだったと思うのですが、海が近いので湿気をけっこう感じて・・・。また、曇ってくれそうな気配が全然なかったので、“暑い1日になるかな”と思いながらスタートしました。暑くなると思っていたので掛け水をしたり、後半は氷を帽子に入れたりして、とにかく身体を冷やそうとしながら歩いていました。

――自分のなかで“メダル獲得は大丈夫”と思ったのはどのあたり? そして、2位とは8秒差でした。逆転を狙えると考えていたのですか?
荒井:ゴールするまでは大丈夫とは思えませんでした。ただ、レース中は、“もし、(エヴァン・)ダンフィ選手(カナダ、4位)に追いつかれたとしても、なんとか(ジャレド・)タレント選手(オーストラリア、2位)に追いつけないかな”とは思っていました。ダンフィ選手に抜かれても、タレント選手を抜くことができれば、なんとかメダルを取れる・・・みたいなことを思っていたんです。“これで大丈夫だな”と本当に思ったのは、ゴールラインを踏んだときです。それまではもう怖くて怖くて・・・。安心してウイニングランみたいなのをかます(笑)余裕は、ほんと、全然なかったです(笑)

勝負は後半と想定
序盤は力を温存して、後半でしっかり上げていこうと思っていた

――「メダルを」という点では、荒井選手の場合、去年の世界選手権(銅メダルを獲得した同じ自衛隊体育学校の谷井孝行選手に次いで4位)の悔しさというのがあったのでは?
荒井:はい、そうですね。

――荒井選手は、世界選手権のレース後も、その後のいろいろな場面でも、いつも谷井選手の銅メダル獲得を祝福していたし、心から喜んでいました。素直にそう思っていたであろうことは間違いないと思うのですが、一方で競技者としては、“メダリストと4位の差”というのを痛感する場面がいっぱいあったのではないかと思うのですが。
荒井:雲泥の差ですよね、やっぱり。4番でも悪い順位ではないとは思っていたのですが、メダルを取れたか取れなかったかでは、周りの対応も全然違ってくるし。

――そのあたりは、どう思っていましたか?
荒井:やっぱり“メダル、取りたいな”という気持ちは新たに出てきましたね。でも、谷井さんが、去年メダルを取ってくれたことで、“じゃあ、僕だって行けるんじゃないか”という気持ちにもなれたんです。“日本人でも取れる”って。“普段、谷井さんとは同じくらいの練習をやっているんだから僕にだって十分にチャンスあるぞ”と、希望の光というか、そういうふうに思っていました。

――今回のリオ五輪で、メダルラインに届くために、ここは勝負所になるとか、勝敗の分かれ目になるとか、想定していたことはありましたか?
荒井:想定していたのは、後半(が勝負の分かれ目)になるだろうなということでした。なので、今回、スタートしたときは、僕は敢えて第1集団からちょっと遅れた、離れたところにいるようにしたんです。序盤では本当にゆっくりというか、余計な力を使わないように、温存するような形で。最初は離れた場所にいて、後半でしっかり上げていこう、力は後半に残しておこうという感じで歩いていました。

――想定通りの展開になった?
荒井:そうですね。レースプラン的には間違っていなかったと思います。今回でいえば、フランスの(ヨハン・)ディニ選手(8位)みたいに、前半からダントツでガンガン行っても失速しまうケースはけっこう多いので。

――ディニ選手ほどの力があっても失速してしまったということは、今回、よほどハードでタフなコンディションだったのだろうなと思いました。これまでに経験した試合と比べてどうでしたか?
荒井:世界大会は、2011年のテグの世界選手権から出ているのですが、これまでのなかで一番日陰もなかったし、過酷なコンディションだったかもしれません。身体のコンディションがよかったので、暑いながらもそれなりに対応できていたなと思いますけどね。

>>リオ五輪帰国後インタビュー 第2回 男子50km競歩[荒井選手](その2)はこちら
>>リオ五輪帰国後インタビュー 第2回 男子50km競歩[荒井選手](その3)はこちら

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