2020年東京オリンピック男子マラソンの日本代表を選考するマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が9月15日、第103回日本選手権を兼ねて開催されました。コースは、東京オリンピックにおいて発着点となる新国立競技場が建設中のため、同競技場そばにある明治神宮外苑いちょう並木にスタート・フィニッシュ地点を設けた以外は、オリンピック本番とほぼ同じ。2017年から始まったMGCシリーズで進出条件を満たした34名の選手のうち30名が出場し、上位2選手に与えられる東京オリンピック代表の座を競いました。
男子のレースは、天候晴れ、気温26.5℃、湿度63%(主催者発表によるスタート時のデータ)というコンディションのなか、出発直前にスタート機器にトラブルが生じた影響で、定刻の午前8時50分から1分54秒遅れてのスタートとなりました。
スタートして100mも行くか行かないかのうちに、設楽悠太選手(Honda)が飛び出すと、ほかの29選手との差をぐんぐんと広げ、1kmの通過時点で10秒以上のリードを奪う入りとなりました。設楽選手は、スタートからの各1kmを2分57秒、3分00秒、2分59秒、3分01秒、2分59秒で刻んで、5kmを14分56秒で通過(以下、1kmごとの通過は速報値、5kmごとの通過は大会発表の正式記録による)。先頭が15分56秒で通過した2位集団と1分の差をつけると、10kmを29分52秒(この間の5km14分56秒)、15kmを44分59秒(同5km15分07秒)と、日本記録が出たときのペースを上回るタイムで歩を進め、2位集団との差を2分13秒まで広げました。そして、20kmを1時間00分04秒(同15分05秒)、中間点は1時間03分27秒で通過。浅草雷門、日本橋、銀座といった東京の名所を、単独で悠々と走り抜けていきます。
しかし、その後はやや勢いに陰りが見られるように。20~25kmは1km3分05秒前後のペースで推移して25kmを1時間15分33秒(15分29秒)で通過しましたが、次の5kmは16分10秒にペースが落ちて30kmは1時間31分43秒で、さらに35kmまでの5kmでは16分54秒までペースダウンして1時間48分37秒でそれぞれ通過。25kmで1分48秒あった2位集団との差は、30kmで1分17秒差に、35kmでは35秒差まで縮まってきました。
一方、スタート直後、設楽選手を除く29名で構成された2位集団のほうは、めまぐるしく隊列を変えながらレースを進めていく形となりました。5km過ぎの給水に向かう動きのなか転倒して後れた谷川智浩選手(コニカミノルタ)を除く28名がひと塊となった状態で、10kmは先頭が31分36秒で通過しましたが、その後、12.5kmの給水を機に前に出た山本憲二選手(マツダ)に、神野大地選手(セルソース)がつき、2人で2位グループを形成。続く集団は2人を追って縦に長くなったのちに、大迫傑選手(Nike)、河合代二選手(トーエネック)、髙久龍選手(ヤクルト)、服部勇馬選手(トヨタ自動車)、宮脇千博選手(トヨタ自動車)、中村匠吾選手(富士通)、鈴木健吾選手(富士通)、堀尾謙介選手(トヨタ自動車)、上門大祐選手(大塚製薬)の9名が追いついて11名になると、その後、さらに6選手が追いつき17名の集団で15kmを47分12~14秒で通過。3秒遅れで井上大仁選手(MHPS)を含む6選手が第3集団をつくって続いていく展開となりました。
その後、前に出たのが鈴木選手。16~17kmを2分57~58秒のペースに引き上げ、リードを奪います。すかさず大迫選手、中村選手、服部選手、神野選手がこれに続きましたが、17kmを過ぎたところで神野選手が後れ、4選手が縦一列で続く2位グループが形成されることに。その後もペースを上げて先頭を引っ張る鈴木選手に、中村・設楽・服部選手が続く形で、4選手は20kmを1時間02分00秒で通過。この5kmを、首位の設楽選手(15分05秒)を上回る14分47~48秒でカバー(結果的に、中村選手がマークしたこの期間の14分47秒が、この大会の最速ラップタイムとなりました)しました。そして、20kmを過ぎてからは服部選手が先頭に立ち、中間点を1時間05分28秒で通過していきました。
しかし、2位グループのペースは、そこからやや膠着状態気味となり、20~25kmのペースも15分21~25秒に落ち込みます。この間に、中間点を1時間05分41~43秒で通過していた13選手による6位集団がばらけて、2位グループとの差を徐々に詰めてくる選手が出てきました。まず、藤本拓選手(トヨタ自動車)が追いつき、5選手となった2位集団は25kmを1時間17分21~25秒で通過。26km付近で大塚祥平選手(九電工)が、26.4kmで橋本峻選手(GMOアスリーツ)がそれぞれ追いつき集団は7人に。28km過ぎからは橋本が先頭を引っ張る形で30kmを1時間33分00秒で通過していきました。さらに、給水後、2位集団が牽制し合ってペースが上がらない間に、中本健太郎選手(安川電機)が31kmで追いつくと先頭に立って集団をリード。中本選手と一緒に前を追ってきていた竹ノ内佳樹選手(NTT西日本)も追いついて、32.8km地点となる二重橋前の折り返し地点では、9選手が一団となって、56秒差に縮まった首位・設楽選手を追うことになりました。
明らかにスローダウンした設楽選手を、この9名の2位集団が捉えたのは、37km過ぎに置かれた給水地点を過ぎたところ。飯田橋から市ヶ谷に向かって急な上り勾配が本格的になる地点で、一気に追いつくと、鈴木選手がペースを上げて先頭に立ち、設楽選手を逆転。ほかの選手も次々と設楽選手をかわしていきますが、設楽選手はこれにつくことができず、置き去りにされる形となってしまいました。
ここで初めて先頭集団となった9名によるグループですが、ここから最後のふるい落としが始まりました。まず、37.5kmを過ぎたあたりで藤本選手が後退。38.8km付近で中本選手、竹ノ内選手が後れ、39km過ぎでは橋本選手の仕掛けにつくことができなかった鈴木選手、大塚選手が振り切られ、先頭は橋本、中村、服部、大迫の4選手に絞られます。
そして、39.2km地点で、中村選手が一気にスパート。その直後に始まる急な上り坂を利用して、他選手を振りきろうとします。最後の給水を終えた段階で、橋本選手はやや後れ、中村選手を追っていた服部・大迫選手とも少し差がつく形となり、40km地点は、中村選手が2時間05分10秒(この間の5km15分58秒)、服部選手が2時間05分14秒(同16分02秒)、大迫選手が2時間05分15秒(同16分03秒)の順位で通過しました。しかし、40.7km付近で2番手にいた服部選手をかわした大迫選手が下り坂を利用して一気に先頭を行く中村選手の差を詰め、41km手前で追いつき、中村選手に並びかけようとします。ここで中村選手は大迫選手が前に出ることを許さず、さらにラスト800mにある最後の急な上り坂でもう一度ペースアップ。ここで大迫選手を突き放すと、2時間11分28秒でフィニッシュし、東京オリンピック男子マラソン代表切符の1枚目を勝ち取りました。
中村選手に続いたのは、服部選手でした。41.9km付近で大迫選手に追いつき逆転。2時間11分36秒でフィニッシュし、男子マラソン代表の2枠目に収まりました。大迫選手は、中村選手と5秒差の2時間11分41秒で3位。また4位には大塚選手が2時間11分58秒で、5位には橋本選手が2時間12分07秒で、それぞれ競技を終えました。
【男子代表内定者コメント】
◎中村匠吾(富士通)優勝 2時間11分28秒 =東京オリンピック男子マラソン代表内定
このMGCの出場権を昨年のびわ湖マラソンで獲得してから約1年半。よかったこと、うまくいかなかったこと、さまざまあったが、いろいろな方に支えていただいてスタートラインに立つことができた。自分自身のベストのパフォーマンスをすることができたと思う。
MGCに向けて、ここまで3カ月くらい練習してきたが、決してすべて順調だったわけではない。しかし、まず、昨年(の9月に)ベルリンマラソンに出場したときに実施した合宿や練習パターンと、ほぼ同じような流れを組めたことはとても役立ったと思う。8月にアメリカのパークシティで合宿したが、その段階で非常に状態が上がってきて、帰国してからも、いい調整ができていた。体調自体が上がってきている実感があったので、あとは勝負所を見極めて走るだけだと思っていた。
記者会見でも設楽悠太さんが、前半から行きたいと話していたので、レースはある程度、速いペースで進むのではないかとは思っていた。実際に、悠太さんが前に出たとき、誰かついていくかと様子を見ていたが、(どの選手も)集団でしっかりまとまって42kmを通して勝負しようという意思が見えていたので、自分もその集団の流れに乗った。悠太さんとは、途中で2分以上も差が開く場面もあったが、もともと後半勝負と考えていたこともあり、焦ることなく集団のなかでしっかり走ることができたように思う。
勝負所は、どこで行くと特に決めていたわけではないが、40km付近で仕掛けるのがベストなのかなとは思っていた。非常に余裕を持って走れていたので、坂を利用して前に出れば、抜け出すことができると思い、そこで仕掛けた。結果として最後まで3人(中村、服部、大迫)での勝負が展開されることになり、ラスト1kmで大迫選手に追いつかれたときは、正直焦りもあったが、そのときにラスト800mくらいのところにある上り(坂)が間違いなくポイントになるというふうにも考えていた。うまく余力を残しながら、そこで最後もう1回そこで仕掛けることができ、予定通りのレースをすることができた。
今日は26歳最後の日。レース前の段階で記者さんたちからも、「26歳最後の日なので、いい誕生日を迎えたいですね」とたくさん声をかけていただいていたが、自分自身も少しどこかで意識する部分もあり、26歳をいい形で終わり、27歳をいい気持ちで迎えたいという思いがあった。優勝して、オリンピックの内定をもらえたことは、自分への一番の誕生日のプレゼントなのかなと思っている。ここからまた1年、オリンピックに向けて精一杯頑張っていきたい。
◎服部勇馬(トヨタ自動車)
2位 2時間11分36秒 =東京オリンピック男子マラソン代表内定
東京オリンピックを目指したいと思ったのは大学生のときで、オリンピックの舞台に立ちたいと思って、マラソンを始めた。そのスタートラインに立てることになって、本当に嬉しい。
暑いなかでのマラソンは初めてだったので、とにかく冷静に、流れに身を任せる形でレースを進めた。設楽悠太さんがハイペースで入っていったので、少し戸惑いもあったが、集団を形成してそのなかで冷静に走ることを心がけた。
仕掛けるタイミングとしては、動けるのであれば、自分も40km過ぎくらいで動きたいと思っていたのだが、先に中村匠吾さんに行かれてしまって、そこで差が開き、その差が結局ゴールまで縮まらないままとなった。だが、上りに関しては、この大会に向けてしっかり対策はしてきていたので、自信をもって臨んでいた。最後の最後まで諦めない気持ちはずっと持って走ることができていた。
最後のところでは、いったん大迫さんとの差が20mくらい開いたが、そこでまた上りがあり、(自分が)上りにはすごく自信を持って上れていたことと、あと大迫さんが後ろを振り返ったことから「もしかしたらチャンスがあるのではないか」と思い、もう気持ちで走った。だから、大迫さんと順位が入れ替わったところは全然覚えていなくて、気づいたらゴールの手前にいたという感じ。もう無我夢中だった。
(これまで課題となっていた終盤の走りを克服するレース展開となったが)この大会に向けては、もともとあった長い距離を走ることへの苦手意識を克服しようと、なるべく長い距離を走ることなどをやってきた。また、40km走の翌日に自分がいやな練習をやるとか、いやなことをやり続けて終盤の走りを克服したという感じ。ほかにも取り組んだ対策はいろいろある。終盤の走りの前の段階での給水や、動きづくりなど、いろいろな方々にサポートしてもらってやってきたことによって、こういう走りができたのかなと思う。
(目標には掲げているが)東京オリンピックでメダルを獲得することは、そう簡単なものではないと思っている。これまで以上の努力をしなければならない。まずはしっかり準備をして、オリンピックに向かって取り組んでいきたい。
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真提供:フォート・キシモト
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