2019.03.07(木)選手

【MGCファイナリストインタビュー】服部勇馬選手(トヨタ自動車)



9月15日に行われる東京オリンピック男女マラソン代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」出場権を懸けて行われる「MGCシリーズ」の第2ステージ(2018-2019シーズン)も、いよいよ佳境を迎えようとしています。
今回のMGCファイナリストインタビューは、服部勇馬選手(トヨタ自動車)の登場です。服部選手は、昨年12月の福岡国際マラソンで日本歴代8位となる2時間07分27秒をマークし、歴史ある同大会で日本人として14年ぶりの優勝を果たしました。
これまでのレースで大きな課題となっていた「35km以降のペースダウン」に真正面から向き合い、それを克服したことで、大きな飛躍を遂げた服部選手。その背景にあった自己変革の道のりを伺うとともに、MGCに向けての展望を話していただきました。



達成感あった福岡の勝利

―――福岡国際マラソンの優勝、おめでとうございます。2時間07分27秒という好記録で、しかも日本人としては14年ぶりとなる優勝でした。あれからもうすぐ2カ月になるわけですが、振り返ってみていかがですか?

服部:ありがとうございます。昨年は、とにかく福岡国際マラソンで記録を出して、MGCの資格をまず獲得することを大前提としていたので、その目標をまずクリアできたことと、またその先に優勝が待っていたということをとても嬉しく思いますし、これからの自信になりました。MGCに向けてもいい弾みになったと思います。

―――レース自体を少し振り返っていただきましょう。どういう想定で進めたのですか?

服部:1km3分ペースで進んでいくことを知らされていて、そのなかで30kmまで集団につき、そのペースを最後まで維持しようという思いで走っていました。実際には、30km前からペースメーカーがうまく機能せず少しタイムが落ちてしまった部分もあったのですが、そのぶん35~40kmのところで自分自身でペースを上げて(14分40秒)ゴールすることができました。タイムも予定通りでしたし、全体的に見れば、いい走りだったと思います。

―――レース前から、かなり自信を持って臨んでいたようにお見受けしました。

服部:はい。福岡の前に3回マラソンを走っていて、35km以降で失速していたレースが続いていたので、今回こそはその課題を克服して自己ベストを出したいという思いがありました。とにかく過去のマラソン練習を見直して、マラソンの後半の走りを考えながら練習に取り組んでいたので、「今回こそは大丈夫だ」と思いながら走っていました。

―――もうちょっと早い段階から前に出て、一人で行ってしまうこともできたようにも感じました。そういう思いはなかったのですか?

服部:30kmの手前あたりでペースが落ちたところで、「行ってしまいたい」という思いはありました。ただ、自分自身がやってきた取り組みでは、まだ早すぎるのではないかという不安があって、その不安のほうが勝ったので、自分自身が本当に行けると思えるところから勝負しようという気持ちに切り替えました。欲を言うなら、もし出ていたら、また違ったレースになっていたのかなとも思います。ただ、自分自身の今の力量を考えた上での判断だったので、的確だったのではないかと思いますね。

―――「勝てるときに勝つ」というのも、すごく大事なことですし…。

服部:そうなんです。ちょうどペースが落ち始めた28kmあたりで、自分の中でも「タイム」と「優勝」の2つが頭に浮かんでいたんです。それらを天秤にかけたときに「優勝」のほうが上だったので、そっちを選択したという面もありました。

「35kmからの失速」、克服までの道のり

―――服部選手は、マラソンに対して、けっこう早い段階から、「いつかはやろう」という思いをお持ちだったと伺いました。

服部:はい。大学生のころからです。高校時代は夢の舞台として“箱根駅伝”があったのですが、大学に進んで1年目にその夢をかなえることができました。「じゃあ、自分は今度、何を目標にしていったらいいんだろう」と思ったときに、トラックレースでもないし、駅伝を突き詰めるわけでもないし、なかなか次の目標が思い浮かばなくて…。そういうなかで「マラソンで勝負していきたい」という思いが芽生えて、そこから目指すようになりました。

―――これまでの競技成績を拝見する限り、どちらかというとトラックよりもロードのほうが、より真価を発揮しているような印象を受けます。駅伝もそうですし、大学2年の段階(2014年2月)で、30kmで日本歴代3位となる1時間28分52秒の学生新記録をマークしていますし。

服部:そうですね。自分でもロードのほうが得意という意識があります。

―――初マラソンは、先ほど仰っていたように、終盤が苦しいレースになってしまいました。また、2回目も同じような形だったわけですが、どういう経過があって、今回に至ったのですか?

服部:1回目のマラソンは、当時、しっかり練習できていると思って臨んでいたんです。実際には今よりも走行距離も全然少ないし、質も低い内容だったのですが、でも、自分ではしっかりできたと思っていたので、「2時間8分くらいで行けるんじゃないか」というような考えでいました。

―――卒業直前の大学4年生のときに臨んだ2016年の東京マラソンですね。

服部:はい。で、実際に走ってみて、2時間11分(2時間11分46秒)で、その原因を、レース後も、練習不足とは考えずに、「疲労が抜けきらなかったんじゃないか」とか「練習をやりすぎて走れなかったんじゃないか」とかいうような考え方をしていたんですね。それは2回目のマラソンまで、ずっとです。でも、そこから記録が…、トラックのタイムも全然伸びなくなってしまっていました。それで、3回目のフルマラソンをやるにあたっては、もうちょっと自分自身のベースというか、基礎体力からきちんとつけようという思いで取り組みました。そうしたら、ベストタイムは出せなかったけれど、35km以降の失速をだいぶ克服することができたんです。それで、もっと自分自身が嫌がるような泥臭い練習、長丁場な、時間のかかる練習、そういった練習を増やすことで、4回目のマラソンとなる福岡に向けてやっていこうと考えて臨みました。

―――1回目、そして2回目として臨んだ2017年の東京マラソンも、ご自身としては十分に練習が積めているという自信を持っていた…。

服部:はい、ありました。

―――今、振り返ってみたら笑ってしまう?

服部:いやあ、子どもですね(笑)、本当に。そういう甘い考えで、マラソンに取り組んでいたと思います。

―――それは、“圧倒的な量の違い”ということなのでしょうか?

服部:量の違いですね。その(程度の)量でマラソンを走れるという考えになっていたというのが、今考えると恥ずかしいというか、情けないというか…。

―――終盤での失速というのは、脚に来た感じですか?

服部:はい。脚に来ました。(太ももの)前側がバキバキに痛くなって、「もう、(地面に)着きたくない」というような感じになりました。

―――3回目のマラソンは、2018年5月のプラハマラソンですね。2時間10分26秒で5位という結果でした。そこに臨む前には、確かケガもあったかと。

服部:社会人2年目の2017年シーズンです。2回目の東京マラソン後、(シーズン前半の)トラックレースが終わったあたりで右足のかかとと甲を疲労骨折しました。その影響で、8月から12月まで一切走れませんでした。

―――逆に、その時期があったからこそ、ベースから見直していく取り組みができたのかもしれませんね。ジョグの意識から変えていくという取り組みをなさったそうですね。

服部:はい。それまでは、ただただスピードを突き詰めてやっていて、土台がしっかりしていないのに、そういうことばかりをやっていたために故障が増えていたんです。その疲労骨折をきっかけに、「まず基本動作をしっかりさせよう」と思うようになりました。そのときはとても苦しかったけれど、それまでの取り組み方を見直す、すごくいい機会になったな、と。今振り返ると、そう思いますね。

―――それは、迷いなく取り組めたのですか?

服部:いいえ。3回目のマラソンに向けてやっていくときは、本当に今までと全く違う取り組みを始めたのでとても不安でしたね。「これでダメだったら、どうしたらいいんだろう」と、走る前はかなり追い込まれていました。でも、実際に走ってみて、「あ、もしかしたら、こういう取り組み方でやっていったら、違ったマラソンができるんじゃないか」という思いになりました。

―――そういう好感触を伴う結果を得たあとで、さらに大きな刺激を受けたのが、7月にボルダーで行われた日本陸連のマラソン合宿だった…。

服部:はい。ほかの人たちはどういう取り組みをしているんだろうと思って合宿に行ってみたわけですが、スピードというよりは、ひたむきに毎日コツコツと実直に、練習に取り組んでいる姿を見て、「ああ、やっぱりこういう取り組み方なんだな」という思いになりましたね。自分が一番練習ができていないということはかなり衝撃でしたが(笑)、ボリュームも走る時間も、それに負けないような取り組みを、僕自身もやらなければいけないなと思って…。その合宿自体は、福岡に向けてマラソン練習を始める前の段階だったのですが、参加してすごくよかったと思います。

―――そのときのメンバーは、MHPSの井上大仁選手、木滑良選手と…。

服部:大塚(祥平、九電工)、あとは上門(大祐、大塚製薬)です。

―――確かに、しっかりと練習を積むタイプの人たちばかりですね。だから余計に…(笑)。

服部:はい(笑)。刺激になりました。それに同年代の方々ばかりだったので…。

形ができた「自分のスタイル」

―――福岡を終えてみて、自分のスタイルが見えてきたという認識なのでしょうか? ああいうレースとか、マラソンに向かっていく取り組み方とか…。

服部:形はできたかなと思いますね。最初にマラソンを目指した大学2年生のときに思った“マラソン選手像”というのは、30km以降で、ケニア人選手のようにペースを上げてゴールするというものだったので、その選手像に一歩近づけたというのは本当に嬉しいです。その形をさらに強化していって、タイムもそうですけど強さのある選手になりたいなと思っています。

―――ケニアの選手は“速い”というイメージがあって、そして、その“速さ”を意識した練習を重視する方もいるわけですが、でも、ケニア人選手のような走りができるようにするためにはまず、しっかり脚ができていなければならないという認識に至ったところが、なんか面白いですね。

服部:そうですね。つい速さや結果の部分に目が行きがちなのですが、その過程がやはりすごく大事なのだな、と。自分自身がマラソン練習をやっていて、そこを強く感じています。

―――マラソン練習は、やっているときはつらいほうが多い? それともやっていて楽しい?

服部:ああ、それはつらいですよ、もう本当に(笑)。全然楽しくないですね。嫌なことばっかりですけど、でも、とにかく結果を出したいという思いがあるので続けることができています。

―――以前は、故障も多かったということでしたが、土台をしっかりつくることを意識した練習を行うようになってから変化はあったのでしょうか?

服部:さっき話した疲労骨折以降は、大きな故障は全くないです。土台ができてきたというか、ジョギングだったり走りの動作だったりというのを大事にしているからなのかな、とは思っています。

―――福岡のレース後には記者会見で、「普段の練習で、ジョグのときからレースと意識を変えない走りを心がけている」といった話をなさいました。

服部:はい。そういう思いで練習もずっと取り組んでいて、その走り方がレースでしっかりできれば、結果はついてくるのではないかと思っています。

―――ジョグの走りと、レースでスピードが上がったときの走りでは、何が変わるのですか? 

服部:出力の問題だと思います。リズムもジョグのイメージで走っていて、ストライドはもちろん広がってはいるわけですが、意識して広げている感覚はあまりなくて…。出力でこう“グッ”と、力を入れるタイミングとかそういったところが…、いや、タイミングじゃないな、“力の入れ具合”ですね。

―――1歩ごとに接地でインパクトの瞬間に、力が入るときの…?

服部:はい、その出力の差だと思います。

―――それは、だんだんとできるようになったこと?

服部:はい、だんだんとですね。それまではジョグの動作とレースの走りの動作とに大きなギャップがあったんです。練習では足にマメとか全然できないのにレースになるとできてしまうといったように。そういうギャップがあったので、とにかく改善したいという思いから始めました。

―――故障も少なくなったという点でも、すごく意義のある取り組みでしたね。

服部:そう思います。今後もしっかり継続することと、でも、それに固執してしまうのではなく、また新たに自分自身の強さになるものがあったら、取り入れていきたいなと思っています。

自分の“目指すところ”を示してくれた大学での競技生活

―――少し遡って、今までの話を聞かせください。陸上競技を始めたきっかけは?

服部:陸上を始めたのは中学からです。それまではサッカーをやっていましたが、学校にサッカー部がなく、親が2人とも陸上競技をやっていた影響で始めました。母のほうはスキーがメインでしたが、陸上もやっていたので。

―――どんな取り組み方だったのですか?

服部:初めて個人競技をやることになって、最初から「負けたくない」という気持ちが強かったですね。「勝ち」というのは自分自身の取り組みや結果で変わりますから。悔しさとかは個人競技のほうがあるなと思いながら走っていた記憶があります。

―――2年生になると弟の弾馬さんも入学して、同じ陸上部へ。服部選手は、3年のときには全日中やジュニアオリンピックの決勝も経験しています。駅伝での初の全国大会は、中学3年のときの全国都道府県駅伝ですね。中学生区間の2区(3km)を走って区間4位、9人抜きの走りを見せました。

服部:全日中の1500mでも入賞(7位)は経験していたわけですが、都道府県駅伝のときは「上には上がいて、ちょっと勝てないなあ」と思いながら走っていました。でも、終わってみたら意外と(区間)4番くらいだったので、すごく嬉しかったです。

―――先ほど、「高校生のころは箱根駅伝を目指していた」と仰っていましたが、箱根駅伝への意識は、いつくらいからあったのですか?

服部:中学校2年くらいからは持っていましたね。そのころちょうど(自分の)3000mのベストタイムが9分くらいだったわけですが、「1km3分ペース」というのが箱根駅伝の基本。「そのペースで20kmを走るなんて、大学生って本当にすごいな」と、テレビの前で感じていました。

―――高校は、宮城の仙台育英高校へ進まれました。1年生のときには全国高校駅伝に出場していますが、個人としては、そんなに大きな成績は残していません。

服部:はい、清野純一先生が、しっかりと練習をして秋にタイムを出そうという方針で進めてくださいました。

―――その取り組みが、2年生になって結果となって表れてきましたね。10000mで高2歴代2位の28分58秒08をマークしました。ご自身としては、思っている以上に記録が伸びてきたという感じだったのでしょうか?

服部:ですね。結果が出てきて、すごく楽しい1年でした。ただ、清野先生は記録が出るのがちょっと早すぎると思っていたようです。先生からは、「タイムだけじゃなくて、強さが大事。タイムだけに目がいかないようにしろ」と言われていました。

―――そのあとの千葉クロカン(2位)や福岡クロカン(4位)でも安定した成績を残していて、その結果、世界クロカンのU20の部で日本代表にも選出されました。

服部:高1のときの結果からすると考えられないことだったので、すごく嬉しく思う気持ちと、“この人たちと一緒に走って、勝てるくらいになったのか”という自信がありましたね。かなりイケイケな感じで(笑)、競技をやっていたと思います。

―――ただ、ちょうどその時期に東日本大震災が起きました。高校最後の3年目のシーズンは、大変なことも多かったのでは?

服部:はい。かなり練習場所も制限されましたし、なかなか気持ちも乗ってこなくて、難しいシーズンでしたね。日本人トップを狙っていたインターハイは、目標には届かなかった(日本人2位)ものの、なんとか入賞(5位)することができました。でも、そこから小さな故障もあって、全国高校駅伝(12位、1区区間21位)では納得のいくレースができずに終わってしまいました。

―――そして、2012年に東洋大へ入学。強い先輩たちもいて、レベルの高い環境で取り組むことになりました。

服部:はい。僕が入学したときには、悠太さん(設楽、現Honda)と啓太さん(設楽、現日立物流)がすごく強くて、3年生のなかでもエースとして活躍していました。「この人たち、強いな」と思ったのと、「この人たちと同じことをやっていても勝てないから、しっかり努力して追いつきたい」という気持ちでやっていましたね。

―――強豪チームに身を置いたことで、自分が変わったところはありますか?

服部:本当にレベルが高くて、“世界で勝負する”という部の方針があったので、その方針のもと競技に取り組んだことは、今、マラソンでいろいろな海外の選手を相手に戦っている、その姿勢のスタートになっているのかなと思います。その“目指すところ”を示してくれたのが、大学での競技生活だったといえます。

―――ご自身で、“世界”が見えてきたのはどのあたりからですか? 学生のころ?

服部:学生のときから、ある程度見てはいましたが、明確になったのは本格的にマラソンンを始めてからです。

―――ああ、そうでした。服部選手は、2016年リオ五輪への出場を視野に、最初は大学3年時の2015年に初マラソンを計画していたんですよね。そして、故障の影響で1年延期して、2016年の東京でマラソンデビューとなりました。

服部:はい、そうです。結果としてダメだったわけですが…。とにかく2年生くらいからは、「世界を目指そう」という思いで、酒井俊幸監督と取り組んでいました。

MGCまでに、遅いペースでも焦れずに、
身体を使わない走り方を覚えたい

―――MGCで東京オリンピックの代表を決めるという仕組みを聞いたときは、どんな感想を持ちましたか?

服部:僕は今までの選考方法にあまり疑問を持っていなかったので、最初は、「この方法、なんかわかりづらいな」と…(笑)。でも、実際に、MGCシリーズが始まってやっていくと、強い選手が勝っていく選考方法だというのが見えてきました。自分には合っているという気がします。

―――特に男子の場合は、MGCができて、それを目指していくなかで、日本新記録をはじめ、記録がどんどん出るようになりました。また、それも服部選手と同世代の方々が出してきています。それは刺激になった?

服部:大学の先輩である悠太さんが(2018年2月の東京マラソンで)日本記録を出したことは、一番刺激になりました。

―――「自分も行ける!」と?

服部:ちょうどケガからの立ち上げの段階だったので、最初は「ああ、すごいな」って思いました。でも、僕もあの舞台に立ちたいと思ったし、マラソンを目指したのは悠太さんよりも早いのだから、僕もそこまでたどり着くぞという思いでやっていましたね。

―――MGCは、9月15日に行われます。どういう計画を立てていますか?

服部:マラソンは、MGCまで出ません。ハーフマラソンや30kmのロードレースなどを使って調整していきます。

―――どんなところを、さらに底上げしていく必要があると考えていますか?

服部:ここから9月までは、極端に身体が変化したり急激に力がついたりすることは考えづらいので、まずはしっかりベースをつくって、そして何よりも故障しない身体で、万全の状態で臨むことですね。そして、間に入れていくレースで勝負勘をしっかり磨き、どうやったら勝ちきれるのかということを考えてやっていこうと思っています。

―――以前に話していたように、1km3分ペースを、2分59秒にするとか、2分58秒にするとかができるようになると、自然に底上げされることになりますが…。

服部:MGCに限っては、そういった考えを1回外して、逆に、もっと遅いペースでも焦れずに、身体を使わない走り方を覚えたいと思っています。というのも、普通のレースだったら、事前にペースが決まっているので、そのペースに合わせた身体をつくっていけばいいけれど、(MGCの場合は)レースが読めないし、たぶん(ペースの)振り幅が広いレースになるので、どの走りでも対応できるようにしておく必要がある。“勝つ”ということでは(到達点は)一緒なのですが、最後の身体の持っていき方は変わってくると思うんです。

―――確かに、暑さもあるし、勝負がかかっていて、ペースメーカーもいない。想像がつかないことがいっぱいありそうです。そういう意味では、今回の福岡で、30km手前で、前に出ないで我慢できたことは…。

服部:ああ、そういったところはプラスかもしれませんね。

―――走れる状態なのに、ペースを抑えるということは、かえって大変…。

服部:はい、大変です。もっと速く走れるのに我慢するというのは本当に大変で、逆に我慢せずに行っちゃうほうが楽なんです。だから、すごく忍耐が必要になるのかなと思いますね。

東京オリンピックへの向かい方
そして、いつかやってみたいレース

―――2020年東京オリンピックに向けては、どういう意識でいますか?

服部:とにかくまず、MGCで日本代表を獲得することが、今の第一優先でやっています。東京(オリンピック)の1年前にMGCがあるので、そこで勝ちきることができれば、その先もある程度予想がついてくると思うので、しっかり上位で走れるような取り組みを、そこからしていきたいと思っています。とにかく今は、MGCをメインに考えていますね。

―――終盤の四谷からの坂が勝負になるといわれていますが、どれだけ我慢するかという点では、それ以前のところでも必要になってきます。

服部:そうですね。前半でも我慢するところはたくさんあると思います。暑さもありますし。

―――発汗が多いタイプとのことでしたが、その点への対策は?

服部:それは、いろいろと手は打っていて、あまり心配していません。給水などで補えることなので、確実に給水を取っていければ問題ないと思っています。

―――暑さそのものには強いほうですか?

服部:嫌いじゃないです。発汗は多くて、みんなに心配されるほど(笑)、汗をかくのですが、苦手意識は全然なくて…。

―――逆に、発汗しづらくて熱が身体にこもって深部体温が上がってしまうほうが怖いですから。

服部:はい、しっかり発汗できるほうが身体にはいいんじゃないかと思いますね。

―――服部選手にとって“理想のレース”とか、“こういうレースをしてみたい”とかいうのはありますか? それはどんなマラソンでしょう?

服部:今まで前半は余裕を持てるペースでいっているので、それを、冒険して(1km)2分57秒とかの2時間4分ペースで行って、そのペースで押しきれるレースをしてみたいという思いはあります。記録ということでは2時間4分、5分というのを目指しているので、そのためには2分57秒(ペース)で走れないと…。あと3秒なのですが、その3秒が本当に大きいので、なかなか簡単なことではないのですが。最終的には、そのペースで押しきって、最後に(さらにペースを)上げて勝つというのが目標ですね。

―――それは、メダルや順位を狙って挑む東京オリンピックとはまた違った展開でしょうか。

服部:はい。「最終的に勝つ」というところでは一緒なのですが、記録を狙っていくということではそういったところを目指したいです。勝ちにこだわるのとはまた別なところになるのですが…。ただ、最終的にどんなマラソンでも勝たなければ意味がないと思うので、「強い選手」になりたいですね。

―――まずは、MGC、そして東京オリンピックを目指していくなかで、「強いマラソンランナー」へと進化していく姿を拝見することを楽しみにしています。今日はありがとうございました。

(2019年1月28日収録)


取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)


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