国際陸上競技連盟が主催する世界室内ツアー(以下、世界室内ツアー)をメインに、ヨーロッパで室内競技会を転戦した男子走高跳の戸邉直人選手(つくばツインピークス)が、初戦で2m35の日本新記録を樹立。その後も高い水準の記録で出場試合を全勝。世界室内ツアー最終戦も制し、ツアー総合優勝の快挙を成し遂げました。
戸邉選手は、室内シーズン初戦として、2月2日、カールスーエ(ドイツ)で開催されたツアー第2戦に出場。この大会では、2m18から試技を開始すると、2m18、2m22、2m26を1回でクリア、室内日本新記録となる2m29(従来の記録は2m28:醍醐直幸、2006年)、さらには2m31も1回で成功しました。ここで優勝争いがジャカルタ・アジア大会金メダリストの王宇選手(中国)との2人に絞られたなか、バーは、その時点の今季世界室内最高記録で、日本記録(醍醐直幸、2006年)でもある2m33に。戸邉選手は、屋外の自己記録(2m32、2018年)を上回るこの高さを2回目に成功。2回失敗して3回目をパスした王選手とともに、2m35に挑むこととなりました。1回目を越えられなかった王選手が競技を終了した段階で、優勝を決めた戸邉選手は、3回目の試技でこの高さをクリア。続けて挑んだ2m37の高さを制することはできませんでしたが、2・3回目には非常に惜しい跳躍を披露して観客を魅了。2m35というリザルトの横には、NR(ナショナルレコード※)、WL(今季世界最高)、MR(大会新記録)の文字が並ぶ結果となりました。
その後、2月9日にスロバキアで開催された走高跳競技会を2m33で制した(2m20×○、 2m24○、2m27××○、2m30○、2m33×○、2m36×××)のちに、2月16日にはツアー第5戦のバーミンガム大会(イギリス)に出場して2m29で優勝(2m16○、2m20×○、2m23○、2m26○、2m29○、2m32×-、2m36××)。ツアー成績トップで最終戦のデュッセルドルフ大会(2月20日、ドイツ)に臨みました。
7選手が出場して行われたデュッセルドルフ大会では、再び王選手との戦いとなりました。出だしでやや苦戦したのは戸邉選手。最初の2m20を3回目で、続く2m25、2m28をともに2回目で成功する滑り出しとなりました。一方の王選手は、2m15、2m20、2m25を1回で跳んだあと、2m28は3回目のクリアとなったものの、戸邉選手との優勝争いとなった2m31を1回で成功します。最終跳躍者の戸邉選手は、この2m31の1回目を失敗すると2回目以降をパス。バーは2m34に上げられました。王選手が失敗した次に挑んだ1回目の跳躍で、戸邉選手はセカンドベストとなるこの記録をクリア。この高さを跳べば中国新記録となる王選手も2回目に成功して、2人は2m36に挑みました。残念ながら、この高さは両者ともクリアすることができず、戸邉選手の優勝が決定。ここまで20ポイントを獲得していた戸邉選手は、さらに10ポイントを加算して30ポイントを獲得。この大会で2位に浮上した王選手(14ポイント)を寄せつけず、ツアー総合優勝も決めました。
戸邉選手は1992年3月31日生まれの26歳。千葉・野田二中3年の全日本中学選手権で優勝し、専大松戸高時代には2年時の2008年に世界ジュニア選手権(現U20世界選手権)10位、翌3年時にはインターハイ、国体、日本ジュニア選手権(現U20日本選手権)で“3冠”を達成するとともに、2m23の高校記録を樹立しました。筑波大へ進んだ2010年には世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。大学2年の2011年に日本選手権で初優勝を遂げると、その後は、日本のトップジャンパーとしてシニアの大会でも日本代表選手として名を連ねるようになりました。
筑波大大学院に進んで1年目となる2014年には、当時日本歴代3位タイ記録だった2m31を2度クリアしたほか、2m30を3度成功する充実ぶりを見せ、翌年2015年には世界選手権にも出場。そのあたりから3年ほど続いた故障などの影響による伸び悩む時期を乗り越えて、昨年、シーズン前半に自己2位タイ記録の2m30を3度クリアして復調の兆しを見せると、7月には日本歴代2位タイとなる2m32をマーク。8月末のアジア大会では銅メダルを獲得したほか、以前から挑戦を続けてきたダイヤモンドリーグにおいても上位者しか出場することができないファイナル(最終戦のブリュッセル大会)進出も果たすなど、再び上昇カーブを描いていました。
戸邉選手は、大学生のころから単身でヨーロッパへ渡ってトレーニングに取り組んだり転戦を重ねたりしてきた選手としても知られています。日本では母校の筑波大を拠点にする傍ら、アスリートとしては、タリン(エストニア)を練習拠点として、ダイヤモンドリーグや世界室内ツアーの各大会だけでなく、ヨーロッパで開催されるさまざまな競技会に出場して経験を積むスタイルを確立し、力を磨いてきました。また、筑波大大学院の学生としては、博士後期課程に進んでコーチング学を専攻。今年の3月末には博士(コーチング学)の学位を取得することが決まっています。今回の日本新記録は、実に博士論文が本審査で受理されて約1週間後に達成。まさに自身が目指していた、“研究と実践の両立”を実現させる形となりました。
ツアー優勝を果たしたデュッセルドルフ大会のあと、自身のツイッターで「2m34で優勝。今期全勝、また、IAAF World Indoor Tourのツアーチャンピオンも勝ち取ることができました。たくさんのご声援、ありがとうございました。屋外シーズンに向けて、また頑張ります」とコメントした戸邉選手は、このあと2月23日に帰国の予定。すでに、4月にドーハで行われるアジア選手権の日本代表に選出されており、屋外シーズンとしては、この大会が最初のビッグイベントとなる見込みです。
※国際陸連では1998年から必要となる条件を満たしていれば屋内外を問わず世界記録として公認しており、日本記録も同様の対応となる。
文:児玉育美(日本陸連メディアチーム)
写真提供:フォート・キシモト
▼戸邉直人選手プロフィール、大会成績など
▼日本記録はこちら
戸邉選手は、室内シーズン初戦として、2月2日、カールスーエ(ドイツ)で開催されたツアー第2戦に出場。この大会では、2m18から試技を開始すると、2m18、2m22、2m26を1回でクリア、室内日本新記録となる2m29(従来の記録は2m28:醍醐直幸、2006年)、さらには2m31も1回で成功しました。ここで優勝争いがジャカルタ・アジア大会金メダリストの王宇選手(中国)との2人に絞られたなか、バーは、その時点の今季世界室内最高記録で、日本記録(醍醐直幸、2006年)でもある2m33に。戸邉選手は、屋外の自己記録(2m32、2018年)を上回るこの高さを2回目に成功。2回失敗して3回目をパスした王選手とともに、2m35に挑むこととなりました。1回目を越えられなかった王選手が競技を終了した段階で、優勝を決めた戸邉選手は、3回目の試技でこの高さをクリア。続けて挑んだ2m37の高さを制することはできませんでしたが、2・3回目には非常に惜しい跳躍を披露して観客を魅了。2m35というリザルトの横には、NR(ナショナルレコード※)、WL(今季世界最高)、MR(大会新記録)の文字が並ぶ結果となりました。
その後、2月9日にスロバキアで開催された走高跳競技会を2m33で制した(2m20×○、 2m24○、2m27××○、2m30○、2m33×○、2m36×××)のちに、2月16日にはツアー第5戦のバーミンガム大会(イギリス)に出場して2m29で優勝(2m16○、2m20×○、2m23○、2m26○、2m29○、2m32×-、2m36××)。ツアー成績トップで最終戦のデュッセルドルフ大会(2月20日、ドイツ)に臨みました。
7選手が出場して行われたデュッセルドルフ大会では、再び王選手との戦いとなりました。出だしでやや苦戦したのは戸邉選手。最初の2m20を3回目で、続く2m25、2m28をともに2回目で成功する滑り出しとなりました。一方の王選手は、2m15、2m20、2m25を1回で跳んだあと、2m28は3回目のクリアとなったものの、戸邉選手との優勝争いとなった2m31を1回で成功します。最終跳躍者の戸邉選手は、この2m31の1回目を失敗すると2回目以降をパス。バーは2m34に上げられました。王選手が失敗した次に挑んだ1回目の跳躍で、戸邉選手はセカンドベストとなるこの記録をクリア。この高さを跳べば中国新記録となる王選手も2回目に成功して、2人は2m36に挑みました。残念ながら、この高さは両者ともクリアすることができず、戸邉選手の優勝が決定。ここまで20ポイントを獲得していた戸邉選手は、さらに10ポイントを加算して30ポイントを獲得。この大会で2位に浮上した王選手(14ポイント)を寄せつけず、ツアー総合優勝も決めました。
戸邉選手は1992年3月31日生まれの26歳。千葉・野田二中3年の全日本中学選手権で優勝し、専大松戸高時代には2年時の2008年に世界ジュニア選手権(現U20世界選手権)10位、翌3年時にはインターハイ、国体、日本ジュニア選手権(現U20日本選手権)で“3冠”を達成するとともに、2m23の高校記録を樹立しました。筑波大へ進んだ2010年には世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。大学2年の2011年に日本選手権で初優勝を遂げると、その後は、日本のトップジャンパーとしてシニアの大会でも日本代表選手として名を連ねるようになりました。
筑波大大学院に進んで1年目となる2014年には、当時日本歴代3位タイ記録だった2m31を2度クリアしたほか、2m30を3度成功する充実ぶりを見せ、翌年2015年には世界選手権にも出場。そのあたりから3年ほど続いた故障などの影響による伸び悩む時期を乗り越えて、昨年、シーズン前半に自己2位タイ記録の2m30を3度クリアして復調の兆しを見せると、7月には日本歴代2位タイとなる2m32をマーク。8月末のアジア大会では銅メダルを獲得したほか、以前から挑戦を続けてきたダイヤモンドリーグにおいても上位者しか出場することができないファイナル(最終戦のブリュッセル大会)進出も果たすなど、再び上昇カーブを描いていました。
戸邉選手は、大学生のころから単身でヨーロッパへ渡ってトレーニングに取り組んだり転戦を重ねたりしてきた選手としても知られています。日本では母校の筑波大を拠点にする傍ら、アスリートとしては、タリン(エストニア)を練習拠点として、ダイヤモンドリーグや世界室内ツアーの各大会だけでなく、ヨーロッパで開催されるさまざまな競技会に出場して経験を積むスタイルを確立し、力を磨いてきました。また、筑波大大学院の学生としては、博士後期課程に進んでコーチング学を専攻。今年の3月末には博士(コーチング学)の学位を取得することが決まっています。今回の日本新記録は、実に博士論文が本審査で受理されて約1週間後に達成。まさに自身が目指していた、“研究と実践の両立”を実現させる形となりました。
ツアー優勝を果たしたデュッセルドルフ大会のあと、自身のツイッターで「2m34で優勝。今期全勝、また、IAAF World Indoor Tourのツアーチャンピオンも勝ち取ることができました。たくさんのご声援、ありがとうございました。屋外シーズンに向けて、また頑張ります」とコメントした戸邉選手は、このあと2月23日に帰国の予定。すでに、4月にドーハで行われるアジア選手権の日本代表に選出されており、屋外シーズンとしては、この大会が最初のビッグイベントとなる見込みです。
※国際陸連では1998年から必要となる条件を満たしていれば屋内外を問わず世界記録として公認しており、日本記録も同様の対応となる。
文:児玉育美(日本陸連メディアチーム)
写真提供:フォート・キシモト
▼戸邉直人選手プロフィール、大会成績など
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