2018.04.02(月)選手

【第10回/ダイヤモンドアスリート】中村健太郎選手インタビュー

2020年東京オリンピック、その後の国際競技会での活躍が期待できる次世代の競技者を強化育成する「ダイヤモンドアスリート」制度。単に、対象競技者の競技力向上だけを目指すのではなく、アスリートとして世界を舞台に活躍していくなかで豊かな人間性とコミュニケーション能力を身につけ、「国際人」として日本および国際社会の発展に寄与する人材に育つことを期して、2014-2015年シーズンに創設されました。すでに3期が終了し、これまでに9名が修了。昨年11月からは継続・新規含め全11名が認定され、第4期がスタートしています。

ここでは、第4期となる「2017-2018認定アスリート」へのインタビューを掲載していきます。第10回は、やり投の中村健太郎選手(清風南海高校)です。

◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)
◎写真/陸上競技マガジン、フォート・キシモト

中学・高校ではテニスをするつもりだった




――陸上を始めた経緯を聞かせてください。
中村:小学校3~4年まで硬式テニスをやっていて、4年生からの3年間はクラブチームに入って本格的なドッジボールをやっていました。でも、中学・高校ではテニスをしようと思っていたんです。もともと僕が中学受験することになったのが、小3のときに、ある高校のテニスコートを見て、「きれいだな。ここでテニスをしたい」と思ったことがきっかけ。テニスをやりたくて受験勉強を始めていたんです。最終的に、そこではなく清風南海高校へ入学することになりましたが、清風南海にもきれいなテニスコートがあったので、テニス部に入るつもりでした。

――そこから急に陸上へと舵を切ったのはなぜ?
中村:入学式のときに、今の陸上部の顧問の辻(弘雅)先生が、声をかけてくださって…。

――清風南海高は中高一貫校で、辻先生は、高校のほうの陸上部の先生ですよね?
中村:はい。高校の顧問なのですが、毎年中学の入学式で、身体の大きな、いけそうな選手に声をかけていて、それに引っかかってしまいました(笑)。入学式が終わったときに、突然、「おまえに日の丸背負わせたる」みたいなことを言われたんです。最初は、冗談だと思っていたのですが、ドッジボールをやっていて、投げることは好きだったので、面白そうだからやってみようかなと陸上部に入りました。

――最初は、種目は?
中村:100mと、遊びみたいな感じで走幅跳をやっていました。清風南海は、仮入部の期間がけっこう長いんです。正式に入部となってから砲丸投を始めることになりました。

――砲丸投は、一般的にいう「投げる」とはちょっと違います。始めたときはどうでした?
中村:最初は本当に難しくて、言われるがままやっていたという感じ。秋の大阪府総体で3番にはなりましたが、記録も出ないし、目立たないし、隅っこで練習させられるしで、面白いと思えず、やめたいと思っていました。休憩とか合い間の時間に、たまにやりを触らせてもらえることがあったので、そのために頑張っていた感じです。「高校生になったら、ちゃんとやりを投げられる」という楽しみがあったので、じゃあ、今は砲丸投を頑張ろうと。

――でも、2年生になると、どんどん記録が伸びましたね。全日本中学校選手権にも出場。2年生で唯一人、決勝進出(12位)を果たしました。
中村:はい、それまで11m台だったのに、中2の春に13m台に乗って全中の標準記録を突破したときに、なんかコツがわかったというか、急に記録が伸び始めたんです。それから1カ月くらい12~13m台をうろついていたのですが、全中の2~3週間前くらいの試合から、記録が1mずつ伸びていきました。その状態のまま全中に出て、「まあ中2だし、ランキングでも下のほうだったので負けてもしかたない」という気持ちで行ったら思いのほか飛んで…。

――予選で14m44をマークして決勝に進出したわけですね。驚きの結果だった?
中村:びっくりですね。記録は全中後も、また1mずつ伸びていった感じだったので…。

――そうして迎えたジュニアオリンピック(Bクラス砲丸投)で、全国大会初優勝を果たしたのですね。
中村:はい。

中3シーズンは
投てき3種目で好記録をマーク


――3年生になると、砲丸投だけでなく、やってみたかったというやり投のほか、円盤投の試合にも出ています。いろいろやってみようという感じだったのですか?
中村:実は、シーズンに入る直前の練習で、左足首を捻挫してしまって、投げの瞬間に踏ん張るのが痛くて砲丸の練習ができなかったからなんです。できることを探していたら、円盤なら痛くないなと。それで遊び半分で円盤をやるようになりました。

――いきなり回転系の動きをやるのは、なかなか難しいと思うのですが。
中村:先輩がやっているのを見よう見まねでやったら、初めての試合で38mくらい飛んだので、「意外と行けるかも」と思いました。中学歴代5位の記録(45m74)を出したのは、秋のジュニアオリンピックの予選会です。ただ、試合にはそんなに多く出ていません。足が治ってからは全中に向けて、まだ砲丸投の練習が中心になりましたから。

――円盤投は、思いがけずやることになったという感じだったのですね。では、やり投は? 初めて出た6月の記録会で、62m14の中学最高記録をマークしています。
中村:ほぼ練習したことがない状態でした。やり自体はほとんど投げていなくて、メディシンボールを使って助走の雰囲気と投げる感じとかをつかむということしかやっていなかったので。

――では、結果には驚いた?
中村:はい。周りからもびっくりされましたね。

――そうやって3種目やってみて、いかがでした?
中村:やっぱり距離が出るので、やりが一番楽しかったです。

――全日中実施種目の砲丸投のほうはどうでしたか? 成績を振り返って、一番印象深いのは?
中村:近畿大会で投げた16m61ですね。いい感触で投げられたのは、その1投だけです。

――中学歴代5位の記録をマークしたときですね。どんな感じだった?
中村:「まだ行けるな」という感覚があって、近畿大会後、2週間くらいに全中だったので、そこで記録を狙えるかなと思っていました。でも、全中は、かなり注目されて、投げる前にいろいろなコーチとかがカメラを出して撮影しようとしているのが目に入ったり、「やらなあかん」という気持ちが出すぎて力んでしまったりして、うまく投げられませんでした。

――15m51にとどまり2位。優勝だけでなく記録も狙える状況だったから悔しかったのでは?
中村:もう、ほんまに悔しかったです。中学で一番悔しかった試合ですね。

――その悔しさを晴らすかのように、秋のジュニアオリンピックは16m43の好記録で優勝を果たしました。やり投では翌年の2月に64m78を投げて中学最高記録を更新しています。
中村:ジュニアオリンピックが終わったら、やりをやらせてくれると言われていましたし、全中で負けたこともあって、ジュニアオリンピックに向けては、本気で砲丸だけに取り組みました。ちゃんと勝てて、いい感じでやり投に入れたという感じです。

――では、中3から高1にかけての冬期練習では、ようやく念願の…。
中村:やっと、やり投の練習をやることができました。

やり投選手として臨んだ2017年
手応えと悔しさの両方を実感


――中高一貫校ということは、練習も一緒にやっているのですか? 高校に進んでの環境は?
中村:練習は中学も高校も一緒です。僕は中学のときから辻先生が見てくださっていたので、環境は全く変わりませんでした。

――高1シーズンは、初戦から64m29の高1最高をマーク。その1カ月後にもタイ記録を投げて、さらに6月には68m65まで更新しました。インターハイも1年生ながら3位に。順調と言っていい結果だったのでしょうか? 一番記憶に残っているのは?
中村:近畿大会ですね。

――68m65の高1最高を出したときですね。どんな状況だったのですか?
中村:もともと高1の目標として、大阪府高校記録66m90の更新を狙っていたんですが、そこまでずっと64m台ばかり。65mの壁が破れずにいました。それに、この日は前半が全然ダメで、3回目を終えたときは5位という状態だったんです。「今日はあかん日や。でも、インターハイにつなげられたからよかったかな」と思ってリラックスしたら、4回目に(記録が)出ました。

――投げた瞬間に、行ったという感じはあった?
中村:「来た」という感触はありましたね。なんか時間が止まった感じがしました。で、(やりが)刺さって、会場が「おおーっ」となって、記録が出て、「ああ、そんなに行ったんだ」と思いました。

――その前には、アジアユース選手権にも出場しています。これがナショナルチームとして出場した最初の試合ですね。4位となったこのときは、700gのやりで69m89。あと11cmで70m台でした。
中村:陸上の試合で悔し泣きしたのはアジアユースが初めてです。3位の選手が70m09だったので、勝てたなと思うと、本当に悔しくて涙が止まらなくて。

――わずか20cm差でメダルを逃したのは悔しいですよね。試合自体には、動じることなく臨めていたのですか?
中村:やり投は最終日で、ほかの人たちが試合しているのを見ていたので、落ち着いて臨めていたと思います。ただ、700gのやりを投げたことがなかったので、いつもの800gの感覚で投げたら、「あれ、全然なんか違う」みたいな感じで、思うようには投げられなかったですね。

――高1のシーズンを終えて、課題に感じたことはありますか?
中村:練習量です。清風南海はもともと練習時間が短くて1日40~50分くらい。それは中学のころから変わらないのですが、高校になると、長くやっている強豪校の人たちに、全然追いつかないなと思うことが多くて。本当に集中して詰めてやっていかなきゃなと思っています。

――投げられる場所はあるのですか?
中村:いえ、サッカー部が出てくる前までしか投げられないので、1日15~20分ですね。

――集中して投げたとしても、それだけの時間だとたくさん投げ込む練習はできませんものね。
中村:はい、難しいです。

――この冬は、どういう点を意識してトレーニングしているのですか?
中村:やり投は、ケガをしやすい競技なので、まずは身体づくりをメインにして、筋トレとか走り込みとかを多めにやっています。

――身体づくりはウエイトトレーニングで?
中村:ウエイトとか、スクワット系とか、全身を鍛えていく感じです。走る練習は、短い距離を数多く走るのが多いですね。30m10本何セットみたいな感じで。

――走る練習は苦にならない?
中村:嫌いですが、それを言い始めたら負けてしまうので。

――確かに、やり投は助走がしっかり走れていないと記録は伸びていきませんから。
中村:身体が重くなってきて、助走が速く走れていないなと感じていたので、ちゃんと走れるようにしておかないと、と思っています。

ダイヤモンドアスリートになって芽生えた自覚
学業と両立しつつ、将来はオリンピックへ




――来シーズンの目標はどこに置いていますか?
中村:昨年、高1最高を出したので、まずは高2最高の74m26を目標にして、それを越せるように頑張りたいです。

――試合は?
中村:目標は、インターハイ、国体、U18日本選手権の3冠です。

――国際大会はいかがでしょう? アジアジュニアとU20世界選手権がありますが。
中村:国際大会は、もちろん出てみたいという気持ちはありますが、「まず、選ばれないと」という思いのほうが強くて、そこで勝つとか入賞するとか具体的なイメージがまだできないんです。まずは、日本の試合を全部、しっかり勝ちたいなと思っています。

――第4期のダイヤモンドアスリートに認定されたと聞いたときは、どう思いました?
中村:ダイヤモンドアスリートは、池川博史さん(現筑波大)がなったころから知っていて、「ああ、すごいな」と思っていました。「まさか自分が選ばれるなんて」とびっくりしましたね。

――自分のなかで、こういうアスリートになりたいというような理想像はありますか?
中村:「誰」というのはないですが、やっぱり日本のトップにはなりたいです。ダイヤモンドアスリートになったことで、今まで以上に目立つ存在になると思いますし、僕が中学のころ池川さんを見ていたように、僕も中学生から見られるようになるので。尊敬される選手、目標にされる選手になれるよう頑張りたいです。

――陸上をこういう形で頑張っている状況に対して、ご両親はどういうふうに?
中村:家業がずっと医者ということもあり、まずは勉強が第一。勉強を頑張った上での陸上という考え方です。ダイヤモンドアスリートになったことで、両親も考え方が少し変わりつつあるみたいではありますが、最低限の勉強はしておけ、と言われます。

――中村くんも将来は医師に?
中村:家を継ぐかはわからないけれど、父と同じ歯医者になりたいなという気持ちはあります。

――そうなると学業もしっかり頑張らないと。高校も進学校ですものね。
中村:そうですね。きちんと勉強しておかないと、身を入れて陸上に取り組めなくなっちゃうので、頑張って両立したいと思います。

――アスリートとしての将来については、どう考えていますか?
中村:ダイヤモンドアスリートに選ばれたからには、オリンピックに出たいなという気持ちになっています。今までは考えていなかったのですが。

――そう思うようになったのは、ダイヤモンドアスリートに選ばれてから?
中村:注目はされていたけれど、さすがにオリンピックは次元が違うのだろうなというのが自分の心の中にありました。でも、ダイヤモンドアスリートに選ばれて、トップの選手と関わっていくなかで、「俺もオリンピックを目指さなきゃいけない人間なんだな」と思い始めるようになり、最近「オリンピックに出たいな」と思うようになったんです。

――やり投という種目を考えると、19歳で迎えることになる東京オリンピックには、ちょっと時間が足りないでしょうか?
中村:目指すとしたらパリですね。東京の次の。

――2024年のパリ大会、そして、2028年ロサンゼルス大会も、年代的には充実しているはず。ぜひ、実現させてください。

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