2019.11.21(木)
【Challenge to TOKYO 2020 日本陸連強化委員会~東京五輪ゴールド・プラン~】第10回 日本で開かれる世界大会の戦い方 東京・大阪の世界選手権を振り返って(1)
東京五輪開幕まであと1年を切って、日本列島がいよいよ〝オリンピックモード〟に染まってきた。選手たちはその前にドーハ世界選手権(9月27日~ 10月6日)を戦わなければならないが、ドーハでメダルを取った最上位選手(マラソンを除く)は東京五輪の代表に内定することが決まっており、すでに東京五輪へのロードマップは描かれているはずだ。
そこで今回の座談会は、1991年の東京、2007年の大阪と日本で開かれた2度の世界選手権に出場した方々、あるいはそこを目指した方に集まっていただき、自国開催のオリンピックに向けてどのような心構えが必要なのか、またどんな準備をすべきなのかを話し合ってもらった。
ちなみに、東京大会はメダル2、入賞4。大阪大会はメダル1、入賞6の成績。両大会ともメダルは男女マラソン勢のみで、一般種目で目立った成績を残したのが、東京は男子400m7位の髙野進(東海大AC)。その年の日本選手権で日本人初となる44秒台(44秒78=現日本記録)を樹立した勢いそのままに、短距離としては1932年ロサンゼルス五輪100m6位の吉岡隆徳以来、何と59年ぶりの世界大会入賞を果たし、国立競技場いっぱいの観衆を感動の渦に巻き込んだ。
大阪大会は総じて個人種目で振るわなかったが、髙平慎士(富士通)が3走を務めた男子4×100mリレーで5位入賞。38秒03のアジア新記録(当時)をマークし、翌年の北京五輪でのメダル獲得へ布石を打ったのが印象に残る。
●構成/月刊陸上競技編集部
●撮影/船越陽一郎
※「月刊陸上競技」にて毎月掲載されています。
出席者(左から)
山崎一彦:トラック&フィールドディレクター
海老原有希:スズキ浜松ACコーチ
髙平慎士:富士通コーチ
髙野進:東海大監督
──今年の東京は梅雨寒が長引いて、学校が夏休みに入る7月中旬まで肌寒い日もありましたが、梅雨明けと同時に真夏の太陽が容赦なく照りつけて、一気に猛暑がやってきました。そんな中、東京五輪まであと1年という日(7月24日)を迎えて、イベントも行われました。みなさんは、それをどう受け止めたでしょうか。
山崎 周りの人たちから「あと1年ですね」とよく言われるんですけど、それほど考えないようにしています。とはいえ、「もう1年前か」と思うことはありますよね。今、選手たちががんばってくれているので、陸上界全体がいい盛り上がりを見せていますし、外部の人たちもそういう目で見てくれていると思います。これが今回のテーマですが、地元だからどうこうというより、正当な評価ができそうなので、今は冷静にいる感じですね。
髙野 私は今、大学で選手たちを教える指導者の立場ですから、何とかその舞台に選手を立たせたい、東京五輪に参加させたい、というだけの目標です。テレビの前やスタンドで応援するより、指導者として関わりたいですね。東海大だけでなく我々の仲間が大勢出場して、一緒に戦いたい、楽しみたいという気持ちですかね。
髙平 弊社(富士通)が東京五輪のゴールドパートナーでもありますし、1年前イベントなどを各所で行っているのを見ると、すごく活気づいてきたな、という印象です。ネット申し込みの観戦チケットは1枚も当たらなかったんですけど(笑)。ただ、楽しみな反面、私は相当不安もあって、「終わった後、どうするの?」と考えてしまいます。現場の選手はただがんばるしかないですし、アスリート委員会としては声を吸い上げて、環境を整備していくことが大事かなと思っています。
海老原 私は現役選手ではないので、「1年前」と言われても、熱く燃えるというより「1年後にオリンピックが来るんだな」というぐらい。ただ、職場の人が「来年の今日はオリンピックの開会式だね」とか、「1年後にはオリンピックが始まってるね」と声かけしてくれるのを聞くと、私たちより周りの方が盛り上がってるなと感じているところです。
──スズキ浜松ACのコーチとしてはどうでしょうか。
海老原 チームとしては何としてでも代表選手を出して、しっかり結果につなげてほしいので、そこのサポートは全力でやろうと思います。
──では、そのあたりを踏まえて、選手として地元の世界選手権を経験しているみなさんに、改めて当時を振り返ってもらいたいと思います。
髙野 東京の世界選手権は、もう28年前でしょ。思い出せないなぁ(笑)。というのは、年月の経過とともに自分の中で〝物語〟になってしまって、本当のところが霞んできてしまっているのです。私は1983年の第1回世界選手権(ヘルシンキ)から出てますけど、当初は派遣する日本選手も少なかったですし、すごく規模の小さい大会というイメージだったんです。その前はオリンピックがメインでしたからね。
だけど、ローマの次の第3回大会で東京に世界選手権が来た。ここでメディアが陸上競技の伝え方をガラッと変えてきて、テレビの生中継でもカメラ位置から工夫されてました。あそこで陸上の世界が変わりましたよね。私は30歳になっていましたから、そういう変革期も「陸上に追い風が吹いてきたな」と、結構落ち着いて捉えていました。以前の日本の陸上界はマラソン中心で、はっきり言って「マラソン以外は陸上じゃない」というぐらいの雰囲気がありましたけど、その中で私はトラック種目で、しかも短距離で、真剣に入賞を考えていましたからね。
──連日、生中継で大会の模様がお茶の間に届けられ、視聴率も高かったそうですね。
髙野 おそらく400mで決勝に残れたのも、テレビで応援してくれた方や、国立競技場を埋めた6万人弱の観客のお陰です。あんな大勢の前で走ったことがなかったので、すごい経験をして、「来年もがんばろう」という気になれましたもん。バルセロナ五輪ですね。
──東京世界選手権は事前の盛り上がりというより、大会が始まってから日に日に盛り上がっていきましたね。髙野さんのラウンド突破とも連動しています。
髙野 400mも一次予選、二次予選、準決勝、決勝と4本ありましたからね。1日1本ずつ。準決勝と決勝の間は、中1日空いたのかな。でも、マイルリレーもあったから。
山崎 男子100mのカール・ルイスとか同走幅跳のマイク・パウエル(ともに米国)とか、世界新を出すスターがいましたしね。髙平君も海老原さんも、ルイスを知らない世代だよね?
髙平 名前は知ってます。でも、私たちの時代は、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)ですから(笑)。
髙野 観に来てくれた人たちが「陸上って意外とおもしろいね」と思ってくれたんじゃないですか。陸上はあそこがターニングポイントで、今につながってると思います。
山崎 私も20歳で東京世界選手権に出ています。初めての日本代表ですね。男子400mハードルの3番手で滑り込んだ代表ですから、すごく浮き足立っていて、完全に〝お祭り〟でした。もちろん決勝なんて見えていません。髙野さんがさっき言ったように長距離偏重で、一般種目はどうでもいい、というような空気でしたけど、それを「悔しい」とも思わなかった。だから、髙野さんが決勝に残った時は「エーッ」と驚いて、にわかには信じられませんでした。
しかし、それを間近で見たから、「僕らもできるんだ」と思うきっかけになりましたよね。私もその後、1995年のイエテボリ世界選手権で入賞(7位)できましたから。「じゃあ、世界へ行くにはどうしたらいいのかな」と早い段階で考えられた。というのが、東京の世界選手権だったと思います。
──大会前にプレッシャーのようなものはありませんでしたか。
髙野 普段のプレッシャーと同じです。いつもの試合のように、自分で自分にかけるプレッシャーですね。あの当時はまだ立場的にアマチュアですから、今のようにテレビに出て抱負を語るというようなことはなかったですし。私は若手教員でしたので、7月末の大学の水泳実習にも行ってましたよ。今、JOC(日本オリンピック委員会)の会長になられた柔道の山下(泰裕)先生も来ていて、「髙野君、来月世界選手権があるんじゃないの?」と言われたのを覚えています(笑)。
『第10回 日本で開かれる世界大会の戦い方 東京・大阪の世界選手権を振り返って(2)』に続く…
そこで今回の座談会は、1991年の東京、2007年の大阪と日本で開かれた2度の世界選手権に出場した方々、あるいはそこを目指した方に集まっていただき、自国開催のオリンピックに向けてどのような心構えが必要なのか、またどんな準備をすべきなのかを話し合ってもらった。
ちなみに、東京大会はメダル2、入賞4。大阪大会はメダル1、入賞6の成績。両大会ともメダルは男女マラソン勢のみで、一般種目で目立った成績を残したのが、東京は男子400m7位の髙野進(東海大AC)。その年の日本選手権で日本人初となる44秒台(44秒78=現日本記録)を樹立した勢いそのままに、短距離としては1932年ロサンゼルス五輪100m6位の吉岡隆徳以来、何と59年ぶりの世界大会入賞を果たし、国立競技場いっぱいの観衆を感動の渦に巻き込んだ。
大阪大会は総じて個人種目で振るわなかったが、髙平慎士(富士通)が3走を務めた男子4×100mリレーで5位入賞。38秒03のアジア新記録(当時)をマークし、翌年の北京五輪でのメダル獲得へ布石を打ったのが印象に残る。
●構成/月刊陸上競技編集部
●撮影/船越陽一郎
※「月刊陸上競技」にて毎月掲載されています。
出席者(左から)
山崎一彦:トラック&フィールドディレクター
海老原有希:スズキ浜松ACコーチ
髙平慎士:富士通コーチ
髙野進:東海大監督
東京五輪五輪開幕まであと1年を切って
──今年の東京は梅雨寒が長引いて、学校が夏休みに入る7月中旬まで肌寒い日もありましたが、梅雨明けと同時に真夏の太陽が容赦なく照りつけて、一気に猛暑がやってきました。そんな中、東京五輪まであと1年という日(7月24日)を迎えて、イベントも行われました。みなさんは、それをどう受け止めたでしょうか。
山崎 周りの人たちから「あと1年ですね」とよく言われるんですけど、それほど考えないようにしています。とはいえ、「もう1年前か」と思うことはありますよね。今、選手たちががんばってくれているので、陸上界全体がいい盛り上がりを見せていますし、外部の人たちもそういう目で見てくれていると思います。これが今回のテーマですが、地元だからどうこうというより、正当な評価ができそうなので、今は冷静にいる感じですね。
髙野 私は今、大学で選手たちを教える指導者の立場ですから、何とかその舞台に選手を立たせたい、東京五輪に参加させたい、というだけの目標です。テレビの前やスタンドで応援するより、指導者として関わりたいですね。東海大だけでなく我々の仲間が大勢出場して、一緒に戦いたい、楽しみたいという気持ちですかね。
髙平 弊社(富士通)が東京五輪のゴールドパートナーでもありますし、1年前イベントなどを各所で行っているのを見ると、すごく活気づいてきたな、という印象です。ネット申し込みの観戦チケットは1枚も当たらなかったんですけど(笑)。ただ、楽しみな反面、私は相当不安もあって、「終わった後、どうするの?」と考えてしまいます。現場の選手はただがんばるしかないですし、アスリート委員会としては声を吸い上げて、環境を整備していくことが大事かなと思っています。
海老原 私は現役選手ではないので、「1年前」と言われても、熱く燃えるというより「1年後にオリンピックが来るんだな」というぐらい。ただ、職場の人が「来年の今日はオリンピックの開会式だね」とか、「1年後にはオリンピックが始まってるね」と声かけしてくれるのを聞くと、私たちより周りの方が盛り上がってるなと感じているところです。
──スズキ浜松ACのコーチとしてはどうでしょうか。
海老原 チームとしては何としてでも代表選手を出して、しっかり結果につなげてほしいので、そこのサポートは全力でやろうと思います。
日を追うごとに盛り上がった東京大会
──では、そのあたりを踏まえて、選手として地元の世界選手権を経験しているみなさんに、改めて当時を振り返ってもらいたいと思います。
髙野 東京の世界選手権は、もう28年前でしょ。思い出せないなぁ(笑)。というのは、年月の経過とともに自分の中で〝物語〟になってしまって、本当のところが霞んできてしまっているのです。私は1983年の第1回世界選手権(ヘルシンキ)から出てますけど、当初は派遣する日本選手も少なかったですし、すごく規模の小さい大会というイメージだったんです。その前はオリンピックがメインでしたからね。
だけど、ローマの次の第3回大会で東京に世界選手権が来た。ここでメディアが陸上競技の伝え方をガラッと変えてきて、テレビの生中継でもカメラ位置から工夫されてました。あそこで陸上の世界が変わりましたよね。私は30歳になっていましたから、そういう変革期も「陸上に追い風が吹いてきたな」と、結構落ち着いて捉えていました。以前の日本の陸上界はマラソン中心で、はっきり言って「マラソン以外は陸上じゃない」というぐらいの雰囲気がありましたけど、その中で私はトラック種目で、しかも短距離で、真剣に入賞を考えていましたからね。
──連日、生中継で大会の模様がお茶の間に届けられ、視聴率も高かったそうですね。
髙野 おそらく400mで決勝に残れたのも、テレビで応援してくれた方や、国立競技場を埋めた6万人弱の観客のお陰です。あんな大勢の前で走ったことがなかったので、すごい経験をして、「来年もがんばろう」という気になれましたもん。バルセロナ五輪ですね。
──東京世界選手権は事前の盛り上がりというより、大会が始まってから日に日に盛り上がっていきましたね。髙野さんのラウンド突破とも連動しています。
髙野 400mも一次予選、二次予選、準決勝、決勝と4本ありましたからね。1日1本ずつ。準決勝と決勝の間は、中1日空いたのかな。でも、マイルリレーもあったから。
山崎 男子100mのカール・ルイスとか同走幅跳のマイク・パウエル(ともに米国)とか、世界新を出すスターがいましたしね。髙平君も海老原さんも、ルイスを知らない世代だよね?
髙平 名前は知ってます。でも、私たちの時代は、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)ですから(笑)。
髙野 観に来てくれた人たちが「陸上って意外とおもしろいね」と思ってくれたんじゃないですか。陸上はあそこがターニングポイントで、今につながってると思います。
山崎 私も20歳で東京世界選手権に出ています。初めての日本代表ですね。男子400mハードルの3番手で滑り込んだ代表ですから、すごく浮き足立っていて、完全に〝お祭り〟でした。もちろん決勝なんて見えていません。髙野さんがさっき言ったように長距離偏重で、一般種目はどうでもいい、というような空気でしたけど、それを「悔しい」とも思わなかった。だから、髙野さんが決勝に残った時は「エーッ」と驚いて、にわかには信じられませんでした。
しかし、それを間近で見たから、「僕らもできるんだ」と思うきっかけになりましたよね。私もその後、1995年のイエテボリ世界選手権で入賞(7位)できましたから。「じゃあ、世界へ行くにはどうしたらいいのかな」と早い段階で考えられた。というのが、東京の世界選手権だったと思います。
──大会前にプレッシャーのようなものはありませんでしたか。
髙野 普段のプレッシャーと同じです。いつもの試合のように、自分で自分にかけるプレッシャーですね。あの当時はまだ立場的にアマチュアですから、今のようにテレビに出て抱負を語るというようなことはなかったですし。私は若手教員でしたので、7月末の大学の水泳実習にも行ってましたよ。今、JOC(日本オリンピック委員会)の会長になられた柔道の山下(泰裕)先生も来ていて、「髙野君、来月世界選手権があるんじゃないの?」と言われたのを覚えています(笑)。
『第10回 日本で開かれる世界大会の戦い方 東京・大阪の世界選手権を振り返って(2)』に続く…
- 普及・育成・強化
- 【延期】第32回オリンピック競技大会(2020/東京)
- 海老原有希
- チームJAPAN
- 東京五輪
- 東京オリンピック
- TOKYO2020
- Challenge to TOKYO 2020
- 強化
- 世界大会
- 髙野進
- 髙平慎士
- 海老原有希
- 山崎一彦
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