
スポーツを通じて社会課題の解決を目指すことに取り組む日本財団HEROsが、日本陸連との連携で、11月22日・23日に、奥能登で陸上教室を開催しました。これは同財団が2023年に被災地支援を目的に立ち上げた「HEROs災害支援チーム」としての取り組み。2024年1月に起きた能登半島地震並びに9月に見舞われた豪雨災害への支援活動の一環として行われました。教室には、世界大会日本代表の実績を持つ5名が講師として参加。珠洲市と輪島市の2会場で、4回の教室が開かれ、奥能登地域で陸上に取り組む小・中・高校生を中心とする子どもたちと交流しました。
HEROsとは?
「HEROs~Sportsmanship for the future~」は、日本財団が推進しているプロジェクト。トップアスリートが競技の枠を超えて連携し、さまざまな社会貢献活動に取り組むことで、スポーツでつながる多くの人々の関心や行動を生み出し、社会課題解決の輪が広がる未来をつくっていこうとするものです。その志に賛同して、現在、60にわたる競技から、実に321名ものトップアスリートが参加。「HEROsアスリート」として、実際に現場へ足を運び、社会課題解決のリーダーとして活動しています。
その一環として立ち上げられたのが「HEROs災害支援チーム」。大規模災害に対し、被災地に必要な支援を届け、被災者を鼓舞し、復興のサポートに取り組んでいます。能登半島地震および豪雨災害においても、延べ500人を超える多様な競技のアスリートが、さまざまな形で支援を続けてきました。2025年度は、地域の文化やスポーツ交流を通じた復興支援を重点的に展開しています。
奥能登で陸上教室を
今回の「奥能登陸上教室」は、被災地である輪島市出身のオリンピアンでHEROsアスリートとして活動する小口貴子さんの働きかけで、すべてがスタートしました。小口貴子さんは、大学生のころからスケルトンに取り組み、ワールドカップに参戦するなどトップアスリートとして活躍。2018年平昌オリンピックに出場した人物です。2024年1月1日に実家で能登半島地震を被災して以降は、アスリートとしての自身を温かく応援して続けてくれた故郷・輪島の人々に、「今度は私が応援したい」と、さまざまな形で復興支援に取り組んできました。
実は、小口さんは、輪島高校時代は陸上部員。その縁で、交流が続いていた地元陸上関係者との会話のなかで「ほかの競技のような機会が、陸上でもあったらいいのに」という声を耳にしたことがきっかけとなって、「トップ選手に来てもらって、陸上教室を開けないか」と考えました。すぐにアクションを起こし、「HEROs災害支援チーム」のスポーツ交流プログラムとして実施を立案。すでにHEROsアスリートとして交流のあった北京オリンピック男子4×100mリレー銀メダリストメンバーの朝原宣治さんや塚原直貴さん、同じ冬季種目であるボブスレーに挑戦していたことでつながりのあった女子短距離の君嶋愛梨沙選手(土木管理総合、世界選手権2022オレゴン・2023ブダペスト大会代表)らに声をかけることと並行して、協力を仰ぎたいと日本陸連にも話をもちかけたのです。
一方、「輪島競歩」の通称で1970年台から続いてきた全日本競歩と日本選手権競歩の舞台である輪島市と深い縁を持つ日本陸連では、震災発生直後から、募金活動や義援金口座の開設、チャリティーオークションなどの形で独自に復興支援を展開。当初は、昨年の春に被災地での復興支援イベントの開催を目指していました。しかし、発生から1年が過ぎた時点で事務局員が輪島市を視察した際、復興以前といえる復旧の段階にあった現地の状況を目の当たりにして、「イベント開催より先に取り組んだほうがよいことがあるのではないか」と、まずは別の形で支援を継続しつつ、時機を待つことを選択していました( https://www.jaaf.or.jp/news/article/21474/ )。

こうした経緯もあったなか、それから約半年が過ぎたタイミングで、「陸上教室を開いてもらえるなら、ぜひ参加したい」という被災地の生の声を持って現れた小口さんからのオファーに、「現地の方々に要望をいただけているのなら、ぜひとも力になりたい」と話が動き、「日本財団HEROs×日本陸連」で連携することに。講師として前述の3選手のほか、2012年ロンドンオリンピック4×100mリレー代表の九鬼巧さん、そしてロンドンオリンピック男子400mハードルと2016年リオオリンピック十種競技に出場した中村明彦さんも加わって開催する運びとなりました。日本財団HEROsとしても、1月に寺田明日香選手(ジャパンクリエイト)を講師に迎えて実施して能登での陸上教室に続き2回目。震災で甚大な被害を受けた奥能登地域では、今回、初めての開催が実現しました。
2つのエリアで、2日間で4教室を実施
今回の陸上教室では、小口さんがパイプ役となって地元関係者と連携して準備が進められました。奥能登地域を、珠洲市と能登町のエリア、輪島市と穴水町のエリアに分けて、小・中・高校生を対象に参加者を募集。それぞれに高校生の部と小中学生の部を設け、11月22日・23日の2日間に、2会場で4教室が行われることになりました。初日となる11月22日の陸上教室は、珠洲・能登会場として、珠洲市立緑丘中学校で行われました。実施会場となったのは、バスケットボールコートを2面とることができる大きな体育館(ちなみに、震災直後は、避難所として利用されていたそうです)です。タイムテーブルは、10時30分から12時まで高校生の部が行われ、1時間の休憩を挟んで、13時から14時30分まで小中高生の部が行われるスケジュール。司会進行役を務めた小口貴子さんと、小口さんの夫で現役時代はリュージュ選手として冬季オリンピック3大会連続出場(2002年ソルトレークシティ、2006年トリノ、2010年バンクーバー大会)を果たしている小口貴久さんによって、1日目の講師を務めた塚原さん、中村さん、九鬼さん、君嶋さんが紹介されたのちに、各氏による実技指導が行われ、最後に質疑応答の時間が設けられる流れで展開されました。高校の部には、飯田高校、能登高校、鵬学園高校から16名の陸上部員たちが、小中学校の部には緑丘中学校、栁田中学校、松波中学校、能登中学校、みさき小学校、宇出津小学校などから陸上部に所属する生徒のほか、バスケットボールや野球など他競技に取り組む子どもたちも含めて56名が参加しました。

また、輪島・穴水会場として開催された2日目の教室は、輪島市の西側に位置する輪島市鳳至(ふげし)体育センターで行われました。この体育センターは鳳至公民館の2階にある体育館で、地域コミュニティの拠点として公民館とともに長く親しまれてきた場所。震災時には避難所として、多くの人々の拠り所となりました。2日目の教室は、塚原さんに代わる形で朝原さんが講師として加わりましたが、日程は1日目と同じタイムテーブルで進められ、高校の部には輪島高校、穴水高校の陸上部員22名が、また、小中学校の部には、輪島中学校、穴水中学校の陸上部員と輪島ジュニア陸上クラブ、柳田公民館ランナーズで陸上に取り組む小学生たち41名が参加しました。

各講師が持ち味を生かして実技指導
冬期練習で役立つ質の高いトレーニングを紹介
「できるだけ実技の時間を長くとって、いろいろな運動を紹介したいよね」というゲストアスリートたちの意向により、4回の陸上教室は、全90分のうち70分強を実技に割く時間配分で行われました。それぞれの教室で紹介されたトレーニングは、対象年代に応じた体力差などに配慮した内容がセレクト。また、震災の影響でトレーニング環境に大きな制限が生じていること、さらに冬季は降雪などの影響で練習に利用できるスペースがいっそう限定される状況となることなども考慮して、コンパクトなスペースで十分な効果が得られることに意識が置かれた内容が次々と紹介されました。1日目のみの参加となった塚原さんは、ウォーミングアップとしてBGMに120BPM(1分間に120拍刻むテンポを示す音楽用語)の音楽を利用し、そのリズムに合わせてジャンプで前進していく運動を行ったのちに、走るときに重要になってくる「支持足が接地したときに受ける地面からの反発を生かして前に進んでいく」感覚を高め、速い走りへとつなげていくスプリントドリルを紹介しました。ウォーミングアップでのリズムジャンプでは、1秒間に2拍という一般的に心地よく、リズムに乗りやすいとされるテンポに合わせてジャンプで前進するなかで、1拍ごとに手足の動きを変えたり、横向きや後ろ向きで進んだりと、徐々に動きを複雑化。陸上競技の動きで重要となってくる連結能力(複数の動作を同時かつスムーズに行い、全身の動きを連動させる能力)を高めていく練習の一つです。「最初はできなくても、だんだん動けるようになってくる。できるようになったら、今度はビートに乗せることや、腕や足のタイミングをうまく合わせること、より大きく正確にリズミカルに動くことを意識してみよう」と、ドリルなどの練習でも大切なポイントとなってくる意識の仕方をアドバイスしていたことが印象に残りました。

現役時代に、十種競技で日本人2人目の8000点突破を果たし、十種競技にはない400mハードルという種目でもオリンピック出場の経歴を持つ中村さんは、「混成競技をやっていて大事だなと思ったのは、“これをやって”と言われた動きが、すぐに自分の身体で表現できる能力。それができれば、誰かに何かを教えてもらったとき、すぐに身につけることができる」と話して自身の身体を意のままに操ることの大切さを説き、さまざまな運動を紹介していきました。
なかでも、特に子どもたちが面白がって取り組んでいたのが、2人が前に出した右足の小指側を接した状態で向かい合い、右手で押し引きして相手のバランスを崩す運動です。子どもたちは「自分の太ももとお腹をくっつけるように腰を落としていく姿勢をとると、バランスを保てる範囲が広がるよ」という中村さんのアドバイスを受けて、その違いも確認。また、相撲では腰割りと呼ばれるこの腰を落としたポジションが、実は、スタートの姿勢に通じることや、砲丸投や円盤投、やり投でのパワーポジション、野球のバッティングやゴルフやテニスのスイングなどにも共通することが示され、力を発揮する直前や身体を安定させておきたいときに役立つことを理解しました。このほか、T字バランスで静止する、T字バランスを保ったままその場でジャンプする、空中でシザース(脚を前後に入れ替える)する連続ジャンプなどの動きに取り組んだほか、「同じスズキのやり投トップ選手がやっているトレーニング」として、肩甲骨を自在に操ることができるようになる「肩甲骨体操」も披露。一つ一つの運動を、実際の競技場面にどう生かされていくかまで紐づけての説明に、帯同していた指導者も熱心に聞き入っていました。

九鬼さんは、ミニハードルを並べて股関節の可動域を広げる動きづくりやスクワットジャンプで1台ずつ越えていく運動など、ウォーミングアップや補強の要素を備えるトレーニングを紹介したほか、走りの局面で非常に大切な「シザース動作」の習得に役立つスプリントドリルを紹介しました。まずは片足跳びで足を3歩で切り替えて前進する、跳んでいるときに逆の足(いわゆる遊脚)の動きを意識することからスタート。続いて、片足もも上げ支持姿勢をとっての前進を4回で切り替える、3回で切り替える、2回で切り替える、1回で切り替える(=連続もも上げ)という段階を踏んで、徐々に走動作に近づけていくなかで「シザース動作」を意識させ、引き上げた足の軌道を変化させる、腕振りでタイミングをとるドリルを行い、最終的にダッシュへとつなげていきました。

塚原さん、中村さん、九鬼さんが紹介した動きを、子どもたちと一緒に取り組むなかで、現役スプリンターならではの速さや力強さで、正しく美しい見本を示していた君嶋さんは、「短距離に特化してしまうけれど…」とことわったうえで、自身が「この練習で、100m走のスタートから加速していく局面で、低い姿勢を維持して徐々に状態を起こしていくことを意識できるようになった」という2つのドリルを紹介しました。1つは、スタートダッシュ時の低い姿勢を保った状態で、1歩ずつまっすぐ前方へ跳びだし、接地とともに「ぴたっ」と止まる動きを繰り返して進んでいくステップワークというドリルです。「もっと低い姿勢で」「胸と地面が平行になるくらいに」「1歩は大きくなくていいよ。ゆっくりまっすぐに跳んで、ぴたっと止まろう」「支持していないほうの足は、できるだけ速く引きつけてほしい」とポイントをアドバイスしました。もう一つは、スタート直後の低い体勢から加速に乗っていく40m付近までの姿勢を意識するために、両手の指を地面につけた状態で走ったうえで、徐々に上体を起こして疾走動作につなげていくドリルです。今回は、手をつけた低い姿勢で10歩進み、身体を起こしていくことに取り組みました。「私の走るときのイメージは忍者」という君嶋さんは、「これができると、“さーっ”と忍者のように加速できますよ」と話しました。

2日目のみの参加となった朝原さんは、胸部のケガに見舞われての回復途上で、まだ固定な状況だったために、実演を交えての指導は叶いませんでしたが、九鬼選手ともにスプリントドリルやミニハードルを用いての動きつくりの際に、心がけるポイントや実際に取り組むときのコツをわかりやすく解説。また、正しいポジションでの実施が重要な中村さん紹介の運動の際は、個々の参加者に声をかけ、うまくできない子どもたちには手をとって意識する箇所を説明したり、目線や頭の位置をアドバイスしたりと、豪華な“個人指導”で教室をサポートしました。
トップアスリートとさまざまな形で交流した参加者たち
それぞれに実技指導のあとには、質問コーナーの時間が設けられました。どのセッションでも、「何か質問がある人!」という小口貴久さんの呼びかけに、複数の子どもたちが勢いよく手を挙げて、その積極性がゲストアスリートたちを喜ばせました。質問は、「食事と睡眠で気をつけていることは?」「試合のときのルーティンはある?」「投てきをやっているに力んでしまうのだが、どうすればいい?」「スタートダッシュのポイントは?」「どうすれば君嶋さんのようなシックスパックのかっこいい腹筋にできる?」「勉強と部活の両立は?」など、どの教室でも多岐にわたる内容が挙がることに。各選手は、自身の経験なども交えながら、一つ一つ丁寧にアドバイスしていました。
また、22日・23日ともに、午前中に教室を行った高校生が、サポート役として午後の小中学生の部にも参加する場面も。小中学生の見本になるよう一緒に身体を動かしたり、教室のムードを盛り上げたりすることを手伝いました。サポート役に回った高校生たちは、午後の部が始まるまでの休憩の時間にトップ選手たちと一緒に昼食をとりながら交流。「今、学校ではやっていることは?」「高校卒業後の進路はどうする?」など、教室の時間とはまた異なる距離間で、さまざまな会話が弾んでいました。
1日目の会場となった緑丘中学校の陸上部に所属し、走幅跳と100mに取り組んでいる宮田芽衣香さんは、「今日は、自分の種目の練習に役立ちそうなジャンプの仕方とかを、いろいろ知ることができたのでよかったです。面白かったのは、2人組になって、相手のバランスを崩して倒す運動です。体幹とかを鍛えられそうだなと思いました」と教室に参加しての感想を話してくれました。宮田さんが陸上を始めたのは中学から。その理由は「実は、ほかにいい部活がなかったから」であることを打ち明けてくれましたが、今では「これからも続けていきたいなと考えています」と言います。最終学年となる来シーズンについて尋ねると、「走幅跳で4mを跳ぶことと、100mを14秒後半で走ることを目標に頑張りたいです」という言葉が返ってきました。
「面白かったです!」と答えてくれたのは、同じく1日目の小中学生の部に参加した中野大志さん(宇出津小学校5年)です。中野さんは、3年生のときから始めたバスケットボールに取り組んでいて、将来の夢は、バスケットボールのプロ選手。「アメリカに行って、八村塁さんのような選手になりたい」と言います。教えてもらったことで、バスケに役立ちそうだなと思ったことを尋ねると、2人で引っ張り合ってバランスを崩す運動を挙げ、「重心を落とすといいと教えてもらったのですが、それがバスケのディフェンスのときに生かせそうだなと思いました」と話してくれました。
また、1日目の教室に参加した輪島高校キャプテンの大久保侑さんに感想を求めると、「普通では受けることができない貴重な機会でした。本当に豪華なメンバーから教えていただくことができて最高でした」と笑顔。「自分は砲丸投をやっているのですが、教えていただいた内容には、競技につながることがとても多かったです」と教室を振り返りました。例として、「T字バランスを維持したり、その姿勢でジャンプしたりする動き」を挙げ、「自分はうまくできなかったのですが、これができればパワーポジションの感じや力がどう伝わっていくかがわかると聞いて、“ぜひ、自分のものにして、砲丸投に役立てたいな”と思いました」とコメント。来年の目標を聞くと、「インターハイに出場すること」を挙げ、「競技場がないのは大変ですが、大学に行っても陸上を続けたいので頑張りたいと思っています。目標記録は15m台。ちょっと盛りすぎかもしれない(笑)のですが、今日、教えてもらったことを冬期練習でしっかり取り組みます」と力強い言葉を聞かせてくれました。
アスリートたちが目の当たりにした被災地の今
こうして2日にわたって実施された奥能登陸上教室は、両日ともに少し時間をオーバーする盛り上がりのうちに、無事終了しました。トップアスリートによる指導は、参加した子どもたちだけでなく、帯同して教室の様子を見学した陸上部やクラブチームの指導者、そして小学生に付き添った保護者の皆さんにも良い時間となった様子。時折アスリートたちからかかる、「保護者の皆さんもぜひ、やってみてください!」という呼びかけに応じて笑顔で身体を動かす場面や、終了後に「子どもたちが本当に喜んでくれて嬉しかった。ありがとうございました」とアスリートたちに感謝の思いを伝える光景も。帰路についたアスリートたちは、バスのなかで、それぞれに「喜んでもらえてよかった。来てよかった」と笑顔で振り返っていました。もう一つ、アスリートたちにとって大切な機会となったのは、移動中のバスや、会場に入る前に立ち寄った場所で視察した被災地の状況です。奥能登へ向かうのと里山海道では、今年1月に現地を訪れた日本陸連事務局員によると、「以前よりは、ずいぶんスムーズになった」そうですが、路面の凸凹が感じられる箇所や工事中で片側通行となっている場所もあれば、地滑りの影響でガードレールが宙に浮いた状態になっているところ、道路に大きな亀裂ができて利用できない状態の箇所も各地で見られました。また、珠洲・能登会場に到着する前に立ち寄った港に面する多目的ホール「ラポルトすず」の周辺は、4mを超える津波被害に見舞われた場所ですが、現在も平地だった場所が波打ったようにガタガタになったままになっていました。

2日目に訪れた輪島市では、地震直後に大火災に見舞われ多くの建物が焼失した輪島朝市周辺地域は公費解体が進み、区画整理の段階に入ったそうですが、更地となった広大な場所は伸びた雑草が茂る空き地となっていました。また、ブルートラックの美しかったマリンタウン陸上競技場をはじめとして駐車場などの広いスペースには、さまざまなタイプの仮設住宅が依然として並んでいる状況で、校舎が損壊して仮設校舎が使われている小学校や正門が崩れてしまっている高校、地盤が沈んでガタガタになった中学校のテニスコート、隆起・陥没により大きな段差が生じて歩道として利用できない状態のままの路肩など、震災の爪痕は日常生活のすぐそばで残ったままになっていました。
アスリートたちは、こうした状況を目の当たりにし、日本財団でHEROsチームを担当して被災地を何度も訪れている広報部の神田卓哉さん、地元出身の小口貴子さんから詳しく説明を受けたことで、震災被害の甚大さや復興・復旧が進んでいない状況を改めて実感。そうした環境のなかで陸上やスポーツに取り組んでいる子どもたちの苦労と情熱を知ることになりました。

「震災から時間が経つにつれて、残念ながら被災地の状況は、どんどん報じられることがなくなってきています。でも、実際のところ、復興が進んでいるということはできない状態。HEROsの活動などを通じて、アスリートの皆さんが発信してくれることによって、被災地の状況を少しでも多くの方が知り、思いを馳せていただけたらと思っています」と、小口貴子さんは期待を寄せていました。
今回、奥能登陸上教室に参加した各アスリートの感想は、以下の通りです。
【参加アスリートコメント】
<講師>
◎朝原宣治さん

実は、輪島に来たのは、今回が初めて。お声がけいただいたときは、もう、実技も含めて、やる気満々だったのですが、その後、思いがけないケガで参加自体が危ぶまれる時期もあって…(笑)。無事に来ることができてよかったです。
今回は、僕は2日目のみ講師を務めましたが、参加してくれたのは陸上をやっている子たちばかりでした。誰もがとても真剣な様子で選手たちの話を聞いていたことが印象深かったですね。「何か吸収して帰ろう」という意欲がすごく感じられて、それが、とても嬉しかったです。見本を示せなかったことは申し訳なかったけれど、そのぶん普段よりは、いろいろな話をしたり、みんなの様子を見て直接アドバイスしたりすることができたように思います。
震災からもうすぐ2年になろうとしていますが、復興が進んでいないことは耳にしていました。実際に来てみると、仮設住宅もまだまだ多く、子どもたちの練習の場や勉強の場も整っていない状況にあることに驚きました。そのなかで、みんな頑張っているのだなと思いました。
僕自身も、(1995年に起きた)阪神淡路震災のときに家族はみな無事だったものの、姉の家が被災して大変でした。また、大阪ガスのグラウンドが復興の基地になり、使用できない期間があったんですね。練習場所を探して別の競技場に出向いた経験もあるので、そのなかで競技活動を続ける大変さはわかっているつもりです。最近では、この震災に関する報道も少なくなっていますが、長い目で支援を続けていくことが大切。機会があれば、ぜひ、参加したいです。
◎塚原直貴さん

普段から日本財団のHEROsアスリートの活動には参加しているのですが、災害支援という形での経験は初めてです。自分も同じ北信越地域の長野にいるにもかかわらず、具体的に何ができるのだろうかと、手をこまねいていた部分があったので、陸上を通じてという形で、こういう支援をさせてもらえて、本当にありがたかったです。
これが実現したのは、(小口)貴子さんの発案と行動力あってのこと。僕自身は、貴子さんからお話をいただいていたのですが、同時に、貴子さんが日本陸連にも声をかけてくださったおかげで、陸上界として一緒に活動することができました。これをきっかけに、陸上界全体がさまざまな形で活動に参加していけるようになったら、もっと大きな力になるなと思いました。
僕は、1日目のみの参加ですが、今日は子どもたちの反応がすごく明るくて、何よりも僕が本当に楽しい時間を過ごすことができました。特に、子どもたちが、「できる、できない」にかかわらず、一所懸命やる姿がとても印象深かったです。
今日やったことが、何年か経ったときに、「参加してよかったな」「あのとき教えてもらったな」と、少しでも子どもたちの記憶に残ってくれたらいいなと思いますね。僕としては、こうした活動は、本当に「種まき」のようなものだと考えているんです。頑張る子どもたちの1歩までいかなくてもいい、0.5歩のきっかけつくりになってくれたら嬉しいです。
◎君嶋愛梨沙選手(土木管理総合)

2日とも、参加してくれた皆さんが、本当に真剣な眼差しで話を聞いてくださったことが、とても嬉しかったです。もともと私自身、現役の間に陸上教室をしたいという思いをずっと持っていたんですね。それだけに、今回、HEROsさんと日本陸連さんがタッグを組んでの教室に呼んでいただけたことは本当に光栄でしたし、すごくありがたいなという気持ちで参加させていただきました。
実は、自分自身が、中学時代に、トップアスリートが来る陸上教室に参加させていただいたことが何回かあるんです。そこで、当時の現役トップや日本代表の選手に会って、話はできなくても動いている姿を見たり、声をかけてもらったりしたことが、当時の私にとって、とても大きな刺激になりました。「ああいうふうになりたいな、頑張りたいな」という思いを持ち、それを紡いでいったことが今の自分になっていると思うので、今回、そう思ってくれた子が少しでもいたら、とても嬉しいです。また、私自身が、これまでたくさんの方々から助けられたり支えられたりしてきたぶん、自分自身が今度は助けたり支えたりする選手・人でありたいと思っています。今後も、こういった活動を通じて、それを体現していきたいです。
◎九鬼巧さん

能登もですが、石川県に来ること自体も今回が初めてだったので、僕としても貴重な経験になりました。震災や水害については、ニュースなどを通じてでしか知ることができていなかったですし、僕自身は、コンビニなどで募金箱などを見かけたら、「少しでも」という気持ちで協力することはありましたが、それ以外で何かできているわけではありませんでした。それだけに、この教室に参加したことが復興支援になるというのなら、少しでも尽力できたことがとても嬉しいです。
これは「陸上教室」をどこでやっても共通して言えることなのですが、「走る・跳ぶ・投げる」は全スポーツに交わる基礎中の基礎。特に、かけっこは、陸上以外のスポーツに取り組んでいる子たち、さらには運動していない子にも身近に感じてもらえることだと思うんです。陸上をやっている子どもたちはもちろんですが、1日目には野球やバスケットボールをやっている子たちも来てくれていましたから、それを伝えることができてよかったなと思います。参加した子どもたちが、「楽しかった」と感じていてくれたら嬉しいですね。今回は、(4回の教室ともに)自分自身もすごく動いたので、もうへとへと。でも、本当に楽しくて、いい時間を過ごせました。
◎中村明彦さん

大学の同級生が加賀市で消防をやっていたり、七尾市在住で穴水の高校で教員をしている後輩がいたりするので、震災が起きたときは「大丈夫?」というやりとりしていたのですが、その後はなかなか連絡をとれずにいました。今回、実際に現場を見て、被災された方々が、とてつもない環境のなかで日々の生活をしているのだなと衝撃が大きかったし、本当にすごいなと思いました。何かが劇的に変わるような特別なことは僕にはできないけれど、今回は来てくださった人に、一瞬でも「楽しい」と感じてもらえたり、いつか「あんな機会があったな」と思い返してもらえたりするような時間を過ごしてもらえたらいいなと思っていたので、「陸上競技を教える」というよりは、そういう時間をつくりたいという気持ちで取り組みました。
教室のなかでは、「身体を自在に操ったり、制限があるなかでジャンプしてみたり」といったことに取り組んでもらいましたが、大事にしたのは(盛り上がって)「わーっ」となるとか、(きつくて)「うーっ」なるとか(笑)、勝負のなかで人と触れ合うとかいうことです。コロナ禍の影響もあって、トレーニングの場面などでも、陸上では人と至近距離で何かを競ったりする機会が少なくなっています。でも、そういうときに、実は、いっときすべてを忘れて楽しむことができるんです。なので、夢中になって楽しんでもらえること、そこを意識しました。何よりも、僕自身が、とても楽しかったです。
<運営・進行>
◎小口貴久さん

妻(小口貴子)が輪島の出身で、私も輪島で被災しました。そのころから比べると確かに復旧はしてきていますし、生活も徐々に始まっているのですが、一方で、子どもたちがスポーツをする場所がないとか、以前のような日常生活が戻ってきていない状況を、今も感じています。でも、1年、1年半と時間が過ぎていくと、ほかで起きた別の災害や最近だと熊被害など違う問題が生じて、どうしても輪島の話題が挙がることが少なくなっています。もちろんどれも大変ですが、そのなかでも忘れ去られてしまうことなく、「輪島はどうなっているのかな」と、少しでも心を寄せてもらえるようであってほしいと願っています。また、大きな被害を受けた奥能登の子どもたちに、「前を向いて頑張ろう」と思ってもらえることが大事なので、こういった機会をつくっていただけたことは本当にありがたいです。
私は冬の競技をやっていて、今回講師を務めてくださった方々と同じオリンピアンなのですが、これまで接点が全くなかったので、陸上の方々が、こういった場でどういう話をされるのか、どういうことを教えられるのか、個人としてもとても興味がありました。競技特性は全く違うけれど、身体のコントロールなど通じるところもありましたね。子どもたちと同じくらいに、私も勉強させてもらいました。
◎小口貴子さん

私は、輪島市の出身で、震災は実家で過ごしていたときに見舞われました。また、その後の水害も、ちょうど帰省していたときに起きたため経験しています。そうしたなかで、輪島の人たちが苦しい思いや暗い顔をしているところをずっと見てきました。私は競技をしてきた間ずっと、輪島の方々から本当にたくさん応援していただきました。その応援があったからこそ、オリンピックに行くことができたし、オリンピアンになれたので、そのころから「いつか何かの形で地元の輪島、能登に恩返しをしたい」という思いを持っていました。その思いは、震災後「やるなら今だ」というものになり、「私に何かできることはないのか」をずっと考え、今に至っています。
今回、「陸上教室を奥能登で」という話になったのは、実は、私自身が高校時代、陸上部に所属していて、たまたま4月に高校の陸上関係の方から、「陸上で何か支援があったら嬉しいな」という声があるのを聞いたのがきっかけでした。改めて調べてみたら、チャリティや募金などでの支援はいただいているものの、実際に能登に入っての活動というのはまだ行われていないと知りました。なので「ぜひ、子どもたちに、本物に触れてもらいたい」と思ったんです。
陸上で頑張るといっても、「断層ができた」「仮設住宅になってしまった」と競技場がなくなってしまい、練習は「河原や校内を走っています」という状態です。そういうなかでも陸上が好きで取り組んでいる子どもたちに、少しでも励みになるようなことが何かできないかと、陸連さんにご協力を仰いだところ、「ぜひ、やりましょう」と快く引き受けてくださり、実現することができました。
昨日も今日も、教室のなかで子どもたちの笑顔を見ることができました。もう、それが一番だったので、今回の企画は大成功だと思っています。また、協力くださった朝原さん、塚原さん、中村さん、九鬼さん、君嶋さんというメンバーについては、事前に地元の関係者と連絡をとっている段階で、「えっ、こんなにたくさんのすごい方々が来てくれるんですか?」と驚かれましたし、指導者や保護者の方々からは「僕のほうが楽しみにしています!」と言っていただきました。参加してくださった子どもたちや保護者の方々はもちろんですが、実際のところ、運営にかかわってくださった関係の方々や陸上部の先生もみんな被災者なんです。それもあって、普段は子どもたちを支える側に回っておられる先生方にも、ぜひ楽しんでいただきたいという気持ちもありました。そういう意味でも、開催できて本当によかったと思います。
今回がきっかけとなって、新たな機会につながっていくことを心から願っています。
文・写真:児玉育美(JAAFメディアチーム)
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