株式会社東京海上日動キャリアサービスのサポートを受けて、日本陸連が展開している「ライフスキルトレーニングプログラム」。競技面でも人生においても大きな岐路を迎える直前にいる学生アスリートを対象に、「“自分の最高”を引き出す技術」を身につけることで、自身の可能性を最大限に生かせる人材を育てていくことを目指し、2020年度から行われてきました。
昨年選抜された第3期生(https://www.jaaf.or.jp/news/article/17205/)に向けても、ここまで全4回の日程で全体講義が行われてきましたが、その最終回となる4回目の全体講義が3月11日、オンラインで行われました。
最終回となる今回も、スポーツ心理学博士の布施努特別講師による全体講義を行ったのちに、ビジネスパーソンとして活躍した元アスリートに話を聞く「仕事理解、社会理解のワークショップ」の二部構成で行われました。
布施特別講師による全体講義は、前回の講義で出されていた2つの課題に対する受講生たちのアクションを聞いていくところから始まりました。課題の1つであった「ピーキングの練習」については、発表した受講生の事例に、さらに質問を重ねていくことで、その取り組みにおけるポイントとなった事柄を引き出して全員で共有。受講者たちは、オリンピックメダリストが共通して持つピーキングの能力を獲得するために、「CSバランス:挑戦(C)と能力(S)のバランスを保って高めていく」「アテンション・コントロール:意識をどこに置くか」「行動を可視化する」が重要であること、実践していく過程で、ここまで学んできた「役割性格」や「仮説思考」が役立つことを、改めて認識しました。さらに、布施特別講師は、自身で行動を可視化し、アテンション・コントロールしながら物事に取り組んでいると、フィードバックの質が上がると示唆。「フィードバックには、セルフフィードバックと、データやコーチの助言など外側から得るフィードバックがある。セルフフィードバックができていると、気づきの量がより高まるため、周りから得るフィードバックがさらに効力を持つようになる」と説明しました。
続いて布施特別講師は、フィギュアスケートの羽生結弦選手や体操競技の内村航平選手のコメントを題材に、「トップアスリートは、なぜ重要なときやピンチに陥ったときでも、自身の力を発揮できるのか」について、考察を深めていきました。これは、物事に取り組む際の思考は、「獲得型」と「防御型」の2つに分かれ、スポーツの場面では「負けないために」「失敗しないように」という思考で物事を捉える「防御型思考」ではなく、「勝つために」「こうすれば、もっと良くなる」という思考で物事を捉える「獲得型思考」が求められるというものです。布施特別講師は、この点を、平昌オリンピックで、失敗に見舞われたなか、すぐにリカバリープランを選択して、見事に金メダルを獲得した羽生選手のケースを例に上げて解説。受講者たちは、獲得型思考での取り組みが、自分の置かれた状況を素早く正確に把握し、そのなかで最大の成果を残せることに繋がっている点を学びました。
そして、全体講義は最終段階へ。ライフスキルを高め続けていくことで最終的に獲得できるとして、外から与えられた目的の達成や結果よりも、自身が取り組んでいる活動そのものに焦点を置き、興味や関心、喜びや充足感を持てるようになる「オートテリック(自己目的的)パーソナリティ」という概念が紹介されました。布施特別講師は、オートテリックを獲得するために必要として、1)挑戦のレベル、2)目標の明確さ、3)役割性格、4)自己決定能力、5)獲得型思考の5つの条件を挙げ、それぞれの条件を満たすために、ここまで学んできた方法の何を用いて高めていくとよいかを一つ一つ説明。「皆さんが、ここまでやってきたライフスキルトレーニングは、今、夢中になって取り組んでいる大好きな陸上競技に役立つとともに、将来のキャリアにおいても役立つスキル。いろいろな場面で、たとえうまく行っていないときでも、成功と失敗をハンドリングできるようになる」と述べました。さらに、個人でこの能力を高めておくことは、将来的には、チームリーダーとして、リーダーシップを発揮する場面にも活用できることを示唆。ライフスキルの汎用性の広さを示して講義を終えました。
第2部として行われた「仕事理解、社会理解のワークショップ」は、ライフスキルトレーニングプログラムをサポートする株式会社東京海上日動キャリアサービスの田﨑博道顧問がゲストスピーカーを務めてのセッションとなりました。
日本陸連の山崎一彦強化委員長とともに、このライフスキルトレーニングプログラムの「仕掛け人」である田﨑顧問は、1979年4月に、東京海上火災保険株式会社(2004年合併により東京海上日動火災保険株式会社となる)に入社。さまざまな部署や地方勤務、役職を経て、代表取締役専務執行役員を務めたのちに、2018年に同社を退任。昨年6月まで東京海上日動キャリアサービスの代表取締役社長として活躍し、退任後は、同社の顧問を務めています。
ビジネスパーソンとして数々の重責を担い、高い成果を残してきた田﨑顧問ですが、実は、中学時代からトップスプリンターとして活躍した経験を持つアスリートでもあります。慶應義塾大学3年時に大きなケガに見舞われたことが影響して、卒業のタイミングで競技生活を退くことになったものの、中学時代には、ジュニア選手権100mで優勝、また当時の正式種目だった100mハードルで中学記録を樹立し、高校では100mで1973年度記録ランキング1位、1974年には国体で優勝。また、慶應義塾大学2年時の1976年には、モントリオールオリンピックの代表選考会でもあった日本選手権で100mに優勝するなどの実績を残しています。
今回のワークショップでは、まず田﨑顧問が自身の約40年の企業での経歴を紹介したのちに、「仕事をするうえで大切にしてきたこと」として、
・「何のために」を、常に自身に問い続ける、
・失敗を恐れずに挑戦する。そして、失敗から学び、諦めずに実現していく、
・「対話らしい対話」と「選択と決断」を大切にする、
と、大きく3つに分けて、それぞれについて心がけてきた具体的なエピソードを紹介。進行役を務めたライフスキルトレーニングプログラム運営メンバーの紫垣樹郎さん(株式会社インサイトコミュニケーションズ代表取締役、クリエイティブディレクター)が、特に、学生時代や社会人になった直後…つまり受講生たちと同年代のころに、当時の田﨑顧問が何を思い、どういう行動を心がけていたかを問いかけたうえで、受講者たちとの質疑応答が行われました。そのなかで田﨑顧問は、「ライフスキルという概念を知ったのは3年前。もし、皆さんと同年代の頃にこれを知っていれば、もっと違う目標の立て方ができたと思う」「実は、それを苦手だと自覚し、そのうえで良くしていくことを心がけていた」など、うまく行かなかった例や苦手意識が強かった事柄も正直に明かしながら、当時の取り組みや考え方を回顧。この講義で紹介されてきた「縦型比較思考」「仮説思考」「役割性格」「内発的モチベーション」「ダブルゴール」「CSバランス」「獲得型思考」などの手法を、自身のキャリアのなかで自然に用いることができていた様子が示されました。
最後に、田﨑顧問は「キャリアを積んでいくことは、演劇に喩えられるのではないかと思う」とコメント。「演劇では、同じ台本であっても、初日から千秋楽まで全く同じにはならない。舞台にかかわる人すべての人々が、公演のたびに意見を出し合い、次はもっとより良くしていこうと心を砕き、各人がそのプロセスを楽しんで、自分の役割を持って次の舞台を作り上げている。社会から信頼され、求められる企業として、そして自分がその一員として貢献していくためには、こういう舞台を作り上げていくのと同じ感覚で、仕事にも日々の生活にも取り組んでいくことが大切。皆さんの場合は、今、陸上という舞台で、自分の役割を演じているわけだが、これは、次のキャリアで何をする場合でも同じ。ワクワクする気持ちを大切に、自分の立った舞台で生き生きと輝いてほしい」と受講生たちに呼びかけ、4カ月にわたって行われてきたライフスキルトレーニングのプログラムを締めくくりました。
【第4回全体講義受講後:受講生コメント】
鷺 麻耶子(早稲田大学2年、100m)
昨シーズンは、思い描いていた成績を残すことができずに終わってしまいました。その原因は、メンタル面にあると考え、試合への臨み方だけでなく、普段の練習への臨み方、そして自分の考え方そのものも、もっとコントロールしていける部分があるんじゃないかとは思っていたものの、そのやり方がわかりませんでした。ライフスキルトレーニングプログラムに応募した理由は、そうした面を学べるかなと思ったことが大きいです。
また、「陸上競技だけに関係したことでなく、社会に出ても生かせる」というキャッチフレーズにも強く惹かれました。ここで身につけたことは、競技面だけでなく、例えば、ビジネスの場面などでも強みになると教えていただいたので、講義を受けるときは、いつか自分が社会に出たときのこともイメージしながら、話を聞いたり質問したりするように意識していました。
これまで自分で考えて、試行錯誤しながら競技に取り組んできたなかで、行き詰まりを感じることが多くあったのですが、布施先生の講義を受けたことで、知識の引き出しを増やすことができました。例えば、「役割性格」などは、今までも意識せずにできていたときもありますが、「なぜ、演じることが必要なのか」をきちんと理解できたことで、今後は繰り返し使っていけるスキルにできそうだと感じています。これは、ほかの事柄についても同じで、目標設定の仕方で学んだ、将来の理想像と今の自分とのギャップを比較したり、周りと横比較したりということも、なんとなくやっていたことではありましたが、今回、きちんと認識することができました。その上で、考え方の手順や行き詰まったときの解決方法なども学び、より理解を深められたことも、とてもよかったです。
実際にプログラムを受け始めたのは、陸上のシーズンでいうと、ちょうど冬期練習が始まったころから。変化ということでは、前回の冬期練習と比べると「全く病まずにできている」(笑)というのに尽きます。それは、自分に対して、無理な目標を課すのではなく、もっと小さな積み重ねでいいんだと思えるようになったことが影響しているのではないかと思います。例えば、今までであれば、どんなときでも全部1番でいなければならないという意識で臨んでいて、それができないと「自分はダメだ」と落ち込んでいたのですが、例えば、体調が良くないときには、「じゃあ、3番目になれるよう頑張ろう」と最低限クリアしていく目標をつくることで、自分を褒められるようになりました。そういうことができるようになったのは、とても大きいなと感じています。
今後、試合に臨むに当たっても、目の前の勝敗だけでなく、自分が結果として何を成し遂げたいかということを目標として、もう一つ置けば、順位だけに一喜一憂することなく取り組めるのではないかと思っています。そういうふうに生かしていきたいですね。(談)
古澤一生(筑波大学2年、棒高跳)
大きな目標を立ててトレーニングをすることは、これまでもできていましたが、そこに至るまでに、いくつか小さな目標を立てて、段階を踏んでいくというやり方は、無意識にできていたのかもしれないけれど、意図的にやっていくことはできていませんでした。目標設定の仕方を学んだことによって、例えば、試合に出るとなったときに、助走であったり使っているポールの選択であったり、記録や順位以外の一つ一つに対しても意識を置いて考えるようにすればいいことに気づきました。
また、目標を持ち、ゴールを見据えて取り組んでいくことを意識するようになったことで、この冬は、ただこなすだけの練習というのがなくなりました。もうすぐ屋外シーズンが始まりますが、試合で結果が出なかったときでも、結果以外のところで新しい発見ができるようになるんじゃないかと感じています。こういう考え方自体ができるようになったのも、ライフスキルトレーニングの成果かなと思っています。
棒高跳という種目は、競技時間も長ければ、気象条件にも大きく左右されます。また、そのときどきの条件に合わせて使うポールを選択しなければなりませんし、ライバルとの駆け引きもあるなど、メンタルの要素がとても大きい種目といえます。例えば、「この高さを跳ばなければ、あとがない」というような追い込まれた状態になったときには、どうしてもネガティブになってしまい、「…しなければならない」「失敗しちゃいけない」と考えてしまいがちですが、このプログラムで学んだ「役割性格」「獲得型思考」などは、そんなときに生かせると思います。また、試合では常に、自分の置かれた状況を分析して、そのなかで自分のベストを発揮するためにどうすればいいのかを考えることが求められますが、それはまさに「仮説思考のサイクルを回す」ということ。もうすぐ始まる2023年シーズンでは、役立てることができそうです。
自分は、高校1年(2018年)のときに、アルゼンチンで行われたユースオリンピックに出場(※銀メダルを獲得)させていただきました。そのときに世界のいろいろな国の、高い競技力を持つ人たちと試合をするという素晴らしい経験ができたことで、これからも世界を狙っていきたい、世界を舞台に戦っていけるようになりたいという思いを、ずっと持ち続けています。もうシニアのカテゴリーとなるので、出場するためのハードルはぐんと高くなっていますが、技術や体力面でまだまだ伸ばせる部分はたくさんあるし、このプログラムで学んだ知識も大いに生かせるのではないかと思っています。学生生活も折返し点を過ぎましたが、今後、しっかり結果を残し、パリオリンピックや、その先のロサンゼルスオリンピックを目指していけるようにしたいと思います。(談)
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
【ライフスキルトレーニング特設サイト】
>>特設サイトはこちら
■【第1回プログラムレポート&コメント】目標設定の大切さとトップアスリートの仕事における強み
https://www.jaaf.or.jp/news/article/17305/
■【第2回プログラムレポート&コメント】プログラム初の集合研修で実施!オリンピックメダリストに共通する5つの特徴
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■【第3回プログラムレポート&コメント】社会でも活かせるトップアスリートの能力
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■【ライフスキルトレーニングプログラム】第3期受講生が決定!
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