日本陸連は、2020年度から株式会社東京海上日動キャリアサービスの支援を得て、大学生アスリートを対象に「ライフスキルトレーニングプログラム」を展開していますが、昨年12月からは第2期生として選抜された10名(https://www.jaaf.or.jp/news/article/15632/)に向けたプログラムもスタート。1月15日に、その2回目となる全体講義が行われました。このプログラムは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、受講者たちがオンラインで学ぶ態勢がとられてきましたが、急速に拡大するオミクロン株の感染リスクに配慮し、今回は発信する側も3箇所に分散しての実施となりました。
スポーツ心理学博士の布施努特別講師による全体講義。この日は、導入として、前回の講義の最後に提示していた課題「自分のありたい将来像を描き、大きな目標から逆算して、小さな目標を具体的に書き出す。小さな目標を、最高目標と最低目標に分け、それを達成するための新たに設定した役割性格を演じきる。そのプロセスと変化を記録し続ける」の実践状況や感想を、受講生に聞いていくところからスタートしました。布施特別講師は、指名された受講生2名の発表に対して、「ネガティブな状況、不安の大きな状況に陥ったときに、その状態を自分で把握し、どう行動するかを考えられるようになるといい」「なりたい自分を目指すために、小さな目標をいかにつくれるかが大事」と述べ、「今日は、そのあたりもやっていく」とコメント。さらに、東京パラリンピックでメダル獲得を達成した選手(ペア)のケースを具体例に、「役割性格」を活用することの意義と効果を改めて示しました。
そして、話はこの日のメインテーマである「オリンピックメダリストに共通する5つの特徴」へ。布施特別講師は、オリンピアンをサポートする現場で挙がった仮説「オリンピックで勝てる選手、良い結果が出せるチームには共通項があるのではないか」が出発点となって実施したリサーチ(研究)の結果、共通した事項がデータとして挙がってきたとして5つの特徴を紹介しました。
布施特別講師の説明で概要を把握した受講生たちは、これらを体感すべく、2グループに分かれたブレイクアウトセッションで、今回紹介された特徴を獲得するために役立つ「最低目標をつくる」と「仮説を立てる」の2つのトレーニングに取り組みました。そして、ブレイクアウトセッション後には、各グループの代表者が、その経過を発表。ここで布施特別講師が、「もっと言語化してみよう」という助言や、「最低目標」の捉え方について「記録や結果の目標をイメージしている人が多いけれど、それは違う。最低目標は“そこを意識すれば、どんなに悪い状況下でも、その状況でのベストが出せる”というもの。何を意識するとできるのか、もう少し考えてみよう」という指摘を加えたことで、受講生たちは、さらに理解を深めることができたようでした。
さらに布施特別講師は、メダリストは、競技に対するモチベーションの源を、自身の内面に据えることで、常に高い状態を維持できていると紹介。その際に重要になってくるのが、「仮説を作ること」だと述べ、次回までの課題として、「身の回りで起きた予期せぬ出来事を取り上げ、仮説→実行→結果(データ)→再仮説のサイクルを、各過程における判断を書き留めながら実践してみる」を提示し、全体講義を終了しました。
15分の休憩を挟んでスタートした第2部では、このライフスキルトレーニングプログラムの“生みの親”でもあり、昨年秋に、日本陸連の強化委員長に就任した山崎一彦氏(順天堂大学教授、同陸上競技部監督)がスピーカーとして登壇しました。
1971年生まれの山崎委員長は、競技者時代は400mHのトップランカーとして活躍しましたが、陸上競技のキャリアは埼玉・与野西中入学後、100mからスタートさせました。その後、ハードルに取り組み、3年時には110mMHで全日中7位の成績を残しています。400mHは武南高入学直後に一度経験したのち、2年時から110mHと並行して取り組むことに。3年時にインターハイ4位、国体優勝を果たしました。順天堂大で400mHに種目を絞り、大学1年で世界ジュニア選手権(現U20世界選手権)8位、大学2年でユニバーシアード(現ワールドユニバーシティゲームズ)6位、東京世界選手権出場、そして大学3年でバルセロナオリンピック出場と、学生時代から日本代表に名を連ねました。卒業後はデサントの所属で活躍。世界選手権では1991年以降、日本人初の7位入賞を果たした1995年イエテボリ世界選手権を含めて4大会に、オリンピックは1992年・1996年・2000年と3大会に、どちらも連続で出場。1995年に福岡で開催されたユニバーシアードでは金メダルも獲得しています。
同時期に活躍した齋藤嘉彦選手、苅部俊二選手とともに、日本の400mHを世界水準へと牽引した立役者であるとともに、それまで日本人ハードラーに向かないと言われていた「前半先行型」のレースパターンで成果を上げた先駆者で、そのスタイルは、のちに世界選手権で2度の銅メダルを獲得する為末大選手へと引き継がれました。さらに、インターネット等も普及していなかった当時、現在のダイヤモンドリーグ等に相当する海外のハイレベルなサーキットへの転戦を敢行したことでも知られています。2001年に第一線を退いてからは、指導者の道を選び、岐阜県スポーツ科学トレーニングセンター、福岡大学、英国・ラフバラ大学へのコーチ留学を経て、2014年から順天堂大学へ。母校で教鞭を執るとともに、日本陸連で強化委員会育成部長やディレクター等の要職を務め、現在に至っています。
山崎委員長は、経歴のみだと順風満帆に見える自身の競技生活が、実は、
・同世代ライバルが強く、日本代表になれても、日本一にはなれなかった時期が長く続いた、
・世界選手権やオリンピックに出場していても、卒業直前になるまで就職先が決まらない現実に直面した、
・前半型のレースパターンは、当時の日本人ハードラーには異質で、勝てない間はずっと否定され続けた、
・高身長のハードラーが多い世界のトップシーンでは、勝つためには相手を上回る強化や戦略が必要だった、
など、決して恵まれた条件が整っていたわけではなかったことを明かしたうえで、「そのなかで、自分が何をやってきたかがとても大事。競技成績ではなく、やってきたことが、今に生きていると思っている」と述べました。
具体的には、
・自分に向いていると確信した前半型のレースパターンを完成させるべく、周囲に否定され続けても、自身の現状と理想をインスパイアさせる取り組みを続けた →その長年の取り組みが、1995年に日本選手権の獲得経験がない状態で、世界選手権で入賞。2位だった日本選手権後、2カ月の間に起きた大きなブレイクスルーへと繋がった、
・周囲が否定的だった高所トレーニングに挑戦。失敗も、成果の一つと捉え、問題点を踏まえて、再び挑戦することを繰り返し、一定の成果を上げた →トレーニングの効率や成果を検討する際の「考え方」が身につき、現在のコーチングに活かせている、
・オリンピックに出場しても、なかなか就職が決まらない。世界選手権ファイナリストになっても、世間の見る目はそれほど変わらなかった →競技成績だけでなく、陸上競技の価値を高める、陸上競技選手の価値を高めることが必要という認識に繋がり、ライフスキルトレーニングプログラムの発案・実施などへと発展した、
・海外転戦など競技を通じてできた世界とのネットワークが引退後も役に立っている →イギリスでの研究やコーチング。日本と海外の違いや善し悪しを俯瞰できる力に繋がっている、
などを例に挙げ、「陸上競技で取り組んできたこと、実践してきたことは、陸上競技だけでなく、社会でも還元できる」と訴えました。
そして、受講者たちに向けて、
・やりたいことは結果、自分探しは一生終わらない、
・やりたいこと、なりたい自分とのギャップは必ず存在する、
・どうなるかわからないけど、一所懸命に人の倍以上のスピードで行動してみる、
・やってきたことで失敗しても、必ず自分にリワード(価値・報酬)がつく、
と述べたうえで、「景色が変わるときは必ず来る。皆さんには、全力で遠回りしてほしい」と呼びかけ、スピーチは終了しました。
【第2回全体講義受講後:受講生コメント】
樫原沙紀(筑波大学2年、1500m)
私は1500mに取り組んでいますが、昨シーズンは、その時々のレースで波が大きかったことが課題でした。このプログラムに応募したのも、そうした面をライフスキルトレーニングによって、コントロールできるようになりたいと思ったからです。
ここまでのプログラムでは、「役割性格」の概念が、大きな題目として話が進んでいます。今回の講義では「仮説を立てて物事に取り組む」「そのとき自分ができることに集中する」「最低目標を設定して、どんな状況でも達成していくようにする」などが挙がりましたが、それを実行するためにも、役割性格を決めて演じきることが大切なのだなと実感しました。今までの私はレースのとき、ちょっとしたことにメンタルが左右されて、それが目標を達成できない要因になっていましたが、役割性格を決めて、自分のやりたいことを達成するために考えた「なりたい自分」でいられるように意識し続けることで、改善できるのではないかと期待しています。また、ライフスキルトレーニングで学んだ考え方を日常生活にも取り入れることで、日々の生活でも心掛けることが増えてきています。
第2部の山崎先生のお話では、実際に当時の映像なども見ながら話を伺ったことで、より身近に感じることができました。山崎先生も、学生時代には私たちと同じように悩んでいたこともあって、でも、そのなかで信念を持って競技を続けていったからこそ今があるのだなと知って、私も、「自分がどうなりたいか」ということをちゃんと持って、競技に取り組んでいきたいなと思いました。
今年は、シーズンが始まったら、ライフスキルトレーニングで身につけたことを、レースでも試してみたいと思っています。そのうちの1つが、前回講義でみんなの前で話して、布施先生からもアドバイスをいただいた「攻めるレース」です。これまでやったことのない「先頭に出て走る」というレースパターンにチャレンジすることによって、どんなデータが得られるか…。今日学んだ「仮説思考」などを用いて新たな発見ができるように、これからの講義で、しっかりと身につけていくつもりです。(談)
木村颯太(明治大学2年、200m)
負けず嫌いなので、競技では「勝ちたい」という気持ちで挑むことができるのですが、その一方で、人前で話すことや慣れない環境に身を置くのが苦手で、考えをうまく言葉にできずに戸惑うことが多くあります。このため、ライフスキルトレーニングによって、今までの自分になかった技術を身につけ、うまく使いこなすことで自分の殻を破り、競技面や精神面を高めていければと思って、受講を希望しました。
2回の全体講義を受けましたが、前回、理解しきれていなかった「役割性格」というものが、今回の講義によって、より明瞭になりました。また、「ダブルゴール」のなかの「最低目標」についても、自分がこれまで設定していたのは、結果目標といわれるものだったんだという勘違いにも気づくことができました。回を重ねるごとに、新たに気づくことが増えていっている気がしています。
山崎さんのセッションでは、前半から行くレースプランに挑み続けたことや高地トレーニング導入の話が、すごかったです。自分はほんのちょっとの変化も怖いと思ってしまうので、誰もその道を進んでいないなかで新しいことに取り組んでいった山崎さんはすごくカッコイイ! と思いました。また、学生のころ、考え方が違うと思ったら、先輩やコーチとぶつかることもあったという話をされていましたが、それはまず自分できちんと考えて、決めたことをやりきろうとしていたからこそのこと。自分には優柔不断な面があるので、そうした姿勢を見習いたいなと思いました。
来シーズンは、まず、4月に行われる日本学生個人選手権での優勝を目標にしていて、その後、ワールドユニバーシティゲームズに出場して、そこで結果を残したいという気持ちで、現在、トレーニングに取り組んでいます。ただ、試合がなく地道な練習がメインとなる冬季は、どうしてもモチベーションに波が生まれがちなので、うまくライフスキルトレーニングで学んだ考え方を生かしていきたいです。そういう意味では、最後に少し触れられた「内発的モチベーション」が役に立ちそうです。次回の講義で詳しく学べることが楽しみです。(談)
文・構成:児玉育美(JAAFメディアチーム)
■ライフスキルトレーニングプログラム 特設サイト
https://www.jaaf.or.jp/lst/
■ライフスキルトレーニングプログラム 第2期受講生決定
~競技においてもキャリアにおいても「自分の最高を引き出す技術」を習得する~
https://www.jaaf.or.jp/news/article/15632/
■ライフスキルトレーニングプログラム 第1回レポート&受講生コメント
~なりたい自分に近づくためのゴール設定と目標の使い方~
https://www.jaaf.or.jp/news/article/15699/
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