2021.08.01(日)選手

【記録と数字で楽しむ東京オリンピック】女子1500m

7月30日(金)から8月8日(日)の10日間、国立競技場と札幌(マラソンと競歩)を舞台に「第32回オリンピック」の陸上競技が開催される(ている)。

日本からは、65人(男子43・女22)の代表選手が出場し世界のライバル達と競い合う。

無観客開催となったためテレビやネットでのライブ中継で観戦するしかなくなったが、その「お供」に日本人選手が出場する26種目に関して、「記録と数字で楽しむ東京オリンピック」をお届けする。

なお、これまでにこの日本陸連HPで各種競技会の「記録と数字で楽しむ・・・」をお届けしてきたが、過去に紹介したことがある拙稿と同じ内容のデータも含むが、可能な限りで最新のものに更新した。また、五輪の間に隔年で行われる世界選手権もそのレベルは五輪とまったく変わらないので、記事の中では「世界大会」ということで同等に扱い、そのデータも紹介した。

記録は原則として7月28日判明分。
現役選手の敬称は略させていただいた。

日本人選手の記録や数字に関する内容が中心で、優勝やメダルを争いそうな外国人選手についての展望的な内容には一部を除いてあまりふれていない。日本人の出場しない各種目や展望記事などは、陸上専門二誌の8月号別冊付録の「東京五輪観戦ガイド」やネットにアップされるであろう各種メディアの「展望記事」などをご覧頂きたい。

大会が始まったら、日本陸連のTwitterで、記録や各種のデータを可能な範囲で随時発信する予定なので、そちらも「観戦のお供」にしていただければ幸いである。




・予 選 8月2日  9:35 3組6着+6

・準決勝 8月4日 19:00 2組5着+2

・決 勝 8月6日 21:50


田中希実(豊田織機TC)
卜部蘭(積水化学)

田中・卜部が「日本人初出場」で歴史の第一歩目を残す

五輪で女子1500mが行われるようになったのは、1972年のミュンヘン大会から。

各種メディアで報道されているように田中希実(豊田織機TC)と卜部蘭(積水化学)が、ワールドランキング31位と42位で出場権を獲得し、この種目での日本人初のオリンピアンとなった。田中は7月17日のディスタンスチャレンジ千歳大会で五輪参加標準記録4分04秒20を上回る4分04秒08の日本新をマークしている。

五輪には今回が初出場だが、世界選手権には2人が出場したことがある。1993年の弘山晴美(資生堂)と2007年の吉川美香(パナソニック)だ。弘山が4分19秒67で予選2組9着、吉川が4分21秒64で予選1組11着だった。

話は変わるが、田中と卜部は、ともに「陸上一家」で育った選手だ。

田中のコーチでもある父・健智(かつとし)さんは、川崎重工明石に所属していた94年の全日本実業団3000mSCで6位(8分54秒68)に入賞している。また、母・千洋さん(旧姓・小倉)は、北海道マラソンで97年と03年に優勝している(ベストは2時間29分30秒=02年)。さらに妹・希空(のあ)も田中の母校である兵庫・西脇工高の2年生で800m2分18秒43・1500m4分44秒40が現時点での自己ベストだ。

卜部の父・昌次さんは中大時代に箱根駅伝の1区(86年。区間13位、総合8位)と10区(88年。区間8位、総合5位)を走りチームのシード権獲得に貢献した。母・由紀子さんは、東女体大2年生だった85年神戸ユニバーシアードの1500m代表で、日本選手権でも2回2位になっている。弟・和喜さんは、高校まではサッカー部だったが東京経大入学後に陸上を始め、3年生と4年生の19・20年には1500mで日本インカレに出場した(ベストは3分51秒00=19年)。卜部は、国立競技場から直線距離で3.5kmほどのところにある新宿区立西戸山中学校の出身(現、新宿西戸山中学校)。JR山手線の新大久保駅と高田馬場駅の間の線路際にあって、電車から見える校舎には卒業生である卜部の五輪出場を祝う横断幕が掲げられている。今回の代表65人の中で、「国立競技場から最も近い所で育った選手」である(はず)。

◆1983年以降の1・3・8位の記録と決勝&準決勝に進めなかった最高記録◆
・「-------」は、準決勝が行われなかった。

 年   1位   3位   8位   準決落最高 予選落最高

1983   4.00.90 4.02.25 4.05.73  -------   4.10.89

1984五輪 4.03.25 4.04.15 4.08.92  -------   4.11.86

1987   3.58.56 3.59.27 4.03.63  -------   4.07.38

1988五輪 3.53.96 4.00.30 4.02.49  -------   4.07.40

1991   4.02.21 4.02.72 4.05.52  -------   4.07.39

1992五輪 3.55.30 3.57.08 4.02.03  4.04.80   4.15.16

1993   4.00.50 4.04.29 4.08.23  -------   4.09.75

1995   4.02.42 4.03.79 4.07.27  4.10.28   4.19.12

1996五輪 4.00.83 4.03.02 4.05.92  4.09.03   4.14.82

1997   4.04.24 4.04.70 4.07.81  4.07.19   4.11.21

1999   3.59.23 4.00.96 4.04.72  -------   4.05.72

2000五輪 4.05.10 4.05.27 4.08.30  4.07.87   4.10.21

2001   4.00.57 4.02.40 4.08.17  4.09.66   4.15.30

2003   3.58.52 3.59.95 4.02.46  4.06.64   4.16.38

2004五輪 3.57.90 3.58.39 4.00.67  4.07.21   4.07.96

2005   4.00.35 4.02.45 4.04.77  -------   4.09.90

2007   3.58.75 4.00.82 4.08.64  4.08.02   4.11.51

2008五輪 4.00.23 4.01.78 4.04.86  -------   4.06.64

2009   4.03.74 4.04.18 4.08.81  4.06.88   4.09.84

2011   4.05.40 4.05.87 4.08.14  4.06.64   4.12.03

2012五輪 4.10.74 4.11.03 4.16.57  4.04.79   4.08.78

2013   4.02.67 4.03.86 4.06.01  4.05.36   4.09.40

2015   4.08.09 4.09.34 4.13.22  4.10.01   4.09.06

2016五輪 4.08.92 4.10.53 4.13.14  4.05.81   4.09.45

2017   4.02.59 4.02.90 4.04.35  4.05.80   4.05.81

2019   3.51.95 3.54.38 3.58.42  4.01.80   4.08.56

------------------------------

最高記録 3.51.95 3.54.38 3.58.42  4.01.80   4.05.72

五輪最高 3.53.96 3.57.08 4.00.67  4.04.80   4.06.64

世選最高 3.51.95 3.54.38 3.58.42  4.01.80   4.05.72


このデータをみると、予選は4分05秒72から4分16秒38、準決勝も4分01秒80から4分10秒28と大会によって大きな差がある。短距離と違って、中長距離ではその組の展開がハイペースかスローかによって記録が大きく違ってくるからだ。

参加標準記録が「A(1国3人出場可)」と「B(1国1人出場可)」から一本化された15年世界選手権以降の参加標準記録は、「15年4分06秒50」「16年4分07秒00」「17年4分07秒50」「19年4分06秒50」だった。つまり、予選に出場した選手は、基本的にはこれをクリアしていた訳である(全種目でその国に誰も突破者が不在の場合に男女1人ずつが何かの種目に出場できたり、開催地枠での出場者を除く)。ということで、低いタイムで予選を通過した選手も、この標準記録以内の記録を持っていたのだ。

今回からは、レベルが高くない国を救うための枠(全種目で男女各1人)の枠は継続されたが、「開催国枠」が撤廃され、「参加標準記録突破」か「ワールドランキングでターゲットナンバー(出場人数枠)以内」の選手のみしか出場できなくなった。

「4分04秒20」の参加標準記録をクリアしての出場者が25人。ワールドランキングでの出場が20人。準決勝に進めるのが24人だから、標準突破者ですべて埋まる。7月17日に4分04秒08を出した田中がこの圏内ギリギリだ。ラスト1周が強い田中であれば、残り400mからのスピード勝負にも十分に対応できそうだ。4分12秒81のレース(20年9月15日)ではあるが、ラスト400mを60秒4でカバーしたこともある。

上記のデータからすると4分10秒52がベストの卜部の予選突破は苦しそうだが、その組がスローな展開になってラスト勝負になれば、チャンスはある。4分10秒52の時は、ラスト300mを47秒0、ラスト200mを31秒0、ラスト100mを15秒5でカバーした。19年の日本選手権で優勝した時は、トータルの記録は4分15秒79だったが、ラスト200mは30秒6(15秒3・15秒3)だった。ドーハ世界選手権で最も遅いタイムで準決勝に進出した選手は4分09秒22(6着)でその組のトップが4分08秒32。先頭選手のラスト200mが30秒22。6着の選手が1300m地点で先頭にいた訳ではないが、最後の200mは31秒前後だったものと思われる。

◆田中の日本記録(4.04.08)の時の100m毎◆
五輪は予選も準決勝も決勝も「勝負(順位)優先」なので、どういう展開になるかはわからないが、ペース次第では田中にとって3度目の日本新の可能性もある。以下は、4分04秒08の時の100m毎だ。


・ライブ中継からの非公式手動計時(先頭ではなく田中のタイム。±0秒1程度の誤差があるかも?)

100m  16.1 16.1

200m  32.6 16.5 32.6

300m  49.0 16.4    49.0

400m 1.05.7 16.7 33.1    65.7

500m 1.22.1 16.4          82.1

600m 1.38.3 16.2 32.6 49.3

700m 1.54.6 16.3

800m 2.10.8 16.2 32.5    65.1

900m 2.27.1 16.3    48.8

1000m 2.43.5 16.4 32.7       81.4

1100m 2.59.6 16.1

1200m 3.15.3 15.7 31.8 48.2 64.5

1300m 3.31.2 15.9

1400m 3.47.2 16.0 31.9

1500m 4.04.05 16.9(32.9)48.8(64.5)80.6

↓ 前半2.02.7+後半2.01.4(前後半差△1.3)

4.04.08=正式


・前後半は、700mと800mの通過からの推定
・ラスト1000mは、2.42.0(公認日本記録は、2.41.08/杉森美保/2002.06.19)
・ラスト800mは、2.09.5
・ラスト600mは、1.37.0

今回の田中と卜部の順位と記録が「五輪での日本人最高成績&記録」として残ることになる。


野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)
写真提供:フォート・キシモト

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