2021.07.31(土)選手

【記録と数字で楽しむ東京オリンピック】男子100m

7月30日(金)から8月8日(日)の10日間、国立競技場と札幌(マラソンと競歩)を舞台に「第32回オリンピック」の陸上競技が開催される(ている)。

日本からは、65人(男子43・女22)の代表選手が出場し世界のライバル達と競い合う。

無観客開催となったためテレビやネットでのライブ中継で観戦するしかなくなったが、その「お供」に日本人選手が出場する26種目に関して、「記録と数字で楽しむ東京オリンピック」をお届けする。

なお、これまでにこの日本陸連HPで各種競技会の「記録と数字で楽しむ・・・」をお届けしてきたが、過去に紹介したことがある拙稿と同じ内容のデータも含むが、可能な限りで最新のものに更新した。また、五輪の間に隔年で行われる世界選手権もそのレベルは五輪とまったく変わらないので、記事の中では「世界大会」ということで同等に扱い、そのデータも紹介した。

記録は原則として7月28日判明分。
現役選手の敬称は略させていただいた。

日本人選手の記録や数字に関する内容が中心で、優勝やメダルを争いそうな外国人選手についての展望的な内容には一部を除いてあまりふれていない。日本人の出場しない各種目や展望記事などは、陸上専門二誌の8月号別冊付録の「東京五輪観戦ガイド」やネットにアップされるであろう各種メディアの「展望記事」などをご覧頂きたい。

大会が始まったら、日本陸連のTwitterで、記録や各種のデータを可能な範囲で随時発信する予定なので、そちらも「観戦のお供」にしていただければ幸いである。




・予  選 7月31日 19:45 7組3着+3

・準 決 勝 8月1日 19:15 3組2着+2

・決  勝 8月1日 21:50


多田修平(住友電工)
山縣亮太(セイコー)
小池祐貴(住友電工)


89年ぶりの「ファイナリスト」なるか?!

自己ベスト9秒95の山縣亮太(セイコー)、9秒98の小池祐貴(住友電工)、21年日本選手権を制した10秒01の多田修平(住友電工)が出場。1932年のロサンゼルス五輪6位の吉岡隆徳(たかよし)さん以来89年ぶりとなる「日本人ファイナリスト」への期待が高まる。
 
◆五輪&世界選手での日本人最高成績と最高記録◆
<五輪>
最高成績 6位 10.7 吉岡隆徳(東京高師)1932年
最高記録 10.05(+0.2)山縣亮太(セイコー)2016年 準決勝2組5着

<世界選手権>
最高成績 準決勝3組5着 10.26(+0.4)多田修平(関学大)2017年
〃   準決勝1組5着 10.15(-0.3)サニブラウン・アブデル・ハキーム(フロリダ大)2019年
最高記録 10.05(-0.6)サニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)2017年 予選2組1着

ちなみに、五輪において吉岡さん以外の最高成績は、1996年の朝原宣治さんの「準決勝1組5着」、2012年と16年の山縣の「準決勝3組5着」と「準決勝2組5着」だ。

◆五輪&世界選手権の決勝進出ライン◆
五輪参加標準記録適用期間内(2019年5月1日~20年4月5日・20年12月1日~21年6月29日)の記録(1国3名以内)では、山縣(9秒95=21年)が9位タイ、小池(9秒98=19年)が17位タイ、多田(10秒01=21年)が24位タイ。

2021年のシーズンベスト(7月19日判明分)では、山縣(9秒95)が11位タイ(1国3人以内では7位タイ)、多田(10秒01)が26位タイ(同17位タイ)、小池(10秒13)が72位タイ(同39位タイ)。

以上の通りで3人揃っての準決勝進出の可能性もありそうだ。3人が準決勝に進めば、五輪では史上初。世界選手権では、17年と19年の2回ある。「3組2着+2」で行われるセミファイナルが正念場となる。


「表1」は、1968年以降の世界大会(五輪&世界選手権)での「ファイナリスト」への条件を調べたものだ。


1968年以降の五輪と世界選手権の決勝進出者で最も遅いタイム(「2組4着取り」で準決勝を通過した4着の選手で最もタイムが遅かった選手。または、「3組2着+2」の「+2」で最も遅いタイムで通過した選手)と準決勝落選者で最もタイムが良かった選手のデータをまとめたものだ。

これによると、これまで準決勝落選者で最もタイムが早かったのは、2013年と2015年の世界選手権での「10秒00」。五輪では「10秒01」だ。ということで過去の世界大会では、準決勝で9秒台で走った選手は「100%決勝に進出」している。今回の東京ではどうなるかはわからないが、これまでのデータからすると準決勝を「9秒台」で走れれば「ファイナリスト」が「極めて有望」ということになる。

【表1/1968年以降の五輪&世界選手権の準決勝通過者最低記録と落選者最高記録】
・1968年のメキシコ五輪は、当時のルールで電動計時の100分の1秒単位を四捨五入して10分の1秒単位にしたものが正式記録とされた。また、当時のルールでは、手動計時との差を考慮して、電動計時を「0秒05遅れ」で作動させていたが、ここでは現行ルールの通りにその「0秒05」を加算したタイムで示した。

・「五輪」は、オリンピック。他は世界選手権を示す。

 年  準決通過最低記録   準決落選最高記録

1968五輪  10.26       10.22

1972五輪  10.48       10.42

1976五輪  10.37       10.33

1980五輪  10.45       10.44

1983    10.39       10.40

1984五輪  10.52       10.34

1987    10.37       10.24

1988五輪  10.24       10.31

1991    10.13       10.17

1992五輪  10.33       10.34

1993    10.15       10.20

1995    10.17       10.20

1996五輪  10.11       10.13

1997    10.22       10.18

1999    10.14       10.13

2000五輪  10.20       10.25

2001    10.29       10.26

2003    10.27       10.22

2004五輪  10.22       10.12

2005    10.13       10.08

2007    10.21       10.19

2008五輪  10.03       10.05

2009    10.04       10.04

2011    10.21       10.14

2012五輪  10.02       10.04

2013    10.00       10.00

2015     9.99       10.00

2016五輪  10.01       10.01

2017    10.10       10.12

2019    10.11       10.11

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最高記録   9.99       10.00

五輪最高  10.01(2016)    10.01(2016)

世選最高   9.99(2015)    10.00(2013・2015)



先に述べたが、これまでの五輪と世界選手権の男子100mで「ファイナリスト」となった日本人は、1932年ロサンゼルス五輪で6位に入賞した吉岡隆徳さんのみ(1960年ローマ五輪までは6人が決勝進出。1964年東京五輪から8人が決勝進出で6位までが入賞。1983年ヘルシンキ世界選手権から8位までが入賞)。「暁の超特急」と謳われた吉岡さんが1935年6月15日に明治神宮競技場(のちの国立競技場)で行われたフィリピンとの対抗戦で走った手動計時の10秒3は、当時の世界タイ記録で、男子100mの「世界記録保持者」となった唯一の日本人でもある。

8月1日の21時50分、「男子100mファイナル」のスタートラインに日本人スプリンターが立てば、1932年8月1日のロス五輪の吉岡さん以来、日付もぴたり同じちょうど89年ぶりとなる。是非とも実現してもらいたい。


◆1983年以降の五輪&世界選手権の決勝での着順別記録◆
そして、見事に「ファイナリスト」となった場合、どのくらいの順位が見込めるのか?
その参考になりそうなのが「表2」である。

【表2/1983年以降の五輪&世界選手権決勝での1~8位の記録】
・カッコ内は、のちにドーピング違反で失格となった記録で、後ろに当初の相当順位を記載。

年    風速  1位  2位  3位  4位  5位  6位  7位  8位

1983   -0.3 10.07 10.21 10.24 10.27 10.29 10.32 10.33 10.36

1984五輪 +0.2  9.99 10.19 10.22 10.26 10.27 10.29 10.33 10.35

1987   +1.0  9.93 10.08 10.14 10.20 10.25 10.34 16.23 ( 9.83=1)

1988五輪 +1.1  9.92  9.97  9.99 10.04 10.11 10.11 12.26 ( 9.79=1)

1991   +1.2  9.86  9.88  9.91  9.92  9.95  9.96 10.12 10.14

1992五輪 +0.5  9.96 10.02 10.04 10.09 10.10 10.12 10.22 10.26

1993   +0.3  9.87  9.92  9.99 10.02 10.02 10.03 10.04 10.18

1995   +1.0  9.97 10.03 10.03 10.07 10.10 10.12 10.20 10.20

1996五輪 +0.7  9.84  9.89  9.90  9.99 10.00 10.14 10.16 DQ

1997   +0.2  9.86  9.91  9.94  9.95 10.02 10.10 10.12 10.29

1999   +0.2  9.80  9.84  9.97 10.00 10.02 10.04 10.07 10.24

2000五輪 -0.3  9.87  9.99 10.04 10.08 10.09 10.13 10.17 DNF

2001   -0.2  9.82  9.94  9.98  9.99 10.07 10.11 10.24 ( 9.85=2)

2003   ±0.0 10.07 10.08 10.08 10.13 10.21 10.22 (10.08=4)(10.11=5)

2004五輪 +0.6  9.85  9.86  9.87  9.89  9.94 10.00 10.10 DNF

2005   +0.4  9.88 10.05 10.05 10.07 10.09 10.13 10.14 10.20

2007   -0.5  9.85  9.91  9.96 10.07 10.08 10.14 10.23 10.29

2008五輪 ±0.0  9.69  9.89  9.91  9.93  9.95  9.97 10.01 10.03

2009   +0.9  9.58  9.71  9.84  9.93  9.93 10.00 10.00 10.34

2011   -1.4  9.92 10.08 10.09 10.19 10.26 10.26 10.27 10.95

2012五輪 +1.5  9.63  9.75  9.79  9.88  9.94  9.98 11.99 ( 9.80=4)

2013   -0.3  9.77  9.85  9.95  9.98  9.98 10.04 10.06 10.21

2015   -0.5  9.79  9.80  9.92  9.92  9.94  10.00 10.00 10.00

2016五輪 +0.2  9.81  9.89  9.91  9.93  9.94  9.96 10.04 10.06

2017   -0.8  9.92  9.94  9.95  9.99 10.01 10.08 10.17 10.27

2019   +0.6  9.76  9.89  9.90  9.93  9.97 10.03 10.07 10.08

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最高記録     9.58  9.71  9.79  9.88  9.93  9.96 10.00 10.00

五輪最高     9.63  9.75  9.79  9.88  9.94  9.96 10.00 10.03

世界選手権最高  9.58  9.71  9.84  9.92  9.93  9.96 10.00 10.00


これからすると、その時の風速にもよるが、9秒台ならば6位以内濃厚。9秒8台ならば表彰台も……といったところだろうか。

◆五輪&世界選手権の決勝での着順別最高記録◆
ただし、決勝で「史上最高のハイレベルなレース」が展開された場合にどれくらいの順位が見込まれるのかというデータが「表3」だ。
【表3/五輪&世界選手権の決勝での着順別最高記録】

・「◎」は、他のすべてのレースを含めての着順別最高記録を示す。

着順  オリンピック    世界選手権     五輪&世界選手権以外での最高

1着 9.63 1.5 2012年  9.58◎0.9 2009年

2着 9.75 1.5 2012年  9.71◎0.9 2009年

3着 9.79◎1.5 2012年  9.84 0.9 2009年

4着 9.88◎1.5 2012年  9.92 1.2 1991年

5着 9.94 0.6 2004年  9.93◎0.9 2009年

〃  9.94 1.5 2012年

6着 9.96◎0.2 2016年  9.96◎1.2 1991年

7着 10.00◎0.0 2008年  10.00◎0.9 2009年  10.00◎0.9 2010年 リエティ

〃            10.00◎-0.5 2015年

8着 10.03 0.0 2008年  10.00◎-0.5 2015年


以上の通りで、これまでの「史上最高レベル」は、トータルでは五輪が2012年ロンドン大会、世界選手権は2009年ベルリン大会と言えそうだ。しかし、四半世紀以上も前の1991年東京世界選手権も当時としては史上最高レベルで、優勝したカール・ルイス(アメリカ)が9秒86の世界新、以下2~6着と8着が着順別の世界最高で、6人が9秒台で走った史上初のレースだった。

◆山縣・小池・多田のピッチとストライド◆
以下は、今回のオリンピックの見どころや展望とは直接の関係はないが、「データの楽しみ方」ということで紹介しておこう。


「表4」は、山縣、小池、多田が自己ベストをマークした時の平均ピッチ・平均ストライドを計測したデータだ。計測は、インターネットの動画サイトにアップされているものをスロー再生して100mに要した歩数をカウントし、「平均ピッチ」「平均ストライド」「ストライドの身長比」を算出した。なお、最後の一歩はスロー動画をコマ送りや静止画面にして定規を当てて計測したが、0.1~0.2歩程度の誤差があるかもしれないことをお断りしておく。

なお、日本陸連科学委員会・バイオメカニクス測定チームが公表しているデータの歩数と異なっている場合がある。科学委員会の歩数の勘定の仕方は、フィニッシュライン手前に最後の一歩が接地した瞬間のタイムとラインを超えて次の一歩が接地した瞬間のタイムを求め、それらと正式タイムとの比率を求めて算出している。例えばフィニッシュライン手前の最後の一歩が47歩目でそれが接地した瞬間が9秒94で、ラインを越えた次の48歩目が接地した瞬間のタイムが10秒15で、正式記録が10秒00であった場合、「0秒06:0秒15」でその比率は「28.6%:71.4%」となり、「47.3歩」とカウントするというものだ。このため、「見た目の歩数」とは異なる場合がある。しかし、動画が残っているたくさんのレースの歩数を科学委員会と同じ方法で算出することはできないため、ここでは上述の「見た目の歩数」を採用した。
【表4/山縣・小池・多田の平均ピッチと平均ストライド、ストライドの身長比】
・山縣亮太(177cm・70kg)
9.95(+2.0) 47.8歩 4.804歩/秒 209.2cm 118.2%
・小池祐貴(173cm・75kg)
9.98(+0.5) 51.0歩 5.110歩/秒 196.1cm 113.3%
・多田修平(176cm・66kg)
10.01(+2.0) 47.9歩 4.785歩/秒 208.8cm 118.6%

参考までに、当時の日本記録であった「9秒台」の桐生とサニブラウンは、
・桐生祥秀(176cm・70kg)
9.98(+1.8) 47.1歩 4.719歩/秒 212.3cm 120.6%
・サニブラウンAハキーム(188cm・83kg)
9.97(+0.8) 43.7歩 4.383歩/秒 228.8cm 121.7%


ちなみに、ウサイン・ボルト(ジャマイカ/196cm・86kg)が9秒58の世界記録(2009年/ベルリン世界選手権)で走った時、100mに要した歩数は、「40.92歩」で、平均ストライドが「244.4cm」、平均ピッチが「4.271歩」、ストライドの身長比が「124.7%」。最高速度が出た時の平均ストライドは「275cm」。またラスト20mの平均ストライドは「285cm」で、最後の1歩は「302cm」だった。

実際のレースにおいてリアルタイムで総歩数を数えるのは困難であろうが、TV中継でスロー再生されるであろう画面から、注目する選手の歩数をカウントして上記のデータと比較してみるのも「楽しみ方」のひとつだ。

◆山縣・小池・多田の最高速度とその出現区間◆
「表5」は、山縣・小池・多田が自己ベストをマークした時の最高速度とその出現区間、そしてその時のピッチとストライドだ。
【表5/山縣・小池・多田の最高速度と出現区間、最高速度時のピッチ・ストライド、身長比、総歩数】
・日本陸連科学委員会の測定データ(身長比は筆者が追加)

 氏名  記録     最高速度  出現区間 ピッチ   ストライド 身長比 歩数

山縣亮太  9.95(+2.0)11.62m/秒  55m 5.00歩/秒 232cm 131.1% 47.9歩

小池祐貴  9.98(+1.8)11.58m/秒  55m 5.43歩/秒 213cm 123.1% 51.3歩

多田修平 10.01(+2.0)11.52m/秒  55m 5.04歩/秒 228cm 129.5% 48.1歩


最高速度の出現区間はいずれも55m(50~60mの区間)。10秒0前後の日本人選手のほとんどがこの区間で最高速度をマークしている。なお、桐生祥秀が9秒98で走った時は65m(60~70mの区間)で、日本人選手としては、極めて珍しい。ボルトをはじめとする9秒台の外国人選手のほとんどは65m地点(60~70m地点)が多い。

先に3選手の「平均ピッチ」「平均ストライド」のデータを示したが、最高速度が出た時点でのそれは、3選手ともピッチが1秒間に0.2~0.3歩早く、ストライドが20cmくらい大きい。

ちなみに、ボルトが9秒58の世界記録で走った時(2009年ベルリン世界選手権)のトップスピードは、世界陸連の資料によると70~80mを0秒80で走っていて秒速は「12.50m」、時速「45.0㎞」である(他の資料には、「秒速12.35m」「時速44.5㎞」というものもある)。

以下は、日本選手権前に「記録と数字で楽しむ第105回日本選手権」の拙稿(男子100m・番外編/https://www.jaaf.or.jp/news/article/15003/?category=2&year=2021&month=6)で紹介したものに少々加筆したものだ。

日本陸連科学委員会が1991年から2016年までに蓄積してきた国内外の200人を超える選手(延べ919回。9秒58~11秒58で追風参考記録も含み、その平均と標準偏差は10秒44±0秒22)の最高速度(X。m/s)と記録(Y。秒)の関係を示す一次回帰式は、


Y=-0.7270X+18.47

r=-0.966

P<0.001


その相関係数(r)は、「-0.966」で統計学的にみて非常に高い負の相関が認められる(0.1%水準で有意)。この「X」に山縣・小池・多田の自己ベスト時の最高速度「11.62m/s」「11.58m/s」「11.52m/s」を代入すると、その推定記録は山縣「10秒03(10秒023)」、小池「10秒06(10秒052)」、多田「10秒10(10秒095)」となる。

また、上記の延べ919回のデータのうち、公認条件下での自己ベストに限るとその対象は207人で、回帰方程式は、

Y=-0.7378X+18.60

r=-0.974

P<0.001


この式に3人の最高速度を当てはめると、山縣「10秒03(10秒027)」、小池「10秒06(10秒057)」、多田「10秒11(10秒101)」という数字になる。

つまり、3選手とも「最高速度からの100mの推定記録」は、「10秒03」「10秒06」「10秒10あたり」だったが実際にはそれよりも0秒08から0秒09速い「9秒95」「9秒98」「10秒01」で走ったのだった。

ちなみに、ボルトの最高速度「12.50m」あるいは「12.35m」を上述の日本陸連科学委員会の回帰式に当てはめると、「9秒39」と「9秒50」というタイムになる。

話を日本人3選手に戻し、最高速度からの推定よりも0秒08や0秒09も速く走れた要因を探る。

山縣が9秒95、多田が10秒01で走った6月の布勢スプリントでの10m毎の具体的な通過タイムは、残念ながら筆者は把握していないが、日本陸連科学委員会が公表したスピード曲線のグラフからすると35m(実際は40m地点)までに多田と山縣は素晴らしいダッシュ(加速)で飛び出している。なおグラフに記されている桐生祥秀と小池が9秒98を出した時の10m毎のタイムは日本陸連発行の「陸上競技研究紀要(2017年と2019年)」に掲載されている。

山縣の最高速度「11.62m/s」から逆算すると、50~60mの区間タイムは「0秒86」、多田の「11.52m/s」は「0秒87」。桐生と小池の具体的なタイムとグラフでの山縣・多田との差、あるいはグラフの数値を読み取って山縣と多田の10m毎のタイムを算出し、グラフにはない最初の10mも逆算すると、以下のようになる。ただし、あくまでも筆者がグラフから読み取って推定した数字なので、±0秒01程度の誤差があるかもしれない。

【表6/山縣・桐生・小池・多田の10m毎の比較】

・山縣・多田は、陸連科学委員会の走速度曲線から筆者が推定

--  山縣亮太   桐生祥秀   小池祐貴   多田修平

距離 通過 10m毎 通過 10m毎 通過 10m毎 通過 10m毎

10m 1.84 1.84  1.85 1.85  1.88 1.88  1.84 1.84

20m 2.88 1.04  2.92 1.07  2.91 1.03  2.87 1.03

30m 3.81 0.93  3.87 0.95  3.85 0.94  3.80 0.93

40m 4.70 0.89  4.77 0.90  4.74 0.89  4.69 0.89

50m 5.57 0.87  5.64 0.87  5.61 0.87  5.56 0.87

60m 6.43 0.86  6.50 0.86  6.47 0.86  6.43 0.87

70m 7.29 0.86  7.36 0.86  7.34 0.87  7.30 0.87

80m 8.16 0.87  8.22 0.86  8.21 0.87  8.18 0.88

90m 9.05 0.89  9.09 0.87  9.09 0.88  9.08 0.90

100m 9.95 0.90  9.98 0.89  9.98 0.89  10.01 0.93



上記のデータからすると山縣は最初の10mで桐生に0秒01先行し、以後のタイム差を20mで0秒04差、30mで0秒06差、40mで0秒07差、50mも60mも70mも0秒07差。ラスト30mから桐生の逆襲が始まり、80mで0秒06差、90mで0秒04差、そして0秒03差になったところがフィニッシュラインとなった計算だ。

また、山縣と小池は最初の10mで0秒04差、以後、0秒03差、0秒04差で60mまで、70mと80mで0秒05差に。最後の20mで0秒04差、0秒03差に小池が縮めたところでフィニッシュという格好だった。

山縣と多田は、20~50mあたりで多田が僅かに先行し、60m付近で山縣が並び最後の10mで多田を突き放したような格好だ。

山縣が2018年8月26日のジャカルタ・アジア競技大会で10秒00で走った時との比較は以下の通り。

【表7/山縣の9秒95と10秒00の10m毎の比較】
--  9秒95  通算差   10秒00

距離 通過 10m毎     通過 10m毎

10m 1.84 1.84  -0.01  1.83 1.83

20m 2.88 1.04  0.00  2.88 1.05

30m 3.81 0.93  0.01  3.82 0.94

40m 4.70 0.89  0.02  4.72 0.90

50m 5.57 0.87  0.02  5.59 0.87

60m 6.43 0.86  0.02  6.45 0.86

70m 7.29 0.86  0.03  7.32 0.87

80m 8.16 0.87  0.04  8.20 0.88

90m 9.05 0.89  0.04  9.09 0.89

100m 9.95 0.90  0.05  10.00 0.91


10秒00の時の前半50mが5秒59で後半が4秒41。9秒95の時は、前半5秒57で後半4秒38。前半で0秒02短縮、後半で0秒03短縮した。


1991年・東京世界選手権のデータと山縣の9秒95の10m毎を比較すると以下のようになる。

30年も前のレースだが、優勝したカール・ルイスが9秒86(+1.2)の世界新で、「9秒台が6人」というその時点での「史上最速レース」だった。

【表8/1991東京世界選手権の山縣の10m毎通過タイム相当順位】
・「RT」はリアクションタイム

RT 0.127 5位

10m 1.84 4位(トップと0秒04差。2位と0秒03差。3位と0秒02差)

20m 2.88 2位(トップと0秒01差)

30m 3.81 4位(トップと0秒02差。2位と0秒01差=2人)

40m 4.70 4位(トップと0秒02差=3人がトップ)

50m 5.57 4位(トップと0秒03差。2位と0秒02差=2人)

60m 6.43 4位(トップと0秒02差=2人。3位と0秒01差)

70m 7.29 3位(トップと0秒01差=2人)

80m 8.16 5位(トップと0秒04差。2位と0秒03差。3位と0秒02差)

90m 9.05 5位(トップと0秒05差。2位と0秒04差。3位と0秒03差)

100m 9.95 5位(トップと0秒09差。2位と0秒07差。3位と0秒04差)



東京・世界選手権の実際のレースの結果は、

1) 9.86=世界新(当時)

2) 9.88=従来の世界記録(9.90)を上回る

3) 9.91

4) 9.92=国別新

5) 9.95=国別新

6) 9.96=国別新

7)10.12

8)10.14



で、山縣は「5位相当」だったが、前半というか、20m地点から70m地点までトップと0秒01~0秒03以内で、「メダル圏内」にいたことになる。布勢のレースでの10m以降の加速がとにかく素晴らしかったということだ。世界新で優勝した後半型のルイスよりも70m地点では前にいたことになる(ルイスは、7秒30=5位)。最終的に2~4着だった選手(9秒88、9秒91、9秒92)と70m地点まで堂々と渡り合えるタイムだったことからして、前半はやはり「9秒90前後のペース」だったといえそうだ。50m付近まで山縣を僅かにリードした多田も同様で、70m付近までは「メダル圏内」にいたことになる。

また、ボルトが9秒58の世界新で世界選手権史上最もハイレベルなレースとなった2009年ベルリン大会(+0.9)では入賞者の20m毎の通過タイムが公表されているが、これと山縣・小池・多田のそれを比較し各地点での相当順位を示すと以下の通りだ。
【表9/2009ベルリン世界選手権の山縣・小池・多田の20m毎通過タイム相当順位】
・「RT」はリアクションタイム

-- 山縣亮太   小池祐貴   多田修平

RT 0.127=3位  --     0.125=3位

20m 2.88=1位  2.91=3位  2.87=1位

40m 4.70=2位  4.74=6位  4.69=2位

60m 6.43=4位  6.47=5位  6.43=4位

80m 8.16=4位  8.21=6位  8.18=5位

100m 9.95=6位  9.98=6位  10.01=8位



ベルリン・世界選手権の実際のレースの結果は、

1) 9.58=世界新

2) 9.71=国別新

3) 9.84

4) 9.93

5) 9.93

6)10.00

7)10.00

8)10.34


こちらでも、山縣と多田は前半はメダル圏内の飛び出しで、前半は9秒7台か8台のペースで走ったことになる。小池も20mまでメダル圏内のスタートダッシュで、その後も5~6位をキープしたことになる。

さらに、これまた上述の日本選手権前の拙稿で紹介したが、2015年の宮代賢治さん(筑波大大学院。現在は、日本文化大)らの研究「男子100m走における記録・身長・風速別の標準通過時間および標準区間時間」による「9秒95」と「9秒90」の標準的タイムと比較すると、


------------- 身長177cmの選手が追風2.0mで走った場合

距離 山縣  小池  多田  9秒95標準タイム  9秒90標準タイム

30m 3.81  3.85  3.80  3.85(3.847)  3.84(3.834)

60m 6.43  6.47  6.43  6.46(6.458)  6.44(6.432)

90m 9.05  9.09  9.08  9.05(9.048)  9.01(9.005)

100m 9.95  9.98  10.01  9.95       9.90


以上の通りで、多田と山縣の30m通過3秒80と3秒81は、9秒90の標準タイム(3秒84)をも上回っている。ということは、「9秒8台」の素晴らしいスタートダッシュだったということで、回帰式をもとに30m3秒80と3秒81に相当する100mの推定値を計算すると、「9秒79」と「9秒80」だ。

ただし、回帰式による推定値のばらつき(推定値の標準誤差)は、30mの標準通過タイム±0秒033(統計学的には、正規分布であるとすれば全体の約68%がこの範囲内に収まる。60m通過の標準誤差は±0秒033、90mは±0秒015)なので、9秒95の場合は30m通過の範囲は「3秒814~3秒880」、9秒90の場合は「3秒801~3秒867」となる。多田と山縣の30m通過タイムは、9秒90の範囲内の速い方に収まる。いずれにしても、多田と山縣が「9秒8台」に相当しそうな素晴らしいスタートダッシュで飛び出したことは確かだ。また、60m通過の多田6秒43と山縣6秒44は、9秒90の標準タイム6秒44(6秒432)とほぼ同じ。山縣の90m9秒05は、9秒95の標準タイム9秒05(9秒048)とピタリ同じ。

冒頭で紹介した最高速度と100mの記録の回帰式から導かれる3選手の「最高速度」からの100mの推定タイムは山縣「10秒03」、小池「10秒06」、多田「10秒10か10秒11」だったが、布勢のレースでは、山縣と多田は30mまでを「9秒8台ペース」、次の60mでも「9秒90のペース」で走って貯金を作り、終盤も持ちこたえ、推定値を0秒08と0秒09も上回る「9秒95」と「10秒01」につなげたということだ。また、200mを得意とする小池は、終盤のスピード低下を最小限にとどめて推定値を0秒08上回る「9秒98」をマークしたのだ。

最高速度では「11.70m/s」の桐生や他の9秒台の外国人選手と比較してやや劣るかもしれないが、自身の最速に近づくために、早い段階からギアを切り替えていけるところが山縣と多田の持ち味というか特徴といえるだろう。五輪本番でも3人にはそれぞれの特性を生かした素晴らしいレースをしてもらいたい。

◆ブロメルを中心にアメリカ勢が強力布陣◆
「本命」とみられていた19年世界選手権の覇者C・コールマン(アメリカ)が「居場所情報報告違反」で18カ月間の出場停止。

「ファイナリスト」を目指す日本人トリオに立ちはだかる外国勢では、やはりアメリカの3人が強い。コールマンやJ・ガトリン(全米8位で落選)がいなくなっても「メダル独占」もできそうなトリオを東京に送り込んでくる。

その軸は、9秒97のU20世界記録保持者のT・ブロメルで、6月5月に世界歴代7位の9秒77(+1.5)をマークし全米選手権も9秒80(+0.8)で制した。ただ、7月9日のモナコで5着(10秒01/+0.3)に終わったのが気がかり。そのレースを9秒91で勝ったのが3年ぶりの自己新となる9秒85を全米2位でマークしたR・ベイカーだ。3人目は、9秒86のこれまた自己新で全米3位のF・カーリー。カーリーは、19年世界選手権400mの銅メダリストで歴代8位の43秒64を持つが、今季は100mにも参戦してきて3月20日の10秒15(+1.2)から試合の度にベストを伸ばしてきている。その可能性はまだまだ未知数で、今後が楽しみだ。

この間に割って入ってきたのが、7月6日に9秒84(+1.2)のアフリカ大陸新記録をマークしたA・シンビネ(南アフリカ)。世界選手権では17年5位、19年4位の実績を持つ。実績という点では、カナダのA・デグラスの方が上。15・16・19年の世界大会100mですべて銅メダル、200mも16・19年に銀メダルだ。

アメリカトリオに上記の2人、これ以外にエントリー記録で9秒台が十数人いるので、誰が飛び出してくるかわからない。

ボルトの世界記録9秒58や五輪記録9秒63の更新は厳しいだろうが、日本国内でマークされた最高記録は、07年大阪世界選手権で勝ったT・ゲイ(アメリカ)の9秒85(-0.5)なので、「日本国内最高記録」が見られる可能性は十分にありそうだ。


野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)
写真提供:フォート・キシモト

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