第32回南部忠平記念陸上が日本グランプリシリーズ札幌大会として、7月7日、札幌市の厚別公園競技場で開催されました。この大会は、9月末にドーハ(カタール)で開幕する世界選手権のチャレンジミーティング。6月27~30日に福岡で行われた日本選手権の結果を踏まえ、すでに第1次日本代表選手は7月1日に発表されていますが、今後は、随時追加内定(9月6日まで。対象は日本選手権優勝者)および9月7日に予定されている第2次日本代表選手発表に向けて、それらの必須条件となる世界選手権参加標準記録(以下、標準記録)突破を、各選手が目指す段階へと進みます。今大会では、トラック5種目、フィールド9種目をグランプリとして実施。日本選手権から1週間という短いスパンのなか、多くのトップアスリートが出場しました。
グランプリ種目は、午前中はフィールドのみというタイムテーブルが組まれたなか、まず、好記録に盛り上がりを見せたのが女子棒高跳。出場選手8名のうち3選手が記録なしとなるコンディション下で、竜田夏苗選手(ニッパツ)が4m00を2回目にクリアして優勝を決めると、次の4m10は1回で、自己新記録となる4m20を2回目に成功。続いて挑んだ4m30も3回目に越えて、2012年に樹立された日本記録(4m40、我孫子智美)を1cm上回る4m41にバーを上げました。残念ながら、この高さのクリアはならなかったものの、2015年にマークした4m15の自己記録を一気に15cm更新。4m30は日本歴代5位、今季日本最高となる好記録です。
競技終了後、「練習ができていて、いつでもベストが出せるという状態で臨んでいた日本選手権で、“まさかの記録なし”をやってしまっていたので、今日は“絶対に日本記録に挑戦したい”と思っていた。それが達成できてよかった」と声を弾ませた竜田選手は、4年ぶりの自己新達成に「めっちゃ、嬉しい!」と大喜び、4m30の試技については、「1・2回目は急に横風になって止まってしまうなど迷いがあったが、3回目は握り(の位置)を上げて跳んだら、“はまった”という感じ。動き自体は日本選手権のほうがよかったし、クリアした感触も全然なかったが、リラックスした助走ができていたと思う」と振り返りました。
中学生のころから棒高跳に取り組んでいた竜田選手は、武庫川女子大2年時の2012年日本学生個人選手権で初めて全国タイトルを獲得すると、翌2013年の日本選手権で4m10の自己ベストを跳び初優勝。日本インカレを制したほか、日本代表としてアジア選手権(6位)やアジア室内(4位)に出場するなど、大学3年時に大きな躍進を見せました。社会人1年目の2015年にも日本選手権で4m15の自己記録をマークして2回目の優勝を果たしましたが、その後、故障して練習すらできない期間が続いたり、所属先や練習拠点の変更が重なったりして、思うような結果が出せない状態に苦しみました。
「もう何回も“やめようか”と思ったが、そのたびに近くで助けてくれる人がいたおかげで、今に至っている」と竜田選手。2017年春にニッパツ(日本発条株式会社)の所属となってからは、3歳で始めて12歳まで続けていた体操競技を改めて習い直すなど、さまざまなことに取り組むなかで「時間をかけながら徐々に」動ける身体を取り戻し、再浮上の土台をつくり直してきました。さらに、並行して世界一のバネメーカーとして知られる同社内で、竜田選手が使用するポールを製作するプロジェクトが立ち上がり、約1年半の期間をかけてオーダーメイドのポールが完成。今回も、その自社製ポールで臨んだ試合でした。
女子棒高跳の世界選手権標準記録は4m56。以前に比べると、その水準が大きく引き上げられ、日本の女子にはかなりハードルの高い記録となっています。しかし、竜田選手は「外国の選手が跳べているのに、私たち(日本人)の記録が停滞しているのはおかしいと思っている」というスタンス。その一方で、実現に向けてのアプローチについては、「4m15(が自己記録)のときに“4m56を跳ぶ”と思いすぎて、理想と現実のギャップに気が病んだりしていたので、今はとにかく1本ずつと思っている。“次は、(4m)40、次は(4m)50”というふうにクリアしていけたら」と話しました。初めて挑戦した4m41の感想を求めると「助走が暴れてしまって、ちゃんとした跳躍に持っていけなかった」と苦笑いしつつも、「そんなに高いとは感じなかった」という頼もしいコメントも。7月27日に出場予定の実業団・学生対抗では、さらなるステップアップを果たす場面が見られるかもしれません。
ミックスゾーンで感想を求められると、日本選手権のときと同様に「(5m)71と80に全く届かなかったことが非常に残念」と答えた澤野選手。原因として「芯の部分の疲れが抜けていない」ことを挙げ、「調子自体はいいのだが、間が1週間だと疲れが抜けきれなくて、数カ所うまく身体が動いてくれない状態があった」ことを明かしました。一方で、「そんななかでも、(1回で成功した5m)51とか、(クリアできなかったものの)61の2回目とかは、いい跳躍はできている。この芯の疲れも、時間があれば回復するもの。そのへんをしっかり踏まえて、次の試合に向けて合わせていきたい」と、向かう道筋に曇りはない様子。7月末ごろを想定している次戦でのクリアに意欲と自信を見せました。成功すれば、日本選手権で11回目の優勝を果たしたあとに参加標準記録をクリアして選出され、本番で日本人選手64年ぶり、自身初の入賞(7位)を達成した2016年リオデジャネイロオリンピック以来となる日本代表入り。世界選手権としては実に7回目、2013年モスクワ大会以来の出場が実現することになります。
なお、男子棒高跳には、十種競技の日本記録保持者(8308点)で、すでにドーハ世界選手権の代表に決まっている右代啓祐選手(国士舘クラブ)が出場しました。棒高跳では5m00の自己記録を持つ右代選手は、この日は最初の高さとなった4m61を越えることができず記録なしにとどまりましたが、5大会連続となる世界選手権代表入りを決めて最初となる試合を故郷の北海道で迎えたことで、たくさんの地元ファンから温かい声援が飛んでいました。
石堂選手は、小学生のころから陸上競技に取り組み、小学6年の2014年には全国小学生交流大会走幅跳で、中学1年の2015年にはジュニアオリンピックCクラス走幅跳で、それぞれ優勝、3年時の2017年には100mで全日中を制している経歴の持ち主。昨年のインターハイでは3走を務めた4×100mRで優勝を経験するとともに100mでも1年生ながら決勝に進出(8位)。また、U18日本選手権3位、国体(少年B)2位の実績も上げています。今季は、5月に11秒73(-0.2)の自己新記録をマーク。日本選手権では決勝に駒を進めて8位入賞を果たし、南部記念を迎えていました。
「予選を自己ベストで走れて、周りとの差もそんなになかったので、(決勝は)行けるかなと思っていた」と振り返った石堂選手は、この大会に向けては「スタートから中盤にかけてのところで周りに離されてしまった」という日本選手権の反省をもとに、スタートに重点を置いた取り組みをしてきたと言います。決勝は、「スタートしたときに前に出られた感覚があった。自分は中盤から後半が得意なので“行ける”と思った」という手応えのあったレースでした。「決勝では11秒5台を狙っていた。一応目標は達成できたが追い風参考記録。公認(のほう)がよかった」と記録に関しては、ちょっぴり悔しそうな様子も。しかし、次の目標を問われると、御家瀬選手をはじめレベルの高い戦いが予想される沖縄インターハイを挙げ、「100m・200mで優勝すること」と力強い言葉を聞かせてくれました。
11秒64の同記録ながら2位・3位の着順がついたのは、土井選手と寺田明日香選手(パソナグループ)の2人でした。先着した土井選手は、今季は、春先から連戦して右肩上がりの復調傾向を見せてきた選手ですが、その連戦のために「どうしても調整でつないでいく形となってしまい、練習不足でスカスカになっている」ことを感じていたと言います。今後、秋シーズンに向けて「一度練習に焦点を合わせてやっていく」時期を設ける計画で、2週間後に想定しているレースも、練習の一環という位置づけで、調整なしで200mに臨む予定。「記録や勝負を意識して肩に力が入りがちだった100mの走りが、200mを走ることでどう変わってくるか楽しみ」と意欲を見せていました。
一方、今季、6年ぶりに競技復帰し、日本選手権100mHで1位と0.02秒差の3位(13秒16)の成績を上げた寺田選手にとっては、復帰初戦以来(4月7日)の100mでしたが、予選で、高校3年の2007年インターハイを制したときに出した自己記録11秒71を更新する11秒63(+0.8)をマーク。追い風参考記録となった決勝も11秒64と、11秒6台で揃えました。競技後、ミックスゾーンでは「高3のインターハイ以来のベストだから、何年ぶり? 1年ぶりくらい?」と、まず報道陣を笑わせた寺田選手ですが、一方で「私は(100mHで)12秒6を目指しているが、そのためには100mでも11秒4とか3とかで走れるようでないと」とコメント。「100mも100mHも課題は山積みだが、100mのスピードを上げていくという点では、1歩進めてよかったかなと思う」と評価していました。
また、この種目には、中学生時代からトップランカーとして女子短距離を牽引し、高校、大学、社会人になってからも北海道を拠点に長年活躍し続けてきた北風沙織選手(北海道ハイテクAC、4×100mR日本記録保持者)が、昨年の出産を経て今季から競技会復帰。小学5年から出場経験している思い出深いこの大会にも3年ぶりに戻ってきました。上位争いには絡むことができなかったものの、予選11秒98(+0.8、5着)、決勝11秒96(+2.3、7位)と2本続けて11秒台をマーク。レース後、お年寄りから子どもたちまで幅広い年齢の人々が、北風選手に祝福や労いの声をかけていく様子がとても印象的でした。
この種目の世界選手権標準記録は49秒30。松下選手は日本選手権でシーズンベストの49秒47をマークして3位に食い込んだものの、今季日本リスト1位(48秒80)・2位(49秒05)の好タイムで上位を占めた安部孝駿選手(ヤマダ電機)、豊田将樹選手(法政大)に続く突破はならず。それだけに、この南部記念で“3人目の突破者”となるべく、高い体調とモチベーションを維持した状態で当日を迎えていました。ウォーミングアップの時間帯にサブトラックが強い風に見舞われていたために、「試合直前にやっておきたいことが思うようにできず、いいイメージが持てなかった」ことがレースに響いたと言いますが、そんななかでも競り合いになった終盤で、「15歩で走る8~10台目で、ぴったり合った選手が勝つと思ったので、無理に身体を動かすことよりも、15歩をしっかり合わせにいくことを意識した」と、世界選手権準決勝進出(2015年北京大会)、2016年リオ五輪出場の経験も持つ実力者ならではのテクニックを披露。「10台目をうまく越えることができたので、その差で前に出られたと思う」と勝因を振り返りました。レース結果のアベレージ自体も徐々に安定し、「何か1つ、“ばしっ”と条件が合えば、48秒台を狙える位置にはいると思う」と手応えはつかめている様子。7月中旬に2戦を予定しているベルギーでのレースで、自身初となる48秒台突入を狙っていきます。
男子に続いて行われた女子400mHは、昨年のアジア大会(7位)、コンチネンタルカップ(8位)、今年4月のアジア選手権(4位)で日本代表に選出されている宇都宮絵莉選手(長谷川体育施設)が、57秒96の大会新記録で優勝。女子最優秀選手にも選ばれました。
宇都宮選手は、1週間前の日本選手権決勝で、リードを奪って迎えた第8ハードルの踏み切りが合わず、手でハードルを倒してしまい失格。2連覇を逃す悔しい結果に終わっています。ただし、これは世界選手権標準記録(56秒00)に迫ることを狙って挑戦した、いわば攻めのレース展開ゆえの失敗。それゆえに、「終わってすぐに気持ちも、“次の大会”と、わりと前向きになれていた」そうで、「ちょっと調整が難しいところもあったが、日本選手権のことはいったん忘れて、気持ちよく自分らしい走りをしたいなと思って」、この南部記念に臨んでいました。走る前は「正直、不安もあった」と明かしつつ、「それでも落ち着いて自分のレースができた」と、ホッとして様子でレースを振り返ると、「タイムとしては全然ダメだが、もう1回、ここからしっかりコツコツやっていきたいなと思えたレースとなった」と笑顔を見せていました。
予選を全体トップとなる13秒60(+1.4)で通過して臨んだ決勝では、「できれば13秒3台を」という意識でいた金井選手ですが、1回目のスタートで、今季13秒60まで復調し、予選で13秒63をマークしていた矢澤航選手(デサント)がフライングで失格。レースは、「(日本選手権の失格が思い起こされて)ちょっと怖かった。いつもよりもワンテンポくらい遅かった」と、のちに金井選手が振り返った2回目の号砲でスタートしました。勝負は、金井選手と、2017年ユニバーシアード2位、2018年アジア大会2位、4月のアジア選手権3位と、対戦したいずれの試合でも金井選手に先着し、記録的にも今年5月に13秒34で走って、アジア大会、アジア選手権の2大会で自身がマークしていた13秒39のナショナルレコードを更新している陳奎儒選手(チャイニーズタイペイ)とが競り合う展開に。前半は金井選手がわずかに前に出たものの本来の飛び出しには至らず、早い段階で陳選手に並ばれることとなりました。両者は激しく競り合いながら13秒44(+2.7)の同タイムでフィニッシュしましたが、写真判定によって着差がつき、優勝は陳選手、金井選手が2位という結果となりました。
レース直後は、「勝ちきれず、内容も満足がいくものではなかったので、悔しさのほうが大きい」と振り返った金井選手ですが、取材を続けていくうちに「まずはゴールできてよかった」「入賞できてよかった」という言葉が飛び出し、安堵の思いの大きさもうかがえました。また、今回の走りそのものについては、「(インターバルを)刻んでいる感覚がなかった」点を指摘。それは、この冬、スプリントトレーニングを多く取り入れたことにより生じたもので、100m自体のスピードは上がった一方で、ハードル走で求められるインターバルを速く刻む走りと、ずれが生じてしまっていることが原因だといいます。すでに修正には取り組んでいるものの、「まだ完全ではないという感じ」という状態。しかし、ベースとなるスピードの底上げができているだけに、この課題をクリアすることができれば、「(東京オリンピック参加標準記録の)13秒32をターゲットに、身体の状態をしっかり合わせて狙う試合で狙っていく」という東京オリンピックに向けた青写真は、早ければ7月12日から予定しているヨーロッパ遠征で実現するかもしれません。
また、女子やり投は、北海道出身で日本記録保持者の北口榛花選手(日本大)はユニバーシアードと重なったためエントリーしませんでしたが、日本選手権で日本歴代3位の62m88を投げ、世界選手権標準記録(61m50)を突破して2位となった森友佳選手(ニコニコのり)が好調を維持。2度目の60mオーバーはなりませんでしたが、セカンドベストの59m81で優勝しました。
男子やり投は、日本選手権覇者の新井涼平選手(スズキ浜松AC)がこの大会での標準記録突破を狙っていましたが、風邪による体調不良からの回復が間に合わず、残念ながら欠場となりました。優勝したのは、日本選手権2位の小椋健司選手(日本体育施設)。4月の織田記念を制した際にマークした78m66の自己ベストを1cm更新する78m67を2回目に投げて、日本グランプリシリーズ2勝目を飾っています。
第14回大会(2001年)以来の実施となった男子ハンマー投は、1回目からトップに立った柏村亮太選手(ヤマダ電機)が4回目に69m33まで記録を伸ばして優勝。女子砲丸投は、太田亜矢選手(福岡大クラブ)が15m10で2連覇を達成しました。
男子走幅跳と男女三段跳は、強い追い風のなかで行われたために、出場選手が踏み切りを合わせるのに苦労する形となりました。男子走幅跳を制したのは下野伸一郎選手(九電工)。4回目に7m99(+4.8)を跳んで首位に立つと、5回目に唯一8m台に記録を載せる8m02(+4.4)をマークしました。日本選手権を制した山下航平選手(ANA)が足首の痛みの影響で欠場した男子三段跳は、2回目に16m05(+3.7)をマークした斎田将之介選手(ユメオミライ)がV。女子三段跳は、日本選手権チャンピオンの森本麻里子選手(内田建設アスリートクラブ)が2回目(+3.4)と3回目(+2.5)で13m20を跳び、静岡国際に続いて日本グランプリシリーズ2連勝を果たしています。
文・写真:児玉育美(JAAFメディアチーム)
>>日本グランプリシリーズ特設サイトはこちら
■棒高跳の女子は竜田選手が日本歴代5位の4m30をクリア! 日本記録にも挑戦!
大会当日の厚別陸上競技場は、朝から真っ青な空に白い雲が流れる好天気に恵まれ、気温25℃前後、湿度50%台と、この時期の北海道らしい、さわやかな気候に。低く雲が垂れ込め、身体にまとわりつくような蒸し暑さや雨が続いた1週間前の日本選手権とは対照的な天気となりました。ただし、風はやや強めで、ホームストレートは向かい風基調。バックストレートで行われた男女棒高跳は、追い風となるようにピットが設定されたものの、時折り風が回って、やや難しいコンディションのなかでの競技となりました。グランプリ種目は、午前中はフィールドのみというタイムテーブルが組まれたなか、まず、好記録に盛り上がりを見せたのが女子棒高跳。出場選手8名のうち3選手が記録なしとなるコンディション下で、竜田夏苗選手(ニッパツ)が4m00を2回目にクリアして優勝を決めると、次の4m10は1回で、自己新記録となる4m20を2回目に成功。続いて挑んだ4m30も3回目に越えて、2012年に樹立された日本記録(4m40、我孫子智美)を1cm上回る4m41にバーを上げました。残念ながら、この高さのクリアはならなかったものの、2015年にマークした4m15の自己記録を一気に15cm更新。4m30は日本歴代5位、今季日本最高となる好記録です。
競技終了後、「練習ができていて、いつでもベストが出せるという状態で臨んでいた日本選手権で、“まさかの記録なし”をやってしまっていたので、今日は“絶対に日本記録に挑戦したい”と思っていた。それが達成できてよかった」と声を弾ませた竜田選手は、4年ぶりの自己新達成に「めっちゃ、嬉しい!」と大喜び、4m30の試技については、「1・2回目は急に横風になって止まってしまうなど迷いがあったが、3回目は握り(の位置)を上げて跳んだら、“はまった”という感じ。動き自体は日本選手権のほうがよかったし、クリアした感触も全然なかったが、リラックスした助走ができていたと思う」と振り返りました。
中学生のころから棒高跳に取り組んでいた竜田選手は、武庫川女子大2年時の2012年日本学生個人選手権で初めて全国タイトルを獲得すると、翌2013年の日本選手権で4m10の自己ベストを跳び初優勝。日本インカレを制したほか、日本代表としてアジア選手権(6位)やアジア室内(4位)に出場するなど、大学3年時に大きな躍進を見せました。社会人1年目の2015年にも日本選手権で4m15の自己記録をマークして2回目の優勝を果たしましたが、その後、故障して練習すらできない期間が続いたり、所属先や練習拠点の変更が重なったりして、思うような結果が出せない状態に苦しみました。
「もう何回も“やめようか”と思ったが、そのたびに近くで助けてくれる人がいたおかげで、今に至っている」と竜田選手。2017年春にニッパツ(日本発条株式会社)の所属となってからは、3歳で始めて12歳まで続けていた体操競技を改めて習い直すなど、さまざまなことに取り組むなかで「時間をかけながら徐々に」動ける身体を取り戻し、再浮上の土台をつくり直してきました。さらに、並行して世界一のバネメーカーとして知られる同社内で、竜田選手が使用するポールを製作するプロジェクトが立ち上がり、約1年半の期間をかけてオーダーメイドのポールが完成。今回も、その自社製ポールで臨んだ試合でした。
女子棒高跳の世界選手権標準記録は4m56。以前に比べると、その水準が大きく引き上げられ、日本の女子にはかなりハードルの高い記録となっています。しかし、竜田選手は「外国の選手が跳べているのに、私たち(日本人)の記録が停滞しているのはおかしいと思っている」というスタンス。その一方で、実現に向けてのアプローチについては、「4m15(が自己記録)のときに“4m56を跳ぶ”と思いすぎて、理想と現実のギャップに気が病んだりしていたので、今はとにかく1本ずつと思っている。“次は、(4m)40、次は(4m)50”というふうにクリアしていけたら」と話しました。初めて挑戦した4m41の感想を求めると「助走が暴れてしまって、ちゃんとした跳躍に持っていけなかった」と苦笑いしつつも、「そんなに高いとは感じなかった」という頼もしいコメントも。7月27日に出場予定の実業団・学生対抗では、さらなるステップアップを果たす場面が見られるかもしれません。
■男子棒高跳は澤野選手が2年連続4回目の優勝果たすも、標準記録突破はならず
午後からの競技開始となった男子棒高跳には、日本記録保持者(5m83)の澤野大地選手(富士通)が出場しました。今年9月に39歳となる大ベテラン。雨の影響で日本選手権(5m51、2位)での達成がかなわなかった5m71(世界選手権標準記録)と5m80(東京オリンピック標準記録)のクリアが、その目標です。この日も5m41から跳躍をスタート。1回失敗したものの2回目でクリアすると、次の5m51は1回で成功して、ここで2年連続4回目の優勝を確定させましたが、続いて挑んだ5m61を攻略することができず、5m51で競技を終えました。ミックスゾーンで感想を求められると、日本選手権のときと同様に「(5m)71と80に全く届かなかったことが非常に残念」と答えた澤野選手。原因として「芯の部分の疲れが抜けていない」ことを挙げ、「調子自体はいいのだが、間が1週間だと疲れが抜けきれなくて、数カ所うまく身体が動いてくれない状態があった」ことを明かしました。一方で、「そんななかでも、(1回で成功した5m)51とか、(クリアできなかったものの)61の2回目とかは、いい跳躍はできている。この芯の疲れも、時間があれば回復するもの。そのへんをしっかり踏まえて、次の試合に向けて合わせていきたい」と、向かう道筋に曇りはない様子。7月末ごろを想定している次戦でのクリアに意欲と自信を見せました。成功すれば、日本選手権で11回目の優勝を果たしたあとに参加標準記録をクリアして選出され、本番で日本人選手64年ぶり、自身初の入賞(7位)を達成した2016年リオデジャネイロオリンピック以来となる日本代表入り。世界選手権としては実に7回目、2013年モスクワ大会以来の出場が実現することになります。
なお、男子棒高跳には、十種競技の日本記録保持者(8308点)で、すでにドーハ世界選手権の代表に決まっている右代啓祐選手(国士舘クラブ)が出場しました。棒高跳では5m00の自己記録を持つ右代選手は、この日は最初の高さとなった4m61を越えることができず記録なしにとどまりましたが、5大会連続となる世界選手権代表入りを決めて最初となる試合を故郷の北海道で迎えたことで、たくさんの地元ファンから温かい声援が飛んでいました。
■女子100mは高校2年の石堂選手がシニア勢を制す!
女子100mは、日本選手権を制した地元北海道の御家瀬緑選手(恵庭北高)は欠場しましたが、この大会でも北海道の高校生が活躍しました。優勝したのは、2年生の石堂陽奈選手(立命館慶祥高)。予選で、高校歴代8位タイ、高2歴代4位となる11秒62(+0.8)をマークして、土井杏南選手(JAL、11秒60)に次ぎ2着で通過すると、決勝では2.3mの追い風参考記録ながら11秒57の好記録でシニア勢を制しました。石堂選手は、小学生のころから陸上競技に取り組み、小学6年の2014年には全国小学生交流大会走幅跳で、中学1年の2015年にはジュニアオリンピックCクラス走幅跳で、それぞれ優勝、3年時の2017年には100mで全日中を制している経歴の持ち主。昨年のインターハイでは3走を務めた4×100mRで優勝を経験するとともに100mでも1年生ながら決勝に進出(8位)。また、U18日本選手権3位、国体(少年B)2位の実績も上げています。今季は、5月に11秒73(-0.2)の自己新記録をマーク。日本選手権では決勝に駒を進めて8位入賞を果たし、南部記念を迎えていました。
「予選を自己ベストで走れて、周りとの差もそんなになかったので、(決勝は)行けるかなと思っていた」と振り返った石堂選手は、この大会に向けては「スタートから中盤にかけてのところで周りに離されてしまった」という日本選手権の反省をもとに、スタートに重点を置いた取り組みをしてきたと言います。決勝は、「スタートしたときに前に出られた感覚があった。自分は中盤から後半が得意なので“行ける”と思った」という手応えのあったレースでした。「決勝では11秒5台を狙っていた。一応目標は達成できたが追い風参考記録。公認(のほう)がよかった」と記録に関しては、ちょっぴり悔しそうな様子も。しかし、次の目標を問われると、御家瀬選手をはじめレベルの高い戦いが予想される沖縄インターハイを挙げ、「100m・200mで優勝すること」と力強い言葉を聞かせてくれました。
11秒64の同記録ながら2位・3位の着順がついたのは、土井選手と寺田明日香選手(パソナグループ)の2人でした。先着した土井選手は、今季は、春先から連戦して右肩上がりの復調傾向を見せてきた選手ですが、その連戦のために「どうしても調整でつないでいく形となってしまい、練習不足でスカスカになっている」ことを感じていたと言います。今後、秋シーズンに向けて「一度練習に焦点を合わせてやっていく」時期を設ける計画で、2週間後に想定しているレースも、練習の一環という位置づけで、調整なしで200mに臨む予定。「記録や勝負を意識して肩に力が入りがちだった100mの走りが、200mを走ることでどう変わってくるか楽しみ」と意欲を見せていました。
一方、今季、6年ぶりに競技復帰し、日本選手権100mHで1位と0.02秒差の3位(13秒16)の成績を上げた寺田選手にとっては、復帰初戦以来(4月7日)の100mでしたが、予選で、高校3年の2007年インターハイを制したときに出した自己記録11秒71を更新する11秒63(+0.8)をマーク。追い風参考記録となった決勝も11秒64と、11秒6台で揃えました。競技後、ミックスゾーンでは「高3のインターハイ以来のベストだから、何年ぶり? 1年ぶりくらい?」と、まず報道陣を笑わせた寺田選手ですが、一方で「私は(100mHで)12秒6を目指しているが、そのためには100mでも11秒4とか3とかで走れるようでないと」とコメント。「100mも100mHも課題は山積みだが、100mのスピードを上げていくという点では、1歩進めてよかったかなと思う」と評価していました。
また、この種目には、中学生時代からトップランカーとして女子短距離を牽引し、高校、大学、社会人になってからも北海道を拠点に長年活躍し続けてきた北風沙織選手(北海道ハイテクAC、4×100mR日本記録保持者)が、昨年の出産を経て今季から競技会復帰。小学5年から出場経験している思い出深いこの大会にも3年ぶりに戻ってきました。上位争いには絡むことができなかったものの、予選11秒98(+0.8、5着)、決勝11秒96(+2.3、7位)と2本続けて11秒台をマーク。レース後、お年寄りから子どもたちまで幅広い年齢の人々が、北風選手に祝福や労いの声をかけていく様子がとても印象的でした。
■男女400mHは松下選手と宇都宮選手が優勝
男子400mHは、上位を争っていた7レーンの松下祐樹選手(ミズノ)と8レーンの前野景選手(アンダーアーマー)に、中盤から終盤にさしかかる付近で5レーンの陳傑選手(チャイニーズタイペイ)が追いつき、3者が競り合いながらホームストレートに出てくる展開となりました。9台目を越えた段階では陳選手がリードをややリードしているように見えましたが、最終ハードルのクリアランスで松下選手が少し前に出ると、そのまま逃げきって先着。陳選手を0.04差で抑える49秒56で優勝を果たしました。この種目の世界選手権標準記録は49秒30。松下選手は日本選手権でシーズンベストの49秒47をマークして3位に食い込んだものの、今季日本リスト1位(48秒80)・2位(49秒05)の好タイムで上位を占めた安部孝駿選手(ヤマダ電機)、豊田将樹選手(法政大)に続く突破はならず。それだけに、この南部記念で“3人目の突破者”となるべく、高い体調とモチベーションを維持した状態で当日を迎えていました。ウォーミングアップの時間帯にサブトラックが強い風に見舞われていたために、「試合直前にやっておきたいことが思うようにできず、いいイメージが持てなかった」ことがレースに響いたと言いますが、そんななかでも競り合いになった終盤で、「15歩で走る8~10台目で、ぴったり合った選手が勝つと思ったので、無理に身体を動かすことよりも、15歩をしっかり合わせにいくことを意識した」と、世界選手権準決勝進出(2015年北京大会)、2016年リオ五輪出場の経験も持つ実力者ならではのテクニックを披露。「10台目をうまく越えることができたので、その差で前に出られたと思う」と勝因を振り返りました。レース結果のアベレージ自体も徐々に安定し、「何か1つ、“ばしっ”と条件が合えば、48秒台を狙える位置にはいると思う」と手応えはつかめている様子。7月中旬に2戦を予定しているベルギーでのレースで、自身初となる48秒台突入を狙っていきます。
男子に続いて行われた女子400mHは、昨年のアジア大会(7位)、コンチネンタルカップ(8位)、今年4月のアジア選手権(4位)で日本代表に選出されている宇都宮絵莉選手(長谷川体育施設)が、57秒96の大会新記録で優勝。女子最優秀選手にも選ばれました。
宇都宮選手は、1週間前の日本選手権決勝で、リードを奪って迎えた第8ハードルの踏み切りが合わず、手でハードルを倒してしまい失格。2連覇を逃す悔しい結果に終わっています。ただし、これは世界選手権標準記録(56秒00)に迫ることを狙って挑戦した、いわば攻めのレース展開ゆえの失敗。それゆえに、「終わってすぐに気持ちも、“次の大会”と、わりと前向きになれていた」そうで、「ちょっと調整が難しいところもあったが、日本選手権のことはいったん忘れて、気持ちよく自分らしい走りをしたいなと思って」、この南部記念に臨んでいました。走る前は「正直、不安もあった」と明かしつつ、「それでも落ち着いて自分のレースができた」と、ホッとして様子でレースを振り返ると、「タイムとしては全然ダメだが、もう1回、ここからしっかりコツコツやっていきたいなと思えたレースとなった」と笑顔を見せていました。
■男子110mHの金井選手、陳選手と激戦を展開するも同記録で2位に
女子400mHの宇都宮選手同様に、日本選手権で悔しい思いを味わったのが男子110mH日本記録保持者(13秒36)の金井大旺選手(ミズノ)。準決勝のスタートで、リアクションタイムが規定内となる0.100秒より1000分の1秒速い0.099秒の反応が出たため失格に。連覇を逃しただけでなく、高山峻野選手(ゼンリン)と泉谷駿介選手(順天堂大)が、1年前に自身が日本選手権で樹立した日本記録13秒36で、同タイム着差ありの鍔迫り合いを繰り広げた決勝を、外から見る結果に終わっていました。北海道出身の金井選手にとっては、南部記念の会場の厚別競技場は何度も走ったことのあるトラック。「(日本選手権後は)正直、練習場に行くことすら気が重かったが、この試合があるので気持ちを奮い立たせた」というなか、「苅部(俊二)監督からも、いつも通り思いきって(スタートを)出るようにと言われた。(スタートは)自分の持ち味なので、そこを生かさないと今後の試合も勝てないという思いで、先週のことを思い出さないようして練習して」、この大会を迎えたといいます。予選を全体トップとなる13秒60(+1.4)で通過して臨んだ決勝では、「できれば13秒3台を」という意識でいた金井選手ですが、1回目のスタートで、今季13秒60まで復調し、予選で13秒63をマークしていた矢澤航選手(デサント)がフライングで失格。レースは、「(日本選手権の失格が思い起こされて)ちょっと怖かった。いつもよりもワンテンポくらい遅かった」と、のちに金井選手が振り返った2回目の号砲でスタートしました。勝負は、金井選手と、2017年ユニバーシアード2位、2018年アジア大会2位、4月のアジア選手権3位と、対戦したいずれの試合でも金井選手に先着し、記録的にも今年5月に13秒34で走って、アジア大会、アジア選手権の2大会で自身がマークしていた13秒39のナショナルレコードを更新している陳奎儒選手(チャイニーズタイペイ)とが競り合う展開に。前半は金井選手がわずかに前に出たものの本来の飛び出しには至らず、早い段階で陳選手に並ばれることとなりました。両者は激しく競り合いながら13秒44(+2.7)の同タイムでフィニッシュしましたが、写真判定によって着差がつき、優勝は陳選手、金井選手が2位という結果となりました。
レース直後は、「勝ちきれず、内容も満足がいくものではなかったので、悔しさのほうが大きい」と振り返った金井選手ですが、取材を続けていくうちに「まずはゴールできてよかった」「入賞できてよかった」という言葉が飛び出し、安堵の思いの大きさもうかがえました。また、今回の走りそのものについては、「(インターバルを)刻んでいる感覚がなかった」点を指摘。それは、この冬、スプリントトレーニングを多く取り入れたことにより生じたもので、100m自体のスピードは上がった一方で、ハードル走で求められるインターバルを速く刻む走りと、ずれが生じてしまっていることが原因だといいます。すでに修正には取り組んでいるものの、「まだ完全ではないという感じ」という状態。しかし、ベースとなるスピードの底上げができているだけに、この課題をクリアすることができれば、「(東京オリンピック参加標準記録の)13秒32をターゲットに、身体の状態をしっかり合わせて狙う試合で狙っていく」という東京オリンピックに向けた青写真は、早ければ7月12日から予定しているヨーロッパ遠征で実現するかもしれません。
■女子やり投は今季好調の森選手が優勝、女子三段跳は森本選手が日本選手権に続くV
このほかのグランプリ種目では、男子110mHや女子100mと同じく予選・決勝ともバックストレートで行われた男子100mは、0.5mの追い風のなかでのレースとなった決勝で、大久保公彦選手(中央大)がセカンドベストの10秒37をマーク。初の日本グランプリシリーズ優勝を果たしました。また、女子やり投は、北海道出身で日本記録保持者の北口榛花選手(日本大)はユニバーシアードと重なったためエントリーしませんでしたが、日本選手権で日本歴代3位の62m88を投げ、世界選手権標準記録(61m50)を突破して2位となった森友佳選手(ニコニコのり)が好調を維持。2度目の60mオーバーはなりませんでしたが、セカンドベストの59m81で優勝しました。
男子やり投は、日本選手権覇者の新井涼平選手(スズキ浜松AC)がこの大会での標準記録突破を狙っていましたが、風邪による体調不良からの回復が間に合わず、残念ながら欠場となりました。優勝したのは、日本選手権2位の小椋健司選手(日本体育施設)。4月の織田記念を制した際にマークした78m66の自己ベストを1cm更新する78m67を2回目に投げて、日本グランプリシリーズ2勝目を飾っています。
第14回大会(2001年)以来の実施となった男子ハンマー投は、1回目からトップに立った柏村亮太選手(ヤマダ電機)が4回目に69m33まで記録を伸ばして優勝。女子砲丸投は、太田亜矢選手(福岡大クラブ)が15m10で2連覇を達成しました。
男子走幅跳と男女三段跳は、強い追い風のなかで行われたために、出場選手が踏み切りを合わせるのに苦労する形となりました。男子走幅跳を制したのは下野伸一郎選手(九電工)。4回目に7m99(+4.8)を跳んで首位に立つと、5回目に唯一8m台に記録を載せる8m02(+4.4)をマークしました。日本選手権を制した山下航平選手(ANA)が足首の痛みの影響で欠場した男子三段跳は、2回目に16m05(+3.7)をマークした斎田将之介選手(ユメオミライ)がV。女子三段跳は、日本選手権チャンピオンの森本麻里子選手(内田建設アスリートクラブ)が2回目(+3.4)と3回目(+2.5)で13m20を跳び、静岡国際に続いて日本グランプリシリーズ2連勝を果たしています。
文・写真:児玉育美(JAAFメディアチーム)
>>日本グランプリシリーズ特設サイトはこちら
関連ニュース
-
2024.12.09(月)
【JAAF×SDGs】みんなで考え取り組んだ、陸上界の「SDGs」!2024年 BEST THINK賞・GOOD THINK賞を発表!!
イベント -
2024.12.06(金)
【第5期受講生が決定!】ライフスキルトレーニングプログラム:競技においてもキャリアにおいても「自分の最高を引き出す技術」を習得する
その他 -
2019.07.08(月)
第32回南部忠平記念陸上競技大会のリザルトを掲載しました
大会 -
2019.07.07(日)
【週末プレビュー】札幌で行われるグランプリシリーズ(7/7 第32回南部忠平記念陸上競技大会)
大会 -
2019.07.03(水)
【ライブ配信やります!】第32回南部忠平記念陸上競技大会
大会