『第10回 日本で開かれる世界大会の戦い方 東京・大阪の世界選手権を振り返って(2)』から
──前回の座談会でみなさんが話していたように、代表が決まって、マラソン強化戦略プロジェクトとしては、ここからが本当のスタートですね。
瀬古 現場の人たちがどう思っているのか、きちんとキャッチボールしないといけません。
山下 代表になった時、いきなり「こうしろ、ああしろ」と言われると、「なんで?」と〝やらされる感〟が先に出てしまいますよね。だから、こういう合宿で「ニーズは?」とか、「こう思ってますけど、どうですか?」と最初に聞いておくことが大事だと思います。
河野 ここに至るまでの選手の過程を、我々も知っているようで知らないんです。それを知らずして、「東京オリンピックだからこうやろう」と言うわけにはいかないですよね。まずそこを共有して、じゃあオリンピックに向けてどうするか。再現性を求めるのなら、中村君は9月のベルリン・マラソンをやってMGCに向かったノウハウがあります。服部君は夏のマラソンに徹底して準備したノウハウがあると思うのです。それらを踏まえた上で、男子は来年の8月9日、女子は8月2日から逆算したかたちでどうやって行くか、という話をしていかないといけません。その過程で我々がサポートとして何ができ、何が余計なことなのかを洗い出す必要があります。
──まずやるべきことは、それぞれのチームとのミーティングですか。
山下 一番の柱はそこですね。
河野 いろんなコミュニケーションを取らないと、早めに代表を決めた意味がない。あと300日あるとして、100日前から練習が始まるのであれば、最初の100日はそういうコミュニケーションに使っても大丈夫でしょう。間の100日で、何か試したいことがあればできますし。そうやって3分割で考えてもらえればいいかなと思ってます。
坂口 それが、早く決まったメリットですよね。周囲が騒々しくなるのは目に見えています。マスコミもそうですけど、五輪代表になると急に親戚や友人が増えるものなんです。
山下 そうそう、選手が卒業した中学校、高校だけじゃなく、親の出身地からも「ちょっと挨拶に来て」とか。会社の広報から来る話はむしろ断りやすいのですが、地元や親族からくる話は断りにくいですね。帰省がリラックスの場ではなくなりますから。帰ったら家に色紙が山積みされてて、「サインしてね」とか。
河野 ヨーロッパのある国は、ナショナルチームに入って代表になってからの権利と義務を明文化して、同意書として交わしているようですね。オリンピック代表チームに対して、そのあたりをどうするか、麻場(一徳)強化委員長や山崎(一彦)ディレクターと相談しているところです。今はSNSもあってコントロールしようにもできないから、そこはきちんとすべきだと思っています。
──みなさんが自分のチームからオリンピック選手を出した時のことを振り返って、陸連に何をしてほしいと思いますか。
山下 特にないのですが、強いて挙げるなら選手が体調不良やケガをした時、「一番いい医者を紹介してください」と言うかもしれないです。そこで信頼関係が構築されていれば、医事委員会でサポートしてもらうとかできますよね。
河野 本来は何もないほうがいいのです。でも、非日常の世界になるのが目に見えてるので、それに対してどう対処していくかの知恵を出さないといけません。普段のように穏やかな環境で準備できれば、一番いいのです。
坂口 たぶん自分のところだけで抱えると、わけがわからなくなるのです。冷静なつもりでも、頭にカーッと血が上った状態になる。その時にナショナルチームのようなものがあって、ちょっとでも話を聞いてもらえれば、冷静になれるかもしれない。そういう効果は期待できます。
山下 それは、私もすごく思います。指導者を孤独にしない、というか。指導者が元気だったら選手は大丈夫だと思うんですよ。やっぱり「誰に相談しようかな」という場面は出て来るし、愚痴でもいいから聞いてもらえたら、モヤモヤが少し収まったりしますよね。
瀬古 今決まっている4人の中では、経験者が武冨さんだけですよね。過去にオリンピックのマラソン代表を出している指導者は。もう「何でも聞いてきて」と言いたいですね。
山下 そもそも、そういう関係性ができていないと無理ですよね。千歳合宿の目的の1つは、そこになります。
──千歳で集まったら、その次はいつですか。
河野 自分の中で今思っているのは、2~3ヵ月に1回は集まりたいな、と。ですから、次は12月ぐらい。そして、その次は3月に代表が全員出そろった時。それが終わってからは1ヵ月に1回ぐらいテレビ会議でもいいから動向をみんなで話し合う場があって、6月ぐらいからは2週間に1度、7月になったら1週間に1度、コンディショニングのすり合わせができればいいなと考えています。大枠としてのイメージです。
瀬古 情報を共有する方法としては、だいたいそうなりますね。みんなを集めなくてもできるわけですから。
河野 海外で合宿する選手も出て来るはずですけど、今はどこにいても会議ができるツールがいくつもありますから。
瀬古 オリンピック直前になって、「実はケガをしていた」というケースが過去にありましたね。自国開催で、それだけはやってはいけないと思っています。
── 補欠2人を含めて、男女それぞれ5人のチームになるわけですね。
河野 3月以降はそうなります。たぶん6月末に補欠の1人は解除して、4人エントリーが可能であればもう1人の補欠は最後まで残します。補欠の順位づけは、MGCの順位を担保するつもりです。
──最後に、東京五輪の代表に内定した選手や指導者に「これだけは伝えたい」ということはありますか。
瀬古 これから不安とか困ること、でも人に言えないようなことが、いっぱい出て来ると思います。それをきちんと聞く役目が私の仕事だと思っているのです。そのうえで変えるべきところは変えられるように、やっていければいい。私はオリンピックで失敗しているので、そのあたりはわかりますよ。
坂口 私も失敗しているので、わかります。
瀬古 我々と同じことを繰り返さないように、手助けしたいですね。プレッシャーに負けて私みたいになってはいけない。私は「調子が悪い」とか、「脚が痛い」とか、言えなかった。「つらいな」と思っても、「つらい」と言えなかったの。ただ1人言えたのが母親だけで、その時には遅かったという話ですよ。来年の3月ぐらいまでは大丈夫でしょうけど、4月、5月、6月あたりにどんどん「がんばれ」という声が大きくなって、ワーッと覆い被さってくる。信じられないぐらいに来ます。
坂口 さっき「平常心」という言葉が出たけど、少しでもそれを保てるように手助けしたいですね。
河野 スタートラインに着くまでの準備が「万全だったな」と言える状態に、どう持って行くかですよね。それが何なのかはまだ具体的にないけど、みんなで知恵を出し合って、その知恵を生かし切れるような態勢に持って行くのがディレクターの役割かなと思っています。私は、さっき瀬古さんが言ったように、失敗したことも良かったことも含めて、それを東京五輪に生かせる態勢に持って行ければ、今回のMGCのように「すべて整いました。さあ、みなさん、思い切ってやってください」という心境で迎えられるのではないかと思います。
瀬古 そうですね。今まではオリンピックも世界選手権も、みんな半分ぐらいしか力を出せていない。それを7~8割ぐらいのところまで引き上げられれば、入賞は見えてきます。
河野 透明な選ばれ方をして、みんなすっきりとオリンピックに向けてスタートを切れているので、キックオフ合宿で方向性を共有できれば、そこから進むべき道は自ずと見えてくると思います。
坂口 要は「万全の状態でスタートラインに立つこと」がすべてなんですよ。オリンピックという異常事態の中で平常心を保つのは、本当に大変です。私も北京五輪(2008年)の時、佐藤敦之(中国電力)を代表に出して、「これがメダルを取る最後のチャンスだ」と思って舞い上がっていました。そこで、普段はやらないようなことをやって失敗しました。一番悔しかったのは、万全の状態でスタートラインに立たせてあげられなかったこと。だから、東京五輪ではみんなに万全な状態で立ってほしい。それが願いです。そうするには何ができるのか、まだまだこれから考えていかないといけません。
瀬古 そこが難しいところです。脚が痛くなっても困るし、守りに入ってもダメ。じゃあ、今まで通りにやったら世界に勝てるかと言ったら、勝てないかもしれないし。
坂口 代表に決まった選手たちはこの1年、ずっと「がんばれ、がんばれ」と言われなくちゃいけないんです。
瀬古 その「がんばれ」がビルドアップしていきます。過剰になるのは目に見えています。だから、そのあたりをちゃんと言ってこいよ、ということです。
坂口 シェルターみたいになれるといいですね。
河野 いろんなことが起こるのはみんな経験しているから、その中で何をチョイスするか、見極めはやっていきたいと思います。
山下 女子で言うと、直近の世界大会を見ていて、選考レース以上の走りを本番でやる選手がいないんですね。「選考レースの走りをすればメダルに届く」と期待しても、本番ではかけ離れた内容になってしまう。そこが課題だと思っているので、一緒に考えられたらと思います。
坂口 MGCを乗り越えた選手たちだから、今度は心身ともにたくましくなっているでしょう。そう信じたいです。
瀬古 そうですね。あれだけの緊張感をくぐり抜けた選手なら大丈夫。一緒にがんばって行きましょう。
各チームとのミーティングを最優先に
──前回の座談会でみなさんが話していたように、代表が決まって、マラソン強化戦略プロジェクトとしては、ここからが本当のスタートですね。
瀬古 現場の人たちがどう思っているのか、きちんとキャッチボールしないといけません。
山下 代表になった時、いきなり「こうしろ、ああしろ」と言われると、「なんで?」と〝やらされる感〟が先に出てしまいますよね。だから、こういう合宿で「ニーズは?」とか、「こう思ってますけど、どうですか?」と最初に聞いておくことが大事だと思います。
河野 ここに至るまでの選手の過程を、我々も知っているようで知らないんです。それを知らずして、「東京オリンピックだからこうやろう」と言うわけにはいかないですよね。まずそこを共有して、じゃあオリンピックに向けてどうするか。再現性を求めるのなら、中村君は9月のベルリン・マラソンをやってMGCに向かったノウハウがあります。服部君は夏のマラソンに徹底して準備したノウハウがあると思うのです。それらを踏まえた上で、男子は来年の8月9日、女子は8月2日から逆算したかたちでどうやって行くか、という話をしていかないといけません。その過程で我々がサポートとして何ができ、何が余計なことなのかを洗い出す必要があります。
──まずやるべきことは、それぞれのチームとのミーティングですか。
山下 一番の柱はそこですね。
河野 いろんなコミュニケーションを取らないと、早めに代表を決めた意味がない。あと300日あるとして、100日前から練習が始まるのであれば、最初の100日はそういうコミュニケーションに使っても大丈夫でしょう。間の100日で、何か試したいことがあればできますし。そうやって3分割で考えてもらえればいいかなと思ってます。
坂口 それが、早く決まったメリットですよね。周囲が騒々しくなるのは目に見えています。マスコミもそうですけど、五輪代表になると急に親戚や友人が増えるものなんです。
山下 そうそう、選手が卒業した中学校、高校だけじゃなく、親の出身地からも「ちょっと挨拶に来て」とか。会社の広報から来る話はむしろ断りやすいのですが、地元や親族からくる話は断りにくいですね。帰省がリラックスの場ではなくなりますから。帰ったら家に色紙が山積みされてて、「サインしてね」とか。
河野 ヨーロッパのある国は、ナショナルチームに入って代表になってからの権利と義務を明文化して、同意書として交わしているようですね。オリンピック代表チームに対して、そのあたりをどうするか、麻場(一徳)強化委員長や山崎(一彦)ディレクターと相談しているところです。今はSNSもあってコントロールしようにもできないから、そこはきちんとすべきだと思っています。
──みなさんが自分のチームからオリンピック選手を出した時のことを振り返って、陸連に何をしてほしいと思いますか。
山下 特にないのですが、強いて挙げるなら選手が体調不良やケガをした時、「一番いい医者を紹介してください」と言うかもしれないです。そこで信頼関係が構築されていれば、医事委員会でサポートしてもらうとかできますよね。
河野 本来は何もないほうがいいのです。でも、非日常の世界になるのが目に見えてるので、それに対してどう対処していくかの知恵を出さないといけません。普段のように穏やかな環境で準備できれば、一番いいのです。
坂口 たぶん自分のところだけで抱えると、わけがわからなくなるのです。冷静なつもりでも、頭にカーッと血が上った状態になる。その時にナショナルチームのようなものがあって、ちょっとでも話を聞いてもらえれば、冷静になれるかもしれない。そういう効果は期待できます。
山下 それは、私もすごく思います。指導者を孤独にしない、というか。指導者が元気だったら選手は大丈夫だと思うんですよ。やっぱり「誰に相談しようかな」という場面は出て来るし、愚痴でもいいから聞いてもらえたら、モヤモヤが少し収まったりしますよね。
瀬古 今決まっている4人の中では、経験者が武冨さんだけですよね。過去にオリンピックのマラソン代表を出している指導者は。もう「何でも聞いてきて」と言いたいですね。
山下 そもそも、そういう関係性ができていないと無理ですよね。千歳合宿の目的の1つは、そこになります。
──千歳で集まったら、その次はいつですか。
河野 自分の中で今思っているのは、2~3ヵ月に1回は集まりたいな、と。ですから、次は12月ぐらい。そして、その次は3月に代表が全員出そろった時。それが終わってからは1ヵ月に1回ぐらいテレビ会議でもいいから動向をみんなで話し合う場があって、6月ぐらいからは2週間に1度、7月になったら1週間に1度、コンディショニングのすり合わせができればいいなと考えています。大枠としてのイメージです。
瀬古 情報を共有する方法としては、だいたいそうなりますね。みんなを集めなくてもできるわけですから。
河野 海外で合宿する選手も出て来るはずですけど、今はどこにいても会議ができるツールがいくつもありますから。
瀬古 オリンピック直前になって、「実はケガをしていた」というケースが過去にありましたね。自国開催で、それだけはやってはいけないと思っています。
── 補欠2人を含めて、男女それぞれ5人のチームになるわけですね。
河野 3月以降はそうなります。たぶん6月末に補欠の1人は解除して、4人エントリーが可能であればもう1人の補欠は最後まで残します。補欠の順位づけは、MGCの順位を担保するつもりです。
MGCをくぐり抜けた選手たちへ
──最後に、東京五輪の代表に内定した選手や指導者に「これだけは伝えたい」ということはありますか。
瀬古 これから不安とか困ること、でも人に言えないようなことが、いっぱい出て来ると思います。それをきちんと聞く役目が私の仕事だと思っているのです。そのうえで変えるべきところは変えられるように、やっていければいい。私はオリンピックで失敗しているので、そのあたりはわかりますよ。
坂口 私も失敗しているので、わかります。
瀬古 我々と同じことを繰り返さないように、手助けしたいですね。プレッシャーに負けて私みたいになってはいけない。私は「調子が悪い」とか、「脚が痛い」とか、言えなかった。「つらいな」と思っても、「つらい」と言えなかったの。ただ1人言えたのが母親だけで、その時には遅かったという話ですよ。来年の3月ぐらいまでは大丈夫でしょうけど、4月、5月、6月あたりにどんどん「がんばれ」という声が大きくなって、ワーッと覆い被さってくる。信じられないぐらいに来ます。
坂口 さっき「平常心」という言葉が出たけど、少しでもそれを保てるように手助けしたいですね。
河野 スタートラインに着くまでの準備が「万全だったな」と言える状態に、どう持って行くかですよね。それが何なのかはまだ具体的にないけど、みんなで知恵を出し合って、その知恵を生かし切れるような態勢に持って行くのがディレクターの役割かなと思っています。私は、さっき瀬古さんが言ったように、失敗したことも良かったことも含めて、それを東京五輪に生かせる態勢に持って行ければ、今回のMGCのように「すべて整いました。さあ、みなさん、思い切ってやってください」という心境で迎えられるのではないかと思います。
瀬古 そうですね。今まではオリンピックも世界選手権も、みんな半分ぐらいしか力を出せていない。それを7~8割ぐらいのところまで引き上げられれば、入賞は見えてきます。
河野 透明な選ばれ方をして、みんなすっきりとオリンピックに向けてスタートを切れているので、キックオフ合宿で方向性を共有できれば、そこから進むべき道は自ずと見えてくると思います。
坂口 要は「万全の状態でスタートラインに立つこと」がすべてなんですよ。オリンピックという異常事態の中で平常心を保つのは、本当に大変です。私も北京五輪(2008年)の時、佐藤敦之(中国電力)を代表に出して、「これがメダルを取る最後のチャンスだ」と思って舞い上がっていました。そこで、普段はやらないようなことをやって失敗しました。一番悔しかったのは、万全の状態でスタートラインに立たせてあげられなかったこと。だから、東京五輪ではみんなに万全な状態で立ってほしい。それが願いです。そうするには何ができるのか、まだまだこれから考えていかないといけません。
瀬古 そこが難しいところです。脚が痛くなっても困るし、守りに入ってもダメ。じゃあ、今まで通りにやったら世界に勝てるかと言ったら、勝てないかもしれないし。
坂口 代表に決まった選手たちはこの1年、ずっと「がんばれ、がんばれ」と言われなくちゃいけないんです。
瀬古 その「がんばれ」がビルドアップしていきます。過剰になるのは目に見えています。だから、そのあたりをちゃんと言ってこいよ、ということです。
坂口 シェルターみたいになれるといいですね。
河野 いろんなことが起こるのはみんな経験しているから、その中で何をチョイスするか、見極めはやっていきたいと思います。
山下 女子で言うと、直近の世界大会を見ていて、選考レース以上の走りを本番でやる選手がいないんですね。「選考レースの走りをすればメダルに届く」と期待しても、本番ではかけ離れた内容になってしまう。そこが課題だと思っているので、一緒に考えられたらと思います。
坂口 MGCを乗り越えた選手たちだから、今度は心身ともにたくましくなっているでしょう。そう信じたいです。
瀬古 そうですね。あれだけの緊張感をくぐり抜けた選手なら大丈夫。一緒にがんばって行きましょう。