「第3回 男女マラソン(1)」から
河野 個人的にはだいぶ考えていますけど、まだ皆さんとその話を詰め切っていません。いろんなデータは集めているんです。しかし、どれが正しいか、どれが使えるかの判断は難しいです。
山下 例えば、自分のところの選手が代表入りしたらこうしたい、というようなことをどんどん練っていって、それを基盤にしてやる。私個人はそう思っています。
河野 共通項で使えるものと、個々に合わせてカスタマイズさせていかないといけないものがあると思います。今考えている暑さ対策にしても、それを選ばれた選手にどう使っていくかは、代表が決まってからの話になります。
山下 私は1991年の東京世界選手権にマラソンで出ているのですが(銀メダル)、当時は暑い中で練習するより涼しいところで練習して、消耗せずにスタートラインに立つ、ということは言われていたんですね。
瀬古 私や宗兄弟(茂、猛/ともに旭化成)が1984年のロサンゼルス五輪で失敗したからね、暑い中で練習して。
山下 そうなんですけど、今大きく違うのは、それに加えて「やっぱり暑い中でもしっかり練習しましょう」ということが言われています。
河野 今の段階で言えることは、オリジナリティを出す前に、我々がやるべきこと、やってほしいことは先に伝えます、ということ。選ばれたら、すべて自分たちのやりたいように、ということにはならないと思います。
──今言える、暑さ対策の必須条件は何ですか。
河野 体温を上げないことです。深部体温を40度以上にしない。これだけは絶対に言えます。体温が上がった時から能力が発揮できなくなる、ということはわかっているので。
坂口 その原則から、じゃあ体温を上げないようにするにはどうするか、です。
河野 代表に選ばれたら、あえて自分たちで暑さに対してどうこうしなくてもいいようにしたいと思いますね。「暑さ対策に生かせるものはこうですよ」とすぐに提供できるように、そういったものを取りそろえる準備はずっとしています。
一番大事なのは、選手や現場の監督さんたちが納得できる中身なのかどうか、しっかり吟味していかないといけないし、試合が近づけば近づくほど不安になると思うんですね。でも、何をやればいいのか正解はわからない。そういう極限の戦いの中で、我々がどこかで決めてあげることの重要性は大きいのかなと思います。
河野 手を冷やすのも、体温を上げないための手段だったんです。スタート前に何分間か手を冷やしておくと体温が上がりにくいとか、走っている途中に冷やすといいということで、給水所のボトルに保冷剤を巻き付けておいて、手に持ってしばらく走りました。
坂口 井上君はそこだけではなく、7月のボルダー合宿では暑い中で練習したのです。「あれは有効だった」と言っているので、先ほど山下さんが触れたように、ある程度暑い中でやっておかないとダメで、いきなり暑い所で走るのは無理なんでしょうね。
河野 瀬古さんのロス五輪ではないですけど、暑い所で練習して体調を崩し、肝機能が衰えたりすると疲労が取れなくなるので、どの時期にどれぐらい暑い中でやったら有効なのか、ですよね。我々はMGCが終わったらすぐ、1回目の意見交換をしないといけないと思ってます。9月末か10月初めに北海道・千歳でミーティングをやることは決めてます。
山下 MGCで代表に決まったらその後はこういう流れですよ、ということをMGCの前に説明してしまおう、ということですね。
河野 5月の連休明けにはMGC出場者が出そろうので、その時に我々がやりたいことを説明する。そういう手はずは整えます。
瀬古 代表に決まってから「これをやってくれ」と説明するよりは、絶対にいいと思います。そのあたりを理解したうえでMGCに出場してほしい、ということだね。
──科学委員会の協力の下、男女とも夏場に都内で暑さ対策を目的とした合宿を行いましたが、そこから得られたことはありますか。
河野 温度32度、湿度50 ~ 60%に環境制御した部屋の中で、トレッドミルで60分走をやり、前後の体重や発汗量などを測定したんです。女子はその後に、屋外で30km走をやってどうなるかを一番調べたかったのですが、台風による悪天候でできませんでした。
山下 過酷な測定で、現場から反発を受けるかなという不安もあったのですが、ワコールの一山さん(麻緒)あたりは積極的に協力してくれて……。そうすると意外に慣れてきて、こちらが心配するよりも良い感触をつかんだようでした。ウチの上原(美幸)もそうですが、途中でのどの痛みや発熱を訴える選手も出て、そのトレーニングと関係あるのかどうかわからないけど、いくつか「気をつけた方がいいな」というデータは得られました。
坂口 男子は、完全に環境制御してやったら、みんなオールアウトしてしまいましたね。20分台で止めた選手が3人もいて……。
河野 実際、屋外の暑い所でやるのか、そういう環境制御した中でやるのか、2通りありますけど、大迫君がいるオレゴン・プロジェクトを主宰するアルベルト・サラザール氏は、2008年の北京世界選手権で環境制御の方法を用いています。それをやるのに4週間前がいいのか、3週間前がいいのか、何日間やったら暑さへの耐性ができるのか、個性もあるでしょうけど、最低ラインのデータは出ています。
坂口 机上の論理と実際は違うということ、気温・温度の影響はものすごいということを再認識させられました。結局、体温を上げちゃいけない、ということですよね。
瀬古 この座談会は情報発信が目的だけど、日本がやろうとする暑さ対策を、外国の選手に真似されても困るから、これ以上は〝企業秘密〟ということにさせてもらおうか(笑)。世界各国、みんなが知りたいところだから。
河野 言えることは、男子だったら2時間3分、女子なら2時間20分でマラソンを走る選手が、WGBT(湿球・黒球湿度)が30度を超えると、パフォーマンスは5%落ちるというのが、過去のデータでわかっているのです。だったら、日本の選手がそれを3%に抑えることができれば、そこの2%の違いで記録的な差は埋まる、という計算は成り立つ。何をすればそうなるか、それを今探っているところですね。
瀬古 2時間5分の選手だと、パフォーマンス5%減は何分ぐらい?
河野 2時間11分台ですけど、3%減なら2時間9分前後に留まります。気温30度、湿度60%の気象条件でも2時間10分で走れることを求めていけば、メダルにつながります。そこを何とか埋めたいですね。
山下 高温もそうですけど、問題は湿気ですよね。
河野 暑さへの対策が具体的に施せるのは、ホスト国としてのメリットですよね。何の要素が〝2%〟になり得るのか、考えていかないといけません。「MGC派遣設定記録」を男子が2時間5分30秒、女子は2時間21分00秒にした意味は、そこにあります。最初から記録的なハンディは小さい方が、メダルの可能性は高まります。
「第3回 男女マラソン(3)」に続く…
暑さ対策の基本は「体温を40度以上に上げないこと」
──前回の瀬古さんとの対談で、河野さんは「MGC後からオリンピック本番までのシナリオを、アジア大会が終わる頃までに書き上げたい」とおっしゃっていましたが……。河野 個人的にはだいぶ考えていますけど、まだ皆さんとその話を詰め切っていません。いろんなデータは集めているんです。しかし、どれが正しいか、どれが使えるかの判断は難しいです。
山下 例えば、自分のところの選手が代表入りしたらこうしたい、というようなことをどんどん練っていって、それを基盤にしてやる。私個人はそう思っています。
河野 共通項で使えるものと、個々に合わせてカスタマイズさせていかないといけないものがあると思います。今考えている暑さ対策にしても、それを選ばれた選手にどう使っていくかは、代表が決まってからの話になります。
山下 私は1991年の東京世界選手権にマラソンで出ているのですが(銀メダル)、当時は暑い中で練習するより涼しいところで練習して、消耗せずにスタートラインに立つ、ということは言われていたんですね。
瀬古 私や宗兄弟(茂、猛/ともに旭化成)が1984年のロサンゼルス五輪で失敗したからね、暑い中で練習して。
山下 そうなんですけど、今大きく違うのは、それに加えて「やっぱり暑い中でもしっかり練習しましょう」ということが言われています。
河野 今の段階で言えることは、オリジナリティを出す前に、我々がやるべきこと、やってほしいことは先に伝えます、ということ。選ばれたら、すべて自分たちのやりたいように、ということにはならないと思います。
──今言える、暑さ対策の必須条件は何ですか。
河野 体温を上げないことです。深部体温を40度以上にしない。これだけは絶対に言えます。体温が上がった時から能力が発揮できなくなる、ということはわかっているので。
坂口 その原則から、じゃあ体温を上げないようにするにはどうするか、です。
河野 代表に選ばれたら、あえて自分たちで暑さに対してどうこうしなくてもいいようにしたいと思いますね。「暑さ対策に生かせるものはこうですよ」とすぐに提供できるように、そういったものを取りそろえる準備はずっとしています。
一番大事なのは、選手や現場の監督さんたちが納得できる中身なのかどうか、しっかり吟味していかないといけないし、試合が近づけば近づくほど不安になると思うんですね。でも、何をやればいいのか正解はわからない。そういう極限の戦いの中で、我々がどこかで決めてあげることの重要性は大きいのかなと思います。
気象条件による 記録的な落ち込みを最小限に
瀬古 ジャカルタ・アジア大会では、いろんな暑さ対策を試したんだよね。特に井上君は、それが功を奏したとか。河野 手を冷やすのも、体温を上げないための手段だったんです。スタート前に何分間か手を冷やしておくと体温が上がりにくいとか、走っている途中に冷やすといいということで、給水所のボトルに保冷剤を巻き付けておいて、手に持ってしばらく走りました。
坂口 井上君はそこだけではなく、7月のボルダー合宿では暑い中で練習したのです。「あれは有効だった」と言っているので、先ほど山下さんが触れたように、ある程度暑い中でやっておかないとダメで、いきなり暑い所で走るのは無理なんでしょうね。
河野 瀬古さんのロス五輪ではないですけど、暑い所で練習して体調を崩し、肝機能が衰えたりすると疲労が取れなくなるので、どの時期にどれぐらい暑い中でやったら有効なのか、ですよね。我々はMGCが終わったらすぐ、1回目の意見交換をしないといけないと思ってます。9月末か10月初めに北海道・千歳でミーティングをやることは決めてます。
山下 MGCで代表に決まったらその後はこういう流れですよ、ということをMGCの前に説明してしまおう、ということですね。
河野 5月の連休明けにはMGC出場者が出そろうので、その時に我々がやりたいことを説明する。そういう手はずは整えます。
瀬古 代表に決まってから「これをやってくれ」と説明するよりは、絶対にいいと思います。そのあたりを理解したうえでMGCに出場してほしい、ということだね。
──科学委員会の協力の下、男女とも夏場に都内で暑さ対策を目的とした合宿を行いましたが、そこから得られたことはありますか。
河野 温度32度、湿度50 ~ 60%に環境制御した部屋の中で、トレッドミルで60分走をやり、前後の体重や発汗量などを測定したんです。女子はその後に、屋外で30km走をやってどうなるかを一番調べたかったのですが、台風による悪天候でできませんでした。
山下 過酷な測定で、現場から反発を受けるかなという不安もあったのですが、ワコールの一山さん(麻緒)あたりは積極的に協力してくれて……。そうすると意外に慣れてきて、こちらが心配するよりも良い感触をつかんだようでした。ウチの上原(美幸)もそうですが、途中でのどの痛みや発熱を訴える選手も出て、そのトレーニングと関係あるのかどうかわからないけど、いくつか「気をつけた方がいいな」というデータは得られました。
坂口 男子は、完全に環境制御してやったら、みんなオールアウトしてしまいましたね。20分台で止めた選手が3人もいて……。
河野 実際、屋外の暑い所でやるのか、そういう環境制御した中でやるのか、2通りありますけど、大迫君がいるオレゴン・プロジェクトを主宰するアルベルト・サラザール氏は、2008年の北京世界選手権で環境制御の方法を用いています。それをやるのに4週間前がいいのか、3週間前がいいのか、何日間やったら暑さへの耐性ができるのか、個性もあるでしょうけど、最低ラインのデータは出ています。
坂口 机上の論理と実際は違うということ、気温・温度の影響はものすごいということを再認識させられました。結局、体温を上げちゃいけない、ということですよね。
瀬古 この座談会は情報発信が目的だけど、日本がやろうとする暑さ対策を、外国の選手に真似されても困るから、これ以上は〝企業秘密〟ということにさせてもらおうか(笑)。世界各国、みんなが知りたいところだから。
河野 言えることは、男子だったら2時間3分、女子なら2時間20分でマラソンを走る選手が、WGBT(湿球・黒球湿度)が30度を超えると、パフォーマンスは5%落ちるというのが、過去のデータでわかっているのです。だったら、日本の選手がそれを3%に抑えることができれば、そこの2%の違いで記録的な差は埋まる、という計算は成り立つ。何をすればそうなるか、それを今探っているところですね。
瀬古 2時間5分の選手だと、パフォーマンス5%減は何分ぐらい?
河野 2時間11分台ですけど、3%減なら2時間9分前後に留まります。気温30度、湿度60%の気象条件でも2時間10分で走れることを求めていけば、メダルにつながります。そこを何とか埋めたいですね。
山下 高温もそうですけど、問題は湿気ですよね。
河野 暑さへの対策が具体的に施せるのは、ホスト国としてのメリットですよね。何の要素が〝2%〟になり得るのか、考えていかないといけません。「MGC派遣設定記録」を男子が2時間5分30秒、女子は2時間21分00秒にした意味は、そこにあります。最初から記録的なハンディは小さい方が、メダルの可能性は高まります。
「第3回 男女マラソン(3)」に続く…