50km競歩、4×100mRが金メダル、4×400mRが銅メダルを獲得!
メダル獲得数を金6、銀2、銅10に
アジア大会もいよいよ最終日。この日は、早朝に男子50km競歩決勝が行われたあと、18時30分から午後のセッションで9種目の決勝が実施されるタイムテーブルとなりました。
日本勢は、男子50km競歩と男子4×100mRに快勝。さらに最終種目の男子4×400mRでも3位となり、今大会のメダル獲得数を、金6、銀2、銅10で合計18に。メダル総数では前回仁川大会の23(金3、銀12、銅8)には届きませんでしたが、金メダル獲得数では、前回大会から倍増させ、大会前に日本選手団が目標値に掲げた個数(4)もクリアしました。
前日行われた男女20km競歩と同様に、スタジアム西側にある幹線道路の片側車線に設置された1周2kmの周回コースで行われた男子50km競歩には8選手がエントリーして、午前6時にスタートしました。スタート時の気象状況は気温26℃、湿度65%で、レース終了時は気温31℃、湿度53%(ともに主催者発表)。徐々に強まる日差しと蒸し暑さに加え、7時ごろから始まった反対車線の大渋滞による車の排気ガスが選手たちを苦しめる過酷な条件下でのレースとなりました。
日本からは、丸尾知司選手(愛知製鋼・愛知)と勝木隼人選手(自衛隊体育学校・埼玉)が出場。レースは、スタート直後から丸尾選手が先頭に立ち、集団をリードする形で進んでいきました。1周目(2km)は9分41秒で入りましたが、その後、徐々にペースが上がり、4km以降は1周9分14~20秒のペースを刻む展開に。勝木選手は5km手前で先頭集団から後退して、その後は6番手でレースを進めていきます。
先頭集団は、11km手前で4人に、24kmで3人となり、26kmには丸尾選手と中国のWang Qin選手の2人となりました。このあたりで4番手にいた勝木選手がペースを上げて、27km手前で先頭に追いつき、28kmで丸尾選手と並んでトップに立ちます。そこからは9分30秒を前後するペースで進みましたが、34km手前のところで、3回の警告を受けた勝木選手が、ピットレーンでの5分待機を命じられ、待機が解除されたときには4位に後退。これにより丸尾選手は34km以降を単独トップで歩くことになりました。
しかし、このあたりからペースが急落してしまいます。実は25km付近から腕が攣る症状に見舞われ、それが次第に全身に広がってきていたそうで、36~38kmは10分32秒、38~40kmは11分31秒に落ちてしまいました。11分43秒かかった42kmまでの周回で、ピットレーンから出て再び追いついた勝木選手が逆転してトップに立ち、そのあとWang選手にも抜かれ、丸尾選手は3位に後退してしまいました。
勝木選手は一人旅となった最後の10kmで、Wang選手とのさらに差を広げて4時間03分30秒でフィニッシュ。谷井孝行選手(自衛隊体育学校)が制した前回仁川大会に続く日本の2連覇を達成するとともに、選考基準をクリアして、2019年ドーハ世界選手権の代表に内定しました。
体調が懸念された丸尾選手は、46km手前で4位に後退しましたが、意識は明瞭であったこともあり、ペースは大きく落としたものの最後まで歩ききり、4時間14分13秒・4位で無事に競技を終えました。
午後のセッションで行われた決勝種目には、男子1500mに館澤亨次選手(東海大学・神奈川)が出場したほか、男女4×100mR、男女4×400mRに日本チームが出場しました。
男子1500mの館澤選手は、スタート後、集団の中段からやや後方の外側に位置し、7~8番手で、レースを進めていきました。800mを過ぎたあたりで、いったん集団の最後尾につける形となりましたが、その後、前に出てきて1000mでは5番手に上がり、さらに残り1周手前のホームストレートで、上位に上がっていこうとします。しかし、先頭集団がラスト400mを通過したところでペースアップし、ここで突き放されてしまいました。最後は8位の中国選手にわずかに届かず、3分49秒・9位の成績でした。
エースの福島千里選手(セイコー)を欠く形での戦いとなっている女子4×100mRですが、決勝も、前日の予選と同様に、御家瀬緑選手(恵庭北高校・北海道)、市川華菜選手(ミズノ・愛知)、世古和選手(CRANE・三重)、青木益未選手(七十七銀行・宮城)のオーダーで挑みました。その決勝は、3レーンに入ったバーレーンが予選から大幅にタイムを上げてきて、4レーンの中国に競り勝ち、42秒73の大会新記録をマーク。中国(42秒82)、カザフスタン(43秒82)が続きました。8レーンに入った日本は、上位にはやや離された格好に。6レーンのタイを追いましたが逆転はかなわず44秒93でフィニッシュ。タイに次いで5位で競技を終えました。
前日予定されていた予選がなくなり、一発決勝となった女子4×400mR。日本は、1走を川田朱夏選手(東大阪大学・大阪)、2走を800mで4位となった北村夢選手(エディオン・広島)、3走にはもともとは七種競技を専門とし、今回は400mHに出場した宇都宮絵莉選手(長谷川体育施設・兵庫)、アンカーには800m5位の塩見綾乃選手(立命館大学・京都)がそれぞれ務めるオーダー編成で臨みました。川田選手は3番手で北村選手にバトンを渡すと、北村選手は53秒0のラップ(大会発表のデータによる。以下、同じ)で前を追い、ホームストレートで2位に浮上して、バトンを宇都宮選手へ。宇都宮選手はバーレーンにかわされたものの3位を維持して、アンカー塩見選手にバトンをつなぎます。塩見選手はバックストレートにかかるところで、すぐ後ろにいたベトナム、中国にかわされて5位に後退。逆転はなりませんでしたが、53秒09のラップで最後まで前を追い続け、5位(3分34秒14)でフィニッシュしました。
男子4×100mR決勝には、開催国インドネシアが決勝に進出。2走には100mで活躍したU20世界選手権チャンピオンのLalu Muhammad Zohri選手が出場していたこともあり、会場が大いに盛り上がるなかでのスタートとなりました。
5レーンに入った日本は、予選と同じ山縣亮太選手(セイコー・東京)、多田修平選手(関西学院大学・大阪)、桐生祥秀選手(日本生命・東京)、ケンブリッジ飛鳥(Nike)の走順。レースは、1走の山縣選手で大きくリードを奪うと、多田選手、桐生選手がさらにその差を広げる展開に。2位以下を大きく引き離す形でアンカーのケンブリッジ選手にバトンが渡りました。ケンブリッジ選手は、さらに後続を突き放す走りを見せて、38秒16でフィニッシュ。日本陸上チームに6つめの金メダルをもたらしました。
男子4×400mRは、アジア大会最終種目として行われました。4レーンに入った日本の走順は、1走・ウォルシュ ジュリアン選手(東洋大学・埼玉)、2走・小池祐貴選手(ANA・東京)、3走・安部孝駿選手(デサントTC・岡山)、4走・飯塚翔太選手(ミズノ・静岡)。安部選手以外はがらりとオーダーを変更。さらに、200m覇者の小池選手を2走に、アンカーにリオ五輪、ロンドン世界選手権4×100mRメダリストで、前回仁川大会のこの種目の金メダルメンバーでもある飯塚選手を起用して、連覇に挑みました。
レースは、カタールが1走に400mH覇者で、400mHアジア記録保持者(46秒98)、400mでも44秒62の自己記録を持つAbderrahman Samba選手が入り、アンカーには400m覇者のAbdalelah Hassan選手を置く布陣で、序盤から圧倒的なリードを奪い、日本が1996年アトランタ五輪で樹立した3分00秒76のアジア記録を更新する3分00秒56のアジア新記録で優勝。各選手のラップは44秒8、44秒8、46秒44、44秒44でした。
日本は1走のウォルシュ選手が45秒9のラップで走り、2番手で小池選手にバトンパス。小池選手は、レーンがオープンになったところでカタールに次ぐ2位を維持して、安部選手にバトンとつなぎます。安部選手は、第3コーナー付近でいったんインドに抜かれましたが、最後まで食らいついて盛り返し、インドと2位争いしながら飯塚選手にバトンパス。このバトンパスでインドが前に出て、飯塚選手は3番手でインドを追う展開となりました。飯塚選手はインドのぴたりとついて、ホームストレートでインドを抜きにかかりますが、わずかに及ばず3位・3分01秒94でのフィニッシュとなりました。
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真提供:フォートキシモト