2024年パリオリンピック女子マラソンの日本代表を選考するマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が10月15日、第107回日本選手権を兼ねて開催されました。MGCとしては、2020年東京オリンピック(1年延期により2021年に実施)の代表選考競技会として行われた前回大会(2019年)以来2回目の開催です。
レースは、フルマラソンとしては初めて東京・国立競技場が発着点となり、札幌開催に伴い幻となった東京オリンピックのコースを一部使用しつつ、近年の世界大会で多くみられる周回路や複数の折返点が盛り込まれた新たなコースで行われました。2022年1月からスタートしたJMCシリーズで進出条件を満たした29名のファイナリストのうち24名が出場。上位2選手に与えられるパリオリンピック代表の座を懸けて、“一発勝負”の戦いに挑みました。
この日の東京は天候が崩れ、男女MGCレースと併催された東京レガシーハーフマラソンの実施された午前の時間帯のみが、ピンポイントで風雨が強まってしまうコンディション下でのレースとなってしまいました。女子は、男子が出発して10分後の午前8時10分にスタート。男子同様に、天候雨、気温14.5℃、湿度62%(主催者発表によるスタート時のデータ)のコンディションのなか、レースは始まりました。
トラックを2周する国立競技場をスタートして、すぐに先頭に立ったのは、前回優勝者の前田穂南選手(天満屋)。これに安藤友香選手(ワコール)と前回2位の鈴木亜由子選手(JP日本郵政G)がつき、さらに、細田あい選手(エディオン)、加世田梨花選手(ダイハツ)が続き、その後ろに一山麻緒選手(資生堂)、鈴木優花選手(第一生命グループ)らが縦長の列をつくる状態で1周各78秒前後のペースで回り、第1ゲートを抜けて外苑西通りへと出ていきました。前田穂選手を先頭に、最初の1kmは3分17秒で通過。そのすぐ直後に集団は、前田穂選手についてできた全15名のグループと、少し距離を置いた9名のグループに分かれました。トップグループは、前田穂選手が先頭に立ったまま、1~2kmを3分26秒、2~3kmを3分21秒、3~4kmを3分26秒と刻んでいきます。早い段階で集団から横に離れて位置を取っていた岩出玲亜選手(デンソー)が、その状態のまま前に出てきて4km付近で先頭の前田穂選手に並びかける形に。最初の5kmは15選手が17分00~01秒(以下、1kmごとのタイム等は速報値、5kmごとのタイムは大会発表の正式記録による)で通過する入りとなりました。
先頭グループは、その後も前田穂選手がトップで集団を支配。これにぴたりとついた安藤選手、細田選手と、前田穂選手よりも道路の内側でレースを進める岩出選手、岩出選手の少し後方に位置した一山選手、一山選手と安藤選手の後方についた鈴木亜選手といった面々が上位を占める隊列を保ったまま、2分23~24秒前後のペースを維持していきます。集団の後方で歩を進めていた前田彩里選手(ダイハツ)が9kmを過ぎたころから少しずつ後れだし、先頭のスプリットタイムが33分38秒(この間の5kmは16分58秒、以下同じ)だった10kmは、14選手が一団となって走り抜けていきました。先頭集団は、10~15kmは17分04秒にペースを落としたものの隊列を大きく変えることなく15kmを51分02秒で通過。一方で、最初は第2グループでレースを進めていた松下菜摘・谷本観月(以上、天満屋)、川内理江(大塚製薬)の3選手が、この5kmを16分52~55秒に引き上げて先頭集団との差を詰め、天満屋勢は51分12~13秒で、川内選手は51分16秒で続きました。
15km以降では、内幸町の折返し点に重なるような場所にあったマンホールの鉄板に足を滑らせて転倒してしまった市田美咲選手(エディオン)のほか、吉川侑美選手(ユニクロ)、太田琴菜選手(JP日本郵政G)が後退。代わって、追い上げを見せていた松下選手が17.5kmでトップグループに追いつくと、18km手前で先頭に立つ展開に。少し差が空いた後続は、一山選手が前田穂選手に並びかける位置へと上がってきて、松下選手を追う形となりました。その後、上杉真穂選手(スターツ)、阿部有香里選手(京セラ)が後れて、先頭は、前田穂、松下、一山、細田、安藤、岩出、鈴木優、池田千晴(日立)、鈴木亜、加世田の10選手に絞られます。19~20kmを3分20秒にペースアップして迎えた20kmは、一山選手と前田穂選手、そしてこの5kmを16分52秒で刻んだ松下選手が横に並んでトップに立って1時間08分04秒(元先頭グループは17分02秒前後)で通過。その後、松下選手が中団に下がり、前田穂・一山・岩出の3選手が並んだ状態で中間点を1時間11分48秒で過ぎたあとは、一山選手が22kmあたりから集団の主導権を握る様子を見せ始めました。
集団に動きが生じたのは23.2km付近。一山選手が単独で前に出ると、ペースアップしてリードを奪ったのです。すぐに反応した細田選手が500mほどで追いつき、先頭争いは2人に。追い上げきれなかった前田穂選手が単独で3番手を行き、4位グループでは、そこまで集団の後方にいた鈴木亜選手、鈴木優選手、加世田選手が上がってきて前田穂選手を追う展開となりました。25kmは、23kmからの1kmを3分18秒、3分21秒へと引き上げた一山選手が1時間24分58秒(16分54秒)、細田選手は1秒後れの1時間24分59秒で通過。前田穂選手に追いつき3位グループとなった後続は25kmまでで6人に減り、細田選手と4秒差の1時間25分03秒で通過。その後、再び前田穂選手が単独で前に出る動きも見せたものの、先頭には追いつけず、池田選手と鈴木亜選手が脱落した後続グループに吸収され、前田穂、鈴木優、加世田、松下の4選手からなる3位集団がつくられました。しかし、最初の周回で市田選手が転倒した内幸町の折返しで、松下選手が同じように足を滑らせて転倒するアクシデントに見舞われ、ここで3位グループから後れてしまいます。28km地点では、トップの一山選手・細田選手、8秒空けて前田穂選手・鈴木優選手・加世田選手の3位集団、松下選手、鈴木亜選手の順となりました。その後、先頭では、中央通りに入ったあたりから細田選手が前に出て、一山選手が後ろにつく展開に。一方、3位グループも、中央通りに入ったところで前に出た鈴木優選手に加世田選手がつき、前田穂選手が取り残されてしまいます。30kmは細田選手が1時間41分57秒(16分58秒)で通過して、一山選手が1秒後れ。これに鈴木優・加世田の2選手が1時間42分08秒で続き、4秒後れて前田穂選手が通過していきました。
トップ争いは、32.5kmあたりから再び一山選手が前に出て、その後、徐々にリードを広げていきますが、一方で、後方から追ってきた「最年少24歳コンビ」の鈴木優選手と加世田選手と先頭2選手との差がぐんぐん詰まっていきます。鈴木優選手と加世田選手は36km過ぎで細田選手に追いつき、いったん2位グループとなりましたが、上り坂を得意とする鈴木優選手がリードしていくなかで、まず細田選手が後れ、さらに加世田選手も突き放されてしまいます。鈴木優選手は、その後も単独でぐんぐんと先頭の一山選手との差を詰め、外堀通りの上りを終えた38.4km付近で追いつくと、急な上りを含むその後のアップダウンをものともしないパワフルな走りで一山選手を突き放しました。上り基調となる35~40kmを17分22秒、そして最後の2.195kmを7分28秒でカバーして2時間24分09秒で優勝。強い雨に打たれ続ける悪天候下にもかかわらず、初マラソンでマークした2時間25分02秒の自己記録(2022年、学生記録)を1分以上更新して、パリオリンピックの代表に内定しました。
もう1枚の代表切符を手にしたのは一山選手。鈴木優選手にかわされてからは苦しい走りとなりましたが、懸命に最後まで粘って2時間24分43秒でフィニッシュしました。一山選手は、東京オリンピックでは日本勢最高位の8位入賞の成績を残しましたが、前回のMGCは6位にとどまり、その後のファイナルチャレンジで代表入りを決めていたため、MGCでの内定は初めてとなります(鈴木優選手、一山選手のコメントは、別記ご参照ください)。
その一山選手を猛追して、3位となったのが細田選手です。細田選手は、36km過ぎでいったん4位に後退していましたが、38km手前で加世田選手を逆転すると、40kmの段階で14秒あった一山選手との差を7秒まで縮め、2時間24分50秒でフィニッシュ。このあと行われるファイナルチャレンジで設定記録の2時間21分41秒を上回る者が現れなかった場合に代表切符を手にできる状態で、ファイナルチャレンジに臨む形となりました。4位には、ブダペスト世界選手権に続くレースながら、最後まで上位争いに絡んだ加世田選手が2時間25分29秒で続き、転倒に見舞われながらも終盤で順位を上げた松下選手(2時間25分57秒)、その松下選手を追う形で中盤以降に順位を上げてきた谷本観月選手(2時間26分40秒)、中盤までレースを引っ張った前田穂選手(2時間27分02秒)の天満屋勢が5~7位でフィニッシュ。前回のMGCで2位となって東京オリンピックに出場した鈴木亜選手は、終盤苦しい走りとなり2時間31分33秒・12位で競技を終えました。
【女子 パリ五輪日本代表内定選手コメント】
鈴木優花(第一生命グループ)
優勝 2時間24分09秒
今回、MGC初出場ということで、とても緊張はしていたが、自分らしい「冷静かつ大胆に」という走りを、しっかり実行したなかで、(パリオリンピックの出場権を)勝ちとることができて、本当に嬉しく思う。
レースでは、とにかく自分のリズムで行けば、行けるという自信があった。(序盤は、先頭からは離れていたが)そこはへんについていかずに、自分のリズムで最後まで押していくという意識で走っていた。すごくリラックスして走ることができていたので、最後は行ける自信があった。(選手が絞られてきた段階でも)無理に(ペースを)上げすぎてもピタッとつかれてしまう気がしていたので、そこの判断を間違えないことだけを常に考えて、同じリズムで押していった。だから(終盤でも)前が落ちるのを待っていたというよりは、常に様子を伺っていたような感じ。追いついたところで、また(相手に)ペースを上げられることも想定していた。
<内定する2位に浮上してからも、先頭の一山選手を追ったときの心境を問われて> 2番以内に入ればオリンピックには決まるけれど、世界で戦うためには、日本国内のなかでも1番をとるところからしっかりと見据えていかなければいけないなと思っていたので、最後の最後まで出しきるということを考えて走った。
<終盤の失速に課題を残した過去2回とは異なるレースができた要因を問われて> ここまでの練習のなかで、30km走、40km走は、何回かしっかりと積み重ねることができていたが、練習の期間はとにかく余裕がなくて、常に息が上がりながらの状態で走っていた。しかし、今日はそれがなくて、30km以降も「ここからだぞ」という余裕が持てていた。そこが後半の力強い走りにつながったのではないかと思う。また、頭のなかで何も考えないで、とにかく「一定のリズムで」というところを考えて走っていた。それも後半の勢いにつながったのではないかと思っている。
(2021年に行われた)東京オリンピックのときは、(大東文化大4年生だった)その時点はマラソンには取り組んでいなかったが、同級生の田中希実ちゃん(1500m入賞)や1歳下の廣中璃梨佳ちゃん(10000m入賞)など、同年代の選手がたくさん活躍しているのを見て、自分は世界を目指すという立場として、まだまだ低い位置にいるなということを痛感するとともに、「辿り着けるのかな」というネガティブな思いがすごく出てきた記憶が残っている。
変わることができたのは、そのネガティブ思考から脱却してから。(2022年度から第一生命グループ所属となって)山下佐知子監督のマラソンの練習にも、本当の本当の意味で勝負するための練習を積み重ねてきた。(この大会に向けては)2カ月間、アメリカで合宿を行ったが、最初は練習パートナーの後ろについて、とにかく「やるしかない」と、ひたすら前を追って走っていた。ただ、その無心になって走ることで、こんなにも練習が積み上げられるんだということを実感した。「積み重ね」というところでは、今までのなかで一番頑張ることができたと思っている。また、一番変わったのは思考回路。大学のころから、駅伝とかでは前を追って「全員抜いてやる」くらいので気持ちで毎回最初からガツガツ行って走っていたが、マラソンというのは全然違う競技だなと思った。監督やスタッフの皆さんから「冷静に行けよ」と、最初は本当に身を潜めるくらいのレース運びで進めることをご指導いただいたなかで、冷静さというところを気持ちの面で身につけることができた。そこが大きく変わったところかなと思う。
ただ、ここが本当にスタートラインに過ぎないと思っている。世界で戦うまでには、まだまだ差がある。これからまたしっかりと本格的な練習を積んで、オリンピックでは世界としっかり戦って入賞して、またさらにその次の(2025年東京)世界選手権や、その先へとずっと続いていくように頑張っていきたい。
一山麻緒(資生堂)
2位 2時間24分43秒
まず、今日は、雨で大変な天気のなか、沿道でたくさんの大きな声援をくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいである。今まで陸上をしてきたなかで、一番嬉しい2番だった。パリの切符が本当に取れて、ホッとした気持ちでいる。
今日は、最後の最後まで(周りのペースに)合わせて走る展開を考えていたが、予定よりも早く前に出る形となった。それは、ちょっと自分のリズムで行きたいなと思ったから。すごく自信があったというわけではなかったが、「行ってみたい」という気持ちになったので前に出た。特に、ペース等は決めていなくて、時計も一切見ていなくて、自分のリズムで押していった。ラスト10kmくらいまでは、呼吸も上がらずに走れていたと思うが、(フィニッシュまでの)カウントダウンに入ってからは、1km、1km進むごとに、後ろとの差があまりないこともわかっていたので、ドキドキしながら走る形となった。
本当に苦しくなって、脚とかにも(ダメージが)来たのは残り4kmくらいから。太ももの後ろのあたりにだいぶ来ていたので、そこは本当に苦しかった。(2番手で走っていたラストは)3番目とはあまり差がないということは感じていたので、「ここで抜かれるわけにはいかない」と思って、もう必死で走った。
<東京オリンピックからの2年間についての問いに> この2年間は、去年もパッとした成績を出せなくて、(オレゴン)世界陸上も走れなかった(現地でコロナウイルス陽性の診断が出て欠場を余儀なくされた)こともあって、自分のしたい走りが全然できない1年だったし、今年に入ってからも東京マラソンでも思うような走りができなくて(2時間31分52秒、14位)、練習でも自分の走りに自信が持てない日々が続いていた。ここ2年ほど良いイメージがなかったので、今回のMGCでも、「本当に、パリ(オリンピック内定が)取れるのかな」という気持ちがあった。ここでパリの切符を取れたということは、一つ吹っ切れるきっかけになったのかなと思う。
今回は、(6位に終わって即時内定を決められなかった)4年前のMGCとは全然違うMGCとなった。今日、内定が決まって本当に嬉しい。東京(オリンピック)が終わってから、ずっとパリ(オリンピック)に行きたいと思ってやってきた。(パリでは)東京オリンピックのときよりも思いきった走りをして、8番(東京オリンピックでの順位)よりいい順位で走れるように頑張りたい。
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真:アフロスポーツ
【MGC】マラソングランドチャンピオンシップ
日本陸連が主催するオリンピックマラソン日本代表選考会で、初開催は2019年9月15日に東京2020オリンピック競技大会日本代表選考会として行われた大会です。2023年秋(10月15日)は、パリ2024オリンピック競技大会の日本代表選考会として開催します。
MGCで1位および2位となった選手が、パリオリンピック日本代表に内定します。
■【MGC出場選手】
https://www.mgc42195.jp/finalist/
■【MGC】リザルト
https://www.mgc42195.jp/news/article/19079/
■【MGC】男女5kmごとの通過記録
https://www.mgc42195.jp/news/article/19078/
■【MGC】出場選手の各種データ
https://www.mgc42195.jp/news/article/19044/