・文中敬称略。
・所属は当時のもの。
「最後の福岡」で「JMC・第1期・最初のレース」
12月5日に行われる「第75回福岡国際マラソン選手権大会」がそのレースをもって1947年から続いてきた74年の歴史の幕をおろす。そして、新たに始まることになった「JMC(ジャパンマラソンチャンピオンシップシリーズ)」のスタートのレースともなる。ここでは、「ラスト福岡」のテレビ観戦のお供に、いくつかの視点からのデータを紹介する。
「JMC」とは?
「JMC」についての詳細は、https://www.jaaf.or.jp/jmc-series/outline/
をご覧いただくとして、簡単に説明すると……、
「JMC」は、1つの年度を「期」とし(第0期と第1期はあてはまらない)、2期分を「シリーズ」として、2期分の合計ポイントでシリーズ総合成績を争う。
シリーズ総合成績は、日本選手権の順位決定や日本代表の選考などにも直結し、安定して高いレベルのパフォーマンスを残した競技者が、日本選手権者や日本代表となる仕組みである。
そのスタートとなる今年度(シリーズⅠ)は、第0期(2020年12月1日~21年10月31日)と第1期(21年11月1日~22年3月31日)が対象となる。
シリーズⅠは、「グレード1(G1)」、「グレード2(G2)」、世界陸連の「ラベルレース(エリートラベル以上で、第0期の東京五輪も含む/https://www.worldathletics.org/competitions/world-athletics-label-road-races/calendar-results)」が対象で、そこでの記録を世界陸連採点表(https://www.worldathletics.org/news/iaaf-news/scoring-tables-2017)で「記録ポイント」を算出。それに各大会のグレードに応じた「JMCポイント(順位によるポイント)」の合計「パフォーマンスポイント」を算出する。
「シリーズⅠ」については、各選手が「第0期」と「第1期」に出場したレースで「パフォーマンスポイント=記録ポイント+JMCポイント」の上位2レースの合計ポイントで総合順位を決める。ただし「第0期」についてはパフォーマンスポイントが高い1レースのみがその対象、また海外レースも「第0期」「第1期」で1大会のみがその対象。「第0期」に出場していない選手は、「第1期」の2レースに出場してポイントを獲得する必要がある。
男子の「第0期」と「第1期」の対象大会と大会グレードは下記の通り。
<G1> | 第0期 | 第1期 | |
---|---|---|---|
福岡 | ○ | ○ | |
別大 | × | ○ | |
びわ湖 | ○ | -(「大阪」に引き継ぐ) | |
大阪 | × | ○ | |
東京 | × | ○ | |
<G2> | 第0期 | 第1期 | |
防府 | ○ | ○ |
<海外>
https://www.worldathletics.org/competitions/world-athletics-label-road-races/calendar-results
を参照。
切りのいい記録に相当する「記録ポイント」と1100点以上の50点毎の記録は、
1316点 | 2.01.39.=世界記録 | |
1309点 | 2.02.00.(2.02.01.が1309点) | |
1300点 | 2.02.29. | |
1290点 | 2.03.00.(2.03.01.が1290点) | |
1271点 | 2.04.00.(2.04.02.が1270点) | |
1254点 | 2.04.56.=日本記録(2.04.57.が1254点) | |
1253点 | 2.05.00. | |
1250点 | 2.05.10. | |
1234点 | 2.06.00.(2.06.02.が1234点) | |
1216点 | 2.07.00. | |
1200点 | 2.07.53. | |
1198点 | 2.08.00. | |
1179点 | 2.09.00.(2.09.03.が1179点) | |
1162点 | 2.10.00. | |
1150点 | 2.10.40. | |
1144点 | 2.11.00. | |
1126点 | 2.12.00.(2.12.01.が1126点) | |
1109点 | 2.13.00. | |
1100点 | 2.13.31. |
なお、五輪(&世界選手権)での記録ポイントは、完走した実際のタイムに関わらず「1200点(2時間07分53秒相当)」が基礎ポイントとして付与され、「2時間07分53秒」よりも記録がいい場合は、それに相当するポイントを獲得できる。
大会のグレード別の男子の「JMCポイント(日本人選手内での順位が対象。海外&東京五輪は外国籍選手を含む順位が対象)」は、
G1 | G2 | 五輪 | 海外1 | 海外2 | |
---|---|---|---|---|---|
1位 | 140 | 40 | 270 | 140 | 90 |
2位 | 105 | 30 | 220 | 105 | 70 |
3位 | 90 | 20 | 195 | 90 | 60 |
4位 | 75 | 175 | 75 | 50 | |
5位 | 60 | 155 | 60 | 45 | |
6位 | 50 | 145 | 50 | 40 | |
7位 | 45 | 135 | 45 | 35 | |
8位 | 40 | 125 | 40 | 30 | |
9位 | 35 | 80 | |||
10位 | 30 | 70 | |||
11位 | 25 | 60 | |||
12位 | 20 | 50 |
以上の通りで、「第0期」と「第1期」の2レースの合計ポイントで最上位の選手が「2021年度(第105回)日本選手権優勝者」となる。
また、22年7月のオレゴン世界選手権の代表選考にも利用される。
12月5日のレースについては後述するが、「最後の福岡」ということで、過去の歴史などについてのお話しを少々……。
「福岡国際マラソン」は「日本マラソンの父」の故郷・熊本で誕生
日本人初のオリンピアン・1912年ストックホルム五輪マラソン代表だった金栗四三の功績を称えるとともに、日本マラソンの復興と飛躍を願い氏の出身地である熊本県で開催された1947年の「金栗賞朝日マラソン」がその起源。第1回大会は、12月7日に熊本市の熊本県庁前を発着点として当尾村御野立所を折り返すコースで行われ33人が出場し午前9時50分に金栗の号令でスタートした。その後、大会名や開催地が何度か変更され、59年(第13回)から現在と同様に平和台陸上競技場を発着点として行われてきた(ただし、63年は翌年の東京五輪のプレ大会として国立競技場発着の五輪コースで実施)。
大会名称の変更は以下の通り。
1947年(第1回)~54年(第8回)「金栗賞朝日マラソン」
1955年(第9回)~65年(第19回)「朝日国際マラソン」
1966年(第20回)~73年(第27回)「国際マラソン選手権」
1974年(第28回)~2021年(第75回)「福岡国際マラソン選手権」
開催地(発着点と折り返し地点)の変更は以下の通り。
1947年(第1回)熊本県熊本市~当尾村折り返し
1948年(第2回)香川県高松市~栗熊村折り返し
1949年(第3回)静岡県清水市内
1950年(第4回)広島県広島市内
1951年(第5回)福岡県福岡市~前原町折り返し
1952年(第6回)山口県宇部市内
1953年(第7回)愛知県名古屋市~小牧市折り返し
1954年(第8回)神奈川県鎌倉市~横浜市戸塚区折り返し
1955年(第9回)福岡県福岡市~古賀町折り返し
1956年(第10回)愛知県名古屋市~小牧市折り返し
1957年(第11回)福岡県福岡市内(雁ノ巣折り返し)
1958年(第12回)栃木県宇都宮市~日光市折り返し
1959年(第13回)~62年(第16回)福岡県福岡市内(雁ノ巣折り返し)
1963年(第17回)東京都渋谷区~調布市折り返し
1964年(第18回)~84年(第38回)福岡県福岡市内(雁ノ巣折り返し)
1985年(第39回)~90年(第44回)福岡県福岡市内(和白丘折り返し)
1991年(第45回)~2021年(第75回)福岡県福岡市内(香椎折り返し)
福岡市で初めて行われたのは、51年(第5回)。今回を含め75回のうち65回が福岡市で開催されたことになる。ただし、福岡市内でもコースは何度か変わり、市街地での細かな変更を含め9種類のコースで行われてきた。
57年(第11回)から84年(第38回)までは、15km付近まで市街地を走り、和白から博多湾に突き出した細長い「海の中道」に出て雁ノ巣を折り返し、27km付近で和白に戻ってくるコースが使用された。その間にも市街地での細かな変更はあったが68年(第22回)からの17年間は同じコースで行われた。
しかし、海の中道の往復12kmほどは、海風の影響を受けることが多かったため、85年(第39回)からはその部分をカットし、海の中道の付け根にあたる和白丘で折り返すコースに変更。さらに、91年(第45回)からは海沿いの部分をさらに減らすため、市内の部分を増やして香椎で折り返すコースとなって現在に至っている。世界各地のレースが「記録の出やすい高速コース」を謳って有力選手を集め始めたのに対抗するためのコース変更だった。また、コースの高低差は、8mあまりで非常に平坦な「高速コース」である。
54年(第8回)から国内の大会で初めて海外選手を招いた「国際レース」となり、特に1960年代後半から海外の賞金レースが盛んになってくる90年頃までは、国内外からたくさんの有力な選手が集結し、その年の「実力世界一決定戦」ともいえる位置づけのハイレベルな大会となった。
2010年に世界陸連が認定する最高ランクの「ゴールドラベル大会」となり、20年には同陸連から「陸上競技世界遺産(Heritage Plaque)」にも選出された(日本国内の大会では、「箱根駅伝」も同世界遺産に選出されている)。
第1回大会からハイレベルなエリートランナーのみが出場するレースで、参加資格記録も国内レースでは最も高い2時間25分~29分台以内などが設定されてきた。そのため、多い年でも百数十人の出場だったが、2004年(第58回)からは、「2時間50分00秒以内」のレベルの高い市民ランナーにも門戸を開いた。参加資格記録2時間27分00秒以内の74人は平和台競技場をスタート。それ以下の442人は大濠公園スタートで、数kmで合流するという方式。史上最多の516人が出場した。これまでの最多出場は、15年(第69回)の721人だ。
世界最高記録2回、日本最高記録8回が誕生
67年(第21回)12月3日、世界で初めての「2時間10分切り(サブ10)」となる衝撃的な世界最高記録(2時間09分36秒4/デレク・クレイトン/豪州)が誕生した。それまでの世界最高記録は日本の重松森雄(福岡大)が65年6月12日のウィンザーマラソンでマークした2時間12分00秒。クレイトンは、その記録を一気に2分23秒6も破ったのだった。その更新幅「2分23秒6」は、世界最高記録が2時間20分を切った53年6月13日(2時間18分40秒4)から現在までの68年間で最も大きな更新幅である。
ちなみに、53年以降の68年間で歴代2位の大きな更新幅は、「2分22秒4」(2時間17分39秒4→2時間15分17秒0/セルゲイ・ポポフ/ソ連/1958.8.24)、同3位は「1分43秒8」(2時間13分55秒→2時間12分11秒2/アベベ・ビキラ/エチオピア/1964.10.21=東京五輪)、同4位は「1分02秒8」(2時間09分36秒4→2時間08分33秒6/デレク・クレイトン/豪州/1969.05.30)だ。
なお、マラソンの記録が「世界記録(および日本記録)」として公認されたのは、04年1月1日から。その時点での過去に遡っての最高記録が「初代世界記録(日本記録)」となった(世界記録2時間04分55秒/ポール・テルガト/ケニア/2003.9.28/ベルリン。日本記録2時間06分16秒/高岡寿成/カネボウ/2002.10.13/シカゴ)。
それまで「最高記録」の扱いだったのは、マラソンでは、コースの条件が異なるためという理由からだった。また、04年1月1日に「世界記録(日本記録)」を公認する際には、スタート地点とフィニッシュ地点の直線距離が21.0975kmを超えて離れているものは「片道コース」、発着点の高低差が42.195mを超えて下っているものは「下り坂コース」という扱いで、公認記録の対象外というルールが設定された。そのため、これに該当するコースの記録は世界記録や日本記録としては認められず、その両方に該当するボストンマラソンの記録は、「片道&下り坂コースの記録」という扱いになった。
67年の史上初の「サブ10」のレースは、マイク・ライアン(ニュージーランド)が引っ張り、これにクレイトンが帯同する展開。当時としては驚異的ともいえる超ハイペースでレースは進んだ。
5km | 15.06. | 15.06. | |
---|---|---|---|
10km | 29.57. | 14.51. | |
15km | 44.57. | 15.00. | |
20km | 59.59. | 15.02. | |
Half | 1.03.22. | 63.22. | |
25km | 1.15.11. | 15.12. | |
30km | 1.30.32. | 15.21. | |
35km | 1.46.11. | 15.39. | |
40km | 2.02.16. | 16.05. | |
Finish | 2.09.36.4 | 7.21. | 66.15.(前後半差▽2.53.) |
5kmから10kmをマラソンでは「史上初の14分台」で刻んだ。17kmでライアンが後退したあともクレイトンはハイペースを維持し20km通過は59分59秒で初の「1時間切り」。終盤にペースダウンしたものの「2時間09分36秒4」でテープを切り、史上初の「サブ10」を果たしたのだった。
当時は各地点の通過タイムは公認されなかったが、世界陸連の資料(世界記録変遷史)には10km、15km、20km、ハーフ、25km、30kmのすべての距離の通過記録が、その距離でフィニッシュする種目を含めてそれまでの「世界最高記録」を上回りクレイトンの名前が「世界記録変遷史」に残っている。
また、このレースでは、15km地点でクレイトンに39秒差をつけられていた佐々木精一郎(九州電工)が、少しずつその差を縮め、28km過ぎに追いつき併走。34kmから腹痛のため引き離されたが、2時間11分17秒0で従来の世界最高記録(日本最高記録でもある)を43秒上回り2位でフィニッシュ。佐々木の30km通過タイム1時間30分32秒もクレイトンとともに「世界最高記録変遷史」に残っている。過去74回の福岡の「エポック」ともいえるレースだった。これをきっかけに「Fukuoka」の名前が世界中のマラソン界に行き渡ることになった。
81年(第35回)にも2時間08分18秒(ロバート・ド・キャステラ/豪州)の世界最高記録が生まれた。
ただし、その時点で「世界最高記録」として認知されていたのは37日前の10月25日のニューヨークでアルベルト・サラザール(米国)が出した2時間08分13秒(10分の1秒単位の記録は「2時間08分12秒7」)で、ド・キャステラは5秒及ばなかった。
が、84年12月にニューヨークのコースが「148m距離不足」であったことが判明し、ド・キャステラの記録が3年遅れで「世界最高記録」と認定された。
しかし、ニューヨークの距離不足が判明する2カ月前の84年10月21日にシカゴでスティーブ・ジョーンズ(英国)が2時間08分05秒で走ったため、同じ時代を生きていた人にとってド・キャステラの2時間08分18秒は「世界最高記録」と認識されることはなく、「世界最高記録変遷史」の中でのみの「世界最高記録保持者」ということになってしまった。何とも気の毒な限りであった。
2回の「世界最高記録」の他にも「日本最高記録」も以下の8回マークされている。
1955.12.11(第9回) | 2.23.51. | 廣島庫夫(旭化成)=同年世界8位(同年世界1位2.21.21.6) |
1957.12. 1(第11回) | 2.21.40. | 廣島庫夫(旭化成)=世界5位(2.19.50.) |
1960.12. 4(第14回) | 2.20.42. | 中尾隆行(中京大)=世界12位(2.15.16.2) |
1962.12. 2(第16回) | 2.16.18.4 | 寺沢徹(倉レ)=世界2位(2.16.09.6) |
1964.12. 6(第18回) | 2.14.48.2 | 寺沢徹(倉レ)=世界3位(2.12.11.2) |
1967.12. 3(第21回) | 2.11.17.0 | 佐々木精一郎(九州電工)=世界2位(2.09.36.4) |
1970.12. 6(第24回) | 2.10.37.8 | 宇佐美彰朗(日大桜門会)=世界2位(2.09.28.8) |
2000.12. 3(第54回) | 2.06.51. | 藤田敦史(富士通)=世界2位(2.06.36.) |
上記の通り、福岡で生まれた日本最高記録は、その年の世界の上位に位置するレベルの高い記録だった。
「【記録と数字で楽しむJMCシリーズ】福岡国際マラソン(2)」に続く……
野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)
▼JMCシリーズ特設サイト
https://www.jaaf.or.jp/jmc-series/
▼オンエア情報(予定)
12月5日(日)12:00~
テレビ:朝日系列など全国29局ネット
ラジオ:九州朝日放送発全国6局ネット
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