2020年東京オリンピックと、その後の国際競技会における活躍が期待できる次世代の競技者を強化育成することを目指すとともに、その活躍の過程で豊かな人間性とコミュニケーション能力を身につけ、「国際人」として日本、さらには国際社会の発展に寄与する人材に育つことを期して創設された「ダイヤモンドアスリート」制度。2014-2015年シーズンから始まったこの制度も、昨年11月からは6期目に突入しました。
第6期となる2019-2020年のダイヤモンドアスリートは、6名の継続競技者と新規に認定された2名の競技者からなる全8名。すでにリーダーシッププログラムのほか、さまざまな研修プログラムが行われています。
ここでは、第6期(2019-2020)認定アスリートとして、新たに加わった競技者のインタビューを掲載します。第1回は、走幅跳の藤原孝輝選手(洛南高校2年・京都)です。
◎取材・構成、写真:児玉育美(JAAFメディアチーム)
嬉しいという思いとともに
責任を感じたダイヤモンドアスリート認定
―――現在、合宿中で、ダイヤモンドアスリートに向けた、さまざまなプログラムも始まっています。実際に受けてみていかがですか? 先ほど英会話のレッスンが終わったばかりですし、昨日は栄養の講義がありました。
藤原:アスリートとして、栄養のことについてなど、今まで以上に考えていかなければならないと思っていたので、昨日の栄養学習で詳しく学べたことはすごく自分のためになりました。英語についても、これから外国に行くことが増えると思うので、これからも積極的に受けていきたいです。
―――ダイヤモンドアスリートの制度については、ご存じでしたか?
藤原:はい、それは知っていたのですが、詳しいプログラムとかはよく知らなかったので、最初は緊張しました。
―――選ばれたと聞いたときは、どんな気持ちでしたか?
藤原:まずは、すごく嬉しかったです。また、ダイヤモンドアスリートはすごい選手がなるものなので、そのなかで自分もしっかりと結果を残していかなければならないと、責任を感じました。
―――先日の認定式のあとでは、1回目のリーダーシッププログラムが行われました。実際に受けてみて、どうでしたか? いきなり質問されたりもしていましたが。
藤原:僕は、自分の気持ちを言葉に表すことが苦手なので、こういう経験によって、この先、取材などのときに、少しはうまく応えられるようになるのかなと思いました。
―――藤原くんには、昨年のU18日本選手権などでも話を伺っていますが、きちんと話してくださっていたので、得意なのかなと思っていました。
藤原:得意じゃないです(笑)。話しかけられて、すぐに自分のことを言うのが苦手なので、インターハイのときも、試合が終わってすぐにあったインタビューで、自分の言葉がまとまらずにしゃべってしまってぐちゃぐちゃ(笑)になってしまいました。そういうときに、すぐに言葉にできるように鍛えていきたいと思っているんです。
―――大きな規模の競技会には必ずミックスゾーンが設けられています。これからは、試合が終わったら必ず、まずメディアからのインタビューを受けることになりますから、大切なことですね。
藤原:はい。
兄の練習について、小学1年生から陸上クラブへ
―――陸上は、小学生のころから、やっていらしたそうですね。
藤原:はい。兄が陸上をやっていて、その練習に小学1年生のころからついていって、横で真似していました。クラブ自体には2年生になったときに入ったのですが、そのころは、まだ熱心にやるような感じではなくて、遊び程度の気持ちでした。ちゃんと練習に取り組み始めるようになったのは、小学4~5年あたりからです。
―――草津JACですね。地域のクラブチームになるのですか?
藤原:そうです。
―――過去の記録を調べていたら、全日本びわ湖クロスカントリーの小学生記録会の部で1kmのレースに出場しているのを見つけました。また、100mでも記録が残っていますね。いろいろな種目をやっていたのですか?
藤原:小学5~6年くらいは、県で1位とかもとれていたので100mをやっていたんですが、中学に入ったあたりでどんどん抜かされていったので、種目を転々として自分に合うものを探していったという感じです。
―――じゃあ、最初は100mがやりたかった?
藤原:というよりも、陸上をまじめにやり始めたところで、種目を選ぶという前の段階で100mをやっていたという感じでした。
―――その100mでは、5年生のときに県大会で優勝して、全国小学生陸上に出場しています。それが初めての全国大会でしょうか? いかがしたか?
藤原:めちゃくちゃ緊張して、自分の走りなんて全くできませんでした。スタートもめちゃくちゃ出遅れて…。なんか、いやな思い出しかないです(笑)。でも、小学5年生のときに経験していたから、中学3年で出た全日中では多少緊張は解けたのかなと思っています。
ハードルの楽しさを知った中学時代
満足感と悔しさの両方を味わった全日中
―――そして、高穂中学校では陸上部に入部しました。これは最初から決めていたのですか?
藤原:ずっとやっていたので、ほかのことをやるよりも陸上を、と考えていたのと、僕はほかのスポーツをやっていなくて、球技とかも下手くそで…(笑)。スポーツの部活に入るとしたら陸上しかないなと最初から決めていました。
―――1年生のときは、どんな感じだったのですか?
藤原:試合に出てはいたのですが、ちょうど周りが成長期だったので、置いていかれたというか、なかなか勝てませんでした。僕の100mのタイムが全然伸びていなかったこともあって、そこですごく差をつけられました。
―――それで、いろいろな種目に挑戦したのですか? 2年生になって四種競技にも出ています。
藤原:はい。中学2年のはじめごろですね。もともと小学6年生のときに走高跳をやっていて、あと、ハードルもやってみたいと思っていたんです。四種競技だといろいろな種目ができるので、自分にどれが合っているのか感覚的にわかりやすいかなと思って、先生に相談して、一度出ることになりました。そこでハードルが思っていたよりも走れたので、「ハードルをやってみよう」と決めました。
―――それが110mHを始めたきっかけだったのですね。ハードルは中学校3年になって記録を伸ばしました。
藤原:はい。中学2年のときは、シーズンの最後あたりで15秒台に乗ったくらいで、近畿の合宿などにぎりぎり行けるかどうかという程度だったのですが、冬を越えてすごく伸びましたね。3年の春に15秒前半がすっと出て、そのままどんどん記録が上がっていったんです。最終的に、シーズンに入ってから1秒記録が伸びることになりました。
―――5月にマークした15秒19(-0.4)から、8月の全日中で14秒16(+0.8)まで伸びたということですね。これだけ一気に記録が伸びると、楽しかったでしょう?
藤原:めちゃくちゃ楽しかったです(笑)。自分の思い通りにいくので、すごく気持ちいいですし。
―――そして全日本中学校選手権へ出場して決勝進出を果たし、決勝では、それまでの自己記録をさらに0.1秒塗り替える14秒16をマークして5位に入賞しました。この結果は、思っていた以上のものだったのですか?
藤原:決勝には進みたいというか、進む自信はありました。自分としては、記録自体はそこそこ満足できたのですが、やっぱり決勝ですし、3位以内に行きたかったので順位は…。周りも速かったけれど、やはりどこかやりきっていないというか、満足できないというか。いい面もあって、悪い面もあってという感じでした。
―――「あと、もうちょっとなのに」と?
藤原:はい。手の届きそうなところだったので、余計に悔しかったのはありますね。
柴田先生との出会い
高校では、ハードルと走幅跳の2本立てで
―――秋のジュニアオリンピックもハードルで出場して、ここでは準決勝まで進みました。このころは、ハードルを専門にしていこうとしていたのでしょうか?
藤原:はい、ハードルで行くつもりでした、ずっと。
―――そんななかで洛南高校への進学を決めました。どういう経緯で決まったのですか?
藤原:柴田(博之)先生から推薦の話をいただいて、直接、話をさせていただいたとき、柴田先生の考えとか学校の方針とかを聞いて「自分に合っているな」と思いました。陸上をこのまま続けて、トップを目指そうと思うのなら、ここに行くべきかなと思ったので、洛南高校に進むことにしました。
―――「トップを目指そう」というのは、どのあたりから意識するようになったのですか?
藤原:そのころは、とりあえず「高校生での日本一」を目指していましたね。
―――高校からは走幅跳にも取り組んでいくことになりました。柴田先生からは、どのように?
藤原:中3の秋、周りの3年生が引退するような大会に遊び半分で走幅跳に出たら、けっこう跳べて、その記録をなぜか柴田先生が知っていて…(笑)。それで、直接話をしたときに、「高校では、幅跳びも(ハードルと)一緒にやったらどう?」と言われました。僕としてもハードル一本でいくよりも、いろいろな種目をやっているほうが楽しいので、やらせてもらったんですけど、幅跳びが合っていたみたいで、最初は記録は全然伸びなかったんですけど、(高校1年の)国体のときにグッと40cmくらい伸びたので、そこからはすごく好きになりました。
―――高校でも、まずはハードルで成果が出ています。ハイハードル(一般の規格:ハードルの高さ106.7cm)に規格が変わったにもかかわらず、2戦目から14秒台で走っていますね。もしかしたらハイハードルのほうが走りやすかったのでは?
藤原:はい。自分には合っていたような感じはしますね。僕、身長が高いので、走るのもストライドを大きくして走るのですが、ミドルハードル(※中学で実施されている規格の通称。ハードルの高さが91.4cmで実施される)だとインターバルを刻みきれなくて、自分の長所を生かせなかったのですが、ハイハードルになって、周りがインターバルで苦戦しているところを、僕は、自分の長所を使ってしっかり走れたので、最初から適応することができました。
―――走幅跳のほうは、インターハイ京都府大会では、予選で6m80を跳んで組のトップで通過しています。そのまま行けば近畿大会出場は確実だったのではないかと思うのですが、決勝は8位に終わっていますね。これは何かあったのですか?
藤原:全く足が合わなくなってしまったんです。そもそも“幅跳び経験”がなかったので、その前の大会では、逆足で踏み切って跳んじゃったりしていたほど(笑)。このときも、ちゃんと記録が残せるような状態の跳躍ではなくなってしまって…。
―――1回崩れてしまうと、立て直せなくなることがあるから…。それで、インターハイはハードルのみでの出場となったわけですね。準決勝まで進みましたが、初めてのインターハイというのはどうでしたか?
藤原:感覚としては、全日中のような感じでしたが、1年生だったので、周りが自分の記録よりも高い記録を持っている人がほとんどで、そこは緊張しましたね。僕はスタートで前に出られたら、自分の走りがうまくできないことが多いのですが、案の定、予選も準決勝も、自分の走りがうまくできないまま終わってしまいました。特に準決勝では、スタートのところから、いつもの自分とは全く違うような感じだったので悔しかったです。ただ、そのときの経験は、次の年のインターハイに生きたような気がします。その経験があったからこそ、去年のインターハイのとき、通常だったら焦るところで、冷静になるところまではいかないにしても、多少は気持ちを落ち着かせることができるようになっていたのではないかと思います。
―――その2年時のインターハイのお話を伺う前に、その後のお話を。ハードルでは、8月末に当時高1歴代3位となる14秒52まで記録を伸ばしました。また、走幅跳のほうは、7月に7m台をマークすると、10月の福井国体(少年B)では、4回目に7m46(+1.1、当時高1歴代4位)を跳んだのちに、最終跳躍では追い風参考記録(+2.8)ながら7m52の跳躍を見せて2位という好成績を残しています。ずっと順調に進んでいったわけですが、2年生のシーズンはじめに、腰に痛みが出るアクシデント。そこからは苦労があったようですね。
藤原:はい。3月のはじめにウエイトトレーニングをしたとき腰に痛みが出て、病院に行ったら腰椎分離症と診断されました。ひびが入っていたのですが、治る可能性はあるということで、そこからはコルセットを巻いて、種目とは離れて違う練習をするようになりました。
―――補強のような内容でしょうか?
藤原:最初は補強をして、途中から直線だけなら走ってもいいということで直線の流しをするようになって、次はスパイクを履いて…というように、強度や負荷を少しずつ高めていく感じです。シーズンには後れて入る形になりましたが、(インターハイ路線については)最初から動ける状態で迎えることができました。
―――京都の場合は、府大会が6月に入ってからなので、少し猶予があったわけですね。とはいえ、特に屋外シーズンが始まった4月、5月のころは不安もあったのでは?
藤原:そうですね。周りが試合に出ていくなか、自分は見ているだけだったので、不安プラス早く試合に出たいという焦りなどもありました。でも僕、中2のころにも一度、腰椎分離をやっていて、そのときよりはマシかなと自分の中では思っていたんです。焦りはあったけれど、精神的にはそれほどひどく落ち込むことはありませんでした。
―――走幅跳は、試技回数を減らして臨むなどしていましたね。
藤原:そうですね。近畿大会のころからは全試技を跳ぶようになりましたが、最初は本数を絞って跳んでいました。
―――そのなかでも、ちゃんと記録が伸びていた…。
藤原:それは、痛みが出るまでの高校1年から2年にかけての冬練(冬期練習)が、大半をちゃんとやれていたからだと思いますね。そこまでに基本的な筋肉の強化とか補強トレーニングができていましたし、あと、腰椎分離したときに、普段の練習ではやらないような細かい筋肉というか、細かい部位のトレーニングをできたこともよかったのかなと思っています。
沖縄インターハイで見せた8m12のビッグジャンプ
―――藤原くんの名前を、広く知らしめることになったのが、沖縄インターハイでの8m12というビッグジャンプでした。日本人高校生初の8m台というだけでなく、U20日本新記録でもあり、U18およびU20の各年代における2019年世界リスト1位となる好記録。U18世界歴代では4位タイに位置する素晴しい記録です。ただ、その決勝の前半の試技は、先ほども「通常だったら焦るところ」と触れていたように、ベスト8に残れるどうかハラハラするような滑りだしとなりました。どこがうまくいっていなかったのでしょうか?
藤原:足が合わなかったんです。沖縄は、決勝前の(ウォーミング)アップからすごく調子がよくて、走れすぎて足の回転がどんどん速くなっていました。それで、助走が全然合わなくて、(助走路に2カ所置く)最初のマークから合っていませんでした。そのせいで(踏切板の)2m近く手前から踏み切っていたんです(笑)。
―――2m!(笑)。
藤原:はい(笑)。最初の2本は、柴田先生が(踏み切りの)足を見てくださっていたのですが、ほかの種目の決勝があったので、そこで、いつも見てくれている部活の先輩が代わって見てくれることになりました。僕にとっては、その先輩に見てもらうのが、いつもの状況なんですね。その先輩に見てもらったことで普段通りだという安心感があったのか、3本目は、まだ全然合ってはいませんでしたが少しはましになって7m40を跳ぶことができて、そこからはいつも自分に戻った感じになりました。
―――そして、4回目に7m82(+1.8)の大会新記録をマークしたわけですね。でも、その段階でも踏切板には乗っていなかった…。
藤原:はい。ただ、その時点で、先輩と自分の意見が合うというか、同じような感覚というのがあって、僕を勢いに乗せてくれたんです、先輩が。5本目は、ちょっと失敗しました(7m47、+2.5)が、6本目は完全にリラックスした状態で、なおかつ多少の緊張感もあって、その緊張感が自分にいいように影響しました。踏み切ったあとの記憶がないくらい集中していて、着地したあとに記憶が戻るというような跳躍ができたんです。
―――助走しているときの記憶は?
藤原:曖昧な感じです。「(トラックで行われていた)1500m(の決勝で選手)がラスト100mに来たな」とか、「(1500mの)ゴールと(自分の跳躍が)かぶるけど、まあいいか」みたいな、なんかどうでもいいようなこと(笑)が頭に入った状態で助走をスタートして、踏み切りくらいからは全然記憶がないです。
―――そうなのですね。じゃあ、記憶が残っているのは、着地してから?
藤原:着地して、すごい歓声が聞こえて、で、先輩のほうに寄っていったときの記憶はあって、そこからははっきりしているのですが、踏み切りや(跳躍中の)滞空の時間とかは、全然覚えていないです。
―――この跳躍は、日本陸連の科学委員会が出しているバイオメカニクスデータの数値によると、助走のスピードが落ちないで踏み切れていたようですね。
藤原:はい。僕は、今まで幅跳びを専門としていなかったので技術面が甘いと思うんですが、たぶん、そのときは最後まで走りきれたからなのかなと思っています。
―――それでは、今後は、そこが安定してできるようになることが、次の課題になっていきそうですね。
藤原:はい。
―――秋シーズンでの記録更新も期待されていましたが、国体の少年A走幅跳では5位にとどまりました。インターハイ後に調子を落としてから、うまく合わせることができなかったと聞いています。
藤原:はい。国体は、全体的に助走が詰まっていたんですけど、それをうまく調節できなくて、自分らしい助走ができていませんでした。5本目、6本目で戻ったのですが、逆にそこで気持ちよく跳躍してしまったことで、あと数cmのファウルとなって記録を残すことができず、そういうところの詰めの甘さが自分の課題だなと痛感しました。記録とか結果はすごく悪くて悔しい大会でしたが、課題を見つけることができたのはよかったかなと思います。
―――その意識を持ったうえでU18日本選手権に臨んだわけですね。あいにくの天候となったこともあり、7m66(-0.3)での優勝となりましたが、この試合は、どう評価しているのでしょう?
藤原:このときは時間がかかって、(優勝記録を跳んだ)6本目にやっと修正することができました。ただ、インターハイのときのように足を見てくれる先輩がいないなか、自分で課題を修正していくということができたので、その部分で多少は成長したのかなと思っています。
目指したいのは
「幅跳びも、ハードルもできる選手」
「安定して、高い水準の記録を出せる選手」
―――藤原くんは、自分のどういうところが「強み」だと思っていますか?
藤原:この身長を生かした走りができることと、あとは、(走幅跳の)踏み切りでの入りの部分でしょうか。走幅跳の経験が少ないせいか、たぶんハードルの入りと似ているのではないかと思います。ただ、踏切足はハードルとは逆なので、本当にそれが自分の長所といえるのかどうかはわからないんですけど…。
―――走幅跳とハードルの踏切足は違うのですか?
藤原:はい、別です。ハードルは右足で、走幅跳は左足で踏み切っています。
―――ハードル同様に、右足で踏み切ったほうが、もっと記録が出たりして…。
藤原:(笑)。わからないですね。さっきも話したように高校1年の最初のときは、逆足で踏み切ってしまったりしたこともあったので、もしかしたら右足でも跳べるかもしれないです(笑)。
―――あまり左右のバランスに違いというか、力の差がないのでしょうか?
藤原:ただ、ジャンプしたときに、上に浮こうと思ったときは左足で踏み切ったほうが浮いている感じがして、前に進もうと思ったときは右足で踏み切ったほうが進んでいる感じがするんです。だから、バランスがいいのどうかはわからないです。
―――なるほど、そういう違いがあるのですね。
藤原:はい。
―――将来的に、「こういうアスリートになりたい」とイメージしているところはありますか?
藤原:今、僕は幅跳びのほうで注目してもらっているのですが、自分としてはハードルのほうもあるので、泉谷さん(※泉谷駿介、順天堂大。110mJHのU20日本記録保持者=13秒19。110mHでは13秒36、走幅跳では7m92の自己記録を持つ)のような、どちらもできるような選手を目指して、なおかつ橋岡さん(※橋岡優輝:日本大。ダイヤモンドアスリート修了生。走幅跳自己記録8m32。2019年はドーハ世界選手権で8位入賞を果たしたほか、アジア選手権とユニバーシアードで金メダルを獲得した)のように、安定して高い水準の記録を出せるような選手でありたいとは思っています。
―――そのために、どういうことが必要になってくる?
藤原:圧倒的に経験が足りないと思っているのと、やっぱりまだまだ身体が細いことです。身体のほうは、成長が止まって、自分のつけるべき筋肉や修正すべきポイントがわかってからじゃないと安定はしないのかなとは思っているんですけど、ただ、「まだ高校生だから」とそれを諦めるのではなくて、できることをやって、少しでも理想の姿に近づけるようにしていきたいです。
2020年シーズンは
「オリンピックも、インターハイも」
―――2020年シーズンは、どういう目標を立てていますか?
藤原:来シーズンは東京オリンピックがあります。やはりオリンピックというのは夢の舞台なので、そこに出たいという気持ちが一番強いですね。まずは、8m22の(参加)標準記録を越えられるように、この冬はトレーニングをしていきたいと思っています。あと、高校生として最後のシーズンなので、インターハイのほうでも記録を残していきたいです。走幅跳だけでなく、ハードルでもしっかりと成長して、ライバルに勝てるようにしなければいけないと思っています。
―――インターハイは、オリンピックのあとに開催されることになっていますから、日程的には、オリンピックも、インターハイも両方を狙うことは可能です。
藤原:はい。
―――日本の走幅跳は2019年、記録の水準が一気に上がりました。8月17日に福井で行われたアスリートナイトゲームズにおいて、橋岡選手が8m32の日本新記録をマークすると、城山正太郎選手(ゼンリン)が8m40を跳んで、それを更新しました。また、この大会では津波響樹選手(東洋大)も8m23を跳んで、東京オリンピックの参加標準記録を突破しています。一方で、この好記録が出た背景として、沖縄インターハイでの藤原くんの跳躍が、選手たちの大きな刺激になっていたのではないかという声もあります。福井での結果は、藤原くんにとって、インパクトのあるものだったのでしょうか?
藤原:インターハイが終わって、(東京)オリンピックにも手が届くんじゃないかと思っていたところで、3人が標準記録を切られたので、そこでちょっと気持ちが落ち込んだというか…(笑)、そういう思いもなくはなかったのですが、高い水準で競争していったほうが記録は伸びると思うので、そこはポジティブに捉えていこうと思いました。
―――東京オリンピックに出場するためには、その先輩たちがライバルになってくるわけですからね。まずは、冬のトレーニング、頑張ってください。本日はありがとうございました。
(2019年11月27日収録)
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