2019.12.23(月)その他

【Challenge to TOKYO 2020 日本陸連強化委員会~東京五輪ゴールド・プラン~】第13回五輪イヤーに花開く日本競歩界(1)

日本競歩界のメダルの歴史は、2015年の北京世界選手権から始まった。男子50kmで谷井孝行(自衛隊体育学校/現・同コーチ)が銅メダルを獲得し、史上初の快挙を成し遂げると、16年リオ五輪の同種目では北京世界選手権で4位だった荒井広宙(自衛隊体育学校/現・富士通)が3位。さらに、翌年のロンドン世界選手権で荒井は2位と順位を上げ、小林快(ビックカメラ/現・新潟アルビレックスRC)も3位に入って、同一大会で2人のメダリストが誕生。そして2019年はドーハ世界選手権で、鈴木雄介(富士通)がついに金メダルを手にし、世界大会でのメダル獲得を右肩上がりで継続してきた。それだけではない。ドーハでは、50kmに後れをとっていた男子20kmでも山西利和(愛知製鋼)が優勝し、この種目で日本初のメダルが「金」といううれしい結果になった。

他にも、ドーハ世界選手権では男女競歩種目で3つの入賞。自身も世界選手権50kmで2度の入賞キャリアがある今村文男オリンピック強化コーチを中心とした日本競歩界が、東京五輪に合わせて大輪の花を咲かせようとしている。

●構成/月刊陸上競技編集部

●撮影/田代 厚


※「月刊陸上競技」にて毎月掲載されています。





出席者(左から)
今村文男:競歩オリンピック強化コーチ
鈴木雄介:富士通
山西利和:愛知製鋼
杉田正明:科学委員会委員長


世界選手権のレースを振り返って


──ドーハ世界選手権は男子競歩で「ダブル金メダル」でした。快挙ですね。

今村 競歩界の悲願でもあったので、喜ばしい結果になりました。これまで強化に関わった方々から脈々と受け継がれてきた日本競歩の集大成として、金メダリスト2人が誕生したのかなと思います。

──20kmと50kmの両方で「金」というのは予想していたのですか。

今村 それはもう目指すミッションでもあったので、「取るためにどうしたらいいか」しか考えていなかったです。まず、暑さの対策。そして、コンディショニング。競歩技術に関しては、この2人はあまり大きな課題がないということをすべての強化スタッフが認識していたので、その2つを大事にしました。

──2人とも「こんな過酷なレースは初めて」と、現地で話していましたね。

鈴木 本当に大変でしたね、私は(笑)。20kmと比べたら、50kmは競技時間が長いじゃないですか。しかも、ペースが遅かったので、その分余計に長く歩いているのと同じ感覚になりました。自分では55 ~ 56kmを歩いたイメージです。

山西 僕は、お腹というか内臓にドーンと来る感じがあったんです。冬場のレースとは違うつらさ、しんどさがありました。冬場だとまず脚にダメージが来るんですけど、ペースがそれほど速くないからか、脚より内臓にダメージが来ました。

──その中で勝てた要因は何でしょうか。

山西 これって言い切るのは難しいですね。いろんな要素が絡んでいます。言えることは、年間を通していろんな方に支えられながら地力を上げてこられた。ベースアップできたということが大きいと思います。

──鈴木選手はレース中、給水ポイントで立ち止まっていましたが、あれはとっさの判断なのですか。

鈴木 いいえ、事前に今村コーチとも話し合っていました。身体がかなりきつい状態になったら、立ち止まってしっかり給水をとる、身体を冷やす。それからまたレースを再開する方法もある、と考えていた結果、それを実践できた。また、実践できるだけの余裕があったということです。

今村 止まる決断は本人の中であったものの、状況を考えると当然リスクは小さくないので、私は止まったことによるマイナス面の方が心配でした。非常に勇気のいることだと思います。

鈴木 私自身はそこまで不安はなくて、「後ろから来ている」というのはあまり気にせず、「この状態だったら止まったほうがいいな」という判断でした。もちろん金メダルを目指していましたが「最悪、銅メダルでもいいな」という思いもあって……。

──東京五輪の内定条件が「メダルを取って日本人最上位」でした。

鈴木 止まっても銅メダルは取れるな、というぐらいまで後続を離していたので、そこは大きかったです。「金メダル、金メダル」とあまり固執していなかったですね。

山西 僕も最大のターゲットを金メダルに置きつつ、「最低でも日本人トップでメダルを取る」という目標を持っていました。ですから、レース中にペースを落としても「メダル圏内にいる」と思えば気持ちに余裕が出てきましたし、その余裕のお陰で最後にもう1回「金メダルを取りに行くぞ」という決断ができたと思います。

 

ドーハで暑熱対策の成果を実感


──ドーハでの暑熱対策は、考えていた通りの成果が得られたということになりますか。

杉田 そうなりますね。レース時に限っていえばどこをどう冷やすのかは個々の選択ですが、コーチである今村さんたちが選手に手渡しをして、うまく装着をして給水して、という一連の流れはたぶん完璧だったと思います。まだまだ課題があって、現場からは「こうしてほしい」という、うれしい要望もいただいています。

鈴木 日本チームの中で暑熱対策の大枠は出来上がっていて、改良点は装着のしやすさとかですね。今回、私は直前にインターネットで購入した巾着袋を使っていたのですが、紐の長さとか細かいところを詰めていければと考えています。個々が「より使いやすく」という面で考えていく話だと思います。




──給水の温度や量が個々の選手で違うそうですが、それぞれに合わせた温度は、あの給水所でどうやって測るのですか。

今村 それはトップシークレットです(笑)。

杉田 全部、微調整です。

今村 普段からやっているということと、回数を重ねてくると勘所がわかってくるのです。「このぐらい冷やすと、このぐらいの温度になる」と。時間が非常に重要です。50kmは1周2kmなので、給水は9分~ 10分に1回ですけど、20kmは1周1kmだから4~5分で来ます。日本選手がちょっとずつ離れたり、あるいは2人いっぺんに来たりすると、渡すほうは非常に大変で、今回は給水を渡す2人でどっちがどのようにやるか事前にシミュレーションして、混乱なく渡すことができました。

──コーチは給水を渡すだけでなく、レースを読んで的確なアドバイスを与える重要な役目もあります。

今村 ですから、給水所の反対側を通過する時に「こうしてほしい」と言う選手もいますし、逆にこっちから「次、こうだよ」と言うこともあります。

鈴木 給水所で全部交換するのは大変なので、私は頭を冷やすもの、首を冷やすものと1周ずつ交互に交換していました。反対側で「次は首」とか言ってもらっていたのです。自分でもだいたい覚えていましたが、集中して歩いていると「次、何を交換したらいいのか?」と記憶が曖昧になることもあって、それはすごく助かりました。

──巾着袋という発想はどこから?

鈴木 練習でいろんなものを試した結果が巾着袋だったのです。初めはスーパーのレジ袋とか。巾着袋は口を締められるので渡してもらう時に落ちないし、取り出す時は間口が広がるので、中のものが取りやすいのです。

山西 50kmのスピードならそうやっていろんなことができますけど、20kmは前半の集団が大きいですし、スピードもあるので、やれることは少なくなります。やるべきことを絞って、さらに優先順位の高いものを選んで、ボトルとちょっとした小物の交換に抑えました。僕もグルグル回ってると忘れるので、「次はこっちだよ」とか言ってもらってました。


第13回五輪イヤーに花開く日本競歩界(2)』に続く…

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