秋から冬へと季節が変わるなかで、日本陸上界はロードシーズンへと突入。そして、この冬は、2020年8月に行われる東京オリンピックに向けて、2017年8月からスタートした男女マラソン代表争いが、いよいよ最終段階を迎えます。すでに男女各2名が9月15日に行われたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で日本代表選手に内定していますが、男女ともに残る「最後の1枠」を懸けての「MGCマラソンファイナルチャレンジ」が、12月1日に行われる福岡国際マラソンから始まるのです。
「MGC」という言葉は、この2年半ほどですっかり広く知られるところとなり、「2019ユーキャン新語・流行語大賞」にもノミネートされるほどになりました。「MGCファイナルチャレンジ」のスタートにあたって、改めて「MGCとは何か」をおさらいするとともに、これまでの経過を振り返ってみることにしましょう。
「マラソンニッポン」復活を期して
東京オリンピックに向けた強化体制は、2016年11月から本格的に始まりました。男女マラソンにおけるメダル獲得に向けて、新たに「マラソン強化戦略プロジェクト」が発足。その後、プロジェクトチーム内で、これまでの実績と課題をもとに徹底的な議論や検討がなされるなかで、オリンピックに向けた強化とリンクする新たな選考方法が構築され、2017年4月に発表されました。それが「MGC:マラソングランドチャンピオンシップ」と称する新たな枠組みです。
この段階で、東京オリンピックの男女マラソン代表は、
①2019年秋に行うMGCで、男女各3枠のうちの各2枠を決定する、
②MGCへの出場権獲得のために、2017-2018年と、2018-2019年の2期にわたって国内の男子5大会、女子4大会を指定競技会とするMGCシリーズを実施し、各レースに応じて設定された記録・順位をクリアした者にMGCの出場資格を与える(MGCファイナリスト)。また、「ワイルドカード」として、2017年8月1日〜2019年4月30日に国内外で開催される世界記録が公認される競技会において一定の条件を満たした競技者にも、MGCへの出場資格を与える、
③MGC後、残る男女代表各1枠は、2019~2020年に実施するMGCファイナルチャレンジで競う。指定競技会となる男女各3レースの結果を踏まえて、2020年3月に決定する、
という方法で決定することが明確に示されました。そして、MGCシリーズ第1戦として2017年8月27日に開催された北海道マラソンから、「東京オリンピックへの道」がスタートしたのです。
写真提供:フォート・キシモト
記録水準の向上を引き寄せたMGCシリーズ
この選考システムの導入に際して、マラソン強化戦略プロジェクトチームが期待したのは、「選考の過程そのものが、強化策にもなること」でした。そして、それは、2期にわたって展開されたMGCシリーズの段階で、顕著な効果がみられるようになりました。
男子では、2017年福岡国際マラソンにおいて、大迫傑選手(Nike ORPJT、現Nike)が2時間07分19秒の好記録をマークすると、2018年の東京マラソンでは設楽悠太選手(Honda)が2時間06分11秒の日本新記録を樹立したほか、井上大仁選手(MHPS)も2時間6分台に突入、日本人6位までが2時間8分台をマークする好成績を上げたのです。さらに、8月のジャカルタ・アジア大会で井上選手が金メダルを獲得。10月のシカゴマラソンでは大迫選手が設楽選手の日本記録を塗り替える2時間05分50秒という記録を叩き出し、12月の福岡国際マラソンでも服部勇馬選手(トヨタ自動車)が2時間07分27秒で14年ぶりの日本人優勝を果たすなどの活況となり、最終的に34名の選手がMGCへの出場権を獲得することとなりました。
また、女子では、それまでトラックでの長距離種目(5000m・10000m)を主戦場としていた若手有望選手が、次々とマラソンへ進出したほか、2016年リオデジャネイロオリンピック代表で、2013年モスクワ世界選手権で銅メダルを獲得しているベテランの福士加代子選手(ワコール)も参戦。その結果、全15名がMGCファイナリストの座を手に入れました。
この間に、MGCは、2019年9月15日に開催することが決定します。そして、MGC直後の9月下旬から10月上旬に行われることになるドーハ世界選手権への出場を希望した男女6選手がMGCへの出場を辞退。大会直前に故障により男子1名、女子2名が欠場を発表したことにより、最終的に男子30名、女子10名がレースに挑むことになりました。
写真提供:フォート・キシモト
男子は中村匠吾・服部勇馬、女子は前田穂南・鈴木亜由子が内定!
2019年9月19日、MGCは、東京・渋谷区の明治神宮外苑いちょう並木を発着とする以外は、東京オリンピック本番とほぼ同じコース(約1カ月後、国際オリンピック委員会による強い意向によって、マラソンは競歩とともに札幌で開催する運びとなり、幻のコースとなってしまいましたが)で、男子は午前8時50分、女子は午前9時10分に、それぞれスタート。晴天となったこの日は、男子優勝者フィニッシュ時の気温は28.8℃、湿度61%、女子優勝者フィニッシュ時の気温は29.2℃、湿度60%という気象状況。東京の観光名所を回ることになる沿道には、実に52万5000人(主催者発表)のファンが集まり、選手たちを熱く応援する盛り上がりとなりました。
男子は、スタート直後から、設楽選手が飛び出して独走態勢を築き、一時は後続との差を2分以上にまで広げましたが、中間点を過ぎたあたりから徐々にペースを落とし、37km過ぎに9選手からなる2位集団に逆転される展開となりました。その後、2位集団のふるい落としが始まり、4名に絞られた39.2kmで中村匠吾選手(富士通)がスパート。いったんは大迫選手に追いつかれましたが、ラスト800mの急な上り坂でもう一度ペースアップして、大迫選手を突き放すと、2時間11分28秒で優勝。2位には、41.9km付近で大迫選手をかわした服部選手が2時間11分36秒で続き、この2名が代表に内定しました。3位の大迫選手は中村選手とは5秒差の2時間11分41秒。4位には大塚祥平選手(九電工)がセカンドベストの2時間11分58秒をマークして食い込み、終盤まで上位争いに位置して存在感を示した橋本崚選手(GMOアスリーツ)は2時間12分07秒・5位でフィニッシュしました。
女子は、スタートしてすぐに最年少の一山麻緒選手(ワコール)がリードを奪って、ハイペースでの入りとなりましたが、7.5km付近から一山選手と並走していた前田穂南選手(天満屋)が8.3kmで前に出ると、集団は縦長となってレースが進む形となりました。15km過ぎから前田選手がペースを上げると集団は徐々に減っていき、最後までついていた鈴木亜由子選手(日本郵政グループ)も19.5km過ぎで引き離されることに。前田選手は、そのまま最後まで独走し、2時間25分15秒の好記録で優勝。陸上競技の女子選手第1号として東京オリンピック代表内定を勝ち取りました。鈴木選手は、終盤で大きくペースダウンしたものの2時間29分02秒で2位を堅持してフィニッシュ。終盤で猛追して鈴木選手に迫った小原怜選手(天満屋)は4秒差の2時間29分06秒で3位となりました。優勝候補にも上がっていた松田瑞生選手(ダイハツ)は序盤でうまく対応できずに2時間29分51秒で4位、5位には序盤から自分のペースで押していく展開を選んだ野上恵子選手(十八銀行)が続きました。
「スピード=記録」が鍵となるMGCファイナルチャレンジ
こうしてMGCで男女ともに2名が決定し、最後のチャンスとなるのが、この冬から2020年春にかけて国内で行われるMGCファイナルチャレンジです。
対象となる競技会は、以下の6レース。
<男子>
・福岡国際マラソン(2019年12月1日)
・東京マラソン(2020年3月1日)
・びわ湖毎日マラソン(2020年3月8日)
<女子>
・さいたま国際マラソン(2019年12月8日)
・大阪国際女子マラソン(2020年1月26日)
・名古屋ウィメンズマラソン(2020年3月8日)
MGCシリーズに出場して完走していること、またはMGCの有資格者であることを条件として、これらのいずれかの大会で「MGCファイナルチャレンジ設定記録」(男子:2時間05分49秒、女子:2時間22分22秒)をクリアした最も記録のよい男女各1名を代表に内定する仕組みです。また、これらの大会で、もし、設定記録を突破する者が出なかった場合は、MGCで3位となった競技者、つまり、男子は大迫選手、女子は小原選手がそれぞれ内定することとしています。
マラソン強化戦略プロジェクトチームでは、もともと東京オリンピックで戦える選手の条件として、国際基準のパフォーマンスをベースとして、安定性、メンタルタフネス、フィジカルタフネスを含めた高い「調整能力」の要素を持つ者から2枠を、そして残りの1枠は、調整能力の不安を超越する世界トップレベルのマラソンスピードという観点で「スピード」の要素を持つ者から1枠を選びたいという意向を、MGCを創設した段階で示していました。すなわち、9月15日のMGCで内定した男女2選手が「調整能力」の観点から選んだ選手であり、そして、これからのMGCファイナルチャレンジで選ぶことになる残り1枠が「スピード」の観点から選ぶ選手ということです。
そして、このMGCファイナルチャレンジ設定記録は、「MGCシリーズ内の最高記録よりも1秒速いタイム」がいうことが基準になっています。それが男子は、大迫選手が2018年シカゴマラソンでマークした2時間05分50秒を1秒上回る2時間05分49秒、女子は2018年ベルリンマラソンで松田選手がマークした2時間22分23秒を1秒上回る2時間22分22秒というタイム。つまり、東京オリンピックの最後の1枠を巡る戦いは、高い水準の記録をマークすることが必須となるため、記録を狙っての、よりハイレベルなレースが求められることになります。「ガチンコ勝負」となったMGCとはまた異なるマラソンの魅力を味わうことができるのです。
MGCファイナルチャレンジ第1戦
男子は福岡、女子はさいたま
第1戦となるのが、男子は12月1日に開催される福岡国際マラソン、女子は12月8日に行われるさいたま国際マラソンです。
さいたま国際マラソンは、強風の影響を受けやすく、記録を出しづらいコースという背景もあってか、MGCファイナリストで出場する選手はおらず、国内招待選手として、吉冨博子選手(メモリード)と吉田香織選手の(TEAM R×L)の2名がエントリーしています。吉冨選手の自己記録は2時間30分09秒、吉田選手の自己記録は2時間28分24秒。ともに、まずはパーソナルベストにどれだけ迫れるか、さらには海外招待選手についてどこまで粘ることができるかがターゲットとなりそうです。一方、海外招待選手として出場が予定されているベレイネシュ・オルジラ選手(エチオピア)の自己記録は2時間21分53秒。オルジラ選手が自己記録に近いレースを展開すれば、派遣設定記録である「2時間22分22秒の速さ」を、見ている者が感じることができるかもしれません。
福岡国際マラソンには、藤本拓選手(トヨタ自動車)、佐藤悠基選手(日清食品グループ)、川内優輝選手(あいおいニッセイ同和損保)、福田穣選手(西鉄)の4名のMGCファイナリストが国内招待選手としてエントリーしています。
藤本選手は、2017年びわ湖を2時間15分30秒(15位)でマラソンデビュー。2戦目となった同年秋のシカゴで2時間07分57秒の好記録をマークし、「指定大会で2時間08分30秒以内」の条件を満たしてワイルドカードでのMGCに出場を果たしました。MGCでは、独走する設楽選手を追う2位集団に追いつき、37.5kmまでは上位争いに絡む位置でレースを展開しましたが、終盤でペースダウンする苦しいレースとなり9位でフィニッシュ。しかし、11月17日に行われた中部実業団駅伝ではトヨタ自動車Aの1区(12km)を務めて、自身が持って区間記録を6秒更新して区間賞を獲得。チーム優勝の流れをつくる快走を見せています。
また、佐藤選手は、中学時代から長距離界をリードする存在として活躍してきた選手。5000m・10000mでは2012年ロンドンオリンピックに出場しています。2013年東京からマラソンに挑戦。終盤に失速するケースが続きましたが、2018年東京で2時間08分58秒をマークして日本人6位に食い込み、MGC出場権を獲得しました。同年秋にはベルリンマラソンに出場してセカンドベストの2時間09分18秒をマーク。2019年はハーフマラソンで好走を続けたことでMGCでは優勝争いに加わるとも目されていましたが、大会前の体調不良が影響して、23位の結果にとどまっています。藤本選手・佐藤選手ともに、いかに終盤の落ち込みをなくすレースができるかが鍵を握ることになりそうです。
海外招待選手のトップタイムは、2時間05分26秒の自己ベストを持つエルマハジューブ・ダザ選手(モロッコ)。このほか、今年2時間06分36秒をマークしているツェダトアベジェ・アヤナ選手(エチオピア)、昨年のヨーロッパ選手権チャンピオンで、ロッテルダムマラソンを2時間07分39秒で走っているコーエン・ナート選手(ベルギー)などがエントリーしています。優勝争いはダザ選手が中心となってくると見込まれますが、派遣設定記録の2時間05分49秒のクリアを狙うのであれば、昨年の服部選手のように、海外勢を終盤で突き放すような展開に持ち込むことができれば、記録がついてくる可能性も見えてきます。
なお、ペースメーカーには、高校時代から日本を拠点とするビダン・カロキ選手(横浜DeNA)が名前を連ねています。カロキ選手は、トラックではオリンピック・世界選手権での入賞実績を豊富に持つことで知られていますが、マラソンでも着実に力をつけており、10月のシカゴマラソンでは2時間05分53秒の自己新記録をマークして4位の成績を収めたばかり。高いレベルで安定したペースを刻むことができるカロキ選手の存在は、記録を狙わなければならない日本選手にとっては強力なアドバンテージとなってくれそうです。
今年度からプロとしてマラソンに取り組むことになった川内選手は、MGC出場権は獲得していたものの、かねてより希望していたドーハ世界選手権への出場を選び、MGCは辞退しました。しかし、世界選手権では万全の準備で臨んでいたにもかかわらず、想定されていたよりも「涼しいレース」となったことで歯車が狂い、29位に終わる悔しい結果となりました。自身99回目のマラソンとなるこの福岡で、どんな走りを見せてくれるのか注目したいところです。また、福田選手は、昨年のこの大会を2時間10分54秒・7位でフィニッシュ。MGC出場権獲得済みの上位2選手を除き日本人3位となり、MGC出場を果たしました。毎月1000kmを超える豊富な練習量に裏打ちされたスタミナを強みとしていますが、22位でのフィニッシュとなったMGCでは細かなペース変化の対応にスピードの必要性も実感しました。スタート・フィニッシュ地点となる平和台陸上競技場に隣接する大濠公園をホームグラウンドとする福田選手にとっては、この大会はまさに“地元中の地元”で行われるレースだけに、前回に続く好走を期待したいところ。まずは、昨年のゴールドコーストマラソンでマークした自己記録、2時間09分52秒の更新が目標になりそうです。
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
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