『第4回 「ゴールドターゲット」に成長した競歩(1)』から
今村 それはありますね。谷井君がその1期生かな。
谷井 僕の1つ下の世代です。山﨑君からですね。
今村 ジュニア世代から競歩を始めて、そういう選手たちが今、シニアの大会に上がってきている、という流れです。その先駆けが谷井選手、山﨑選手ですね。
谷井 インターハイの長距離種目に出られなかった選手が競歩に挑戦する、というケースは多いです。そこへ、競歩がインターハイ種目になったことで、競技を始めるきっかけは高まったでしょうね。
今村 谷井君が世界ユース選手権(99年)で銅メダルを取ったり、山﨑君がジュニア期から活躍したりと、今の競歩界の流れを作った功労者ですよ。
──谷井選手は高岡向陵高、山﨑選手は富山商高と同じ富山県出身で、年齢も1つ違いですから、ずっとライバル関係だったんですね。
今村 ライバルであり、良きパートナーであり、かな(笑)。彼ら2人の牽引が今日の50kmにつながっているのは間違いありません。ただ、谷井君は12年まで常に人を見てレースをしていて、自分を見てレースをしていなかった。練習も「この日はこれ」と決めたら、体調が悪くてもやっていた。「大丈夫かなぁ」と思って見ていたら、ロンドン五輪(12年)の途中棄権につながってしまった。自分と向き合う姿勢が出てきたのは、あそこからだよね。
谷井 はい。
今村 体調が悪くても、起床時のバイタルデータ(生体情報)なんてお構いなしに、スケジュール通りに練習を進めていました。
──それは、山﨑選手に負けたくなかったからですか。
谷井 そうではないのですが、起床時の体温や心拍数などを測っても、それをベースに練習メニューを変えることはしませんでした。でも、ロンドン五輪の前(レース9日前)に肺気胸になって、途中棄権したことで、ロンドンがちょうど30歳だったのですが、次のリオに向けてどう過ごしていくかと考えた時に、まず自分自身をしっかりわかろうというところから始めました。要は、いかにすごい練習をするかではなく、「狙った試合でベストを出す」ということに目標を置いたのです。
杉田 それは往々にしてあることだと思います。30歳近くになって、自分のコンディションに向き合って調整していくのは自然の流れだと思うのですが、若いうちはそういうことにとらわれずに、目の前のメニューをこなすことも大事だと思いますね。起床時のコンディション・データに引っ張られ過ぎても、追い込んでしっかり土台を作りたい時にそれができないこともありますので。しっかりと土台を作ったうえで、そういう方向にチャレンジしていった時期と、我々のサポート時期が、谷井君の場合はうまくマッチングしたのだと思います。我々が複数人でサポートするようになったのが2014年からですね。
──谷井選手は科学委員会のサポートをどう活用しましたか。
谷井 フォームを直すにあたって一番大事なのは、自分自身を知ることですから、そういった意味では動作解析で自分の弱点とか次に気をつけなければいけないところが明確にわかるのは、非常に大きいことでした。それを強化合宿でコーチの方々に指導していただき、その修正点を意識しながらストレッチやウエイトトレーニング、動きづくりをやることによって、1歩1歩の動きが改善されていく。そういう流れができたのではないかと思います。
今村 数字やグラフで見ると、傾向がわかりますからね。特に左右差は大事です。それはいいのですが、そこからどうやって改善するかがカギです。「バランスが悪いよね」とわかった時に、「どうやって直すの?」というところです。いわゆる方法論なので「これ」という答えはないんですけど、いろいろ試す中で、谷井君が自分の課題を改善していくヒントを見つけていったことが、近年の活躍につながっていると思います。アクシデントがあってからは、自分の身体の状態を把握しながら、無理しない時とやるべき時とメリハリがつきました。
──ユース時代から第一線にいながら、結果的に大器晩成型の選手だったんですね。
今村 ピーキングというところで無理がある選手だったような気がしますね。日大生だった03年に全日本競歩高畠50kmで日本新を出して、その後10回近く日本選手権(輪島)を獲るチャンスがありながら、初めて勝ったのが13年ですよ。「エーッ」と思いました(笑)。
今村 私が競歩担当の責任者になったのが12年の暮れですが、次のリオ五輪を目指すうえで課題は何か、どういうレース展開をしたらいいのかと考えた時に、直近の五輪3大会や世界選手権の結果を調べました。たまたまその年に日本陸連強化競技者の指定記録の見直しがあって、ゴールドが世界ランク4位、シルバーが12位ぐらい。ちょうどゴールドがメダルライン、シルバーが入賞ラインです。「だったら、その記録を目標にしよう」と、それぞれの種目がリオに向けてスタートを切ったのです。50kmはトップテンに入っているので、それをプルアップする。当時は森岡(紘一朗、富士通)が中心で、山﨑、谷井、さらにその次の世代が荒井君(広宙、自衛隊体育学校)でした。合宿のたびに荒井君を練習パートナーとして呼んで、あと50kmは種目別合宿もやって、年間の大会日程に合わせて「この時期は長い距離を歩こう」とか目的を持たせました。
──当時の20kmは、まだ世界ランクでも50kmよりだいぶ下でしたね。
今村 50kmはトップテンに何人か入っていましたけど、20kmは20何番とか30番台でしたね。そこでNTC(ナショナルトレーニングセンター)を利用しながら、技術に課題があるということで、短期の2泊3日で合宿していました。合わせて、男子に関してはいつでも50kmにシフトできるように配慮しました。
また、U23の世代に特化した合宿を設けたりして、徐々に成果が出てきました。そこから、谷井君は13年の日本選手権(50km)優勝を振り出しに、その年のモスクワ世界選手権はもうちょっとで入賞(9位)というところまで行って、14年は私の理想型とする輪島の日本選手権で優勝、当該年の国際大会でメダルか入賞というのをやってくれたんです。仁川アジア大会で、大会新記録で見事に金メダルを獲得しました。そこに絡めて強化してきた荒井君がその後にがんばってきていますので、世代をつなげながら少人数でやっていくのも、1つの強化策なのかなと思います。
──少数精鋭の強化ですか。
今村 少数というのはトップが少ない、という意味でのスタートだったんですけど、今は〝多数精鋭〟と言ったらいいんですかね(笑)。2018年の男子は、20kmも50kmも世界のトップテンに5人ずつ入ってますからね。そういった意味では記録優位になっているものの、あとは成果を挙げないといけないのは20kmです。今年度は5月の世界競歩チーム選手権の男子20kmで池田君(向希、東洋大)が優勝して、4位に山西利和選手(愛知製鋼)、7位に藤澤勇選手(ALSOK)が続き、徐々に成果となって表れていると思います。
──年間でどれぐらい合宿しているのですか。
谷井 最近で言うと、6月に2~3週間、7月~8月に世界大会に向けた長期合宿が入って、11月にはシーズンが一区切りして身体づくりの合宿ですね。あとは20km、50kmそれぞれの日本選手権前に合宿があります。
今村 年間にすると120日前後だと思います。
──合宿はどんな雰囲気なんでしょうか。
谷井 レースではライバル関係ですけど、特に2013年、14年はみんなで押し上げていこうという雰囲気がすごく強かったと思います。今は人数も増えてきて、情報交換も密になりましたね。自分たちがやってきた経験を下の世代に伝えることで、すぐに50kmに対応できたり、世界大会に行った時に自信を持って戦えることにつながっていると思います。
麻場 やっぱりライバルなんだけど、共同の創造者というか、そういう関係は他の種目でも必要だと思いますね。いつも敵対関係にあるというのは、特に最近の選手はないと思うのです。勝負の時は別ですけど。
──東京五輪はマラソンと同様に暑熱対策が大変重要になりますが、競歩に特化してやるべきことは何でしょうか。
杉田 競歩とマラソンで決定的に違うことは、給水の回数です。競歩は2kmに1回あります。そこで、どういう水の摂り方をするか。その点ですね。17年のロンドン世界選手権前にやったことの1つとして、例えば練習で40km歩くとします。練習の前後で体重がどれぐらい落ちたかは当然測るのですが、我々としては体重の2%以内に減少を抑えたい。ところが、4%ぐらいになってしまって、脱水している選手がいるとします。練習中も1kmに1回給水するのですが、その1回ごとにどれだけ飲んだかを全部はかりで量って、「あなたは1回当たり130ml飲んでるけど、170mlにすれば体重の減少を抑えられますよ」と。1人ひとりに資料を作って、説明して、「1ヵ月の合宿中に飲める量を試してみてください」と伝えました。今村コーチが温度もいろいろと試して、適温を見つけて、ロンドン世界選手権に臨んだんです。量と水温ですね。
──なかなか地道な作業ですね。
杉田 そうです。飲む前のボトルの重さを量って、選手が給水後にポイと捨てたボトルをまた量るわけです。
谷井 大変な作業だったと思いますけど、ただそれによって給水に対する選手の意識はすごく変わりました。「飲もう」という努力をするようになりましたし、やっぱり日頃から飲む練習もしていかないとダメで、本番だけ飲むというのは絶対にできないので、長期的に取り組むようになりましたね。
──そこまで意識してやらないと、給水できないんですね。
谷井 飲めないです。負担が大きくなります。練習で30km、40kmやっている時に、たくさん飲むことができない選手もいるので、そこも克服していかないといけないですね。量だけでなく、水の温度なども長期的な対策が必要だと思います。
杉田 常温がいいという選手もいれば、冷たいのがいいという選手もいて、そこは給水地点でものすごくコントロールしてくれています。
今村 温度もそうですし、1回当たりの量が少ない選手には「長く(ボトルを)持って、時間をかけて飲みなさい」と指導していただいているので、そのへんの意識は徐々に改善されてきてますね。
杉田 今まで練習の前後に体重を測って、「減少が多いから飲まなきゃダメだよ」という言葉かけしかしてなかったのですが、1回ごとにどれだけ飲む必要がある、というところまで伝えると、「あ、そうか」と選手は思ってくれるようになるのです。そこまで細かくやって意味があるのかという議論もありましたが、今村さんがとりあえずやってみましょう、と。そうしたら皆さんの意識が高まって、「飲むのも練習の1つなんだ」と考えてくれるようになりました。今村さんが選手の頃に「1回でどれだけ飲めるかが勝負なんですよ」と言っていたことがあるのです。それが強烈に印象に残っていて、アトランタ五輪の頃ですかね。「1回で500mlぐらい飲めるように。それがトレーニングだと思ってます」と言っていましたから。
今村 そういう時期がありましたね。
──給水の中身は個々ですか。
杉田 個人個人ですね。選手からヒアリングして、それぞれのものが用意されています。対策として今、汗の成分を調べているのですが、汗で失われやすいものを基にスペシャルなドリンクを作ろうということもやっているところです。詳細は秘密ですが(笑)。
麻場 リオ五輪の時、競歩はチームとして強化していったことが実を結んだという印象があるのですが、その後のロンドン世界選手権とジャカルタ・アジア大会を見て、リオよりワンランク上をいってるな、という新たな印象を持ちました。先ほど杉田先生がおっしゃったようなことが、チーム力に加わっていますね。
──それはマラソンの強化にも生かされませんか。
杉田 基本的な情報は同じで、マラソンにもきちんと伝えていて活用されているところもあります。ただ、競歩は千歳で合宿をやる場合に、全員がそろっている。そこへ我々が何度も行って、コーチングスタッフが我々のそばにいて情報共有しながら、密な連携のもとでさらにブラッシュアップして、「ああしよう、こうしよう」とやってくれているのが大きいと思います。
麻場 マラソンの規模を考えた場合、競歩と同じような方法論が通用するかというと、難しい面はあると思いますね。そのへんは担当ディレクター、コーチが考えて戦略を練ってくれています。
『第4回 「ゴールドターゲット」に成長した競歩(3)』に続く…
競歩史上初のメダリスト誕生へ
──01年から競歩種目がインターハイで採用されて、競歩人口が増えましたか。今村 それはありますね。谷井君がその1期生かな。
谷井 僕の1つ下の世代です。山﨑君からですね。
今村 ジュニア世代から競歩を始めて、そういう選手たちが今、シニアの大会に上がってきている、という流れです。その先駆けが谷井選手、山﨑選手ですね。
谷井 インターハイの長距離種目に出られなかった選手が競歩に挑戦する、というケースは多いです。そこへ、競歩がインターハイ種目になったことで、競技を始めるきっかけは高まったでしょうね。
今村 谷井君が世界ユース選手権(99年)で銅メダルを取ったり、山﨑君がジュニア期から活躍したりと、今の競歩界の流れを作った功労者ですよ。
──谷井選手は高岡向陵高、山﨑選手は富山商高と同じ富山県出身で、年齢も1つ違いですから、ずっとライバル関係だったんですね。
今村 ライバルであり、良きパートナーであり、かな(笑)。彼ら2人の牽引が今日の50kmにつながっているのは間違いありません。ただ、谷井君は12年まで常に人を見てレースをしていて、自分を見てレースをしていなかった。練習も「この日はこれ」と決めたら、体調が悪くてもやっていた。「大丈夫かなぁ」と思って見ていたら、ロンドン五輪(12年)の途中棄権につながってしまった。自分と向き合う姿勢が出てきたのは、あそこからだよね。
谷井 はい。
今村 体調が悪くても、起床時のバイタルデータ(生体情報)なんてお構いなしに、スケジュール通りに練習を進めていました。
──それは、山﨑選手に負けたくなかったからですか。
谷井 そうではないのですが、起床時の体温や心拍数などを測っても、それをベースに練習メニューを変えることはしませんでした。でも、ロンドン五輪の前(レース9日前)に肺気胸になって、途中棄権したことで、ロンドンがちょうど30歳だったのですが、次のリオに向けてどう過ごしていくかと考えた時に、まず自分自身をしっかりわかろうというところから始めました。要は、いかにすごい練習をするかではなく、「狙った試合でベストを出す」ということに目標を置いたのです。
杉田 それは往々にしてあることだと思います。30歳近くになって、自分のコンディションに向き合って調整していくのは自然の流れだと思うのですが、若いうちはそういうことにとらわれずに、目の前のメニューをこなすことも大事だと思いますね。起床時のコンディション・データに引っ張られ過ぎても、追い込んでしっかり土台を作りたい時にそれができないこともありますので。しっかりと土台を作ったうえで、そういう方向にチャレンジしていった時期と、我々のサポート時期が、谷井君の場合はうまくマッチングしたのだと思います。我々が複数人でサポートするようになったのが2014年からですね。
──谷井選手は科学委員会のサポートをどう活用しましたか。
谷井 フォームを直すにあたって一番大事なのは、自分自身を知ることですから、そういった意味では動作解析で自分の弱点とか次に気をつけなければいけないところが明確にわかるのは、非常に大きいことでした。それを強化合宿でコーチの方々に指導していただき、その修正点を意識しながらストレッチやウエイトトレーニング、動きづくりをやることによって、1歩1歩の動きが改善されていく。そういう流れができたのではないかと思います。
今村 数字やグラフで見ると、傾向がわかりますからね。特に左右差は大事です。それはいいのですが、そこからどうやって改善するかがカギです。「バランスが悪いよね」とわかった時に、「どうやって直すの?」というところです。いわゆる方法論なので「これ」という答えはないんですけど、いろいろ試す中で、谷井君が自分の課題を改善していくヒントを見つけていったことが、近年の活躍につながっていると思います。アクシデントがあってからは、自分の身体の状態を把握しながら、無理しない時とやるべき時とメリハリがつきました。
──ユース時代から第一線にいながら、結果的に大器晩成型の選手だったんですね。
今村 ピーキングというところで無理がある選手だったような気がしますね。日大生だった03年に全日本競歩高畠50kmで日本新を出して、その後10回近く日本選手権(輪島)を獲るチャンスがありながら、初めて勝ったのが13年ですよ。「エーッ」と思いました(笑)。
競歩ブロックとしての合同合宿を実施
──14年以降の競歩ブロックは、まとまって合宿をして、みんなでやっているというイメージが強いです。今村 私が競歩担当の責任者になったのが12年の暮れですが、次のリオ五輪を目指すうえで課題は何か、どういうレース展開をしたらいいのかと考えた時に、直近の五輪3大会や世界選手権の結果を調べました。たまたまその年に日本陸連強化競技者の指定記録の見直しがあって、ゴールドが世界ランク4位、シルバーが12位ぐらい。ちょうどゴールドがメダルライン、シルバーが入賞ラインです。「だったら、その記録を目標にしよう」と、それぞれの種目がリオに向けてスタートを切ったのです。50kmはトップテンに入っているので、それをプルアップする。当時は森岡(紘一朗、富士通)が中心で、山﨑、谷井、さらにその次の世代が荒井君(広宙、自衛隊体育学校)でした。合宿のたびに荒井君を練習パートナーとして呼んで、あと50kmは種目別合宿もやって、年間の大会日程に合わせて「この時期は長い距離を歩こう」とか目的を持たせました。
──当時の20kmは、まだ世界ランクでも50kmよりだいぶ下でしたね。
今村 50kmはトップテンに何人か入っていましたけど、20kmは20何番とか30番台でしたね。そこでNTC(ナショナルトレーニングセンター)を利用しながら、技術に課題があるということで、短期の2泊3日で合宿していました。合わせて、男子に関してはいつでも50kmにシフトできるように配慮しました。
また、U23の世代に特化した合宿を設けたりして、徐々に成果が出てきました。そこから、谷井君は13年の日本選手権(50km)優勝を振り出しに、その年のモスクワ世界選手権はもうちょっとで入賞(9位)というところまで行って、14年は私の理想型とする輪島の日本選手権で優勝、当該年の国際大会でメダルか入賞というのをやってくれたんです。仁川アジア大会で、大会新記録で見事に金メダルを獲得しました。そこに絡めて強化してきた荒井君がその後にがんばってきていますので、世代をつなげながら少人数でやっていくのも、1つの強化策なのかなと思います。
──少数精鋭の強化ですか。
今村 少数というのはトップが少ない、という意味でのスタートだったんですけど、今は〝多数精鋭〟と言ったらいいんですかね(笑)。2018年の男子は、20kmも50kmも世界のトップテンに5人ずつ入ってますからね。そういった意味では記録優位になっているものの、あとは成果を挙げないといけないのは20kmです。今年度は5月の世界競歩チーム選手権の男子20kmで池田君(向希、東洋大)が優勝して、4位に山西利和選手(愛知製鋼)、7位に藤澤勇選手(ALSOK)が続き、徐々に成果となって表れていると思います。
──年間でどれぐらい合宿しているのですか。
谷井 最近で言うと、6月に2~3週間、7月~8月に世界大会に向けた長期合宿が入って、11月にはシーズンが一区切りして身体づくりの合宿ですね。あとは20km、50kmそれぞれの日本選手権前に合宿があります。
今村 年間にすると120日前後だと思います。
──合宿はどんな雰囲気なんでしょうか。
谷井 レースではライバル関係ですけど、特に2013年、14年はみんなで押し上げていこうという雰囲気がすごく強かったと思います。今は人数も増えてきて、情報交換も密になりましたね。自分たちがやってきた経験を下の世代に伝えることで、すぐに50kmに対応できたり、世界大会に行った時に自信を持って戦えることにつながっていると思います。
麻場 やっぱりライバルなんだけど、共同の創造者というか、そういう関係は他の種目でも必要だと思いますね。いつも敵対関係にあるというのは、特に最近の選手はないと思うのです。勝負の時は別ですけど。
暑熱対策の第1歩は給水をいかに取るか
──東京五輪はマラソンと同様に暑熱対策が大変重要になりますが、競歩に特化してやるべきことは何でしょうか。杉田 競歩とマラソンで決定的に違うことは、給水の回数です。競歩は2kmに1回あります。そこで、どういう水の摂り方をするか。その点ですね。17年のロンドン世界選手権前にやったことの1つとして、例えば練習で40km歩くとします。練習の前後で体重がどれぐらい落ちたかは当然測るのですが、我々としては体重の2%以内に減少を抑えたい。ところが、4%ぐらいになってしまって、脱水している選手がいるとします。練習中も1kmに1回給水するのですが、その1回ごとにどれだけ飲んだかを全部はかりで量って、「あなたは1回当たり130ml飲んでるけど、170mlにすれば体重の減少を抑えられますよ」と。1人ひとりに資料を作って、説明して、「1ヵ月の合宿中に飲める量を試してみてください」と伝えました。今村コーチが温度もいろいろと試して、適温を見つけて、ロンドン世界選手権に臨んだんです。量と水温ですね。
──なかなか地道な作業ですね。
杉田 そうです。飲む前のボトルの重さを量って、選手が給水後にポイと捨てたボトルをまた量るわけです。
谷井 大変な作業だったと思いますけど、ただそれによって給水に対する選手の意識はすごく変わりました。「飲もう」という努力をするようになりましたし、やっぱり日頃から飲む練習もしていかないとダメで、本番だけ飲むというのは絶対にできないので、長期的に取り組むようになりましたね。
──そこまで意識してやらないと、給水できないんですね。
谷井 飲めないです。負担が大きくなります。練習で30km、40kmやっている時に、たくさん飲むことができない選手もいるので、そこも克服していかないといけないですね。量だけでなく、水の温度なども長期的な対策が必要だと思います。
杉田 常温がいいという選手もいれば、冷たいのがいいという選手もいて、そこは給水地点でものすごくコントロールしてくれています。
今村 温度もそうですし、1回当たりの量が少ない選手には「長く(ボトルを)持って、時間をかけて飲みなさい」と指導していただいているので、そのへんの意識は徐々に改善されてきてますね。
杉田 今まで練習の前後に体重を測って、「減少が多いから飲まなきゃダメだよ」という言葉かけしかしてなかったのですが、1回ごとにどれだけ飲む必要がある、というところまで伝えると、「あ、そうか」と選手は思ってくれるようになるのです。そこまで細かくやって意味があるのかという議論もありましたが、今村さんがとりあえずやってみましょう、と。そうしたら皆さんの意識が高まって、「飲むのも練習の1つなんだ」と考えてくれるようになりました。今村さんが選手の頃に「1回でどれだけ飲めるかが勝負なんですよ」と言っていたことがあるのです。それが強烈に印象に残っていて、アトランタ五輪の頃ですかね。「1回で500mlぐらい飲めるように。それがトレーニングだと思ってます」と言っていましたから。
今村 そういう時期がありましたね。
──給水の中身は個々ですか。
杉田 個人個人ですね。選手からヒアリングして、それぞれのものが用意されています。対策として今、汗の成分を調べているのですが、汗で失われやすいものを基にスペシャルなドリンクを作ろうということもやっているところです。詳細は秘密ですが(笑)。
麻場 リオ五輪の時、競歩はチームとして強化していったことが実を結んだという印象があるのですが、その後のロンドン世界選手権とジャカルタ・アジア大会を見て、リオよりワンランク上をいってるな、という新たな印象を持ちました。先ほど杉田先生がおっしゃったようなことが、チーム力に加わっていますね。
──それはマラソンの強化にも生かされませんか。
杉田 基本的な情報は同じで、マラソンにもきちんと伝えていて活用されているところもあります。ただ、競歩は千歳で合宿をやる場合に、全員がそろっている。そこへ我々が何度も行って、コーチングスタッフが我々のそばにいて情報共有しながら、密な連携のもとでさらにブラッシュアップして、「ああしよう、こうしよう」とやってくれているのが大きいと思います。
麻場 マラソンの規模を考えた場合、競歩と同じような方法論が通用するかというと、難しい面はあると思いますね。そのへんは担当ディレクター、コーチが考えて戦略を練ってくれています。
『第4回 「ゴールドターゲット」に成長した競歩(3)』に続く…