2018.03.26(月)その他

記録と数字からみた「9秒98」や「9秒台」についての“超マニアックなお話” 第4回「「初9秒台」の以前とその後」



◆「初9秒台」の以前とその後

これまでに9秒台で走った選手が歴代で125人(計881回)であることは冒頭に述べたが、「表4」に各選手が「初9秒台」を出した年を古い順に集計し、その年の9秒台の人数と回数、世界10位の記録も調べてみた。

年毎の「初9秒台」の人数は、1996年までは3人以内だったのが1997年に5人、2003年に6人、2008年に9人を数え、2015年以降は、12人・10人・9人となっている。また、その年の9秒台の人数や回数も1997年に初めて二桁となり、2008年からは毎年10人以上で、2011年に20人に達し2015年には27人が91回も9秒台をマークした。しかし、2017年は「ちょっと一休み」といったところだった。

なお、「初9秒台」での最速は2008年のボルトの「9秒76」。それまでのベスト10秒03を一気に0秒27も縮めての「初9秒台」だった。

【表4/125人が「初9秒台」をマークした年別人数とその年の9秒台の人数・回数】
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次に125選手が「初9秒台」をマークする前までの自己ベストを紹介しよう。上述の通り、ボルトは、10秒03から0秒27短縮しての初9秒台(9秒76)。桐生選手の場合は、2013年4月29日に10秒01で走りその4年4カ月と11日後の2017年9月9日に「9秒98」を出した。他の選手は、どうなのかも調べてみた。

なお、初9秒台を出す直前までの自己ベストは当然のことながら10秒台だが、タイ記録を複数回マークしている場合は、年月日の古いものを用いた(桐生選手の場合は、10秒01を2013年4月29日と2016年6月11日に出しているが、この場合は2013年を採用)。また、決勝と同じ日に行われた予選もしくは準決勝で10秒台の自己ベストを出し、決勝で「初9秒台」をマークしたような場合は、前日以前までの自己ベストを採用した。

125人のうち、「初9秒台」で走る前までの自己ベストが不明の1人を除く124人のデータは、「表5」の通り。平均値は「10秒061」で標準偏差は「±0秒068」。

124人のうち半数以上の69人(55.6%)が10秒04以内からの「初9秒台」を果たしている。10秒09以内だったのは103人で全体の83.1%となる。

【表5/「初9秒台」を出す前までの自己ベストの0秒01毎の人数】
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自己ベストがどれくらいになった時に「9秒台」を意識し始めるのかは人によって違いはあるのだろうが、上記のデータ分布からすると初めて10秒0台が出たあたりからだろうか? 現実には、10秒2~4台からいきなり「9秒台」という選手も6人いるが、全体の4.8%に過ぎず、10秒1台を含めても16.9%だ。

また、限りなく9秒台に近い最後の10秒台の自己ベストから「初9秒台」までに要した日数の平均値は「374日」で標準偏差は「±425日」。ほぼ1年後である。しかし、30日単位でまとめてみると、「表6」のようになる。

【表6/9秒台に最も近い10秒台の自己ベストから「初9秒台」までの日数の分布】
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実際のカレンダーでは、15日以内に13人(10.5%)、1カ月以内に計29人(23.4%)、2カ月以内に3分の1を超える計42人(33.9%)、3カ月以内に計52人(41.9%)、1年以内に80人(64.5%)が「9秒台突入」を果たしている。なお、151~240日が「0人」なのは、シーズンオフにあたるためである。

以上からすると、実際に「9秒台」で走ることができた選手は、意外と短い期間で「9秒台」を達成しているようで、「10秒の壁」へのプレシャーなどはあまり意識していなかったり、感じていなかったのかもしれない。桐生選手は、4年4カ月11日目(1594日)で9秒台に到達したが、これは長い期間を要した方から4番目にあたる。

◆9秒台への道のり色々
せっかく細かくデータを調べたので以下にいくつかの考察を……。

<あっという間の9秒台>
1番期間が短かったのは、アジア人で初の9秒台をマークしたサミュエル・フランシス(カタール)とゴニジャシェ・マクシャ(ジンバブエ)の「1日」。

フランシスは、1987年3月27日生まれで180cm・85kg。1964年東京五輪を制した183cm・86kgのボブ・ヘイズ(アメリカ)をほんの少し小さくしたような体格だ。年次ベストは、2004年10秒57、2005年10秒45、2006年10秒44。20歳になった2007年に大ブレイクした。

2007年の成績は、
4月26日 10秒35(+1.7)
5月11日 10秒49(-0.8)
6月23日 10秒57(-3.7)
7月1日 10秒42(-0.8)
7月4日 10秒49(-1.9)
7月7日 10秒51(-1.4)
で、風に恵まれなかったが無風なら10秒3台、追風2.0mなら10秒2台前半か10秒1台もいけそうな状況だった。そして、7月25日からのアンマンでのアジア選手権に乗り込んだ。
7月25日 予選 10秒18(±0.0)
7月26日 準決 10秒19(+1.5)
7月26日 決勝 9秒99(+0.9)
そして、アジア人初の「9秒台」を果たした。
7月25日の予選で出した直前の自己ベスト10秒18を一気に0秒19も破った。さらに大会前までの自己ベストは、4月26日の10秒35だったのだから、本人にも「9秒台のプレッシャー」などはまったくなかったことだろう。

マクシャは、フランシスと同じく1987年の生まれで誕生日も16日しか違わない3月11日。169cm・71kgと小柄な選手。

もともとは走幅跳が専門で、2006年に7m87のナショナル・ジュニア記録を作り、2007年は7m69と後退したが、2008年に8m30のジンバブエ新記録を跳んで全米学生選手権で優勝。北京五輪でも4位(8m19)に入った。2011年は、全米学生で8m40でジンバブエ記録を破って3度目の優勝。テグ世界選手権でも銅メダル(8m29)に輝いた。

100mはというと、2006年10秒64、2007年10秒52という記録が残っているが、2008~2010年は走っていないようで記録が見つからない。2011年になって100mにも本格参入。4月22日の全米大西洋沿岸評議会選手権の予選を10秒34(-1.5)で走り、翌日の決勝では9秒97(+2.0)で、それこそ「いとも簡単に9秒台」に突入した。その後、6月10日の全米学生選手権では、9秒89(+1.3)で走って、走幅跳との二冠に輝いた。

実質的に100m本格参入の初戦でいきなり9秒台で走った訳で、100mについてはまさに「シンデレラ・ボーイ」だ。このため先のフランシスと同じく「9秒台のプレッシャー」などはまったくなかったはずだ。

なお、2003年5月5日の水戸国際で9秒93(+1.8)のオセアニア大陸新記録をマークしたパトリック・ジョンソン(オーストラリア)は、同じ日の予選で10秒05(+1.4)の自己新で走っているので、初9秒台までの日数は「0日」となる。が、最初に記載した通り、このような場合は、それ以前の自己ベストを採用することにしたので、彼の場合は、2000年3月2日の10秒10(+1.6)が直前の自己ベストなる。これからすると、9秒台までの期間は1159日(3年2カ月3日)となって、長期間を要した7位となる。

<9秒台まで約7年>
フランシスやマクシャと反対に最も長い期間を要したのは、400m世界記録保持者のウェイデ・ファン・ニーケアク(南アフリカ)の4年11カ月22日(1820日)。といっても、2011年4月3日を最後に2016年3月12日までは100mは走っていない。このため、2011年3月19日の10秒45が自己ベストのまま残った。2016年3月12日の予選で10秒12、同じ日の決勝で9秒98をマークしたが、前述のジョンソンと同じく「0日」とは扱っていない。

となると、実質的な「最長期間」は、ブライアン・ルイス(アメリカ)だ。

1997年6月12日に10秒00をマークして「9秒台」をそれこそ指呼の間にたぐり寄せながら、それを実現したのは2002年5月4日(9秒99)で、4年10カ月と22日後、日数にして1787日を要した。

なお、10秒00からは4年10カ月22日だったが、彼の「9秒台への道のり」は実際にはそれ以上に長かった。

1974年12月5日生まれ、170cm・72kgと小柄な選手で、19歳の1994年6月15日に10秒27をマークして頭角を現してきた。19歳から20歳の一冬で大きく伸びてきて、1995年3月31日に10秒03をマークしたが追風2.4m。

1996年は、公認で10秒03(+1.8)、10秒05(+0.3)、10秒09(-0.1)。

1997年には6月12日にマークした自己ベストの10秒00(+0.9)を筆頭に10秒03(+3.2)、10秒04(+0.2)。

1998年もシーズンインから好調で5月9日に10秒00をマークするも追風2.9m。6月19日の全米選手権の予選で念願の9秒99で走ったがまたもや追風2.6m。同日の準決勝は10秒03(+0.5)。翌日の決勝も9秒96で走ったが追風4.9m。その後も、10秒07(+0.7)、10秒07(+1.0)、10秒02(+2.4)、10秒06(+0.3)とコンスタントに10秒0台をマークした。

1999年も、10秒06(+2.4)、10秒00(+2.3)、10秒03(+0.4)、10秒06(+1.0)。

20世紀に入った2000年も春から好調だったが、風に見放された。4月以降、9秒96(+3.4)、9秒96(+2.5)、10秒06(+0.4)、10秒02(+0.7)、10秒03(+0.4)、10秒09(-1.7)、10秒02(-1.0)で終了。9秒台の2レースの追風がもう少し弱いか、向風が1mを超えたシーズン終盤の2レースが追風に恵まれていたならば……、だった。

2001年は、少しパワーが落ちて、10秒10を追風2.7mと追風0.1mで一度ずつ。

そして、2002年5月4日についに公認の9秒99(+0.5)が出たという次第。

1995年3月31日の追風参考での10秒03(+2.4)から勘定すると7年1カ月と4日、日数にして2591日だ。その間にマークした追風参考の9秒9台が4回。10秒0台は、公認と追風参考を合わせて21回。何とも長い道のりだった。

ブライアン・ルイスと8日差の4年10カ月13日(1779日)を要したダービス・パットン(アメリカ)も似たようなもので、2003年8月15日に10秒00で走りながら2008年6月28日の9秒89まで長い歳月を要した。

追風参考での自身初の10秒0台(10秒09/+5.0)は2000年4月8日。そこからは、8年2カ月20日の時間が流れた。

まあ、こちらの10秒09は追風が5.0mもあったのでルイスのように「惜しい追風参考」ではなく、10秒0台も公認と追風参考を含めても6回だったが……。しかし、追風参考の「幻の9秒台」は、2003年に1回(9秒97/+2.9)、2004年に2回(9秒89/+3.2。9秒96/+4.6)マークしている。

「9秒台を意識し始めた頃」として、先に「初めて10秒0台が出たあたりか?」と書いたが、それでみてみると、それぞれの選手にとっての実際の「9秒台までの期間」はもっと長くなりそうだ。

★<第5回>
・世界の9秒台選手の特徴
に続く...


※記録情報は2017年12月31日判明分
文:野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)



記録と数字からみた「9秒98」や「9秒台」についての“超マニアックなお話”
▼第1回「世界記録と日本記録の進歩は?」 
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11324/
▼第2回「桐生選手のトップスピードは時速42.0㎞」
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11327/
▼第3回「桐生選手のピッチ、ストライドの年別の変化/日本歴代上位選手とのピッチ・ストライドの比較」
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11337/
▼第4回「「初9秒台」の以前とその後」
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11338/
▼第5回「世界の9秒台選手の特徴」
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11367/
▼第6回「「9秒台」の時の「風速」」
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11366/
▼第7回「桐生選手に続く日本人選手の「9秒台」の可能性」
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11368/
▼第8回「五輪&世界選手権の「ファイナリスト」への条件」
http://www.jaaf.or.jp/news/article/11369/

▼2018年4月~「日本グランプリシリーズ」が始まります!
http://www.jaaf.or.jp/gp-series/

▼5月20日(日)「セイコーゴールデングランプリ陸上2018大阪」開催!
http://goldengrandprix-japan.com

▼6月24日(金)~26日(日)「第102回日本陸上競技選手権大会」開催!
http://www.jaaf.or.jp/jch/102

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