今回のトップアスリートインタビューは、男子短距離のサニブラウン アブデルハキーム選手の登場です。日本陸連では、2020年東京オリンピックと、その後の国際大会での活躍が大いに期待できる次世代の競技者を強化育成する「ダイヤモンドアスリート」制度を、2014-2015年シーズンからスタートさせましたが、サニブラウン選手は、その第1期生として、城西大城西高1年生のときに選出されました。その後の目覚ましい活躍は、すでに多くの方がご存じのことでしょう。翌2015年には世界ユース選手権で100m・200mを制し、北京世界選手権にも出場。この躍進ぶりは世界的にも高く評価され、国際陸連の年間表彰でライジングスター・アワードも受賞しました。2016年はケガにより思うような実績を残せませんでしたが、その雌伏の1年を経て迎えた2017年シーズンに大きく開花。日本選手権で、史上最高レベルとされた100m・200mで2冠を獲得すると、両種目に出場したロンドン世界選手権では、100mは準決勝に進出。200mではこの種目史上最年少での決勝進出を果たし、7位の成績を収めました。
その一方で、秋からはアメリカ・フロリダ大学のフレッシュマンとして、新たな生活を始めたばかり。過日、第4期(2017-2018シーズン)がスタートしたダイヤモンドアスリートも、本来よりも1年早いタイミングながら、すでにシニアレベルでトップアスリートとして活躍しているということで、いわゆる“飛び級”で修了しました。
大きな転機となったこの1年を、サニブラウン選手は、どう受け止めているのでしょうか? 年末年始休暇を利用して帰国し、日本陸連アスレティックス・アワードで優秀選手賞を受賞した直後のサニブラウン選手に、話を伺いました。
◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)
オランダ→日本→ロンドン→アメリカ
たくさんの「いい経験」ができた2017年
写真提供:フォート・キシモト
――日本陸連アスレティックス・アワード2017での優秀選手賞受賞、おめでとうございます。
サニブラウン:ありがとうございます。
――日本にはいつ戻ったのですか?
サニブラウン:昨日です。アトランタ空港で停電があり、出発があと1時間遅かったら帰ってこられないところでした。ぎりぎりセーフです。
――年越しは日本で?
サニブラウン:はい。
――久しぶりの日本はいかがですか?
サニブラウン:一番の感想は「寒い」ということですね。向こうは20℃くらい。まだ半袖短パンで行けるかな、くらいなので。
――風邪を引かないように気をつけないといけないですね。
サニブラウン:はい。
――さて、お話をうかがっていきましょう。サニブラウン選手にとって、この1年間は、本当にいろいろなことがめまぐるしく、大きく変わった1年だったように思うのですが、どんな感想をお持ちですか?
サニブラウン:本当に、とてもいい経験ができました。去年(2016年)は、ケガをして、シーズンのほとんどでレースに出られなかったので、復帰できて、またトップのレベルで走れて、よかったなと思いますね。
――2017年を振り返ると、まず、オランダをトレーニング拠点にすべく1月に渡航しました。
サニブラウン:そうですね。まず合宿で南アフリカに行ったのですが、その後、オランダで練習しました。
――オランダのナショナルコーチを務め、多くのトップアスリートの指導にあたるラナ・レイダーコーチのもとでトレーニングをしたことで、シーズンインしたときに、「変わったな」と感じたことはありましたか?
サニブラウン:少しは速くなったのかなという気はしていましたね。新しいことを始めたことによって、違うものが身について、それが少しずつ生かせてきた段階だったので、前の年や、そのもう1つ前の年よりは「いい結果が出るのかな」と思いながら臨んだ感じです。
――チームで一緒にトレーニングをしていた皆さんも、世界でメダルを取ろうとか、世界記録を目指そうとかいうような方々ばかりでした。そういうなかで学んだことはありましたか?
サニブラウン:今まで(日本の)学校とかで練習していたのとはまた違ったことが体感できたなという気がしましたね。また、(アスリートとして)本当にすごい夢のような存在の人だけど、日常生活では、話していると全然印象が違うとか、いろいろな面白い経験ができました。
――皆さん、弟分みたいな感じで、可愛がってくれたのでしょうか。
サニブラウン:はい(笑)。そういう感じです。
――トレーニングの場面では、大変なこともあったのでは? 例えば、国内で練習していれば、サニブラウン選手の力は飛び抜けている状態なのでしょうが、彼らと練習するとなると、そう簡単には追いつけないでしょうし。
サニブラウン:最初は、追いついていくのが精一杯の日々でした。ケガしてから、まともな練習をしていなかったこともあって…。でも、徐々に慣れていくうちに、技術面はともかく、ついていけるようにはなったので、練習もだんだん楽しくなりました。本当にいい機会だったのかなと思います。
――2016年シーズン中(6月)にケガして、トレーニングできない時期がありましたからね。そうした期間があったからこそ、逆に、きつい練習も楽しめたのでは?
サニブラウン:そうですね。久しぶりに「いやあ、走っているなあ」と思っていました(笑)。
日本選手権2冠は「思ってもみなかった結果」
最年少入賞達成も「悔しかった」世界選手権
写真提供:フォート・キシモト
――そうして始まった2017年シーズン。まず、日本選手権での100m・200m2冠達成が大きなインパクトを残しました。ともに決勝で自己記録を更新(10秒05、20秒32)しての素晴らしい優勝でしたが、その段階で、どういう感想を持っていましたか?
サニブラウン:思ってもみなかった結果が出たという感じでした。まあ、200mは優勝を狙っていたのですが、100mに関しては本当に…。(10秒06の自己新が出た)予選が終わってから「?(ハテナ)」が続いたという感じですね(注:準決勝でも10秒06をマークし、決勝は10秒05とさらにベストを上回っての優勝だった)。まさか、出るとは思っていなかったので、本当に。
――確かに、悪天候下でのレースでしたし。
サニブラウン:はい。
――特に今年は、100mは、国内では一段と「9秒台がいつ出るか」が取り沙汰されていました。そういうなかで、サニブラウン選手も10秒を切っていく記録が出そうだなという感覚はなかった?
サニブラウン:いえ、日本選手権ではたぶん出ないだろうなと思っていましたね。
――100mの決勝の結果は、自分としては満足できるものだった?
サニブラウン:雨が降っていましたし、こんなものかなという感じでした。
――2回目の出場となった世界選手権に向けてのトレーニングはどうだったのでしょう。前回の北京のときとは違っていたのは?
サニブラウン:北京のときは、なんか「出られちゃった」みたいな感じでしたから(笑)。でも、今年に関しては、本当に「決勝を狙っていくぞ」という感じだったので、気持ちの面でもまた違った臨み方ができたのかなと思います。
――100mは準決勝進出、200mではこの種目で史上最年少となる決勝進出を果たして7位。成果として上々だと思うのですが、現地では悔しそうにしていた様子のほうが強く印象が残っています。
サニブラウン:「全然満足できなかった」ということが、一番悔しかったですね。
――100m、200m、両方とも?
サニブラウン:両方ともです。100mは、準決勝のスタートでコケた(スタート直後に躓き、バランスを崩してしまった)のがそうですし、200mは脚のせい(100m準決勝後、右脚ハムストリングスに痛みが出た)で全力を出し切れていなかったので。
――とはいえ、トータルでみると、まずまずの評価ができるのでは?
サニブラウン:まあ、結果としては(200m)7番だったので、よかったとは思うのですが。…いやでも、思い返してみると、やっぱ悔しいですね。
――もっと行きたかった?
サニブラウン:はい。
――脚の痛みが出てしまったというのはあったけれど、今回は2種目に出場しました。次は、予選や準決勝を全力で行かなくても決勝に進めるようになることが目標になってくるのでしょうか?
サニブラウン:そうですね、ちゃんと2種目で3ラウンドずつを走っていけるような体力と身体づくりをしっかりとやっていかなきゃと思います。
――予選や準決勝で余裕を持って通過できるように…。
サニブラウン:はい、余裕をもって抜けられるくらいの力はつけていきたいです。
――ついてきている感じはある?
サニブラウン:どうでしょうか。まあ、予選はなんとかなると思うんですけど…。準決勝で「手を抜ける」までにはいけなくても、「気持ちよく通れる」くらいにはなりたいなあと思いますね。
(2017年12月19日収録)
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