2024.02.21(水)大会

【日本選手権20km競歩 】男子レポート&コメント:池田向希が“世界一熾烈な代表争い”を制し、パリ2024オリンピック日本代表内定!



第107回日本陸上競技選手権大会・20km競歩」は2月18日、本年8月に開催されるパリオリンピック日本代表選手選会を兼ねて、第35回U20選抜競歩大会との併催で、兵庫県神戸市の六甲アイランド甲南大学西側20kmコースにおいて行われました。当日は、雨と強風・低温に苦しんだ前年とは打って変わって、曇りがちではあったものの、競技開始の8時50分の段階で気温13.5℃という暖かさ。日本選手権男女が実施されている間に気温は15.5℃まで上がり、女子の終盤では、やや風が感じられるようになりましたが、例年に比べると総じて風も弱く穏やかで、雲の合間から日が差す時間帯には暑さも感じるコンディションのなかでのレースとなりました。

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池田、世界記録に肉薄!
世界歴代3位の1時間16分51秒で日本代表内定

オープン参加の外国人選手6名を含めて全74名が出場した男子は、今大会のキャッチコピーとして掲げていた“世界一熾烈な代表争い”という言葉通りの戦いとなりました。
午前8時50分に号砲が鳴ったレースは、スタートして100mも行かないうちに、山西利和選手(愛知製鋼)が飛びだし、池田向希選手(旭化成)が横に並びかけていく形で2選手が前に出ましたが、すぐに高橋英輝選手(富士通)、川野将虎選手(旭化成)、らが追いつき、大きな先頭グループが形成されます。山西選手を先頭に、最初の1kmは3分52秒(以下、1kmごとのラップおよびスプリットタイムは速報値)。このハイペースにもかかわらず、10人が一団となって通過し、さらに大きく間を空けることなく、後続の選手たちも次々に通過していく非常に速い入りとなりました。2kmを7分43秒(3分51秒。この間のラップタイム、以下同じ)で通過。この周回で山西選手と池田選手が少し前に出て先頭集団を引っ張っていく隊列へと変化すると、2~3kmのラップは3分49秒に。これは、鈴木雄介選手(富士通)が2015年に樹立した世界記録(1時間16分36秒)をイーブン換算した1kmあたりのペース(3分50秒)を上回る速さです。そうしたペースのなかで、トップ集団は徐々にそぎ落とされていきます。5kmを先頭が19分14秒(以下、5kmごとのタイムは大会発表の正式記録による)で通過したときには、山西、池田、髙橋和生(ADワークスグループ)、川野、古賀友太(大塚製薬)、濱西諒(サンベルクス)の6名に絞られることに。早い段階でトップ集団から後れていた高橋英選手が6kmでレースを終えるという思いがけない事態も生じました。



先頭グループは、7周目に入ったところで、結果的に勝負の分かれ目となった変化が生じました。5~6kmのラップが3分53秒に落ちていたことから、「1回前に出てみて、集団がどう反応するか試してみよう」と池田選手が先頭に立ってペースを引き上げたのです。これについたのは山西選手のみ。7kmを通過した時点で、川野・古賀・髙橋和・濱西選手とは2~3秒の差が生じる形となりました。この状況をチャンスと読んだ池田選手は、次の周回に入ったところでギアチェンジ。ここで3分46秒のラップを叩きだし、山西選手を振りきります。池田選手は次の周も3分46秒で回って10kmでは世界記録をイーブン換算したスプリットタイムより2秒速い38分16秒で通過。11・12周目も3分48秒を刻んだことで、世界記録のペースを6秒上回る状況に持ち込むとともに、10km地点で10秒だった後続との差を12km通過時では21秒へと広げ、“独り旅”の態勢を築きました。



池田選手は、15kmも世界記録ペースより4秒速い57分23秒で通過。2番手との差は広がりつつも、そのあたりから少しずつ勢いに翳りが出てきました。15kmを過ぎてからのラップは3分51秒、3分53秒、3分53秒にダウン。残り2kmとなったところで世界記録の更新は厳しくなってしまいました。18~19kmでは3分57秒までラップを落としましたが、最後の1周は3分54秒に持ち直す粘りを見せて、世界記録に15秒まで迫る1時間16分51秒の大会新記録でフィニッシュ。大会2連覇を果たすとともに、選考条件を満たして、パリオリンピック日本代表に内定しました。優勝記録の1時間16分51秒は、池田選手自身にとっては2019年以来(1時間17分25秒)となる自己新記録。史上4人目の1時間17分切りを果たし、世界歴代3位、アジア歴代および日本歴代2位に浮上することとなりました(池田選手のコメントは、別記ご参照ください)。


2・3位を占めたのは明大OBコンビの濱西・古賀
1時間17分台で、メダリストらを抑える

さて、今回のパリオリンピック代表選考にあたっては、内定が出るのが日本選手権のみとなり、内定者が出なかった場合も、派遣設定記録突破者、日本選手権3位以内の優先順位で選考される基準となったことで、特に派遣設定記録突破者の多い男子については、日本選手権で3位以内の成績を収めることが必須の状態となっていました。このため例年にも増して「日本選手権メダル」を狙う戦いは激化するとみられていましたが、加えて下剋上ともいえる様相となる大激戦が繰り広げられました。
苛烈な2・3位争いは、前項でも触れた池田選手がリードを奪った7周目で始まりました。この周回で、3位グループをつくっていた川野・古賀・髙橋和・濱西選手のうち、髙橋和選手が後れ、川野・古賀・濱西選手が、池田選手に突き放される形となった山西選手に追いつき、8km通過までに、この4人による2位集団が形成されたのです。ここから抜けだし、単独2位に浮上して池田選手を追ったのが川野選手。9kmの通過時点では、先頭の池田選手に5秒後れで川野選手、さらに4秒後れて、山西・古賀・濱西選手が3位集団で続く隊列へと変化しました。池田選手が3分46秒のハイラップを刻んだこともあって、トップとの差はどんどん開いていく形となったものの、2位、3位グループの態勢は、そのままの状態で11kmを通過。しかし、その周回で、思いがけない事態が発生しました。3位グループでやや後れがちになっていた山西選手が、「ロス・オブ・コンタクト」(両足が地面から離れたと判断されること)でレッドカードが3枚出て、なんとペナルティゾーンに入ることになってしまったのです。2分間の待機を経てコースに復帰したものの、その後、4枚目のレッドカードが出て、まさかの失格でレースを去る結果に。世界選手権2連覇(2019年ドーハ、2022年オレゴン)、東京オリンピック3位をはじめとするこの種目での実績はもちろんのこと、U18世界選手権を制した高校年代から歩型の正確さに高い評価を得ていた選手だけに、会場にも驚きが走りました。レース後のメディア対応で、「勝負の世界なので、これがすべて」と話した山西選手。歩型の狂いについては、「技術的に少し苦しんだ時期があり、なんとかなるかなというところまで持ってくることはできたのだが、あの(ハイ)ペースが続いたときに、制御がきかなかった」と説明しました。



山西選手の離脱で、2位・川野選手を追うのは、明治大出身の古賀選手と濱西選手に絞られました。1学年後輩となる濱西選手が前、古賀選手が後ろにつく形で歩を進めた2人は、徐々に川野選手との差を縮めて14周目で追いつくと、15kmは濱西選手(58分08秒)、川野・古賀選手(58分09秒)で通過。そこからは「2つの椅子」を巡っての3人による鍔迫り合いが続きました。18kmを過ぎたあたりから川野選手がやや後れがちとなるものの、持ち前の粘りで食らいつきます。しかし、19周目の終盤で古賀選手が前に出ると、すかさず濱西選手がこれにつき、川野選手は置き去りに。残りは1kmでの勝負となった先輩・後輩対決は、最後の折返し地点前で濱西選手が古賀選手を捕らえて逆転。濱西選手が1時間17分42秒、古賀選手は1時間17分47秒の好記録で2・3位フィニッシュ。これらの記録は日本歴代6位と8位に浮上するもので、昨年の能美競歩でマークした1時間21分55秒が自己記録だった濱西選手は、これを一気に4分13秒も更新して派遣設定記録も大きく突破。すでに派遣設定記録を突破済みの古賀選手は、再びこれをクリアするとともに、2020年にマークした自己記録1分18秒42秒も4年ぶりに1分以上更新してみせました(濱西選手、古賀選手のコメントは、別記ご参照ください)。



最後に突き放されたものの4位で続いた川野選手も、セカンドベストの1時間17分59秒をマーク。主戦場を50km、35kmとしていた影響もありますが、20kmの自己記録(1時間17分24秒=学生記録)をマークした2019年以来となる1時間18分切りを果たしました。以下、5位の髙橋和生選手(1時間19分01秒)、6位の丸尾知司選手(愛知製鋼;1時間19分06秒)、7位の吉川絢斗選手(東京学芸大;1時間19分29秒)までが派遣設定記録を突破するとともに、それぞれ自己記録を更新。8・9位となった野田明宏選手(自衛隊体育学校;1時間19分34秒)、萬壽春輝選手(順天堂大;1時間19分53秒)までが参加標準記録を上回る高水準でした。


【日本選手権獲得者コメント】

池田向希(旭化成)
優勝 1時間16分51秒 =大会新記録、派遣設定記録突破
パリオリンピック日本代表内定



出来すぎたくらい思い通りのレースができたので満足している。パリ(オリンピック)への挑戦権を獲得できたことに、ホッとしている気持ち。
前半からハイペースでレースが進んだが、そのペースでどこまで維持できるかという、耐久レースのような課題を持って臨むことができた。途中から1人(で歩くこと)になったが、そこからペースを落とさずに、自分でリズムをつくって、ペースを刻めた点がよかったと思うし、また、スタートしてすぐに山西(利和)選手が先頭に立ち、想定よりもハイペースになったことをチャンスだと捉えられた点もよかった。「このペースを維持したほうが(先頭)集団の人数を絞ることができる」と考えて、それをプラスに受け止めてレースを進めた。
6kmを過ぎたところで先頭に立ったのは、一つ前のラップが確か1秒か2秒ほど落ちていたので、そこで1回前に出てみて、集団がどういう反応をするかを見てみようとしたから。そうしたら後ろが離れたので、「ここがチャンスだな。思いきって行こう」と(心を)決めた。あとは、いかに自分のペースを落とさずに進めるかということだけを考えて、タイムのことはあまり気にせず、淡々と自分のリズムを刻んでいこうという気持ちで臨んでいた。
タイムについては(前日の会見でも、気にしないと話していたが)、正直、10km(を38分16秒で通過した)くらいからは、「世界記録、世界記録」とアナウンスもあったので(笑)、少し意識してしまった。それでも、「自分のリズム(で行こう)」と気持ちを落ち着かせて、心に余裕を持って歩くことはできたと思う。レース中は、沿道から多くの方々が名前で応援してくれたことが本当に力になったし、(1周)500mのすべてが観客で埋まっていて、とても盛り上がっていて、歩いていて気持ちがよかった。
タイムについては、久しぶりの自己ベスト(従来の自己記録は1時間17分25秒、2019年)。一つ、成長できたことが形に表れたのでよかった。ここまでの段階のその時期ごとに、「今、この時期に何が必要か」というところを一番に考えられた点が、ピーキングをこの大会でベストの状態に合わせられた要因だと思う。
(パリオリンピックが行われる)夏のレースと冬のレースではまた(状況が)変わってくるし、海外のレースだと、ラスト5km、ラスト3kmの争いが本当に熾烈になってくる。今日は、中盤の勝負で勝ちきったが、オリンピックではきっとラスト5km、ラスト3kmの勝負が大事になってくると考えている。今後は、そこに磨きをかけたい。ここまで、ずっと2大会連続のオリンピックメダルを目標に掲げてきたので、その挑戦に向かって、1日1日、大切に取り組んでいきたい。




【派遣設定記録突破者 上位選手コメント】

濱西 諒(サンベルクス)
2位 1時間17分42秒 =パリオリンピック派遣設定記録突破



1年を通して、しっかり練習はしてきた自信があったので、まず、それを発揮できたことにひと安心している。タイムに関しては、正直、自分のなかでは「出来すぎかな」という気持ち。派遣設定(記録の突破)は一つ目標にしていたので、そのあたり…「(1時間)19分くらいを狙って、18分台が出れば、万々歳かな」と思っていた。17分台というのは、自分のなかでは出来すぎかなと思う。
今日は、池田(向希)さん、山西(利和)さんあたりが飛び出して、それに何人ついていくかなというところで、自分もついていくか、後ろから追っていくかを判断しようと思っていた。最初のところで8人くらいがついていったので、「これは行かないと、あとから(追っていたの)ではキツいな」と思い、スタートのところで「ついていこう」と判断した。
(ラスト勝負となった2位争いのスパートは)ラスト1周に入るときに、古賀(友太)さんに警告(レッドカード)が2枚ついていたので、本当は最後に折り返して残り500mで(前に)いこうかなと思っていたのだが、(川野)将虎さんもキツそうだったので、「残り1kmで離したほうが楽かな」と考え、そこで仕掛けた。
古賀さんは、レース中は順位を争うライバルだが、明治大学の先輩でもあるので、どっちが2位・3位でも一緒にオリンピックへ行けたらなという思いはずっとあった。そういうことも考えながらレースをしていた。
レース中は、(単独2位にいた)将虎さんに迫っていったときは、徐々に(差が)縮まっているのが目でわかっていたので、そのあたりではきつさはなかったのだが、追いついて前に出たときは、いろいろプレッシャーとか(笑)も感じて、そこで一気にきつさが来た。ただ、そこで後ろについてペースを落とすと、たぶんみんながいったん落ち着いてしまうと思ったので、後ろに入らずに、そのまま行こうと思って前に出た。
学生のときは、15kmまでいけても、残り5kmで失速してしまうレースが続いていたので、そういうところを改善しようと思い、(昨年の)春から基礎的なストロール(ゆっくりと歩くこと。ランニングにおけるジョグの相当するもの)やペースウォークの距離を増やし、夏も暑熱訓練だと思って基礎の距離を増やしてきた。そういう結果が9~10月の10000mで、しっかりつながってきていることを自分でも体感できていたので、自信を持って「冬も頑張ろう」と臨めていた。基礎の積み上げが、20kmにも活かせたかなと思う。


古賀友太(大塚製薬)
3位 1時間17分47秒 =パリオリンピック派遣設定記録突破



パリ五輪に向けて、3位以内でこの大会をゴールしたいというのがあった。ぎりぎりの3位だが、その順位をとれたことにホッとしている。
「とにかく3番以内」という思いで、タイムのことは全く考えていなかった。ただ、自分は、派遣設定記録は(ブダペスト世界選手権で1時間19分02秒=12位をマークし、すでに)切っているものの、この日本選手権で3位以内に入るとなると、自動的にそこを上回るタイムになるだろうと予想していたので、その速い(レースに対応する)ところも準備しながら、とりあえず前の位置で、常に(3位以内)が見える位置でレースを進めていくという展開を心掛けた。
レースは、途中までは川野(将虎)選手が単独で2位を歩き、濱西(諒)選手と私で追いかける形となったが、後半で川野選手に追いつくことができ、その後は、3人の集団でレースを進めることになった。「2位か、4位か」という状況になったので、「絶対に負けたくない」という気持ちを常に持って歩いた。
最初から速いペースとなったため、きつさはちょっとあったが、序盤があまり上下動のない一定のペースで進んだことで、だんだん(その速さに)身体が慣れてきた。ただ、中盤過ぎくらいからは、身体の重さなども感じるようになっていたが、そこで離れたら負けだと思っていたので、「気持ちで負けないように」というのを意識して歩いた。自分は、これまで歩型が課題で、以前よりは改善はされたことを感じているが、本日も(レッド)カードを受けているし、まだ完成形ではないと思っている。ただ、そのなかで順位とタイムをまとめてゴールできたのは、成長できた点かなと思う。
東京五輪は(20km競歩の)補欠ということで出場が叶わず悔しい思いをした。昨年、ブダペスト世界選手権には出場したが、世界選手権と五輪はやはり違うという思いがある。(五輪出場は)まだ決まったわけではないけれど、そこに一歩近づいたというところでは自信になる。
今回、自己ベストが出せて、タイムとしては(世界と)戦えるくらいにはなってきたかなと思う。そのなかで、よりフォームの正確性を高めていくことが必要。また、ラスト5kmくらいからロングスパートができるようになれば、中だるみを減らせると思う。そこは今後の課題としたい。

文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真:アフロスポーツ


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