2023.02.28(火)その他

【インタビュー】ロンドン五輪日本代表市川華菜さん~「迷惑撮影(盗撮)」からアスリートを守り、安心して陸上に取り組める環境作りへ~



日本陸連では、『アスリートが安心してスポーツに取り組める環境づくり』を目指して、さまざまな形での情報提供や発信に取り組んでいます。そのなかでも深刻な問題といえるのが、女性アスリートを狙った盗撮といえるでしょう。標的になるアスリート当事者はもちろんのこと、陸上競技にかかわるすべての関係者、そして陸上競技そのものを貶める、絶対に許してはならない卑劣な行為です。
この問題に対して、陸上界は、どうやってアスリートたちを守っていけばいいのか、そして、根絶するために、どういうアクションを起こせばいいのか。2021年シーズンまでトップスプリンターとして、日本の女子短距離を牽引し、昨年からは母校である中京大学でコーチとしての第一歩を踏み出している市川華菜さん(中京大学/ミズノブランドアンバサダー)に、この問題について、インタビューしました。

取材・構成:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真:フォート・キシモト


アスリートからコーチへ

―――市川華菜さんは、2021年シーズンで競技生活に区切りをつけて、昨年は今までと異なる立場で陸上競技にかかわる形となりました。いろいろな変化があったと思いますが、新しい日常には慣れましたか?
市川:そうですね。ずいぶん慣れました。

―――何か変化はありましたか?

市川:自分を取り巻く環境自体は、あまり変わっていないので、一番の大きな変化は、“自分が練習をしない”ということでしょうか(笑)。ただ、アスリートでなくなったけれど、陸上競技場に行く回数は逆に増えています。指導する立場になったことで、競技場で過ごす時間が長くなりましたね。

―――確かに、競技場にいる時間はコーチのほうが長くなりますよね。選手全員に目を配らなければならないから集中力も必要ですし、ときには厳しいことも言わなくてはならないし…。

市川:今は、まさに冬期練習の真っ只中なので、自分がやっていた厳しい練習メニューを、学生たちに出しています。それだけに、つらさや気持ちは、すごくわかります。

―――気持ちはわかるけれど、心を鬼にして…?(笑)

市川:そう! そうなんです(笑)。つらいのはめちゃくちゃよくわかるのですが、「ここを頑張らないと強くなれない」と思うので、学生たちには自分が一番嫌いだった練習をやってもらっています(笑)。


迷惑撮影の実例

―――さて、日本陸連は、今年から、指導者資格を持つ方々を対象に、『アスリートが安心してスポーツに取り組める環境づくりに向けた情報提供』を目的としたメールマガジンを発行していこうとしています。今回は、その第一弾として、市川さんにご登場いただきました。特に、女性アスリートが安心して競技に臨める環境をつくるという点で大きな問題となっているのが、迷惑撮影…、もっとはっきり言うなら盗撮という犯罪行為です。陸上界では、この行為を許さない、また未然に防ぎ、根絶させていくことを目指しています。今回は、長くトップシーンで活躍してきた市川さんに、選手時代に遭遇した例や見聞きしたこと、感じたことを伺っていくとともに、指導者となった現在のお考えや、これからどう対処していけばいいのかなどをお聞きしたいと思います。

市川:よろしくお願いします。

―――中学時代から陸上を始めた市川さんですが、現在コーチを務める中京大に進んでから頭角を現しました。大学2年の世界ジュニア選手権女子200mで決勝に進出。同時にシニアでもナショナルチームに名を連ね、以降は、100m・200mや4×100mリレーはもちろん、4×400mリレーでも数多くの国際大会に出場し、活躍してきました。ご自身は現役時代に、競技会あるいは練習などで、そうした迷惑撮影の被害を受けたことは?

市川:よくありました。

―――思い出したくないかもしれないけれど、どういったケースが記憶に残っていますか?
市川:そうですね…。スタート地点のすぐ近くで撮っている人がいたことでしょうか。

―――近く? それは競技場の中にいたということ?

市川:はい。地域でやっている小さな競技会だと、関係者でなくても競技場の中に入れちゃうじゃないですか。どこからともなく入ってきた人がスタート地点の後ろにいて、その横にビデオカメラが入っていると思われるカバンが置かれていることがあったんですね。そのときは、「なんでそこに荷物を置くんだろう?」ということで、みんなが気づいて、ざわついて…。でも、結局、逃げられてしまいました。

―――その人が、そこで撮影していたわけですか?

市川:カバンのなかからカメラが見えていたので、たぶん撮っていたのだろうと思います。不自然に近い位置だったので怪しい、と。そのときは審判をしていた役員の方に伝えたのですが、その方が声をかけたとたん、すごい勢いで逃げていったことがあったんです。

―――それは、いつ?

市川:大学生のときです。正確には覚えていないけれど、1~2年生くらいのときだったと思います。

―――怪しいとなっても、その年代では、「あなた、何やっているの?」と問い詰めるわけには…。

市川:言えないですよね。絶対に撮っているとわかるけれど、何かされたらと思うと怖いし。そもそも走る直前で、ユニフォーム姿になってレースに向かって集中している状態でしたから、気をとられたくないという気持ちもありました。

―――これからレースに臨むのに、そんなことに心を乱されたくないですよね。

市川:はい。こっちは「速く走りたい」という気持ちでいっぱいのときですから、わざわざ精神を乱すようなことはしたくないです。


迷惑撮影している人は挙動を見ているとわかる

―――逆に、大きな競技会であれば、少なくともグラウンドレベルに入ってくることはないのでしょうか。最近は、迷惑撮影に関するアナウンスが行われたり、会場内を巡回したりするようになってきていますが…。

市川:そうですね。でも、大きな競技会の場合は、意識して様子を見ていないと、特定しづらいかもしれません。例えば、スタンドから撮影している場合は、出場している選手を応援にきた家族や関係者のこともありますから。

―――逆に観察していれば、特定できるということなのでしょうか? 指導者という立場になってからは、現場で、挙動のおかしな人がいる場面に遭遇したことはありますか?

市川:去年は、コーチの立場で、いろいろな競技会に同行しましたが、小さな記録会や競技会では、「あれ、あの人」と感じることがけっこうありました。

―――動きがおかしいと感じる特徴として、どういうことがありますか?

市川:悪いことをしているというのを自覚しているからだと思うのですが、人が多くいる場所を避けて1人でぽつんといたり、人の多いところでは自分の撮影画面が後ろから見られないようにしていたりします。あとは、競技写真を撮るのとは違うタイミングでシャッターを押しているとか、競技しているのと違う方向にカメラを向けているとか。プロでもないのに不特定多数を撮っている場合も「あれ?」と思いますよね。少なくとも選手の家族とかではないということですから。あと、撮るときだけしかカメラを出さない場合なんてときは、もう、絶対に怪しいです。

―――それはもう絶対に怪しすぎる(笑)! 私は撮影もするので競技場からスタンドを見上げることが多いのですが、どれもわかる気がします。以前、フィールド種目の選手と、「インフィールドから見ているとわかるよね」と話したことがあります。観察していれば、すぐ特定できると思います。

市川:確かに、トラックから見たほうが、見つけやすいかもしれませんね。

―――市川さんが活躍していた時期は、ちょうど、誰でも撮影して、SNSに写真や動画をアップできるようになってきた時期と重なります。気を遣うことも増えたのかなと思いますが…。

市川:確かにそうですね。写真や動画がネットに簡単に上げられてしまうし、しかも、それが拡散されてしまうと消せませんし…。

―――意図しなくても、ご自身の画像が、目に入ってくることもありますよね。

市川:ずっと昔に撮影された写真や映像とかアップされているのは見たことがあります。競技ウエア姿なので、別に変な画像ではないのですが、違う見方をする人がいるようで…。あとは、そういう画像が出回っていますよとか、写真が売られていますよとかいうコメントが、いきなり届いたり…。

―――売られている? そういうコメントが、いきなり届く?

市川:はい。競技会でスタートダッシュをしているところが売られていますよ、というコメントが届いたことがあります。すごく怖いですよね。


迷惑撮影の存在を、まずはみんなで認知しよう

―――迷惑撮影に話を戻しましょう。ご自身に、そうした経験があると、なおさら指導者となった今、感じるところもあるのでは?

市川:とても気になります。私が選手だったころ…特に学生だったころは、注意してくれる人がいなかったんですよね。怖いとか競技に集中したいとかが先に立って、自分が選手だったときは言えなかったけれど、コーチとなった今は、自分の選手がそういう対象にされていることが、ものすごく気に入らなくて…。

―――何かアクションを起こしたことはあるのですか?

市川:女性のトレーナーの方から報告を受けて、挙動を確認したうえで、チームの監督に相談して、直接注意していただいたことがあります。また、直接言いに行ったこともありますよ、「削除してください」と。消そうとしなかったので本部へ連れていき、そこで確認してもらったところ、カメラに写真がたくさん入っていました。ただ、そういうときに、1人で立ち向かうのは正直怖いという気持ちはありましたね。

―――女性相手だと高圧的な態度を取る人もいますし、逆恨みされたり、攻撃されたりということも起こり得ると思うと怖いですよね。1人が対峙するのではなく、気がついた人みんなで対処していくような状況にしていきたい…。

日本陸連担当:実は、こういう問題があること自体を知らない指導者は意外と多いのです。

市川:そもそも知らないという人がいるわけですね。あと、その場にいた際に、気づけるかどうかも、個人差があるように感じます。これは私の感覚になってしまうけれど、男性のほうが問題意識は薄いのかなとも思いますね。圧倒的に女性のほうが気づきやすい。また、気がついたときに、すぐに行動を起こしてくれる人もいれば、残念ながら、そうでない人との差もあるのかな、と思いますね。

―――まずは、指導者の方に、きちんと知っていただくことが必要になってきそうですね。

市川:そうですね。スタート地点とかレース後とか、意識して見ていると、不審な行動をとっている人がけっこういることに、きっとびっくりすると思います。自分の指導する選手を心から大切に思っていれば、やるべきことは見えてくると思います。特に、選手は、レース後だとテンションが高まって、観客席から声をかけられたら、「イエーイ!」みたいな感じで(笑)、あまり深く考えずに撮影に応じちゃったりもしますから…。

―――純粋に応援してくれているファンの場合もありますからね。

市川:はい。応援してくださる人がいることは、本当にありがたいので大切にしたいですから。でも、一方で、そこで撮られた写真が売られていたり変な見方をされたりしているかと思うと、とても気持ち悪い。そんなときに気をつけてくれている誰かがいれば安心ですよね。

―――競技会を主催する団体や運営に関わる人々が、こうした問題をなくしていくために、できることはあるでしょうか?

市川:小さな競技会では人の出入りに、もう少し気をつけたほうがいいのかな、と思います。少なくとも、グラウンドレベルには一般の人は自由に入れないようにするとか、撮影する場合は身分証でチェックするとかができれば、抑止力になるかもしれません。ただ、陸上競技場って広いから、スタンドを含めてとなってくると…。

―――人員の確保は簡単なことではないし、そもそも競技の進行や運営自体も大変なはずですから。

市川:そう思います。といって、せっかく関係者の応援に来たのに、撮影を厳しく制限されるというのも、あまりに寂しいですし。

日本陸連担当:競技会時の撮影については、少しでも多くの方に陸上競技のこと、その大会のこと、選手のことを知って、応援してもらいたいという思いもあって、一部のスポーツ競技で施行されている、全面的な撮影禁止という措置はとりたくないと考えています。でも、管理をどうするかということは、いつも頭を痛めている問題なんです。近年では、運営にあたってくださる各都道府県陸協さんでは、スタンドの巡回を増やしてくださっていますし、場内で役員や補助役員を務める方が、不審者を通知してくださるケースも増えています。また、選手や所属先からも、そうした指摘が届くようになってきました。

市川:難しいこと、考えなければならないこともたくさんありますが、大会運営側、競技役員、選手・コーチ、そして観客の方も含めて、「みんなで選手を守っていこう」と行動できるようになるといいですね。


自分のことは自分で守る 「撮られているかもしれない」という意識を

―――後輩の現役トップ選手や、教え子となる学生アスリート、また、陸上をやっている女性アスリートに向けて、伝えたいことはありますか?

市川:「どこからどう撮られているかわからないという意識は常に持っておいたほうがいい」ということでしょうか。最終的には、自分のことは自分で守らざるを得ませんから。競技中は、もちろん競技に集中すべきですが、例えば、400mとか、マイル(4×400mリレー)とかを走ったあと、身体がきつくて倒れ込んで起き上がれなくなってしまうときなどに、その意識があるかないかで行動も変わってくると思います。

―――いわゆる“ケツ割れ”状態ですね。身体がコントロールできなくなるし、考える余裕もないくらいキツい!

市川:そう、あれは本当にきつい。それはすごくよくわかるんですが、残念ながら、そういう状況を撮ろうと狙っている人が、どこにいるかもわからないのが現実なんですよね。まずは当事者が「見られている」「撮られているかもしれない」と、頭の中に入れておくことが必要だと思います。

―――その意識があれば、レース後もそうですが、競技前後にウエアを脱ぎ着するときや、競技ウエア姿の際の立ち居振る舞いなども、変わってきそうです。

この問題の根底には、先ほど市川さんも仰った「みんなで選手を守っていく」という言葉が鍵になっていくといえそうですね。卑劣な行為の対象となっている女性アスリートが、もし、自分の娘や孫だったら、姉や妹だったら、男性の場合は愛する妻や恋人だったら…と思えば、行動も変わってくるのではないかと思います。運営サイド、指導者、保護者、そして応援に来てくださるファンの皆さん、それぞれの立場で、女性アスリートが思う存分、競技に集中できる環境をつくっていけるようにしたいですね。本日は、貴重なお話を、ありがとうございました。

(2023年1月17日収録)


市川華菜(いちかわ・かな)


中京大学卒業後、ミズノへ。2012 年ロンドンオリンピック・2015年北京世界選手権日本代表。
長くトップスプリンターとして活躍し、ミズノ退社後、昨年からを母校である中京大学でコーチを務める。(中京大学/ミズノブランドアンバサダー)


▼JOC アスリートへの写真・動画による性的ハラスメント防止の取り組みについて
https://www.joc.or.jp/about/savesport/
>>JOC報告フォーム

▼日本陸連 ハラスメント・暴力行為等相談窓口
https://www.jaaf.or.jp/ethic/compliance.html

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