ワールドアスレティックス(WA)が主催する世界最高峰のリーグ戦として実施されているダイヤモンドリーグ(以後DL)。5月のドーハ大会(カタール)から9月のチューリヒ大会まで、世界各地で全14戦が行われ、ポイントによる年間の総合成績が競われます。9月7~8日に行われる最終戦のチューリヒ大会は、ファイナル(決勝戦)という位置づけで、第13戦のブリュッセル大会までに獲得したポイント上位者のみが出場できる、まさに選ばれし者による最終決戦。今回、日本人選手として、女子やり投に北口榛花選手(JAL、ダイヤモンドアスリート修了生、女子やり投日本記録保持者66m00)が、男子3000m障害物に三浦龍司選手(順天堂大学、男子3000m障害物日本記録保持者8分09秒92)が、この栄えあるファイナルの出場権を獲得しました。女子投てき種目および男子中長距離種目での最終戦出場は、前身となるIAAFワールドアスレティックファイナル(2003~2009年)、IAAFグランプリファイナル(1985~2002年)の時代を含めても初めての快挙です。
年間を通じてのハイレベルの記録と順位が求められるDLでの成績は、オリンピックや世界選手権と同様に、まさに「超一流アスリートの証」として高く評価されます。ここでは、トップアスリートとして活躍した現役時代に、拠点を海外に置いて競技に取り組み、当時最高峰とされていた競技会をはじめとして豊富な海外転戦を経験してきた朝原宣治さん(大阪ガス、日本陸連理事、北京オリンピック男子4×100mリレー銀メダリスト)に、自身の経験を振り返っていただきながら、DLファイナルに出場することの難しさや価値の高さ、両選手への期待を伺いました。
◎海外に移り住んでグランプリを転戦
僕は、大学3年生の1993年に国体で、100mの日本記録(10秒19)を出したことがきっかけとなり、世界に打って出るために海外で練習や試合をしてみたいと思うようになりました。先駆者ということでは、そのころ、現在、陸連強化委員長を務めている山崎一彦さんを筆頭に、苅部俊二さん、齋藤嘉彦さんといった400mハードルで活躍していた方々が世界のグランプリを回って戦っていて、その姿に憧れを持って見ていたんですね。海外に拠点をおいてトレーニングすることを受け入れてくれる企業を探すなかで、縁があって大阪ガスに入社して、競技を続けることになりました。海外に拠点を置くといっても、当時はあまり選択肢がない状況でしたが、「行くならヨーロッパがいい」ということで、大阪ガス入社後の1995年からドイツのシュツットガルトに移住して、当時、州のプロコーチで、ドイツNo.1走幅跳選手のコーチであったアルフレッド・ラップコーチの指導を受けるようになりました。ドイツを中心にヨーロッパの各大会を本格的に転戦するようになったのは、その年の冬を越えて、1996年のアトランタオリンピックが終わったあたり。そのころからヨーロッパの競技会シーズンに合わせた生活が根づいてきましたね。1997年には、室内競技会や日本での大会も含めて、年間に30を超える競技会に出場しました。当時はまだ走幅跳をメイン種目としていましたから100mと両方に出ていました。大きな大会、小さな大会といろいろありましたが、多い時期には週に2~3試合なんてこともありました。
◎世界の流れに身を置いて、戦っていくことの面白さ
インターネットどころか、Eメールも携帯電話もまだ普及していないころでした。また、ドイツ語は全く話せなかったので、コーチとコミュニケーションをとるために、語学学校に通って必死で勉強しました。そういう話をすると、よく「大変だったんじゃない?」と聞かれるのですが、僕自身は、それが楽しかったですね。そもそも海外でやろうという人は、便利さとか、そういうのは求めていないんじゃないかなと思います。僕も、不便であるのは当たり前で、そのなかで新しい発見をした時や「こういうことが自分でできた」時に、喜びを感じていました。例えば、試合で初めていく駅に着いたら、いるはずの迎えが来ていなくて、公衆電話を使って連絡を取るしかないなんてこともありましたが、不安な思いをしながらも、なんとなく「どうにかなる」と思いながら体当たりしていましたね。そういうのは体力がいることだし、「若かったよな」とは思いますが、精神的に大変とか苦痛とかというのはなかったんです。シーズン中に転戦して、トレーニングの代わりに試合に出て、きっちりと体調を合わせていく方法は、僕にはすごく合っていたので、慣れてしまうと、逆に楽だと感じていました。ドイツを拠点にしていたころは、今のダイヤモンドリーグに相当する大会はグランプリと言われていました。僕は、ケガで休養したりする期間を経て、2001年からアメリカ(テキサス州オースティン)に拠点を移し、転戦は100mをメインに据えて取り組むようになりましたが、当時、最高峰に位置づけられていたのが1998年から始まったゴールデンリーグと呼ばれる大会で、これに並行する位置づけでスーパーグランプリ、グランプリ、グランプリⅡ(ツー)などがありました。
グランプリとか、ゴールデンリーグに出場するというのは、本当に大変なことなんです。ドイツ時代は日本人のコーディネータに、アメリカ時代はオランダ人の代理人にエージェントを務めてもらって、出場できる大会を探していました。まずは小さな試合に出場することからスタートして、そこで勝てるようになると中くらいのレベルの試合に、そして、そこで目立つような活躍ができるようになってくると、グランプリやゴールデンリーグでレーンをもらえるチャンスが出てくるんですね。最近では、日本でもウェイティングリストが公表されるようになってきましたが、これと同じ。レーンの数が決まっている100mの場合は、予選がなければ8人しか走れません。だからA決勝は無理でも、B決勝のある試合に滑り込めないかとか、そういうアンテナをずっと張り巡らせて過ごしていましたね。ニース(フランス)でグランプリがあったころ(2001年)、試合当日の朝に代理人から電話がかかってきて、「走れるようになったけど来られる?」と言われて、「行きます!」とすぐに出発して、夜のレースに出たこともあります。そういうふうに、滅多に巡ってこないチャンスを逃さないように、いつでも行くという気持ちで過ごしていましたね。
◎ファイナル出場は、自分の「選手としての価値」を示すもの
以前は、ゴールデンリーグだけでなく、グランプリやグランプリⅡのほかパーミットと呼ばれるさまざまな大会でのポイントが、そのクラスに応じて加算される仕組だったので、大きな試合でも小さな試合でも、常に自分がある程度のタイムや順位を残せるようにすることを意識して、年間を通じて臨んでいました。当時は、いわゆる最終戦は、グランプリファイナルという名称の大会だったのですが、この「ファイナルに出る」というのは、世界における自分の順位、強さ、選手としての価値を示すものだという意識でやっていました。2002年には、8~10番目あたりの位置でグランプリを転戦して、「ファイナルまであと少し」というところまでいったけれど、進出は叶いませんでした。そういう経験もあるだけに、北口選手や三浦選手がファイナルに出るということは、本当にすごいことだと感じています。オリンピックや世界選手権で勝つのも大変なことだけど、僕たちがやってきた、そういう「プロのアスリートとして転戦し、結果を残す」という観点でみると、ファイナルに進出して、そこで対等に戦えるということは、ものすごく価値があるし、難しいことなんですよね。ダイヤモンドリーグになってからは、ポイントはダイヤモンドリーグでのみ獲得できるシステムになりましたから、まずはダイヤモンドリーグの各大会に出場する必要があります。そこに出場すること自体が大変であるわけで、そう考えると、ファイナルに出ることのすごさがよくわかると思います。
◎若いうちに、ぜひ、世界に挑戦してほしい
こうして、世界を舞台にして戦っていく選手が増えてほしいということは、ずっと前から願っていたので、本当に嬉しいし、頼もしいですね。いくら当人が転戦したいと思っていたとしても、日本から出ていくのは、なかなか大変なことですから。そうした選手の育成を目指した始めたダイヤモンドアスリートなどの仕組みも、「国際的な視野で競技に取り組んでいく」という意識が根づき始めています。コロナ禍の影響などもありましたが、今後、どんどん増えていってほしいですね。北口選手や三浦選手だけでなく、中距離では田中希実選手(豊田自動織機)が活躍していますし、110mハードルでも泉谷駿介選手(住友電工)を筆頭に世界レベルの記録を出してきています。走幅跳では橋岡優輝選手(富士通、ダイヤモンドアスリート修了生)も十分に戦える水準の記録を持っていますし、もちろんサニブラウンアブデルハキーム選手(タンブルウィードTC、ダイヤモンドアスリート修了生)は、すでに海外に拠点を置いて、世界でもトップクラスとして知られるチームに入って活動していますし、ほかにも多くの選手が海外にベースを置いてトレーニングしたり、試合に臨んだりするようになってきています。
僕は、自分が海外に出たのは社会人になってからなので、「もっと早くから出ていれば」ということを反省しているんです。サニブラウン選手のように大学から海外に出ていくことができれば、経験の幅やチャンスもぐんと広がります。もちろん価値観は人それぞれですから、海外に出ていくことがすべてではないけれど、選択肢はたくさんあったほうがいいと思いますね。
◎北口選手と三浦選手の活躍に期待
今回、ダイヤモンドリーグ最終戦となるチューリヒ大会は、ヴェルトクラッセ・チューリヒという競技会。ゴールデンリーグやグランプリとしても行われていて、古くからレベルの高さで知られる、人気のある大会です。北口選手と三浦選手は、どちらも9月8日の同じ時間帯に競技が予定されています。日本選手がスタジアムで揃って活躍する様子を見ることができそうで、とても楽しみですね。北口選手は、ダイヤモンドアスリートだったころに、私が当時のプログラムマネジャーを務めていたので、よく知っています。これから先、どうするべきか。海外に行くべきかといったような話もしていたので、ちょうど彼女が将来の方向性などを悩んでいたころだと思うのですが、そのときに周りにいたのは、僕とか、リーダーシッププログラムを監修していた為末(大)くん(400mハードル日本記録保持者)とかの「海外推し」派(笑)。最終的に、彼女自身が自ら決断して、今の環境を整えていったわけですが、きっとダイヤモンドアスリートとして様々なプログラムを受けるなかで、いろいろな人から背中を押してもらえたのではないかと思います。
ダイヤモンドリーグでの彼女の活躍ぶりは、もちろん僕も注目して見ていました。もう、「あり得ない」って感じ。ダイヤモンドリーグに出るだけでも大変なことなのに、そこでずっと上位にいるというのは、従来の視点では考えられないくらいの出来事です。特に、すごいなと思うのは、銅メダルを獲得したオレゴン世界選手権が終わってからの彼女の取り組み。銅メダルという結果に満足して余韻を楽しんでもおかしくないくらいの偉業を達成したのに、北口選手はそれをよしとせずに、世界で戦うために、そのままチェコに戻ってトレーニングし、ダイヤモンドリーグを転戦して上位の成績を残し続けて、ファイナル進出をつかみました。そうやって、世界の流れのなかで、世界で戦っている選手と同じスタイルを貫いていることが素晴らしいと思います。ファイナルで、どんなパフォーマンスを見せてくれるのか、本当に活躍が楽しみです。
三浦選手とは、これまで接点はないのですが、その躍進ぶりはよく知っています。アフリカ系の選手が圧倒的な強さを見せている3000m障害物という種目で、まだ大学生という段階でダイヤモンドリーグ出場を果たし、そこでファイナル進出を可能にするのは、とても大変なことです。ちょうど英語を学ぶのと一緒で、若いころに世界のレベルを当たり前のように経験することは、日常的な競技に対する向き合い方や競技レベルそのものを、大きく引き上げることになると思うんです。そうしたマインドセットや世界標準に合わせた意識を、この年代から常に持てる素晴らしい機会となるはず。思いきりのよいレースで、たくさんのことを吸収してきてほしいですね。(談)
取材・構成:児玉育美(日本陸連メディアチーム)
写真:フォート・キシモト
【朝原宣治さん プロフィール】
所属:大阪ガスネットワーク株式会社
日本陸上競技連盟理事
2008年北京オリンピック男子4×100mリレー 銀メダリスト
男子100m元日本記録保持者
【ダイヤモンドアスリート】特設サイト
>>https://www.jaaf.or.jp/diamond/
■第8期認定アスリート
クレイアーロン竜波(テキサスA&M大学)
中村健太郎(日本大学3年)
出口晴翔(順天堂大学3年)
藤原孝輝(東洋大学2年)
柳田大輝(東洋大学1年)
アツオビンジェイソン(福岡大学2年)
佐藤圭汰(駒澤大学1年)
西徹朗(早稲田大学1年)
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