第57回全日本50km競歩高畠大会が10月28日、来年の秋に開催されるドーハ世界選手権男女50km競歩の日本代表選手選考競技会を兼ねて、山形県高畠町の「高畠まほろば競歩コース」(日本陸連公認コース1周2km)で行われました。
男子50kmは、今年の日本選手権を制した野田明宏選手(自衛隊体育学校)が、日本人として初めて3時間40分を切る、3時間39分47秒の日本新記録で優勝。日本陸連が定める条件を満たして、ドーハ世界選手権代表にも内定しました。このほか、3位でフィニッシュした川野将虎選手(東洋大)も、3時間47分30秒の学生新記録をマークしています。
初めて実施された女子50kmは、園田世玲奈選手(中京大)が4時間29分45秒で圧勝。オープン種目として行われた日本選手権時にマークした4時間31分52秒の日本最高記録を、自身で塗り替えました。
▶第57回全日本50㎞競歩高畠大会リザルト
風もなく、穏やかな秋晴れとなったこの日、全日本競歩として実施された一般男子50kmは、42選手が出場して、午前8時にスタートしました。
最初の1周(2km)は、このレースが3回目の50kmとなる野田明宏選手(自衛隊体育学校)、ロンドン世界選手権銅メダリストの小林快選手(ビックカメラ)、20kmのオリンピアンで、今回が50km初挑戦となる藤澤勇選手(ALSOK)、石井克弥選手(慶應大)の4人が先頭集団をつくって、8分56秒で通過。少し離れて、2015年世界選手権銅メダリストの谷井孝行選手(自衛隊体育学校)が、さらに少し遅れて、日本記録保持者の山﨑勇喜選手(自衛隊体育学校)、世界競歩チーム選手権50km代表の伊藤佑樹選手(サーベイリサーチセンター)、川野将虎選手(東洋大)、後藤秀斗選手(千葉陸協)の4人が続く滑り出しに。その隊列のまま5kmを22分20秒で通過しましたが、3周目(6km)に入る前あたりで、先頭から小林選手がやや遅れ始めました。同時に、トップ集団のペースが上がり、10kmは藤澤選手が44分24秒、野田・石井選手が44分25秒で通過すると、その後は、野田選手、石井選手、藤澤選手と縦1列になって進む展開に。15kmでは野田選手が1時間06分07秒で、石井選手と藤澤選手が、それぞれ1秒ずつ遅れての通過となりました。16km手前で藤澤選手が遅れて先頭は2人に。野田選手に石井選手がぴたりとつく形で20kmはともに1時間27分59秒と、日本記録をイーブンペースで歩いた場合の参考タイム(1時間28分05秒)を上回るスプリットタイムで通過。ここで野田選手が、さらにペースを上げたことで、石井選手が23km手前で後退。以降は、野田選手の一人旅となりました。
野田選手は、20~25kmのラップタイムを21分30秒まで引き上げ、25kmは1時間49分29秒で通過。30kmは2時間11分06秒(この間の5kmは21分37秒)、35kmでは最速ラップタイムとなる21分25秒をたたき出して2時間32分31秒でカバー。「記録を意識し始めたのは、35km辺りくらいから。“もしかしたら行けるんじゃないか”と。実際に余裕があったので、思いきって、自分を信じて最後まで押しきろうと思っていた」と、レース後、自身も振り返ったように、日本記録をイーブンペースで歩いた場合の参考タイムよりも1分33秒、2009年の日本選手権で山﨑選手が日本記録(3時間40分12秒)を樹立した際の通過タイムからは1分54秒も速いタイムで通過しました。
しかし、その後、「どのタイミングで取られたのかはわからなかったけれど」、掲示板を見て警告が2枚出ていることに気づきます。「自分としては、警告が2枚出たからといって、ペースを落とすつもりはなく、そのままのペースで行くつもりだったのだが、どこかに歩型を気にしてしまった部分があって、それがタイムに出てしまい、そのままずるずると(落ちて)いってしまったのだと思う」と40kmまでの5kmが21分57秒にペースダウン(2時間54分28秒)。そして、「40km以降は、本当にきつくなってしまった」と40~45kmの5kmを22分20秒まで落とすと、47km辺りで立ち止まって嘔吐してしまう状態に陥りました。しかし、「こんなところで終わったら、悔しい思いしか残らない」と、自分を奮い立たせます。ペースの落ち具合を考慮すると更新できるかどうかぎりぎりの状態で残り1周を迎えましたが、残り2kmは9分を切るタイムでカバーし、今季世界最高記録で、日本人として初めて3時間40分を突破する3時間39分47秒の日本新記録でフィニッシュしました。
「もともと競歩を始めた高校のときから、20kmよりは50kmをやりたいと思っていた」という野田選手。20km競歩でも、明治大1年の2015年にU20日本最高となる1時間20分08秒をマーク、その途中計時の10kmでも39分29秒のU20日本記録を樹立している選手ですが、大学3年時の2016年には、早くもこの大会で50kmに初挑戦しています。しかし、このときに35kmで意識を失い、救急搬送される形で途中棄権。自分の甘さと、50km競歩を取り組むに際しての準備の大切さを実感したといいます。また、今春から自衛隊体育学校の所属となり、チームの先輩である谷井選手や荒井広宙選手(リオ五輪銅、ロンドン世界選手権銀メダリスト)などの取り組みを目の当たりにするなかで、「タフさや、練習への向き合い方、考え方を学んだ。まだまだではあるけれど、少しずつ力がついてきて、やっとそういう部分が自分にも出てきたのかな」。初めて制した日本選手権(輪島)のときに比べると、しっかりとトレーニングを積み、調整も非常にうまく進んでいたそうで、「大会が近づいてくるのが楽しみだった」という状態で迎えたレースでした(野田選手の新記録樹立コメントは、下記をご覧ください)。
今回の結果で、ドーハ世界選手権の日本代表にも内定しました。「これがシニアで初の日本代表。結果が出せるように、初心を忘れず、(大会までに)しっかり自分を見直したい」と野田選手。その一番の課題として、以前から取り組まねばと思っていたという「歩型の技術を高めていくこと」を挙げました。また、今回の高畠に向けたトレーニングの過程で、“こういう練習をしたい”という考えも湧いてきたそう。「そういうのも組み込んで、いい歩型、きれいな動き、美しい動きを目指したい」と先を見据えました。
また、すでに世界選手権への切符を手にしたものの、4月の日本選手権にも出場の予定。今回、出場を見送った荒井選手とも、ここで対決することになります。「練習していても、荒井さんにはオーラを感じるので、正直、勝てるという感じがまだしていない。また、ほかの選手も本当に強い方々。今、やることを1つずつやって、同じペースで勝負できたらいいかなと思う」と“マイペース”を強調する一方で、「2連覇を目指したい」と、頼もしい言葉も聞かせてくれました。
野田選手に次いで、2位でフィニッシュしたのは小林選手。8km過ぎで上位集団から遅れ、15km地点では45秒まで差が開いていました。しかし、その後、5kmのラップを21分台に上げると、25km過ぎで2位にいた藤澤選手を逆転。単独で歩く展開となりながらも、30kmは2時間11分45秒、35kmは2時間33分40秒と、野田選手同様に日本記録を上回るペースでレースを展開。さすがに最後まで維持することはかなわず、3時間46分26秒でのフィニッシュとなりました。また、3位には、20歳になったばかりの川野将虎選手(東洋大)が、50km競歩初挑戦ながら3時間47分30秒でフィニッシュ。2003年のこの大会で、当時、日本大学の所属だった谷井選手がマークした3時間47分54秒(当時、日本記録)を24秒更新する学生新記録を樹立しています(川野選手の新記録樹立コメントは、下記をご覧ください)。
◎女子50kmは園田選手が日本最高記録を更新
今大会、初めて全日本競歩に組み込まれた女子50kmは、4名が出場して、男子と同じ午前8時にスタートしました。レースは、4月の日本選手権の際にオープン種目として実施された女子50kmを制した園田世玲奈選手(中京大学)に、中盤まで熊谷菜美選手(国士舘大学)がつく展開となりました。2人は25kmを2時間12分40秒(園田選手)と2時間12分41秒(熊谷選手)で通過しましたが、35kmまでを26分台のラップで刻んだ園田選手に対し、熊谷選手は30km以降でペースが急落。ここで勝負が決する形となりました。園田選手も40km以降は5kmのペースを28分台まで落としましたが、最後までよく粘り、4月にマークした日本最高記録4時間31分52秒を、2分07秒更新する4時間29分45秒でフィニッシュしました。
女子50kmは、今年が実施初年度となるため、現段階では暫定記録扱い。今後、2018年12月31日までに出された最もよい記録が、日本記録として公認されます(園田選手の新記録樹立コメントは、下記をご覧ください)。
男子50km競歩を4位(3時間51分54秒で)でフィニッシュした谷井孝行選手(自衛隊体育学校)が、レース後、取材に応じ、今大会を50kmのラストレースとして、今年度で第一線を退く意向であることを明らかにしました。
富山・高岡向陵高で競歩を始めた谷井選手は、高校2年のときに第1回世界ユース選手権男子10000m競歩で銅メダルを獲得したのを皮切りに、U18年代から日本のトップウォーカーとして活躍してきました。世界ジュニア選手権(現U20世界ジュニア選手権)やユニバーシアードなど、年代別の世界大会で入賞実績を重ねながら、50km初挑戦となった2003年の全日本競歩高畠大会で3時間47分54秒の日本記録(学生記録)を樹立。その2カ月後に行われた日本選手権20km競歩も制して、20kmと50kmの2種目で日本代表に選ばれ、2004年にはアテネ五輪に出場。以来、2016年のリオデジャネイロ五輪までに行われたオリンピック、世界選手権は、すべて日本代表に選出、日本の競歩界を引っ張ってきました。
失格など不本意な成績が続き、なかなか結果を出せない時期もありましたが、2011年のテグ世界選手権50kmで9位、2013年モスクワ世界選手権50kmでも再び入賞に一歩と迫る9位でフィニッシュすると、翌2014年の仁川アジア大会では、当時日本歴代2位となる3時間40分19秒の自己新記録で金メダルを獲得。2015年北京世界選手権50km競歩では3位でフィニッシュして、オリンピック、世界選手権を通じて日本の競歩史上初のメダリストとなりました。
引退を決めたのは今年の夏だったという谷井選手。リオ五輪以降、なかなかモチベーションが上がらない状態が続いていたといいますが、その1つの理由が「目の前で荒井(広宙)がメダルを取ったときに、すごく肩の荷が下りたというか、“あ、これで後ろの世代の選手たちに任せていけるんじゃないかな”という思いがすごく込み上げてきた」ことだったといいます。そのなかで競技を続けることへの未練も捨てきれず、2017年ロンドン世界選手権や、2018年アジア大会を目指して取り組んできましたが、今年に入ったあたりで、指導者としてやってみたいという新たな目標が芽生え始め、「非常に悩んだけれど、監督に相談して決断した」そうです。
来年度からは自衛隊のコーチとして、競歩の指導に当たります。「今回、野田くんが日本記録を出したし、非常に才能に恵まれた選手が多いので、そうした選手の能力を伸ばすことに力を注いでいきたい」と谷井選手。来年2月に神戸で行われる日本選手権20km競歩を、現役最後のレースとすることを考えているとのことです。
「最後の1周は、“最後の50kmだな”という思いに浸りながら歩いた」を振り返った谷井選手は、フィニッシュの際には涙も。「2003年に、初めて、ここ高畠で当時の日本記録を更新して、50km選手になったわけだが、ちょうど15年経って、この地で最後の50kmを迎えられるというのは、やはり何かの縁があったのではないかと思う。また、自分が(記録を)出したこの場所で、川野(将虎)が(今も残っていた)自分の学生記録を塗り替えてくれて、野田が日本記録も出してくれた。そんなレースで最後の50kmをやれた自分は、本当に恵まれているな、と。こういった若い力が出てきたことは、自分がこれまで積み重ねてきたなかで、ずっと願っていたことだったので、本当に嬉しかった」と語りました。そして、「自分が取り組んできたこの20年で、競歩のあり方が変わった。そこに選手として携われたことは本当に嬉しかった。失敗と成功を繰り返すなかで、人間としても大きく成長させてきてもらったので、今後、そういったものを、自分だけの色のある指導として後輩たちにしていけるよう、さらに勉強しながら生かしていきたい」と締めくくり、晴れやかな表情を見せました。
男子20kmは、2015年北京世界選手権を途中棄権に終わって以降、故障からの復帰に時間がかかっていた世界記録保持者(1時間16分36秒、2015年)の鈴木雄介選手(富士通)が、この種目に復帰。トラックでは、夏以降、10000m競歩で3戦を経て順調な推移を見せていたこともあり、そのパフォーマンスに注目が集まりましたが、レースは、序盤から大きくリードを奪った鈴木選手を、2016年リオ五輪7位の松永大介選手(富士通)が13km手前で捕らえて逆転し、1時間20分36秒で優勝。これに鈴木選手が続き、1時間21分14秒でフィニッシュする結果となりました。
当初は、「ここで1時間20分を切って、先に派遣設定記録を切っておくことを目標にしていた」という松永選手。しかし、8月の終わりに体調を崩したことが尾を引き、十分な練習ができていない状況でレースを迎えることになってしまったといいます。このため、「少し目標設定を落として、1時間21分を切れれば上出来かなと思っていた」と言い、「今の状態としては、このタイムはまずまず。調子が悪いなかで勝てたことは、収穫だったのではないかと思う」と評価しました。
その一方で、ドーハ世界選手権代表選考会となる来年2月の日本選手権、そして、3月の全日本競歩能美大会に向けては、「自分が今、3番手で、代表権が一番危うい位置にいる。日本選手権で確実に2番に入れることができればいいが、それが確実とはいえない状況」と危機感を持ち、その代表争いに、さらに鈴木選手や世界競歩チーム選手権男子20kmを制した池田向希選手(東洋大)も加わってくることも示唆。「2月、3月にピークを合わせなければいけないのはきついけれど、そういったなかで切磋琢磨してレベルアップできている。世界記録保持者といえども、雄介さんには負けられない。また、今まで、自分たちは“速さ、速さ”となっていたところを、(世界競歩チーム選手権に勝った)池田がそれを突き破ってくれたと思っているので、そういった選手と競り合うことで“強さ”を磨いていけるんじゃないかと思う。選考では、それを“速さ”でねじ伏せないと。そこを譲る気は毛頭ない」ときっぱり。さらに、「正直、ここしばらくは、(髙橋)英輝さん(富士通)のあのラストスパートには勝てないなと思っていて、自分のなかでリミッターをかけてしまっていたところがある。勝つという気持ちをしっかり持たなければダメだなと再認識したので、2月では英輝さんに勝って、自分が内定を取りにいきたい」と、神戸で行われる日本選手権20km競歩での優勝を見据えていました。
「理想は、1時間19分前半で行ければと思っていたが、1週間前の練習の感じから“ちょっときついかな”と思っていて、その通りという結果になってしまった。10000mだと、ある程度スピードでごまかしがきくのだが、20kmは自分の今やっているトレーニングの状態がそのまま出てしまう」という感想を口にしたのは鈴木選手。「2周目くらいで、“きついな”と思って、ちょうどそこからペースが落ちた。あまりペースを気にせずに、自分の状態を考えながら歩き切れるペースで歩くというプランに変更した。松永が追いかけてきていたのも気づいていたが、抜かれた時点でまだ3~4周あったので、無理をせず、でも、あまりにも大きく離されすぎずに、追いかける気持ちでいくようにした」とレースを振り返り、「最後まで出しきるというよりは、最後まで歩ききるペースで行った。中盤から後半にかけては少しずつ落ちてはいったが、昔の自分に比べれば、この状態にしては落ち幅がある程度抑えられたので、そこはプラスの要素かなと思う」と評価しました。
20kmのレースをフィニッシュしたのは、世界記録を出した2015年3月の全日本競歩能美大会以来。「歩いている途中、特に12km過ぎからは脚が動かなくなってしまい、“重い、重い”と無理やり動かした」と苦笑いしつつも、フィニッシュした瞬間は「すがすがしい気持ち。“終わったー。これが20kmだな”」と感じたそう。しかし、トラックレースでトップレベルの争いができていることで、すでに「自分のなかでは、復帰というか、ケガした自分というのはもうない」と言い、焦点は「松永に負けたこと、この記録では全然相手にならないという現状に向けられている」と述べました。そして、「ここまでもけっこう追い込んてきたつもりではいるが、冬場、もっともっと追い込んで、自分を追い込んで追い込んで、世界選手権に向けてやっていこうと思う。メダルを目指して、覚悟を決めて、この冬、やりきりたい」とも話し、決意の強さをうかがわせました。
女子20kmは、スタート直後に河添香織選手(自衛隊体育学校)が飛び出す展開となりましたが、ダイヤモンドアスリートの藤井菜々子選手(エディオン)が10km過ぎで逆転すると、一人旅となったその後も着実に差を広げて、1時間33分27秒でフィニッシュ。初の20kmレースだった今年2月の日本選手権でマークした1時間43分28秒(17位)を大幅に更新して、優勝を果たしました。
しかし、フィニッシュ後は、喜ぶ様子もなく、「全然ダメ」という言葉を口にした藤井選手。「レース序盤を予定通り抑えて、余裕を持ったペースで行けたことは良かったが、10kmからは(1km)4分35~30秒で、最後の5kmは4分30秒切りでまとめたいと思っていたのに、それができなかった。心肺機能的には、まだ余裕があったのだが、全然脚が動かなくなってしまった。そこはまだ20kmの練習が本格的に詰めていないところが出たのかなと思う。自己ベストを10分以上更新したのは嬉しいけれど、まだまだという気持ちのほうが大きい」と振り返りました。
次のレースは、2月の日本選手権。「今日のレースからシニアのレース。日本選手権は、世界陸上を狙っていけたらな、と思っている」と言い、そのためには「1時間30分は絶対になってくる。そこはクリアしたい」とコメント。「このレースを経験したことで、これからどうしていくべきかがわかったので、そこを修正して2月の日本選手権に合わせていきたい」と、シニアでの初代表入りを狙っていくことを明らかにしました。
スタートから自分のペースで行こうと決めていたので、周りのことはあまり考えていなくて、自分との勝負だと思っていた。日本記録は35kmを過ぎた辺りから、“もしかしたら行けるんじゃないか”と思うようになった。しかし、40kmくらいからきつくなってしまった。23~24周で大きくペースダウンしたのは、47kmで嘔吐したから。周りの方も寄ってきてくださったが、「こんなところで終わったら、自分にも悔しい思いしか残らない」と自分を奮い立たせた。「こんなところで止まれるか」「嘔吐くらい(大丈夫)」という気持ちだった。
現在、環境が非常に整ったところで競技をさせていただいている。それだけに、“しっかり恩返ししないと”という思いがある。また、偉大な先輩の谷井さんや荒井さん、山﨑さん、勝木さん、山﨑さんといった所属先の先輩方の姿を常に見続けて、日々練習して、吸収していけるものは自分のなかでしっかり1つずつ吸収している。今年、輪島(日本選手権)で優勝して、今回このような結果が出せたのも、先輩方と、いい環境をいただいて、いい練習をできているからだと思う。
日本選手権で第1歩を踏み出して、今回、このような結果に得てシニアで初の代表になる。初心を忘れずに、しっかり自分を見直したい。特に、歩型の部分では、安心して見ていただけるような選手になって、まずは世界陸上で日本代表に恥じない結果を出していきたい。
ペースは、最初から決めていた。(1kmを)4分36秒を切るくらいで行けば3時間50分くらいが出せる。そこから後半ペースを上げることができれば、記録を狙えると考えていた。20kmすぎに、まだ身体に余裕があり、「あ、これ、このままペースを上げてもいけそうだな」と上げたのだが、40kmを過ぎたところで急に身体が自分の身体じゃないような感じになってしまい、最後の10kmは本当に長かった。初めて経験するきつさで、「これが50kmなんだな」と思った。本当は、中盤でペースを上げずに、もうちょっと我慢するべきだったのだと思う。しかし、後半ペースが落ちてしまったときの貯金になったので、もしかしたら、それがよかったのかもしれない。
高校のときから距離の練習を重点的にやっていたので、距離には自信があった。50km競歩は、東京オリンピックで最後になってしまうかもしれないといわれているが、高校生のころから、東京オリンピックは50km競歩で出たいという気持ちがあったので、今回、初挑戦することにした。スピードでがんがん勝負していくというよりは、もともと、しっかりとイーブンで、自分のペースで刻んでいくのが得意。身長もあるので、けっこう大きく動けることが、自分の特徴なのかなと思う。
4月の日本選手権では、(世界選手権の)代表入りを狙うつもりで臨む。荒井さんも出てくるので、厳しい戦いになるとは思うが、自分は自分。マイペースでしっかり練習を積みたい。今回は、前半ゆっくりのペースだったが、次は最初から先頭集団についていくような、今回とは違ったレースができるようにしていきたい。また、3月の能美がユニバーシアードの選考会。2連戦はけっこうつらいが、監督と相談して、そこも視野に入れながら取り組んでいきたい。
50km競歩は、これで2回目だが、そのしんどさは、初めて歩いたときに、すごく強く感じた。でも、それが自信になっていて、1回歩いたことで、「35km地点でしんどくなる」とか、「40km以降はしびれてくるから」とかがわかっていた。その対応はしっかりできたかな、と思う。
4時間30分を切りたかったので、ペースは(1km)5分18秒くらいを目標にしていた。しかし、試合で集団になると、どんどん速くなってしまう。そのために、自分のペースをつくることができなかった。前半のペースが速くなってしまったので、20kmくらいからしんどいという感じがあった。また、後半でペースが落ちてしまっていたので不安もあったが、「キロ6分で行けば絶対に(4時間30分を)切れるから」というアドバイスがあった。また、本当に周りの皆さんが応援してくれたので、そのおかげで出せた結果だと思う。
前回の輪島は、けっこう調整をして臨んだが、今回は、日本インカレや国体もあって、50kmに向けての練習は合宿じゃないとなかなか踏めなかったが、合宿では誰よりも距離を踏んできたという思いはあったので、それを自信に変えて臨んだ。あと、日本インカレも2番だったが一応表彰台に立つことができたし、国体では自己ベストが出ていたので、そうした結果を自信にすることができた。逆に、50kmをやり始めてから、20km、10000mも自己ベストが出ている。今シーズンは、10000mも5000mもベストが出せたので、50kmをやってついた自信が、モチベーションに変わっているのかなとも思う。
今回、目標にしていた4時間半を切れて、ちょっとホッとしているが、このタイムではまだ世界で戦えない。鍛えるところはいっぱいあるし、距離もまだまだ踏めていない。この冬にしっかり練習を積んで、輪島ではさらに記録が出せるように頑張っていきたい。女子50kmは東京オリンピックには種目がないが、来年のドーハでは種目がある。ぜひ、世界選手権に出たい。
※本文中、1kmおよび周回(2km)のラップは筆者計測による記録。5kmごとのスプリットタイムは公式発表の記録による。
文・写真:児玉育美/JAAFメディアチーム
男子50kmは、今年の日本選手権を制した野田明宏選手(自衛隊体育学校)が、日本人として初めて3時間40分を切る、3時間39分47秒の日本新記録で優勝。日本陸連が定める条件を満たして、ドーハ世界選手権代表にも内定しました。このほか、3位でフィニッシュした川野将虎選手(東洋大)も、3時間47分30秒の学生新記録をマークしています。
初めて実施された女子50kmは、園田世玲奈選手(中京大)が4時間29分45秒で圧勝。オープン種目として行われた日本選手権時にマークした4時間31分52秒の日本最高記録を、自身で塗り替えました。
▶第57回全日本50㎞競歩高畠大会リザルト
◎野田選手が日本新記録を樹立、3位の川野選手も学生新記録
風もなく、穏やかな秋晴れとなったこの日、全日本競歩として実施された一般男子50kmは、42選手が出場して、午前8時にスタートしました。
最初の1周(2km)は、このレースが3回目の50kmとなる野田明宏選手(自衛隊体育学校)、ロンドン世界選手権銅メダリストの小林快選手(ビックカメラ)、20kmのオリンピアンで、今回が50km初挑戦となる藤澤勇選手(ALSOK)、石井克弥選手(慶應大)の4人が先頭集団をつくって、8分56秒で通過。少し離れて、2015年世界選手権銅メダリストの谷井孝行選手(自衛隊体育学校)が、さらに少し遅れて、日本記録保持者の山﨑勇喜選手(自衛隊体育学校)、世界競歩チーム選手権50km代表の伊藤佑樹選手(サーベイリサーチセンター)、川野将虎選手(東洋大)、後藤秀斗選手(千葉陸協)の4人が続く滑り出しに。その隊列のまま5kmを22分20秒で通過しましたが、3周目(6km)に入る前あたりで、先頭から小林選手がやや遅れ始めました。同時に、トップ集団のペースが上がり、10kmは藤澤選手が44分24秒、野田・石井選手が44分25秒で通過すると、その後は、野田選手、石井選手、藤澤選手と縦1列になって進む展開に。15kmでは野田選手が1時間06分07秒で、石井選手と藤澤選手が、それぞれ1秒ずつ遅れての通過となりました。16km手前で藤澤選手が遅れて先頭は2人に。野田選手に石井選手がぴたりとつく形で20kmはともに1時間27分59秒と、日本記録をイーブンペースで歩いた場合の参考タイム(1時間28分05秒)を上回るスプリットタイムで通過。ここで野田選手が、さらにペースを上げたことで、石井選手が23km手前で後退。以降は、野田選手の一人旅となりました。
野田選手は、20~25kmのラップタイムを21分30秒まで引き上げ、25kmは1時間49分29秒で通過。30kmは2時間11分06秒(この間の5kmは21分37秒)、35kmでは最速ラップタイムとなる21分25秒をたたき出して2時間32分31秒でカバー。「記録を意識し始めたのは、35km辺りくらいから。“もしかしたら行けるんじゃないか”と。実際に余裕があったので、思いきって、自分を信じて最後まで押しきろうと思っていた」と、レース後、自身も振り返ったように、日本記録をイーブンペースで歩いた場合の参考タイムよりも1分33秒、2009年の日本選手権で山﨑選手が日本記録(3時間40分12秒)を樹立した際の通過タイムからは1分54秒も速いタイムで通過しました。
しかし、その後、「どのタイミングで取られたのかはわからなかったけれど」、掲示板を見て警告が2枚出ていることに気づきます。「自分としては、警告が2枚出たからといって、ペースを落とすつもりはなく、そのままのペースで行くつもりだったのだが、どこかに歩型を気にしてしまった部分があって、それがタイムに出てしまい、そのままずるずると(落ちて)いってしまったのだと思う」と40kmまでの5kmが21分57秒にペースダウン(2時間54分28秒)。そして、「40km以降は、本当にきつくなってしまった」と40~45kmの5kmを22分20秒まで落とすと、47km辺りで立ち止まって嘔吐してしまう状態に陥りました。しかし、「こんなところで終わったら、悔しい思いしか残らない」と、自分を奮い立たせます。ペースの落ち具合を考慮すると更新できるかどうかぎりぎりの状態で残り1周を迎えましたが、残り2kmは9分を切るタイムでカバーし、今季世界最高記録で、日本人として初めて3時間40分を突破する3時間39分47秒の日本新記録でフィニッシュしました。
「もともと競歩を始めた高校のときから、20kmよりは50kmをやりたいと思っていた」という野田選手。20km競歩でも、明治大1年の2015年にU20日本最高となる1時間20分08秒をマーク、その途中計時の10kmでも39分29秒のU20日本記録を樹立している選手ですが、大学3年時の2016年には、早くもこの大会で50kmに初挑戦しています。しかし、このときに35kmで意識を失い、救急搬送される形で途中棄権。自分の甘さと、50km競歩を取り組むに際しての準備の大切さを実感したといいます。また、今春から自衛隊体育学校の所属となり、チームの先輩である谷井選手や荒井広宙選手(リオ五輪銅、ロンドン世界選手権銀メダリスト)などの取り組みを目の当たりにするなかで、「タフさや、練習への向き合い方、考え方を学んだ。まだまだではあるけれど、少しずつ力がついてきて、やっとそういう部分が自分にも出てきたのかな」。初めて制した日本選手権(輪島)のときに比べると、しっかりとトレーニングを積み、調整も非常にうまく進んでいたそうで、「大会が近づいてくるのが楽しみだった」という状態で迎えたレースでした(野田選手の新記録樹立コメントは、下記をご覧ください)。
今回の結果で、ドーハ世界選手権の日本代表にも内定しました。「これがシニアで初の日本代表。結果が出せるように、初心を忘れず、(大会までに)しっかり自分を見直したい」と野田選手。その一番の課題として、以前から取り組まねばと思っていたという「歩型の技術を高めていくこと」を挙げました。また、今回の高畠に向けたトレーニングの過程で、“こういう練習をしたい”という考えも湧いてきたそう。「そういうのも組み込んで、いい歩型、きれいな動き、美しい動きを目指したい」と先を見据えました。
また、すでに世界選手権への切符を手にしたものの、4月の日本選手権にも出場の予定。今回、出場を見送った荒井選手とも、ここで対決することになります。「練習していても、荒井さんにはオーラを感じるので、正直、勝てるという感じがまだしていない。また、ほかの選手も本当に強い方々。今、やることを1つずつやって、同じペースで勝負できたらいいかなと思う」と“マイペース”を強調する一方で、「2連覇を目指したい」と、頼もしい言葉も聞かせてくれました。
野田選手に次いで、2位でフィニッシュしたのは小林選手。8km過ぎで上位集団から遅れ、15km地点では45秒まで差が開いていました。しかし、その後、5kmのラップを21分台に上げると、25km過ぎで2位にいた藤澤選手を逆転。単独で歩く展開となりながらも、30kmは2時間11分45秒、35kmは2時間33分40秒と、野田選手同様に日本記録を上回るペースでレースを展開。さすがに最後まで維持することはかなわず、3時間46分26秒でのフィニッシュとなりました。また、3位には、20歳になったばかりの川野将虎選手(東洋大)が、50km競歩初挑戦ながら3時間47分30秒でフィニッシュ。2003年のこの大会で、当時、日本大学の所属だった谷井選手がマークした3時間47分54秒(当時、日本記録)を24秒更新する学生新記録を樹立しています(川野選手の新記録樹立コメントは、下記をご覧ください)。
◎女子50kmは園田選手が日本最高記録を更新
今大会、初めて全日本競歩に組み込まれた女子50kmは、4名が出場して、男子と同じ午前8時にスタートしました。レースは、4月の日本選手権の際にオープン種目として実施された女子50kmを制した園田世玲奈選手(中京大学)に、中盤まで熊谷菜美選手(国士舘大学)がつく展開となりました。2人は25kmを2時間12分40秒(園田選手)と2時間12分41秒(熊谷選手)で通過しましたが、35kmまでを26分台のラップで刻んだ園田選手に対し、熊谷選手は30km以降でペースが急落。ここで勝負が決する形となりました。園田選手も40km以降は5kmのペースを28分台まで落としましたが、最後までよく粘り、4月にマークした日本最高記録4時間31分52秒を、2分07秒更新する4時間29分45秒でフィニッシュしました。
女子50kmは、今年が実施初年度となるため、現段階では暫定記録扱い。今後、2018年12月31日までに出された最もよい記録が、日本記録として公認されます(園田選手の新記録樹立コメントは、下記をご覧ください)。
◎谷井選手が50kmでラストレース
男子50km競歩を4位(3時間51分54秒で)でフィニッシュした谷井孝行選手(自衛隊体育学校)が、レース後、取材に応じ、今大会を50kmのラストレースとして、今年度で第一線を退く意向であることを明らかにしました。
富山・高岡向陵高で競歩を始めた谷井選手は、高校2年のときに第1回世界ユース選手権男子10000m競歩で銅メダルを獲得したのを皮切りに、U18年代から日本のトップウォーカーとして活躍してきました。世界ジュニア選手権(現U20世界ジュニア選手権)やユニバーシアードなど、年代別の世界大会で入賞実績を重ねながら、50km初挑戦となった2003年の全日本競歩高畠大会で3時間47分54秒の日本記録(学生記録)を樹立。その2カ月後に行われた日本選手権20km競歩も制して、20kmと50kmの2種目で日本代表に選ばれ、2004年にはアテネ五輪に出場。以来、2016年のリオデジャネイロ五輪までに行われたオリンピック、世界選手権は、すべて日本代表に選出、日本の競歩界を引っ張ってきました。
失格など不本意な成績が続き、なかなか結果を出せない時期もありましたが、2011年のテグ世界選手権50kmで9位、2013年モスクワ世界選手権50kmでも再び入賞に一歩と迫る9位でフィニッシュすると、翌2014年の仁川アジア大会では、当時日本歴代2位となる3時間40分19秒の自己新記録で金メダルを獲得。2015年北京世界選手権50km競歩では3位でフィニッシュして、オリンピック、世界選手権を通じて日本の競歩史上初のメダリストとなりました。
引退を決めたのは今年の夏だったという谷井選手。リオ五輪以降、なかなかモチベーションが上がらない状態が続いていたといいますが、その1つの理由が「目の前で荒井(広宙)がメダルを取ったときに、すごく肩の荷が下りたというか、“あ、これで後ろの世代の選手たちに任せていけるんじゃないかな”という思いがすごく込み上げてきた」ことだったといいます。そのなかで競技を続けることへの未練も捨てきれず、2017年ロンドン世界選手権や、2018年アジア大会を目指して取り組んできましたが、今年に入ったあたりで、指導者としてやってみたいという新たな目標が芽生え始め、「非常に悩んだけれど、監督に相談して決断した」そうです。
来年度からは自衛隊のコーチとして、競歩の指導に当たります。「今回、野田くんが日本記録を出したし、非常に才能に恵まれた選手が多いので、そうした選手の能力を伸ばすことに力を注いでいきたい」と谷井選手。来年2月に神戸で行われる日本選手権20km競歩を、現役最後のレースとすることを考えているとのことです。
「最後の1周は、“最後の50kmだな”という思いに浸りながら歩いた」を振り返った谷井選手は、フィニッシュの際には涙も。「2003年に、初めて、ここ高畠で当時の日本記録を更新して、50km選手になったわけだが、ちょうど15年経って、この地で最後の50kmを迎えられるというのは、やはり何かの縁があったのではないかと思う。また、自分が(記録を)出したこの場所で、川野(将虎)が(今も残っていた)自分の学生記録を塗り替えてくれて、野田が日本記録も出してくれた。そんなレースで最後の50kmをやれた自分は、本当に恵まれているな、と。こういった若い力が出てきたことは、自分がこれまで積み重ねてきたなかで、ずっと願っていたことだったので、本当に嬉しかった」と語りました。そして、「自分が取り組んできたこの20年で、競歩のあり方が変わった。そこに選手として携われたことは本当に嬉しかった。失敗と成功を繰り返すなかで、人間としても大きく成長させてきてもらったので、今後、そういったものを、自分だけの色のある指導として後輩たちにしていけるよう、さらに勉強しながら生かしていきたい」と締めくくり、晴れやかな表情を見せました。
◎男女20kmは、松永選手と藤井選手が制す
一般男女20km競歩は、高畠競歩として実施されました。男子20kmは、2015年北京世界選手権を途中棄権に終わって以降、故障からの復帰に時間がかかっていた世界記録保持者(1時間16分36秒、2015年)の鈴木雄介選手(富士通)が、この種目に復帰。トラックでは、夏以降、10000m競歩で3戦を経て順調な推移を見せていたこともあり、そのパフォーマンスに注目が集まりましたが、レースは、序盤から大きくリードを奪った鈴木選手を、2016年リオ五輪7位の松永大介選手(富士通)が13km手前で捕らえて逆転し、1時間20分36秒で優勝。これに鈴木選手が続き、1時間21分14秒でフィニッシュする結果となりました。
当初は、「ここで1時間20分を切って、先に派遣設定記録を切っておくことを目標にしていた」という松永選手。しかし、8月の終わりに体調を崩したことが尾を引き、十分な練習ができていない状況でレースを迎えることになってしまったといいます。このため、「少し目標設定を落として、1時間21分を切れれば上出来かなと思っていた」と言い、「今の状態としては、このタイムはまずまず。調子が悪いなかで勝てたことは、収穫だったのではないかと思う」と評価しました。
その一方で、ドーハ世界選手権代表選考会となる来年2月の日本選手権、そして、3月の全日本競歩能美大会に向けては、「自分が今、3番手で、代表権が一番危うい位置にいる。日本選手権で確実に2番に入れることができればいいが、それが確実とはいえない状況」と危機感を持ち、その代表争いに、さらに鈴木選手や世界競歩チーム選手権男子20kmを制した池田向希選手(東洋大)も加わってくることも示唆。「2月、3月にピークを合わせなければいけないのはきついけれど、そういったなかで切磋琢磨してレベルアップできている。世界記録保持者といえども、雄介さんには負けられない。また、今まで、自分たちは“速さ、速さ”となっていたところを、(世界競歩チーム選手権に勝った)池田がそれを突き破ってくれたと思っているので、そういった選手と競り合うことで“強さ”を磨いていけるんじゃないかと思う。選考では、それを“速さ”でねじ伏せないと。そこを譲る気は毛頭ない」ときっぱり。さらに、「正直、ここしばらくは、(髙橋)英輝さん(富士通)のあのラストスパートには勝てないなと思っていて、自分のなかでリミッターをかけてしまっていたところがある。勝つという気持ちをしっかり持たなければダメだなと再認識したので、2月では英輝さんに勝って、自分が内定を取りにいきたい」と、神戸で行われる日本選手権20km競歩での優勝を見据えていました。
「理想は、1時間19分前半で行ければと思っていたが、1週間前の練習の感じから“ちょっときついかな”と思っていて、その通りという結果になってしまった。10000mだと、ある程度スピードでごまかしがきくのだが、20kmは自分の今やっているトレーニングの状態がそのまま出てしまう」という感想を口にしたのは鈴木選手。「2周目くらいで、“きついな”と思って、ちょうどそこからペースが落ちた。あまりペースを気にせずに、自分の状態を考えながら歩き切れるペースで歩くというプランに変更した。松永が追いかけてきていたのも気づいていたが、抜かれた時点でまだ3~4周あったので、無理をせず、でも、あまりにも大きく離されすぎずに、追いかける気持ちでいくようにした」とレースを振り返り、「最後まで出しきるというよりは、最後まで歩ききるペースで行った。中盤から後半にかけては少しずつ落ちてはいったが、昔の自分に比べれば、この状態にしては落ち幅がある程度抑えられたので、そこはプラスの要素かなと思う」と評価しました。
20kmのレースをフィニッシュしたのは、世界記録を出した2015年3月の全日本競歩能美大会以来。「歩いている途中、特に12km過ぎからは脚が動かなくなってしまい、“重い、重い”と無理やり動かした」と苦笑いしつつも、フィニッシュした瞬間は「すがすがしい気持ち。“終わったー。これが20kmだな”」と感じたそう。しかし、トラックレースでトップレベルの争いができていることで、すでに「自分のなかでは、復帰というか、ケガした自分というのはもうない」と言い、焦点は「松永に負けたこと、この記録では全然相手にならないという現状に向けられている」と述べました。そして、「ここまでもけっこう追い込んてきたつもりではいるが、冬場、もっともっと追い込んで、自分を追い込んで追い込んで、世界選手権に向けてやっていこうと思う。メダルを目指して、覚悟を決めて、この冬、やりきりたい」とも話し、決意の強さをうかがわせました。
女子20kmは、スタート直後に河添香織選手(自衛隊体育学校)が飛び出す展開となりましたが、ダイヤモンドアスリートの藤井菜々子選手(エディオン)が10km過ぎで逆転すると、一人旅となったその後も着実に差を広げて、1時間33分27秒でフィニッシュ。初の20kmレースだった今年2月の日本選手権でマークした1時間43分28秒(17位)を大幅に更新して、優勝を果たしました。
しかし、フィニッシュ後は、喜ぶ様子もなく、「全然ダメ」という言葉を口にした藤井選手。「レース序盤を予定通り抑えて、余裕を持ったペースで行けたことは良かったが、10kmからは(1km)4分35~30秒で、最後の5kmは4分30秒切りでまとめたいと思っていたのに、それができなかった。心肺機能的には、まだ余裕があったのだが、全然脚が動かなくなってしまった。そこはまだ20kmの練習が本格的に詰めていないところが出たのかなと思う。自己ベストを10分以上更新したのは嬉しいけれど、まだまだという気持ちのほうが大きい」と振り返りました。
次のレースは、2月の日本選手権。「今日のレースからシニアのレース。日本選手権は、世界陸上を狙っていけたらな、と思っている」と言い、そのためには「1時間30分は絶対になってくる。そこはクリアしたい」とコメント。「このレースを経験したことで、これからどうしていくべきかがわかったので、そこを修正して2月の日本選手権に合わせていきたい」と、シニアでの初代表入りを狙っていくことを明らかにしました。
【新記録樹立者コメント】
◎男子50km競歩
優勝 3時間39分47秒 =日本新記録
野田明宏(自衛隊体育学校)
練習の段階からいい感覚はつかめていたので、日本記録まではいかなくても、しっかり先頭集団でレースを進めていけるんじゃないかと思って臨んでいた。しかし、まさか、日本記録が本当に出るとは思っていなかったし、世界陸上の代表に内定するとも思っていなかったので、自分でも驚いている。本当に、率直に嬉しい。スタートから自分のペースで行こうと決めていたので、周りのことはあまり考えていなくて、自分との勝負だと思っていた。日本記録は35kmを過ぎた辺りから、“もしかしたら行けるんじゃないか”と思うようになった。しかし、40kmくらいからきつくなってしまった。23~24周で大きくペースダウンしたのは、47kmで嘔吐したから。周りの方も寄ってきてくださったが、「こんなところで終わったら、自分にも悔しい思いしか残らない」と自分を奮い立たせた。「こんなところで止まれるか」「嘔吐くらい(大丈夫)」という気持ちだった。
現在、環境が非常に整ったところで競技をさせていただいている。それだけに、“しっかり恩返ししないと”という思いがある。また、偉大な先輩の谷井さんや荒井さん、山﨑さん、勝木さん、山﨑さんといった所属先の先輩方の姿を常に見続けて、日々練習して、吸収していけるものは自分のなかでしっかり1つずつ吸収している。今年、輪島(日本選手権)で優勝して、今回このような結果が出せたのも、先輩方と、いい環境をいただいて、いい練習をできているからだと思う。
日本選手権で第1歩を踏み出して、今回、このような結果に得てシニアで初の代表になる。初心を忘れずに、しっかり自分を見直したい。特に、歩型の部分では、安心して見ていただけるような選手になって、まずは世界陸上で日本代表に恥じない結果を出していきたい。
◎男子50km競歩
3位 3時間47分30秒 =学生新記録
川野将虎(自衛隊体育学校)
夏から50kmに向けて、しっかりとトレーニングをしてきた。今回、3時間48分を目標にしていたので、それが切れたことはよかったと思う。学生記録についても、記録を調べたときに、狙えなくないタイムだったので、チャンスがあるなら狙っていきたいと思っていた。ペースは、最初から決めていた。(1kmを)4分36秒を切るくらいで行けば3時間50分くらいが出せる。そこから後半ペースを上げることができれば、記録を狙えると考えていた。20kmすぎに、まだ身体に余裕があり、「あ、これ、このままペースを上げてもいけそうだな」と上げたのだが、40kmを過ぎたところで急に身体が自分の身体じゃないような感じになってしまい、最後の10kmは本当に長かった。初めて経験するきつさで、「これが50kmなんだな」と思った。本当は、中盤でペースを上げずに、もうちょっと我慢するべきだったのだと思う。しかし、後半ペースが落ちてしまったときの貯金になったので、もしかしたら、それがよかったのかもしれない。
高校のときから距離の練習を重点的にやっていたので、距離には自信があった。50km競歩は、東京オリンピックで最後になってしまうかもしれないといわれているが、高校生のころから、東京オリンピックは50km競歩で出たいという気持ちがあったので、今回、初挑戦することにした。スピードでがんがん勝負していくというよりは、もともと、しっかりとイーブンで、自分のペースで刻んでいくのが得意。身長もあるので、けっこう大きく動けることが、自分の特徴なのかなと思う。
4月の日本選手権では、(世界選手権の)代表入りを狙うつもりで臨む。荒井さんも出てくるので、厳しい戦いになるとは思うが、自分は自分。マイペースでしっかり練習を積みたい。今回は、前半ゆっくりのペースだったが、次は最初から先頭集団についていくような、今回とは違ったレースができるようにしていきたい。また、3月の能美がユニバーシアードの選考会。2連戦はけっこうつらいが、監督と相談して、そこも視野に入れながら取り組んでいきたい。
◎女子50km競歩
優勝 4時間29分45秒 =日本最高記録
園田世玲奈(中京大学)
この年末で、日本記録が正式に決まるということで、自分の中では、暫定ではなくて、正式に日本記録という形で記録を残したいという思いがあった。この大会で、自己ベストを更新して、その実現に近づけることができ、すごく嬉しい。50km競歩は、これで2回目だが、そのしんどさは、初めて歩いたときに、すごく強く感じた。でも、それが自信になっていて、1回歩いたことで、「35km地点でしんどくなる」とか、「40km以降はしびれてくるから」とかがわかっていた。その対応はしっかりできたかな、と思う。
4時間30分を切りたかったので、ペースは(1km)5分18秒くらいを目標にしていた。しかし、試合で集団になると、どんどん速くなってしまう。そのために、自分のペースをつくることができなかった。前半のペースが速くなってしまったので、20kmくらいからしんどいという感じがあった。また、後半でペースが落ちてしまっていたので不安もあったが、「キロ6分で行けば絶対に(4時間30分を)切れるから」というアドバイスがあった。また、本当に周りの皆さんが応援してくれたので、そのおかげで出せた結果だと思う。
前回の輪島は、けっこう調整をして臨んだが、今回は、日本インカレや国体もあって、50kmに向けての練習は合宿じゃないとなかなか踏めなかったが、合宿では誰よりも距離を踏んできたという思いはあったので、それを自信に変えて臨んだ。あと、日本インカレも2番だったが一応表彰台に立つことができたし、国体では自己ベストが出ていたので、そうした結果を自信にすることができた。逆に、50kmをやり始めてから、20km、10000mも自己ベストが出ている。今シーズンは、10000mも5000mもベストが出せたので、50kmをやってついた自信が、モチベーションに変わっているのかなとも思う。
今回、目標にしていた4時間半を切れて、ちょっとホッとしているが、このタイムではまだ世界で戦えない。鍛えるところはいっぱいあるし、距離もまだまだ踏めていない。この冬にしっかり練習を積んで、輪島ではさらに記録が出せるように頑張っていきたい。女子50kmは東京オリンピックには種目がないが、来年のドーハでは種目がある。ぜひ、世界選手権に出たい。
※本文中、1kmおよび周回(2km)のラップは筆者計測による記録。5kmごとのスプリットタイムは公式発表の記録による。
文・写真:児玉育美/JAAFメディアチーム
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