2018.03.31(土)選手

【第9回/ダイヤモンドアスリート】藤井菜々子選手インタビュー

2020年東京オリンピック、その後の国際競技会での活躍が期待できる次世代の競技者を強化育成する「ダイヤモンドアスリート」制度。単に、対象競技者の競技力向上だけを目指すのではなく、アスリートとして世界を舞台に活躍していくなかで豊かな人間性とコミュニケーション能力を身につけ、「国際人」として日本および国際社会の発展に寄与する人材に育つことを期して、2014-2015年シーズンに創設されました。すでに3期が終了し、これまでに9名が修了。昨年11月からは継続・新規含め全11名が認定され、第4期がスタートしています。

 ここでは、第4期となる「2017-2018認定アスリート」へのインタビューを掲載していきます。第9回は、競歩の藤井菜々子選手(北九州市立高校→エディオン)です。

◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)
◎写真/陸上競技マガジン、フォート・キシモト

小3からクラブチームに所属
中学時代は、中距離に取り組む




――陸上競技は小さいころから? 
藤井:クラブチームに入って練習するようになったのは小学3年のときからです。もともと走るのが好きで、1年生、2年生のときから校内のマラソン大会で優勝していました。当時は、山口県の光市に住んでいたのですが、友達のお父さんが市民ランナーで、「陸上クラブのチームに入ったら?」と声をかけていただき、その友達と一緒に通うようになりました。

――クラブチームの名前は?
藤井:光スポーツ少年団です。

――陸上は、何か縁があったのですか? ご家族がやっていたとか?
藤井:母が短距離をやっていました。父は今、市民ランナーとして走っています。

――お母さまは本格的に取り組んでいたのですか?
藤井:いえ、中学校のときにやっていたというくらいです。

――藤井さんは、中学は福岡ですよね。ご両親は、山口の方なのですか?
藤井:両親はどちらも福岡出身です。山口には転勤で一時期住んでいました。その後、小学4年の3学期くらいに福岡に戻ることになり、小学校を転校しました。そこからは福岡です。

――福岡でもクラブチームに?
藤井:そうです。那珂川ジュニアランナーズという小学生のクラブチームに入りました。

――小学校のころは、どの種目をやっていたのですか? 大会は出ていましたか?
藤井:短距離と中距離をやっていて、トラック種目では、100mや800mリレー(4×200mR)もやっていましたし、クロカン(クロスカントリー)も小学生のころから走っていました。中学校に上がってからは中距離が中心になりましたけど。

――では、短い距離から長い距離まで、いろいろやっていたのですね。
藤井:そうですね。

――それで中学校では、陸上部に入って800mや1500mに取り組んだわけですね。3年生のときには、福岡県中学総体、福岡県中学通信ともに1500mで6位に入賞しています。記録は、どのくらいだったのでしょう?
藤井:800mは2分17秒台、1500mは4分39秒90です。中学のときは、全中(全日本中学校選手権)を目標にしてやっていたのですが、標準記録突破まで、あと0.5秒足りなくて…。

――うわあ、それは悔しい。あとちょっとだったのに。
藤井:はい。惜しくも行けなかったんです。

――中学時代は、何か印象に残っていることはありますか? 練習は楽しかった?
藤井:練習は、けっこうきつかったですね。中学のときもクラブチームに入っていて、学校の練習と別に2つくらい行っていました。平日は中学の練習で、水曜日だけ違うところに行かせてもらっていて、土・日はまた違うところに行って…というふうに、いろいろなところに行っていたので。

――それは那珂川ジュニアランナーズの?
藤井:そこと同じところで、違う方に教えてもらったりもしていました。

――福岡では、学校の部活動と並行してクラブチームに入っているケースは多いのですか?
藤井:そうですね。私の友達とか知り合いも、土・日は小学校のときのクラブチームに行って練習したりしていました。わりと多かったように思います。

――そのころから、短い距離よりは、だんだんと長めの距離を走るようになったのですか?
藤井:はい。基本、長距離が好きだったので。


駅伝で都大路目指すも
故障がきっかけで始めた競歩で開花

――2015年に高校へ進学。北九州市立高校といえば、長距離の強豪校です。
藤井:北九州市立高校の監督とつながりのある方から勧めてもらいました。強い高校だったし、都大路も走りたいと思っていたので、駅伝を走りたくて市立高校に入学しました。

――生活は?
藤井:学校に寮があるので、そこに入りました。

――最初は、3000mと5000mに取り組んでいたんですよね。両種目のベストは?
藤井: 3000mが9分33秒31で、5000mが16分25秒39です。どちらも2年生のときの記録です。

――北九州市立高校は、藤井さんが1年生のとき、全国高校駅伝に地区代表として出場して、8位入賞を果たしていますね。
藤井:はい、そうなんです。

――藤井さんも京都に行ったのですか?
藤井:はい、補欠でしたが。

――では、「来年、再来年こそは、自分も都大路を走るぞ」という気持ちだったのでしょうか?
藤井:そうですね。そんな気持ちで練習していました。

――でも、高校1年の2月に左すねを疲労骨折して、そこからのリハビリを兼ねて競歩を始めることになったそうですね。
藤井:そうなんです。故障したら走れないぶん、何かほかのトレーニングをしないといけないじゃないですか。チームには先輩とか同級生とか何人かが競歩をやっていて、プールとかバイクとかの練習だけでなく歩くことで心肺能力を高めようと、後ろにつかせてもらって歩いたのが最初です。

――ケガからの回復時期にやっていたのですか? どのくらいの内容を?
藤井:練習といっても、30分くらいちょっと歩いて、あとは補強したりといった程度だったので、ポイント練習とかは一切やっていないです。本当に歩く基本を教えてもらったというくらいでした。

――そこからインターハイ路線を、競歩で挑戦することになったのはなぜ?
藤井:私が故障しているときにも、練習を見ていた監督の荻原(知紀)先生から「歩けるんじゃないか?」と言われて、でも、私は走りたかったので、「いやあ、ちょっと競歩は…」とか言っていたのですが、でも、ケガが治っても自分が出られる種目がなかったんです。特に、3000mは、チームのなかでも速い人が出ますし、私のほうは故障上がりで練習も全然積めていなかったので。それで、先生から「県大会に行ければいいから、体力づくりのつもりで、1回出てみろ」と言われ、「じゃあ、(北部ブロック)予選だけ出ます」という感じで出ることになりました。

――それが初レースとなった5月の北部ブロック予選会ですね。25分28秒76で2位でした。
藤井:そのときは、チームメイトが3人いて、1人の子についていったのですが、けっこう楽で、審判からも注意をされなかったので、「もしかしたら、行けるのかな?」という感じでした。取りあえず福岡県大会に行けることになってよかったなという気持ちが強かったです。

――そして2週間後の県大会では24分38秒27で優勝。さらに2週間後の北九州大会も24分10秒93で制しました。
藤井:出るたびに、どんどんタイムが縮まっていましたね。

――インターハイでは、23分17秒23をマークして、とうとう日本一に。このときは、どのあたりを目指していたのですか?
藤井:入賞を目標にしていました。北九州大会で勝ってからは、入賞したいなと思うようになっていたので。インターハイでは、予選に出たときもすごく楽だったので「これは行けるな」と思いました。先生からは「優勝できるかもしれない」と言われていたのですが、でも、私自身は8位入賞を意識していたので、まさか優勝するとは思っていませんでした(笑)。

――いきなり23分台に突入する記録で、関係者の方々を驚かせました。決勝のレースは、どんな感じで臨んでいたのですか?
藤井:試合中はけっこう冷静で、計算しながら歩いていました。「このペースだと、どのくらいで行けるかな」みたいな感じで。いろいろ考えながら歩けていたので、たぶん余裕があったのだと思います。

――まあ、走ることを考えたら、ペースは遅いから…。
藤井:そうなんです。そのころは長距離と並行してやっていたので、「体力とかは自分が一番ある」いう自信だけはありました(笑)。

――3000mで行われる高校選抜でも優勝。そして国体は、学生・社会人選手に交じって、成年女子5000mに出場し、リオデジャネイロオリンピック代表の岡田久美子選手(ビックカメラ)に次いで2位でフィニッシュ。インターハイでマークした自己記録をさらに1分以上縮め、一気に22分台に突入する22分14秒52をマーク。この記録は、高2最高であるとともに高校歴代でも3位となる好記録でした。
藤井:国体で出た記録が高2最高と聞いたときは、びっくりしたのですが、その辺りから、「ああ、競歩という道もあるのかな」と思うようになってきましたね。インターハイに優勝した時点では、「私は長距離だから、長距離がベース」と思っていたのですが、国体が終わって、岡田さんとも話したりしたことで、「世界を目指してみたいな」と気持ちが出てきました。ちょっとずつでしたが、そういう心変わりがありましたね。

冬場のケガを乗り越え
U20日本記録保持者に



――競歩への関心が高まりつつも、高校2年の冬も駅伝にも出ています。メインは、だんだん歩くほうにシフトしていったのですか? それとも冬は駅伝を?
藤井:いいえ、基本は走る練習です。朝練も全部みんなと一緒にやりますし。競歩の練習をするのは、インターハイシーズンの試合に向けての練習になったときだけでした。

――それは、3年生になっても同じだったのですか?
藤井:同じです。

――では、冬場の練習は…。
藤井:走り込みです。ただ、競歩は冬にも試合があるので、そういう試合の前は歩く練習に切り替えてやってきました。

――高校3年の昨シーズンは、さらに飛躍を遂げました。インターハイ路線では安定して22分台をマークして、本番でも連覇を達成。秋の国体では21分33秒44のU20日本新記録を樹立しました。3年生のシーズンを振り返って、どうでしたか?
藤井:実は、1月に故障して、そこから3カ月くらい全然走れない、歩けない状態だったんです。全国都道府県対抗女子駅伝の区間を決めるレースの途中で、足が「バキッ」と音がして激痛が来て、ゴールはしたけれど、そこからもうちゃんと歩けない状態になってしまいました。

――どこを痛めたのですか?
藤井:左足の立方骨(※足の甲のやや外側に位置する骨)の疲労骨折です。立方骨なので着地のときに痛くて、走るどころか歩くのも痛くて…。

――3カ月かかったとなると、シーズンに間に合うか不安もあったのでは?
藤井:焦りました。競歩の強豪の子たちが参加する全国合宿とかもあったのですが、一緒の練習はほとんどこなせないし、別練習するから焦りも出てくるし、悔しさもありましたし…。

――シーズンインに間に合ってよかったです。
藤井:はい。なので、充実した練習が積めていたかというとそうではないのですが、試合でまずまずのタイムが出せたので…。

――インターハイ路線の最初となる北部ブロック大会で、22分11秒03(高校歴代2位)の自己新をマークしたあたりで不安も解消されたのですね。2017年シーズンで、印象に残っているレースは?
藤井:やはりインターハイと国体ですね。

――21分台は目標にしていた?
藤井:はい。出せなかったけれど、インターハイのときも22分を切りたいと思っていたんです。

――インターハイは暑さもあったでしょうし…。とはいえ、国体も秋とは思えない暑さのなか、完全なる“一人旅”でのレースでした。
藤井:確かに暑かったですね。国体では、終盤が、想像以上にきつくなりましたが、絶対に高校記録は出すんだという気持ちで歩きました。

東京オリンピックを目指して
競歩選手として実業団チームへ

――「競歩でやっていこう」と、春からは、エディオンに所属して続けることになりました。どういう思いで決めたのですか?
藤井:エディオンさんは、2020年東京オリンピックを視野に入れた枠で私を採用してくださっています。合宿とかいろいろな練習環境とかについても理解してくださっていて、自分がやりやすいような形で進めていいということだったので決めました。

――今後は、どういう形で続けていくのですか?
藤井:広島にある寮に入ります。合宿したり、ダイヤモンドアスリートの研修でNTCを使わせてもらったり、あとは陸連の先生方に見ていただいて練習したりと、いろいろ試して自分に一番合う環境を整えてきたいと思っています。遠隔での指導などの方法も利用したり、海外に行って技術を吸収したり、いろいろなやり方で取り組んでみたいですね

――来シーズンの目標は?
藤井:高校は5000mでしたが、シニアになると種目が20kmになるので、まずはしっかりと身体の基礎をつくり、20kmで戦えるような力をつけることです。

――具体的な課題はあるのですか?
藤井:フォームですね。上半身のフォームがまだまだなので、長い距離を歩いて疲れてくると、後半にフォームが崩れてしまうんです。それだとタイムが縮まらないので、そういう基礎の部分をしっかりしていきたいです。

――2018年シーズンはU20世界選手権があります。この大会は10000mのレースとなりますが。
藤井:10000mは1回歩いています。どちらかというと長い距離のほうが好きなので大丈夫だと思うのですが、この大会に向けての練習も、しっかりやっていきたいですね。

――藤井さんは、自分の長所はどんなところだと思っていますか?
藤井:長い距離になればなるほど、後半を諦めないところ。たぶん、しぶといんです(笑)。しつこいというか(笑)。絶対に負けたくないと思ったら、後ろにずっとついていけますし、そういう強い気持ちは、誰にも負けないと思います。

――それはアスリートとして、ものすごく大きな強みですね。今後、さまざまな大会で、そういうレースを見られることを楽しみにしています。

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