日本陸上競技連盟小史
1945~1973
- 1945昭和20年
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戦争で中断していた日本陸上競技連盟の組織が復活、1946年(昭和21年)には初めての日本陸上競技連盟規約が出来上がる。
- 1946昭和21年
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戦後スポーツ界の復興を目指して国民体育大会が始まる。
- 1948昭和23年
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第14回ロンドンオリンピック大会が開催されるが、日本は戦争責任のために参加を認められず。
- 1951昭和26年
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第1回アジア競技大会がインドのニューデリーで開催される。日本からは男女31名が参加、33種目中20種目に優勝を飾る。
- 1952昭和27年
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第15回ヘルシンキオリンピック大会開催。日本も復帰が認められ、16年ぶりのオリンピック大会参加となる。男子16名、女子3名が参加。
- 1955昭和30年
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日本陸上競技連盟は創立30周年を迎え、「日本陸連30年史」を刊行。 平沼亮三氏がスポーツ界初の文化勲章を受章。
- 1956昭和31年
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10月に行われた日本選手権大会で小掛照ニ選手が三段跳で16m48の世界新記録を樹立した。
第16回メルボルンオリンピック大会開催。日本からは男子16名、女子3名が参加。小掛照ニ選手の世界新記録を伝える新聞記事 - 1960昭和35年
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第17回ローマオリンピック大会開催。日本からは男子15名、女子5名が参加。
- 1961昭和36年
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東京オリンピックを実施するにあたり、陸連、学連、実業団連合、高体連、中体連の5団体が五者協定を結ぶ。
- 1964昭和39年
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日本陸連事務局が、お茶の水から渋谷の岸記念体育会館内に移転する。
第18回東京オリンピック大会開催。
地元開催ということで、日本選手団も男子52名、女子16名が参加。円谷幸吉選手がマラソンで銅メダルを獲得、戦後のオリンピック陸上競技で初のメダル獲得となった。円谷幸吉 - 1967昭和42年
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ユニバーシアード東京大会が開催される。参加34カ国、日本からは男子39名、女子19名が参加した。陸連が「みんなの陸上競技」を出版。
ユニバーシアード東京大会で活躍した澤木啓祐 - 1968昭和43年
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第19回メキシコオリンピック大会開催。日本からは男子19名(女子は0)が参加した。マラソンで君原健二選手が銀メダルを獲得した。
国際陸連(IAAF)総会で織田幹雄氏が評議員に選出される。君原健二 - 1969昭和44年
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太平洋沿岸5カ国陸上(日本・アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)が開催される。 青木半治・日本陸連理事長が、JOCの委員長、日本体育協会の専務理事に就任する。
- 1971昭和46年
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4月、日本陸上競技連盟が財団法人としての認可を受ける。
- 1972昭和47年
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第20回ミュンヘンオリンピック大会開催。日本からは男子13名、女子2名が参加。この大会でテロリストによる死傷者が出る大変不幸な出来事が起こる。
- 1973昭和48年
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フィリピン・マニラで第1回アジア陸上競技選手権大会が行なわれる。
写真提供:フォート・キシモト