日本陸連は、ミッションに「国際競技力の向上」と「ウェルネス陸上の実現」を両輪として掲げ、達成に向けて示した2028年段階および2040年段階のビジョンの実現に取り組んでいる。このチャレンジをどう加速していくか。日本を、陸上の楽しさが溢れた国にするために、今、何が必要か?現役トップアスリートとして世界を舞台に活躍する北口榛花選手(JAL、やり投)、サニブラウンアブデルハキーム選手(東レ、100m)、橋岡優輝選手(富士通、走幅跳)に、陸上の魅力を聞くとともに、「ワクワクする2040年の実現」に向けた思いを語ってもらった。
北口榛花(JAL)Haruka KITAGUCHI女子やり投1998年3月生まれ、北海道出身。幼少期は水泳とバドミントンに取り組み、旭川東高校からやり投を始めると、3年時の2015年世界ユース選手権で優勝して脚光を集める存在に。日本大学3年の冬から練習拠点をやり投王国・チェコに移すと、2019年には日本記録保持者となり、世界選手権にも初出場。2021年東京五輪では決勝進出を果たした。2022年世界選手権で女子フィールド種目日本人初の銅メダルを獲得。2023年には世界選手権金メダル、ダイヤモンドリーグファイナル優勝を達成したほか、日本記録を67m38まで更新、2023年世界リスト1位の座を占めた。
サニブラウンアブデルハキーム(東レ)Abdul Hakim SANI BROWN男子100m1999年3月生まれ、福岡県出身。東京・城西大城西高校2年の2015年に世界ユース選手権100m・200mに優勝し、世界的な注目を集める。2017年の世界選手権200mでは史上最年少での決勝進出者となり、7位に入賞。国際陸連(現世界陸連)のライジングスター賞を受賞した。2019年に100mで当時日本記録となる9秒97、200mで日本歴代2位の20秒08をマーク。2021年東京五輪には200mで出場した。2022年世界選手権100mで、この種目で日本人初のファイナリストとなり7位に入賞。翌2023年世界選手権では6位となり、2大会連続入賞を果たしている。
橋岡優輝(富士通)Yuki HASHIOKA男子走幅跳1999年1月生まれ、埼玉県出身。元日本記録保持者(父・利行、棒高跳、母・直美、100mハードル、三段跳)の両親のもとで育ち、中学から陸上を始める。東京・八王子高校からメイン種目に据えた走幅跳で頭角を現すと、日本大学2年時の2018年U20世界選手権では金メダルを獲得。翌2019年には、ユニバーシアードで優勝、世界選手権では8位入賞を果たした。社会人となった2021年に日本選手権で日本歴代2位の8m36をマーク。東京五輪では6位となり、この種目で日本勢37年ぶりの入賞を達成。2022年世界選手権でも2大会連続で決勝(10位)に進んでいる。
走る、跳ぶ、投げる、そして歩く。陸上は、スポーツのなかでも最もシンプルな競技と言うことができる。また、誰もが一度は経験したことがある、という種目もあるだろう。現在、海外に拠点を据え、「世界一」を目指しての活動となっている北口榛花選手、サニブラウンアブデルハキーム選手、橋岡優輝選手。3選手が語る陸上の魅力とは?
サニブラウン:難しいですよね、陸上は本当に専門的な競技なので。ただ、走っているっていってもけっこう奥が深いから、その深い部分をわからないと逆に、面白さと聞かれても難しいかなと思いますね。だから、最近は競技についての理解の深みが増したので、それが楽しいですけど、高校のときとかは、走っていて「気持ちいいな」くらいの感覚だったと思います。
橋岡:僕は跳ぶのが楽しいですね。跳ぶのが好きなので(笑)。中学で始めたときから、幅跳びはやりたかったんです。小学校6年生のときに体育の授業でやった走幅跳が楽しかったので。でも、中学には“砂場遊び用の砂場”しかなく、できる環境がなかったんですね。それで、中学時代はたらたらと陸上をやっていました。
で、高校でも続けることにして種目をどうしようかとなったとき、中学では四種競技をやっていたのですが、高校から八種競技になると言われて、「それは無理だ」と思って…。それで、走幅跳と走高跳とハードルに変えてやっていたのですが、その3つのなかで一番面白かったし、記録も伸びていったのが走幅跳でした。
数字(記録)で一喜一憂するというか、自分がどれだけできたかというのが目標の一つになるので、最初はそのくらい単純に「楽しいな」という感じでやっていましたし、ハキームも言いましたけれど、そこから奥の深さ…ただ走るだけ、ただ跳ぶだけ、ただ投げるだけという、その単純の動作のなかで、単純だからこその難しさがあって、陸上はすごく奥が深いというのを徐々に理解していって…。そういった面白さに、今は辿り着いているなという感じです。最初は、“誰かより跳んだとか、誰かより速く走った”というのも楽しかったけれど、徐々に違う面白さに気づくというか、面白く感じることが変化するというか、そんな感じでしたね。
サニブラウン:まあ、負けず嫌いじゃないと、この競技はやっていられないですね。上には上がいるスポーツだし、しかも結果はものすごくはっきり出るスポーツ。そのなかで、気持ちで負けていたら絶対に勝てないので。どの試合も、パーソナルベストが自分よりも高い選手と走っていても、やっぱり勝つ気で行きますし、負けて終わったら、ものすごく悔しい。負けず嫌いというのもすごく大きいかなと思います。
北口:陸上を始めたのと、やり投を始めたのは一緒なんです。それ以前は、水泳とバドミントンをやっていて、そこから、どうして投げる方向に来ちゃったのかはよくわからないんですけど(笑)。
バドミントンだと、相手がいて、返球とか相手がどこにいるとかを、めちゃくちゃ考えながら試合しなければなりませんでしたし、水泳もペース配分とかを考えなきゃいけませんでした。だけど、やり投は、全力出せばいいという種目(笑)。後先をあんまり考えずに、その試合のなかで全力を出せばいいことが、自分の性格とも合っていたし、「あ、楽しいな」って思えたのが、最初でしたね。
今は、記録が出ることもすごく嬉しいし、勝つこともすごく嬉しいけれど、陸上をやっていて、いろいろな国に行くことができたり、いろいろな選手と話ができるようになったりしていて、そういうのも楽しいなって思っています。スポーツを通して、いろいろな人と会えるのが楽しいですね。
「走っていると気持ちいい」「記録が伸びて楽しい」「全力を出せばいいのが合っていた」というシンプルな楽しさは、陸上を続けていくなかで「奥の深さを」知ることで、面白く感じることが変化していくのも、陸上の魅力なのかもしれない。子どもたちに、それを知ってもらうには?
――サニブラウンさんと橋岡さんが、子どもに陸上を教えている映像を見たこともがあります。どんなふうに魅力を伝えているのでしょう?
サニブラウン:「自分が小学生のころ、陸上をやっていてどうだったかな」と考えますね。今、僕たちのイベントとか、やらせてもらっているのですが、そこで小学生から飛んでくる質問は、けっこう真面目な質問が多かったりするんです。「自分は小学校のとき、こんなに真面目じゃなかったぞ」と思いながら、答えを返すこっちが困るくらいのいい質問が飛んでくるんですよ、小学生も中学生も。
ただ、こんなこと言っていいのかどうかはわからないけれど、陸上を、小学校から根を詰めてやっているのは、あんまり良くないんじゃないかなと思います。「脚が速いなあ、遠くに跳べるな、投げられるな」くらいの、本当にちょっと楽しいかけっこくらいの感じが、ちょうどいいんじゃないかな、と。「運動会のリレーメンバーに選ばれるくらい、脚速くなりたいな」くらいのレベルがいいと思っています。
まあ、小学校くらいだと、「将来の夢はスポーツ選手になりたい」とかじゃないですか。弁護士になりたいとか、医者になりたいとかまで明確ではたぶんないと思うので。だから、いつかは自分ら3人みたいな選手になりたいなと思ってもらえるようなインパクトを、子どもたちに与えられたらなという感じです。
橋岡:僕らが伝えられるとしたら、「体現すること」かなと思いますね。本当に、「ああいう選手になりたい」というような、夢になれるような選手に(自分たちが)なっていくというのが、一番子どもたちに伝わりやすいのかな、と。
やっぱり僕も、小学生から競争性をすごく持ってやりすぎちゃうのはどうかなと感じますし、僕自身も中学生くらいまでは、のびのびと、ときには練習をサボったり(笑)、という感じでやっていたので、そんなに根詰めなくてもいいのかなと思います。
あとは、すごく難しい話かもしれないけれど、もうちょい“お金が目に見える”のも、一つ夢になりやすい、魅力になることなのかなと僕は考えています。サッカーとか野球とかは、年俸が見えるとか、ワールドカップに出場したらいくらもらえるとかってあるじゃないですか。日本だと、お金の話になるとどうしても汚い話という感じで見られがちですが、それもまた一つの魅力だと思うので、陸上もそういうのがあったらな、と。陸上の場合は、たくさんの種目で分配していかなければならないので難しいところもあると思うし、プロスポーツとして、そんなに確立していなくて、アマチュアの部分も大きいので、すぐにというわけにはいかないと思いますが、そういったところがもうちょっとわかりやすくなると、夢になりやすい。そういう魅力の伝わり方もあるのかなと思います。
――子どもたちは、意外とそういうところに敏感で、「YouTuberのほうが稼げるぞ」みたいなのもありますから(笑)。
橋岡:ああ、ほんと、そういうのもあると思うんです。“YouTuberドリーム”みたいなのがあって、YouTuberになりたいという子も多いと思うんですよ。陸上でもそういうのが目に見えるだけでも、少し変わるのかなと思います。
北口:正直、私も、あんまり小学生のころから一つの種目に絞るというのは…。自分もそうではなかったし、小学生からずっと一つだけやっていれば将来的に伸びるとも思っていないので、小学生のときはいろいろなことをやるほうが、一つを極めるよりも大切だと思っています。いろいろなことにチャレンジして、失敗でも成功でもどっちでもいいから、まずはやってみるということが一番いいんじゃないかな、と。
特に、肩とか肘とか、野球でさえ消耗するといわれているのに、やり投の場合は、もっと1回1回に負荷がかかっているはず。小学生から始めていると、ケガのリスクも高くなると思います。
小学生に競技の魅力を伝えるのは難しいと思うけれど、自分が小学生のくらいのころ、水泳の日本代表選手の合宿を公開してくれたことがあったんですね。そういう場でオリンピックや世界大会に出る本物の選手の泳ぎを間近で見たりとか、そのあと写真を一緒に撮ってもらったり…。あと、ほかの競技でもトップ選手に教えてもらったりした経験があります。そうやって、まずは実際に本物を見てもらうといいのかなと思いますね。会場に足を運んでもらったり、練習している姿をただ見たりするだけでも、小学生は“わ、すごい”ってなると思うので。トップ選手を本当に身近に感じられる機会をつくるのが、いいのではないかなと思います。
橋岡:一つのケースでいえば、サッカーのジュニアユースとかみたいな感じ? ユースのフィールドでやっている横で、トップが練習していて、そういうのをいつも見ているとか、そういうのが陸上であれば面白いですよね。
これから小学生になる子供たちが二十歳になるのが2040年。その時、日本の陸上界はどんな姿になっているのか。3選手がイメージする理想の状態を聞いてみた。
橋岡:2040年だと、何歳?
北口:41歳…。
サニブラウン:そうですね。陸上界がサッカーや野球に劣らないくらいに、人気もそうですし、もっと人の目に映るくらいになっていてほしいですね。なんかやっぱりちょっと、まだまだなところがあるので…。陸上競技って、見ているほうもわかりやすいスポーツでもあるし、意外とどこでもタータン(全天候型走路)さえあればできちゃうスポーツだし、道具もいらないし。もっともっといろいろな年齢層…子どもたちだけじゃなくて、マスターズとか、いろいろな年齢層の方々が、陸上に興味を持ってくれているのが一番の理想かなと思っています。
――そういう走れる場がいっぱいあるといいですよね。
サニブラウン:そうですね。本当にアメリカとかだと競技場だけじゃなくて、ストリートにタータンを敷いて大会とかをやっているんですよ。そういうのを、いつか自分ができたらいいなと思っていて、自分なりに動いてみようかなと思っています。
あと、今、日本の陸上界自体が基本的に、実業団に所属しているとか、世界がプロで活躍していくところから考えると下のセミプロの状態で、できることも限られているのかなと思います。だから、日本の陸上界をもっとプロに変えて、どんどん上に押し上げていく。上が上がることによって、下も上がってくるので、そういうところを変えていくのも大事だと思います。
また、今、中学生や高校生は基本的に部活動に所属していて、その人たちにとっては全日中やインターハイが、自分たちにとっての世界選手権やオリンピックになってきていると思うのですが、サッカーとかを見ると、部活動だけじゃなくてクラブチームがあって、クラブチームのリーグがあって…というようになっているんですよね。子どもたちに、もっともっと選択肢を増やしてあげるのは、一番大事になってくるのかなと思っています。
北口:日本の陸上界、海外と比べると、ちょっと堅いというか、なんで言えばいいんですかね、なんか“きゅっ”ていける感じじゃないんですよね。陸上を始めるのもそうだし、試合を見に行くのも、なんかルールがたくさんあるような感じというか…。海外の試合だと、普通に酔っ払っているおじさんとかたくさんいて…(笑)。
橋岡・
サニブラウン:(笑いながら頷く)
北口:でも、酔っ払っていても、ちゃんと観戦マナーは心得ていて、問題とかにはならないんですよね。なんか、もうちょっとそういう緩さというか…。
サニブラウン:それはちょっと無理かなあと思うけど…(笑)。
北口:(笑)。でも、もうちょっと、なんとかできないかなと思っちゃう。
――気軽に始められるように、ということ?
北口:気軽に始めるのもそうですし、見に行こうというのもそう。例えば、今日(セイコーゴールデングランプリ)も見に行くとなったときに、1日中スタジアムにいなきゃいけないとなったら、1日分の用意をしなければいけなくなっちゃうじゃないですか。「さっと行って、さっと帰ってくる」とかが、陸上だとあんまりイメージできないのかなという気がしていて、手軽なもののはずの本来の形にできないかなと思って。
橋岡:僕は、まだまだ部活を抜けていない、というのが一つあると思います。それが「身近じゃない」というところに繋がってくるのかなと。最近、クラブチームは増えてきてはいるけれど、まだ敷居が高いというというか、そこまで行っていないというのはあります。
そこは、さっきハキームも言ったように、もっとトップで戦う選手が増えてくることによって、下も上がってくるというところですね。今、トップで戦う選手は、右肩上がりでどんどん増えてきていますが、もっともっと各種目で、メダル争いをするような選手が出てくれば、勝手に競技人口が増えてくるのかなと思いますね。
でも、そのときに問題になるのが、部活の域を超えていないと、ボランティア(無償)で教える人が多くなってしまうということ。正しい知識を持った指導者を、うまく育成するというか、そういう面が必要だと思いますね。あと、そこで、どうしても日本人らしさが出てしまうというか「情」で動いてしまって、お金のこととかがはっきりしないまま進んでしまう問題もあります。そこは、「なあなあ」になっているという見方もできるわけで、そうした面がはっきりしてくれば、コーチにしても、クラブチームにしても、もっと循環が生まれてくるはずです。そうやって陸上界全体が循環することによって、もっとやりやすくなるというか。身近になってくるのではないかと思います。
――ビジネスとして、うまく循環するような形になるといいかもしれないですね。
橋岡:はい。ボランティアって、すごくありがたいけれど、どうしてもそこには限界があると思うので、難しいとは思うけれど、その形をいろいろと探っていければ…。例えば、僕らが体現したり、海外でいえばショッピングモールで試合したり、街中で試合したりといったように、もっと陸上を見やすくするということも、そうしたことに繋がっていくかなと思います。
陸上でスポーツ界、ニッポンを変えていくという想いを込めて始まった『RIKUJO JAPAN』コーナー。最後に、3選手にすでに日ごろから陸上に注目してくれているファンはもちろん、「おや、なんか面白そうだぞ」と興味を持ってくださった方々に向けての思いを聞いてみた。
サニブラウン:これを見てくれている時点で、けっこうコアな人たちだと思うので…(笑)。
北口・
橋岡:(笑いながら頷く)
サニブラウン:そこはやっぱりありがたいですね。ここを見てくださった方が、いろいろな人に、自分らがやっていることを広めてくれたりとか、共感してくれる人が増えたりしてくれたら嬉しいですね。
橋岡:僕も、この記事を見てくれている時点でコアだと思うので、逆に、そこからメッセージを僕らがもらうというのもありなのかな、と。見てくれている人の、さらに周りの人たちは、陸上に対してどういうふうに思っているのかとか、子どもたちだけでなく、今競技をやっている選手のお父さんやお母さんだったり、シニア層の方だったり、そういった広い年齢層の人たちからも逆にメッセージをもらって、それが選手の耳に入れば、できることも新たに出てくるのかなとも思います。メッセージが一方通行にならなければいいな、と。SNSも活発になっていますから、「いいSNSの使い方」ができればいいですね。
北口:私も、たぶんこの動画を見てくださっている人は、もう陸上に興味をお持ちの方だと思っています。そういった方はもちろん大事ですし、とてもありがたいけれど、ここでやっぱり課題になるのは、興味を持っていない方々をどうするかなんですよね。この対談の内容を広めるでもいいですし、「こういう試合があるよ」とか、「こういう教室あるよ」とかの情報を、周りの方にたくさん広めていただけたらいいかなと思います。
――もっと気軽に誘えるようになるといいですね。
北口:そうですね。ちょっと堅いところがあるので、もうちょっとフランクに、ただ遊びに行くだけみたいな感じで、(競技場に)来てもらえるようになったら…。走ったり投げたり跳んだりというのは、そのあと、例えば陸上を選ばなくても、スポーツをやったり趣味で楽しめたりすることにつながっていく動作なので、趣味で身体を動かすことをやっている方々でも、気軽に陸上競技の場に来られるような、そんな世の中になればいいなと思います。
(2024年5月19日収録)
インタビュアー:紫垣樹郎
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真:平岩亨