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NEWS 2016.06.07

日本選手権の好勝負 ―オリンピック選考会の激闘(その1)

 

4年に1回巡ってくるオリンピックイヤー。代表最終選考会を兼ねて行われた日本選手権では、数多くの激闘が繰り広げられてきた。日本選手権を彩った好勝負をご紹介しよう。

 

その1 第80回大会男子400mH(1996年)
世界レベルの五輪代表争い

 

20160607_400mH

日本の男子400mHが「世界で戦える種目」へと変貌を遂げた1990年代、その扉を押し開けたのは、斎藤嘉彦、苅部俊二、山崎一彦の3選手といってよいだろう。苅部と斎藤は法政大学の出身で2学年違いの先輩と後輩、そして順天堂大学出身の山崎は斎藤と同学年で、高校時代からのライバルという間柄。持ち味の異なる3人は、ともに学生だった1991年に、東京で開催された世界選手権代表に初選出され、以来、勝ったり負けたりしながら日本のヨンパーを世界レベルへと引き上げていった。

 

最初に飛躍を遂げたのが斎藤と苅部だ。1993年日本選手権決勝で接戦の末、斎藤48秒68、苅部48秒75と、アジア人として初めて49秒の壁を突破。翌1994年広島アジア大会では49秒13の同タイムで、金メダル(苅部)と銀メダル(斎藤)を独占する活躍をみせた。一方、1995年には、それまで“第三の男”と目されていた山崎が大きな花火を打ち上げる。イエテボリ世界選手権の予選で48秒37のアジア新記録を樹立。そして、ハードル種目で日本人として初めて決勝に進出し、7位入賞を果たすという快挙を達成した。

 

オリンピックイヤーの1996年には、山崎(アディダスTC)、斎藤(東和銀行)、苅部(富士通)のトップ3に迫る新たな顔が加わった。前年に49秒29まで記録を伸ばし、5月の関東インカレで49秒23の自己新を出していた山崎の後輩、河村英昭(順天堂大)の台頭である。オリンピックの代表切符は3枚。アトランタオリンピック最終選考会を兼ねた第80回日本選手権では、激しい闘いが繰り広げられることになった。

 

4人は、準決勝をともに49秒台で通過。決勝は、3レーンに河村、4レーンに苅部、5レーンに山崎、6レーンに斎藤が入ってスタートした。
いつもの通りスタート直後から飛ばした山崎が、第4コーナーを抜けるまでにリードを奪い、そのままフィニッシュラインへ飛び込んだ。意外なことに山崎は、これが日本選手権初優勝。48秒75の好記録だったが、レース後、大会1週間前に左ふくらはぎを肉離れしていたことを明かし、周囲を驚かせた。

 

20160607_yamazaki

 

熾烈となったのが3位争い。ホームストレートに出たところでは苅部と斎藤が競り合い、やや遅れて河村が続いていたが、ここから目を見張る追い上げを見せた河村が、最終ハードルを越えて斎藤を逆転。2度目の48秒台となる48秒99でフィニッシュした苅部には届かなかったものの、自己記録を0.2秒も更新する49秒03で3位に食い込み、代表切符を獲得したのだ。49秒21で4位にとどまった斎藤と明暗を分ける結果となった。

 

河村も加わって一段と層が厚くなった男子400mHは、翌1997年日本選手権で苅部が48秒34をマークしてアジア記録を更新。48秒台で走る選手も次々と現れるようになっていく。日本選手権優勝者も毎年変わり、まさに“群雄割拠の時代”へ。そうした切磋琢磨が、2001年エドモントン世界選手権における為末大(法政大)の「47秒89」と「銅メダル獲得」という形で結実することになるのである。

※敬称略、所属は当時のもの

 

(文:児玉育美/JAAFメディアチーム)

 

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第100回日本陸上競技選手権大会は6月24日~26日の3日間、名古屋市パロマ瑞穂スタジアムで開催。

リオデジャネイロ五輪代表選手選考競技会を兼ねた本大会をぜひスタジアムでご覧ください!

 

<第100回日本陸上競技選手権大会チケット情報>  #100日本陸上

http://www.jaaf.or.jp/jch/100/ticket.html

 

 

 

写真提供:フォート・キシモト