日本陸連が、大学生アスリートを対象に展開している「ライフスキルトレーニングプログラム」。これは、競技面でも人生でも、これから大きな岐路を迎える学生年代のタイミングで、「自分の最高を引き出す技術」を学び、活用していけるようにすることで、自身の可能性を最大限に生かせる人材を養成すべく実施している取り組みです。4期目となった今年度も、選抜された第4期生(https://www.jaaf.or.jp/lst/#student)に向けて昨年末から各種プログラムが行われてきました。講習のなかでも大きな核となっている全体講義は、全4回の日程で進められてきましたが、3月17日には最終回となる第4回がオンラインで開催。4期生たちは、国内外のさまざまな場所から講義に参加する形となりました。
今回の全体講義は、1月中旬に合宿形式で2日続けて実施した第2回・第3回以来となります。この日は、スポーツ心理学博士の布施努特別講師による全体講義を行ったのちに、受講生たちからの質問に布施特別講師が答える時間を別途設けるタイムテーブルが組まれました。開始に際して、日本陸連強化部の磯貝美奈子部長が挨拶に立ち、「全体講義としては最後の回。今日も、ぜひ有意義な時間にしてほしい。得られるものは少しでも自分のものにしていくというつもりで、最後まで貪欲に、楽しみながら頑張ろう」と受講生たちを激励。その後、布施特別講師にバトンを渡す形で第4期最後の全体講義はスタートしました。
第1部:全体講義
全体講義で布施特別講師がまず行ったのは、受講生たちが取り組んできた宿題を、みんなで考えていくことです。前回講義の際に出されていた3つの宿題のうち、①スティーブ・ジョブズのスピーチを聞いて、自分自身へのヒントとなったことを考え、まとめたレポートを出す、②練習(試合)のターゲットを決めて、アテンション・コントロールや役割性格も意識したうえで、ピーキングを実践し、その経過を書き残す、の2つをピックアップ。①については、それぞれが書いていたレポートを用いて、さらに思考を深めていくワークとブレイクアウトセッションを行うなかで、前回までの講義で学んできたことを復習するとともに、課題選択のポイント、問いの立て方、「人に話すこと」の大切さなどを確認しました。②については、この日の午前中に、全日本競歩能美大会女子20km競歩に出場し、4位(日本学生選手権としては3位)の成績を残した内藤未唯選手(神奈川大学)の実践例を元に、話が進められることになりました。内藤選手は、日本選手権から約1カ月のスパンで行われたこの大会に向けてのピーキングを、今回の宿題の対象に選択。3つの課題を掲げて、それぞれに目標を設定し、改善に取り組んできました。結果として、天候急変による雨や強風、気温低下も災いして記録は不満の残るものに終わり、また、取り組む期間が短かったために、3つの課題についても納得できる状況には至りませんでしたが、布施特別講師は、自身の取り組みを報告した内藤選手に、次々と質問を重ねていくなかで、内藤選手の考察を深めさせ、さらに多くの気づきや言葉を引きだしていきました。そして、このやりとりを通じて、課題を定めてピーキングに取り組んでいく際のポイントや注意を要する点、仮説を立てるときの考え方などが、より具体的に示され、受講生全員が貴重なヒントを共有する形となりました。
続いて布施特別講師は、オリンピックで連覇を果たしているフィギュアスケートの羽生結弦選手や体操競技の内村航平選手のコメントやケースを示して、「トップアスリートは、なぜ重要なときやピンチに陥ったときでも、自身の力を発揮できるのか」を意見交換するブレイクセッションを実施。そのうえで、物事に向かう際の思考は、“獲得型”と“防御型”の2つに分かれることや、スポーツにおける競争で目指すべきは、“勝つためにプレーする”獲得型思考であること、獲得型思考で物事に取り組むと、チャレンジングな姿勢や自動的(速い)な意思決定、チャンスを自ら見つけに行こうとすることが可能になることなどを説明していきました。
さらに、「本当に強い選手の特徴は、成功を掴むまで、失敗しても何度も立ち上がってチャレンジできること」と述べ、ここまでの講義で何度も触れてきた「縦型思考」「ダブルゴール」「CSバランス」「仮説思考」といった概念を使いこなせていることが、実現を可能にしていると言及。なかでも今の自分を周りと比べる(横型比較)のではなく、比較の対象を目指すゴールや将来のなりたい自分に置き(縦型比較)、そこから逆算して現在の自分に必要な事柄や取り組むべきことを見出していく縦型思考の大切さを強調しました。
また、チャレンジし続けるうえで重要になってくるとして挙げたのが「内発的モチベーション」です。実は、布施特別講師は、今回の全体講義の直前までアメリカ・アリゾナ州で行われたメジャーリーグのキャンプに帯同していたのですが、現地でのエピソードとして、数多くの選手やコーチ、サイコロジストと話をしたなかで「まるで共通言語のように上がってきたのが、Energy(エナジー)という言葉だった」ことを披露。「メジャーリーガーでも、トップになっていくのは、エナジーを自分でつくっていける選手」と述べ、受講生たちに「こうなりたい、こうしたい」と自らが強い思いを持ち続けること(=内発的モチベーション)の大切さを伝えるとともに、それが「将来のなりたい自分」から逆算して、物事に取り組んでいくうえでも大きな鍵になってくることを示しました。
講義は、いよいよ最終段階へ。布施特別講師は、ここで改めて「ライフスキルとは、何か」を振り返っていくなかで、
・ライフスキルのトレーニングは、自分が懸けてみたいと思う何かを持っているときのほうが、考え方が身につく
・心の使い方(=思考の技術)が身につくかどうかが、トップに行けるかどうかの大きな差になる
・ライフスキルにより獲得できるスキルはたくさんある。取り組んでいく際には、成功と失敗のハンドリング、自分自身をどう評価するかが重要になる
といった事柄を再確認。さらに、ライフスキルトレーニングをチームで取り組むことによって、「自分の経験や考えを他者に伝えることで言語化できる」「新たな視点が加わることで考え方の幅が広がる」「新たな仮説につながる」などの効果があることや、認識を共有して課題のクリアに向かっていくなかでリーダーシップの素養が培われることも示唆しました。
そのうえで、「こうしてライフスキルを高めていくと、心理学的に言う“オートテリック”という性格に近づいていく」と布施特別講師。オートテリックは「自己目的的」と訳され、評価や報酬など外から与えられた目的の達成や結果よりも、取り組んでいること自体に興味や関心を持ち、喜びや楽しさを見いだせる特性で、これまでの全体講義でも紹介されてきた羽生選手や内村選手、スピードスケートの小平奈緒選手、さらにはメジャーリーガーの大谷翔平選手など、トップ・オブ・トップの水準で力を発揮できているアスリートが共通して持っている特性です。
布施特別講師は、このオートテリック獲得の条件として、1)挑戦のレベル、2)目標の明確さ、3)役割性格、4)自己決定能力、5)獲得型思考の5つを挙げ、ここまでに紹介してきた概念が、それぞれの条件を満たすためにどう関係していくのかを、一つずつ順番に説明。受講生たちは、これまでの講義で学び、使いこなせるようにするべくトレーニングしてきた各概念が、全体像のなかでどう位置づけられ、どんな点がポイントになるのかの理解を改めて深め、講義を終えました。
第2部:質疑応答
15分ほどの休憩を挟んだのちに、第2部として、質疑応答の時間がスタート。この間に、南アフリカから接続していた巖優作選手(筑波大学)が、現地の停電により退出を余儀なくされてしまうトラブルに見舞われてしまいましたが、一方で、試合出場のために全体講義は参加できなかったシンガポールにいる金本昌樹選手(早稲田大学)が、競技会場から宿舎へ帰着して合流することに。ファシリテーターを、ライフスキルトレーニングプログラムの第1期生で、第4期から運営スタッフの一員として受講生たちのサポートを務めてきた伊藤陸選手(スズキ)が担当し、約1時間のセッションが行われました。ここでは、「ブロックのリーダーとして弱みを見せていいのか」「新入生が入ってきて人数が増えたときに、全員の意見を汲み取ることが難しくなる。そこに対して、どういう進め方をするのがマネジメントするうえでいいのか」「完璧と思う状態で挑んだ大会で、思う結果が出せなかったときに、どう考えていけばいいか」「目指す次の大会への期間が短いときに、何に気をつけてやっていけばいいのか」「縦型思考を心掛けているが、どうしても周りと比較してしまいがち。どうすれば縦型思考にもっていくことができるか」「悪い結果だったときに、落ち込んでもいいのか」など、それぞれが、実際に日常で課題を掲げ、本気で取り組んでいるからこそ出てくるようなリアルな疑問や悩みが、次々と上がってくる形に。
布施特別講師は、その都度、質問者に問いを投げかけ、対話を重ねていくなかで、「質問の意図を明確にしていく」「質問者が持っているイメージや理想を引きだす」「できていることとできていないことをはっきりさせる」「現状の確認と解決に向けてやるべきことを整理していく」などの方法で各選手の質問に回答。そのやりとりには、個々への対応だけでなく、疑問や迷いが生じたときに、どう問いを立てると対応策を考えていくことができるのかを示すヒントが随所に盛り込まれていました。
また、進行役の伊藤選手も、穏やか、かつやわらかな口調で、受講生たちをリード。競技者として感じていることや社会人となって気づいたことなど、実際にライフスキルトレーニングを受講したOBならではの観点で、自身の状況や経験を披露したり、受講生たちに感想や激励の言葉を送ったりしていました。
終わりに:山崎強化委員長・田﨑専務理事からのエール
今後、1対1での個人面談は予定されているものの、全員が揃っての4期生への講義はこの日が最後ということで、質疑応答のセッションを終えたあとには、このプログラムの“生みの親”ともいえる山崎一彦強化委員長と田﨑博道専務理事が、それぞれ挨拶。山崎委員長は、「受講生の皆さんは、ライフスキルトレーニングが、おそらくまだ意識下のなかでやっている状態だと思う。しかし、これを競技に置き換えると、無意識かつ瞬時に、かつその先まで考えてやっているはずで、それが“身になっている”ということ。そう考えると全体講義は今回で最後だが、(身につけるためには)もうちょっとトレーニングが必要」と、さらなる研鑽を促す一方で、「皆さんが大学生の今、得ている学びと、(大学を)卒業してから得る学びとでは、同じ競技者としての学びでも全然違っていて、卒業すると違う階層に入るし、競技力が上がれば上がるほど、その階層はさらに変わっていく。そういう状況になったとき、このライフスキルトレーニングで学んだことがヒントになってくる」とコメント。「レースを終えた直後や、時差があるなか海外から講義に参加することは、すごく大変だったはず。でも、それもみんなの選択。試合と練習だけでなく、今、いろいろなことを考え、悩むことはすごく大事で、中長期的にみたとき「みんなが強くなる」という仮説において絶対に必要なこと。そのことに早く気づいて取り組めた人が、将来的にもずっと“強く”残れる」と明言しました。そのうえで、「例えば、金メダルを取ろうとしたとき、自分にとっては成功ではない状態でも、ある解を出すことで金メダルを取れば、それは“正解”になるわけだが、ここで、みんなに目指してほしいのは、そうした“正解”ではなく、陸上競技と人生の両面で勝ち取る“成功”。その違いをきちんと区別できることが大事で、そのためにやっているのがライフスキルトレーニングだと理解してほしい」と呼びかけ、「大事な時間を割いて取り組んできたこの時間は、今後の成功のためのもの。まずは競技で多くの正解を出し、さらに、その後の成功も勝ち取ってほしい」と受講生たちを鼓舞しました。
「1期生の伊藤さんが、ものの見事に仕切っている姿を見て、“ああ、ライフスキルトレーニングって、こういうことなのだな”と思った」と話の口火を切った田﨑専務理事は、ライフスキルトレーニングについて、「先々、何が起きるかわからないし、何があるかもわからない。それに立ち向かっていくために何が必要かということを、皆さんは今、知識として学んだ。これからそれを一つ一つの局面で応用していくことで、そこでまた新しい気づきが出てきて、新しいエネルギーを生んでいく」と述べました。さらに、温室育ちの切り花は美しくても、野原で育った花の生命力には及ばないことを引き合いに、「私たちは、万全に整えられた温室で生きていけるわけでも競技をするわけでもない。そんな整わない環境のなかで何をするかということを、ライフスキルトレーニングで学んでいるのだと思う」と話し、「思うようにいかないことは、きっと受講生それぞれにあるはず。しかし、それも強くなっていく大切なプロセスだし、強くなるための大切な要素。パリ(オリンピック)、東京(世界選手権)をはじめとして、皆さんの将来には先々、活躍の場がたくさん用意されている。次から次へと花芽を出して咲いていく花は寿命も長いし、誰からも愛でられる。しっかりと花を咲かせてほしい」とエールを送り、全体講義を締めくくりました。
【第4回全体講義受講後:受講生コメント】
巖 優作(筑波大学3年、やり投)
「役割性格」「仮説思考」という言葉は1回目の講義から出てきましたが、「内容は理解できるけれど、具体的にどうすればいいのだろう」と、最初は自分のなかで「なんかしっくり来ない」というのが正直なところでした。しかし、講義のたびに何度も反復する形で説明していただけたことで、徐々に自分のなかに定着していることを実感できました。考え方そのものは、もともと頭のなかにあったのかもしれませんが、概念をきちんと学んだことで、意図的に使えるようになってきていると思います。
大きく変わったのは、陸上でやっていることのすべてに意味づけをするようになった点です。例えば、練習内容についても、1つ1つに「これは、なんのためにやっているのか」「最終的に何を目指しているのか」と、自分のなかで考えを巡らせるようになりました。それによって、これまでは「感覚」として自分のなかで漠然と捉えていた部分が、以前よりもぐんとまとまってきました。今までは試合のときに調子が悪いと「こうなったらどうしよう」と不安に陥ってしまいがちでしたが、「なんとなく」であったことがはっきりしてくると、それに対処する方法がわかります。それは、決められた試技のなかで、周りと競いながら自分の技術や状態をコントロールしなければならない難しさのあるやり投で、とても生きてくると思うのです。
また、現在、投てきのブロック長をやっていて、毎日、ブロックの仲間に話す機会があるのですが、そこで自分の思っていることを、ある程度、きちんとまとめて話せるようになりました。これも以前はあまり得意とはいえなかったことなので、ライフスキルトレーニングを受講したことの成果だなと感じています。
現在、南アフリカで合宿をしていて、すでに練習の一環という位置づけで競技会に出場しましたし、今晩も試合を控えています。講義のなかで「これは、試合の場面で使えそうだな」と考えていた事柄は多いのですが、まだ自分のなかに定着していないために、実際にどう使っていけるかは探り探りでやっているというのが正直なところ。でも、これから「自分のものにしていければ…」という気持ちでいますし、今、そうやって取り組んでいること自体が、すごく楽しいです。
今シーズンの目標は、パリオリンピックに出場することです。そのためには、まず、参加標準記録(85m50)を突破するか、ワールドランキングで出場圏内となるポイントを獲得するかが必要になってきます。今の自分の力と目指すところを、CSバランスで考えると、参加標準記録の突破というのは現実的ではないので、ポイントで狙っていくことになります。そういったところも、これから仮説思考などをうまく使って、やるべきことを明確にしていきたい。去年は、技術面に不安定さがあり、それが結果に表れる形となっていましたが、この冬は、改善していくために、次々と仮説を立てて取り組んでいくことを実践してきました。その成果がどういう形で表れるのか、本格的なシーズンインが楽しみです」(談)
文・構成:児玉育美(JAAFメディアチーム)
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■【ライフスキルトレーニングプログラム】第4期受講生が決定!
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