陸上の世界室内選手権の最終日、走幅跳決勝に出場した菅井洋平(ミズノ)選手は7m35で決勝進出なりませんでした。
今季初戦となった今試合、1本目は「助走を少しコントロールしすぎてしまい、悪い方向に行ってしまった」というように、スピードがないまま踏み切り、7m25という平凡な記録。その後、助走を修正しようとしましたが、「何が正解かわからないまま跳んでしまった」と話すように2本目6m95、3本目は7m35と自己記録に遠く及ばず、試技を終了しました。
菅井選手は、「右かかとの治りが予想以上に長引いてしまい、全助走での練習が全くできなかった。自分の跳躍がまだ全く出来上がっていない状態で、この試合を迎えてしまいました」と悔しそうに話しました。
昨年の世界選手権北京大会に続き、2度目の世界選手権になりましたが、「全体的なフィジカルの強さというか、スピード、跳躍全体の勢いというものが、やはり一回り違いますね。やはり自分もそこに追いついていかないと、世界では戦えないと感じました」と分析していました。
次戦は2週間後のテキサスリレーになりますが、「助走でほぼ僕の跳躍は決まると思っているので、まずは助走をしっかりと確立させることかなと思います。リセットして気持ちを切り替えて、はい上がりたいなと思います」と話した。
陸上の世界室内選手権の第2日、男子60mに桐生祥秀(東洋大)、女子走幅跳に甲斐好美(VOLVER)が出場しました。
桐生選手は予選で自己ベストタイに並ぶ6秒59で組2着で予選通過を果たしました。「練習してきたスタートが良かったです。準決勝はいくだけです」と意欲を口にしていました。午後6時から行われた準決勝では桐生は1組6レーン、4レーンには同い年のトレイボン・ブロメル(米国)が入りました。「何も考えずに走りました。でも2着の選手が見えませんでした」というように、
ブロメルと3レーンのヘンスリー・パウリーナ(オランダ)に及ばず、6秒56の3着、全体9番目で決勝進出を逃しました。「ファイナルを目標にしていたので悔しいです」。2週間後にはテキサスリレーで100mを走る予定で、「それまでに課題の中盤以降の走りを鍛え直したい」と前向きに締めくくりました。
国際大会初出場となった甲斐好美(VOLVER)は踏切りに苦しみ、3本ファールというほろ苦い結果に終わりました。冬季は助走のスピード練習に重点を置いていた影響もありましたが、「うまくひっかかればファイナルにいけたかなという手応えを感じました。とても楽しい大会でした。トップ選手の動きを間近でみて、自分も世界で戦えるんじゃないかと感じられたのが一番の収穫です」と話していました。
陸上の世界室内選手権の第1日目、棒高跳決勝に出場した山本聖途選手(トヨタ自動車)は5m55で10位でした。
5m40からスタートした山本選手はこの高さを2回目に、続く5m55は最初の跳躍でクリア。しかしポールを変更した5m65で「力みが出てしまい」、3回ともクリアならず試技を終了しました。「5m80オーバーと入賞ラインの8位以内が目標」としていましたが、残念ながら及びませんでした。
悔しそうな表情で引き揚げてきた山本選手は、「コンディションもよく、しっかり練習が積めていましたが、5m65でポールを変えた時に力みが出てしまい、力を出し切れませんでした。(優勝した)ラビレニ選手は5m75から跳び始めましたが、すべて1回で成功ていました。自分も低い高さから1回目でしっかり跳べるようにしていかないと」と反省を口にしました。
今季は1月の棒高跳びサミットで5m77の室内日本記録を樹立しましたが、「突っ込みの強さがずっと課題で今日もそれが出てしまいましたが、5m65の3回目の跳躍ではいい形を作れたので、次に繋がるとおもいます」と山本選手。今試合後はロサンジェルスで練習をし、2週間後のテキサスリレーで屋外の試合に出場する予定。「テキサスリレーで自己ベストを超える5m80以上を目指します」と目標を口にしていました。
№ | 種目 | 氏名 | フリガナ | 所属 | 登録陸協 | 生年月日 |
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1 | 60m | 桐生 祥秀 | キリュウ ヨシヒデ | 東洋大学 | 埼玉 | 1995/12/15 |
2 | 棒高跳 | 山本 聖途 | ヤマモト セイト | トヨタ自動車 | 愛知 | 1992/3/11 |
3 | 走幅跳 | 菅井 洋平 | スガイ ヨウヘイ | ミズノ | 群馬 | 1985/8/30 |
4 | 走幅跳 | 甲斐 好美 | カイ コノミ | VOLVER | 埼玉 | 1993/7/10 |