リオデジャネイロオリンピックで、メダル2、入賞2という成果を上げた陸上競技日本代表選手団のなかから、メダリストおよび入賞者の皆さんに行った帰国直後のインタビュー。
最終回となる4回目は、男子棒高跳の澤野大地選手(富士通)のインタビューをお届けします。2004年アテネ大会、2008年北京大会に連続出場して以来、2大会ぶりの五輪となった澤野選手。今回、五輪ではアテネ大会以来となる決勝進出を果たし、5m50で7位入賞を達成しました。日本選手による棒高跳での五輪入賞は、実に64年ぶりとなる快挙です。
9月に36歳となる澤野選手の、ベテランならではの戦いぶりや試合に向けての心境、そして、陸上日本選手団の男子主将を務めるなかで感じたことなど、2020年東京五輪に向けても大切なヒントとなりそうなエピソードを、たくさん披露していただきました。
◎写真/競技写真:フォート・キシモト、インタビュー写真:高橋将志
◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)
今まで感じたことがないくらい“オリンピック感”がなかった
本当に“普段通り”で臨んだオリンピック
――澤野選手が大会前から、というより今シーズン最初からずっと仰っていたのが、「普通に、いつも通りに」という言葉でした。オリンピック本番には、どう臨めたのでしょう?
澤野:オリンピック出場が決まって、そこから調整段階に入って、事前合宿があって、そして現地に入って・・・。その間、ずっと不思議な感覚でオリンピックに向かっていました。というのは、今まで感じたことがないくらい“オリンピック感”がなかったというか、本当に普段通りに過ごせていたんです。リオに入ってからも、ただ海外の遠征に来ているだけという感じで生活できていたことがすごく大きかったですね。
――日本を出発する直前まで、(大学教員の立場で)インターハイを見に日帰りで出かけたり、日常業務にも追われていたりと、とても忙しく過ごしていたと聞きましたが、そういった面での負担はなかったのですか?
澤野:一切なかったですね。どちらかというと、私はそうやって忙しく過ごしているほうが好きなので、敢えて(スケジュールを)入れていた面もあったかもしれません。そのおかげで、オリンピックのことだけに入れ込みすぎず、普通でいられたのかなと思います。
――事前合宿は、日本選手団(ニューヨークを経由して、ニュージャージー州のプリンストン大学で実施)とは別に、マウントサック(ロサンゼルス近郊にあるマウント・サン・アントニオ大学)で行ったと伺いました。マウントサックは、澤野選手が海外でのトレーニング拠点として毎年のように滞在している場所で、ご自身で“第2の故郷”とも言っている場所ですね。
澤野:代表に決まったら、ロス(マウントサック)に行こうと自分のなかでは決めていて、決まった段階でお願いしました。私自身、最後のオリンピックのつもりでいましたし、マウントサックは10年以上通っていて、練習環境も最高で、生活面でもすべてがわかっている場所。何よりもコーチのブライアン・ヨコヤマさんがいます。最後の調整を、ぜひそこでやりたい、ブライアンに見てもらってリオに臨みたいということを、強化委員長にもお伝えてして許可をいただきました。主将としては申し訳なかったですが、行かせていただきました。
――マウントサックで、ブライアンコーチに最終調整を見ていただいて、何か新しく得たことなどはあったのですか? 澤野選手にとって、何がプラスになりましたか?
澤野:ないです。全くないです。(プラスになったのは)いつも通りの跳躍練習が、普通にできたということですね。
手づくりおにぎりを持参で決戦の場へ
豪雨による中断にも余裕があった
――予選を振り返っていただきましょう。5m70の試技は失敗しましたが、5m45、5m60を1回でクリアしていたことで決勝進出を決めました。
澤野:(5m)45からスタートするのも、45、60を1発で跳ぶのも、予定通りでした。ただ、70になってから崩れちゃったのか修正しきれなかったのか跳べませんでしたが・・・。まあ、60を一発で跳んでおいてよかったな・・・と(笑)
――決勝は、中1日空けて行われました。高強度の試合が続くことになるので、それなりに体力的にも楽ではないと思います。そのあたりは?
澤野:トレーナーの方に、いろいろとやっていただけたので、全く疲れを残さずに決勝の舞台に臨むことができました。本当に感謝しています。
――そして、決勝本番は、いきなりの雨模様・・・(笑)。
澤野:そう(笑)。“またか”と思いました(笑)。
――実は、日本でテレビを見ていて、“ラッキー”と思ってしまいました(笑)。勝負していくという意味で澤野選手には有利になるだろうと考えたので。ご自身はどうだったのですか? 会場におにぎりを持参したという話も聞きましたが。
澤野:はい。今回、選手村の近くに、「Gロードステーション」といって、(JOCのオフィシャルスポンサーである)味の素さんがつくってくださった日本食をとれるスペースがあったのですが、大会までの段階で“そこでおにぎりをつくれるな”と、自分で勝手にイメージしていたんです。予選の日に、実際につくりに行ったら、スタッフの方に、「そんな使い方をしていただけて、ありがとうございます」と言われて・・・(笑)。
――持参は予選の段階からだったのですね。自分でつくったのですか?
澤野:自分でつくりました。サランラップと塩を借りて(笑)。で、それを持ち込んで食べました。予選のときは2個だったのですが、ちょっと足りなくてお腹が空いたというのがあったので、決勝は3個つくりました。試合前に2個食べて、試合のあとに食べようと1個を残していたのですが、(中断により競技時間が)1時間ちょい延びたから、再開を待っているときに“ああ、今、ちょうど食べどきだな”と、それを食べてエネルギーを補給して・・・。その間、ほかの選手たちは、食べ物を探したり、いつ始まるのかとスパイクを履いたままそわそわしたりしていましたが、私はウォーミングアップがうまくいっていたので、もうどちらかというと“休めるな”という気分で・・・。
――寝ていましたね(笑)
澤野:はい(笑)。ゆっくりしていました。
――激しい雨のなか、いったんは競技を開始したのですが、3選手が試技を行ったところで中断となりました。その段階で、気温21℃、湿度79%、南南東の風13m(!)、気圧は999hPaという気象状況も報じられ、台風並みだなと思っていたのですが、それまでに経験した悪天候下の試合のことを思い出したりはしましたか? 苛立ちやネガティブな感情は・・・?
澤野:それが全然なかったんですよ。ウォーミングアップの終わりかけのころなんて、もう雨が強すぎて、笑うしかないって感じでした。“このなかじゃ、できないでしょ”って(笑)。“中断するのかな、最悪、延期でもいいな”と思っていて、それでも跳べる自信があったし、気長に待てそうな気持ちもありました。そのくらい(精神的な)余裕があったのかなと思いますね
>>リオ五輪帰国後インタビュー 第4回 男子棒高跳[澤野選手](その2)はこちら
>>リオ五輪帰国後インタビュー 第4回 男子棒高跳[澤野選手](その3)はこちら