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【リオ五輪帰国後インタビュー】 第3回 男子20km競歩[松永選手](その1)

メダル2、入賞2という成果を上げたリオデジャネイロオリンピック陸上競技日本代表選手団。ここでは、帰国直後のメダリストおよび入賞者の皆さんに行ったインタビューをお届けしていますが、3回目は、男子20km競歩の松永大介選手(東洋大)の登場です。大会初日に行われたレースで、1時間20分22秒をマーク。五輪初出場ながら7位でフィニッシュし、日本チーム入賞第1号となった松永選手に、レースを振り返っていただきました。

◎写真/競技写真:フォート・キシモト、インタビュー写真:高橋将志
◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)

いつ動いても対応できるよう
できる限り前のほうで勝負しようと心がけ

――日本競歩史上初めてのオリンピック入賞、おめでとうございます。
松永:ありがとうございます。

――大会初日の決勝ということで、今大会の陸上日本選手団にとっても入賞第1号でした。レースの日は、どういう気持ちで臨んでいたのでしょう?
松永:自分としては、(髙橋英輝選手=富士通、藤澤勇選手=ALSOKに続く)日本人3番手ということで、特にプレッシャーとかも感じることもなく、レースの日を迎えることができました。

――ずっとメダルが狙える位置でレースを展開しました。どんなことを考えていたのですか?
松永:オリンピックという大舞台で、第一に考えていたのはメダルの獲得だったので、できる限り前のほうで勝負しようと思っていて、いつ集団が動いても対応できるような位置にいようと心がけていました。

――レースの終盤、ペースが落ちてメダル争いが厳しくなってきた段階で、一番きつかったのはどのあたりでしたか?
松永:優勝した王鎮選手(中国)がしかけたところです。反応できずにずるずると落ちてしまいました。今でも、“あそこで本当に動けなかったのかな”ってよく考えてしまうのですが、レース中はもう、身体が全然動きませんでしたね。あの場面が一番、自分のなかできつかったかなと思います。

――その段階では、もう一杯一杯の状態だったのですか? それとも“自分の力なら行けるはずなのに、身体が動かない”という感じだった?
松永:どちらもいえるかなと思います。やはりまずは“レースを知らなかったな”っていうことが、自分のなかでは大きかったんです。ただ、スピードに関していえば、自分もスピード自体はあるほうなので(注:今年マークした自己記録の1時間18秒53秒は、髙橋選手、藤澤選手に続き、2016年世界リスト3位)、あのペースでも余力さえ残っていれば対応できたのかなと思いますし、そう考えると課題は体力面だったのかなとも思いますので・・・。

悔しさも残るが、収穫も大きかった7位
「また、1つレースを知ることができた」

このオリンピックに向けては、“メダルを”という意識で臨んでいたのですか?
松永:何よりも“確実に、次につながるようなレースをしたい”というふうに思っていました。でも、もちろん“ただの経験で終わらせないようにしたい”とも思っていて、結果を残していくという意味で、メダルっていうのは第一の目標になっていました。

――目指していたところのすべてを実現させるには、ちょっと届かなかったわけですね。レースが終わったあとはどうでしたか? 悔しさのほうが大きかったのでしょうか? それとも“やれることはやったな、次につながるかな”という気持ちのほうが大きかった?
松永:悔しさも十分に残っていて、ラストで離されたときに、なんで反応できなかったのかなとか考えることも多かったですが、一方で、それなりに収穫と感じることもたくさんありました。さっき言った“次につながるレース”という意味では、“また1つレースを知ることができた”ことは、すごく大きな経験だったと思いますね。

――今までに経験したことのないタイプのレースでしたか?
松永:そうですね。まず、レベルが、今までに経験した試合とは全く違ったというのが大きいですし、周りも世界トップクラスの選手ばかりだったので・・・。そういったなかでのレースというのは、今回が初めてだったので、4年後の東京五輪だけじゃなくて、来年のロンドン(世界選手権)にも、すぐにつながっていく経験ができたと思います。

――松永選手には、2014年世界ジュニア選手権の10000m競歩で金メダルを獲得したとき、レース翌日にインタビューさせていただきました。そのときは、「段階を踏んで、シニアとして戦うための力をつけていくことを意識している」と話していたこと、そして「2020年東京五輪で、メダルを狙いたい」と話していたことが印象に残っています。正直なところ、あの時点では、その段階に向けての1歩として、リオ五輪で戦えるレベルに到達するには、ちょっと時間が足りないかなと思っていたのですが、ご自身はどうだったのでしょう?
松永:そうですね。僕自身も、あの世界ジュニアの時点では、“ここからリオ(五輪)へ・・・”という考え方はあんまりできていませんでしたね。言葉では「目標はリオ」とか言っていましたけれど、それに対しての実績が追いついていませんでしたから。具体的に、“リオ五輪に挑もう”となるまでには、北京(2015世界選手権)の選考レース(国内の代表レースで敗れて出場ならず)などの経験があって、それを踏まえて自分のなかで、徐々に、徐々に、“リオに行けるかな”という思いが生まれ、目標意識も高くなっていったのかなと思います。

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