アジア選手権の歴史

はじめに - アジア陸上競技選手権大会とは

写真提供:フォート・キシモト

アジア陸上競技選手権大会は、2年に1度開かれるアジア最高峰の大会です。


1973年、アジア陸上競技連盟の発足に合わせて、第1回大会がフィリピン・マリキナで開催されました。第1回大会には日本を含む15の国と地域の選手たちが参加しました。


1979年の第3回大会、1981年の第4回大会、1998年の第12回大会と過去に3回日本でも開催しており、今回は1998年の福岡開催以来13年ぶりに兵庫県・神戸市にて開催される運びとなりました。


本大会はアジア各国のトップ選手が出場するレベルの高い大会ですが、これまでに多くの日本選手が金メダルを獲得しています。広州で行われた前回大会では、2009年ベルリン世界陸上で銅メダルを獲得した男子やり投村上幸史(スズキ浜松AC/当時スズキ)、男子400mH成迫健児(ミズノ)、女子100m福島千里(北海道ハイテクAC)、女子200m高橋萌木子(平成国際大)など合計12個の金メダルを獲得しました。


また、アジア全体の競技レベルも高まっており、2007年のヨルダン大会では、男子100mでカタールのフランシス選手がアジアで初の9秒台となる9秒99をマークしました。


さらに、本大会は本年8月に韓国・テグで開催される「第13回世界陸上競技選手権大会」の日本代表選手選考競技会に位置づいています。


日本代表の座、アジアNO.1の座をかけ、力を尽くして戦う選手たちのご支援をいただきたくよろしくお願い申し上げます。

大会の歴史 - ハイライト -

1973年第1回大会

アジア陸上競技連盟(AAA)の発足に合わせ、第1回大会をフィリピン・マリキナで開催。AAAの発足により、国際陸上競技連盟(IAAF)の正式な地域協会として、アジアの競技会を統括し、世界記録、アジア記録も公認されることになるなど、第1回大会の開催と同時にアジアの陸上競技の歴史が正式に始まった。
参加国は15の国と地域であった。
日本選手団は合計19のタイトルを獲得し、その獲得数は2位インドの4個を大きく上回った。

1975年第2回大会

参加選手は17の国と地域の約400名。日本は65名と、開催国・韓国を上回る最大の選手団数であった。15種目で優勝して、インドの9種目を抑え面目をほどこした。
また、閉会式では、アジアが生んだ優秀選手の特別表彰が行われ、日本人ではオリンピック優勝者の織田幹雄、南部忠平、田島直人らにメダルが授与された。

1979年第3回大会
★東京・国立競技場にて開催

東京・国立競技場にて開催された。
第1回、第2回と2年ごとに開催されていた大会が、国際情勢の影響で開かれず、4年後のこの年、ワールドカップのアジア代表選考会を兼ねて開かられることになった。「選手権」という名称を使わずに開催、23の国と地域から約400名の選手・役員が参加した。日本は20種目で優勝を遂げた。

1981年第4回大会
★東京・国立競技場にて開催

当初、フィリピンでの開催が予定されていたが、競技場の改修工事が間に合わないということで、急きょ日本で開催することになった。大会は24の国と地域の約470名の選手が参加して開幕、女子走高跳で福光久代(大昭和)がアジア新記録、日本新記録で優勝するなど好記録が多く出た。

1993年第10回大会

11月30日~12月4日という通常であれば、オフの時期に開催された。オフシーズンということもあり、若手選手中心に派遣した。10回大会では当時100mの日本記録保持者であった朝原宣治(同志社大)が日本歴代2位の8m13という記録で、走幅跳を制した。男子4×400mR では4連勝を飾った。

1998年第12回大会
★福岡・博多の森陸上競技場にて開催

3度目の日本開催。アジアの37の国と地域から約520名の選手が参加した。
大会3日目が荒天のため、予定されていた種目がいくつか4日目に順延されたり、3日目以外は気温30度を超えるなど好コンディションとはいえなかったが、女子の200m新井初佳(ピップフジモト)、400mH佐々木美佳が日本記録を更新した。男子200mでは伊東浩司(富士通)がアジア記録保持者の貫録を見せ優勝、4×400mR も大会記録で日本が圧勝した。

2000年第13回大会

インドネシア・ジャカルタで開催された13回大会、これまでのアジア選手権史上最多の44カ国が参加した。
日本は合計17個のメダルを獲得した。

2002年第14回大会

スリランカ・コロンボで開催。日本からは56選手が出場した。
室伏広治(ミズノ)が80m45の大会新記録で圧勝した。棒高跳の澤野大地(日大)も海外国際大会で初の優勝を飾るなど、金メダル5個を含む計19個のメダルを獲得した。

2003年第15回大会

41カ国約530名の選手が参加した。日本は過去最大の海外派遣数である87名の選手団を送りこんだ。男子三段跳、走幅跳、女子砲丸投など20代前半の選手の活躍が光った。金メダルは1個にとどまったが、合計19個のメダルを獲得した。

2005年第16回大会

韓国・仁川で開催された。男子400m金丸祐三(大阪高)が優勝、女子1500m小林祐梨子(須磨学園高)が銅メダルと次世代の選手が健闘した。また、男子リレーはダブルで金メダルを獲得した。

2007年第17回大会

男子100mで9秒99、初の9秒台をカタールのフランシスがマークした。それまで、伊東浩司が持っていたアジア記録を9年ぶりに更新した。

2009年第18回大会

中国・広州で開催。日本はベルリン世界陸上の代表選手を中心に臨んだ。男子やり投村上幸史(スズキ)が世界選手権銅メダリストの実力を存分にアピールし、22年ぶりの優勝、また、女子100m福島千里(北海道ハイテクAC)も28年ぶりに優勝した。男子は両リレーを制すなど、1981年東京開催以来28年ぶりに金メダルの数を2ケタに乗せた。

過去の開催期間・開催地

期間 開催国・都市
第1回 1973年11月18日~23日 フィリピン・マリキナ
第2回 1975年6月9日~14日 韓国・ソウル
第3回 1979年5月31日~6月3日 日本・東京
第4回 1981年6月5日~7日 日本・東京
第5回 1983年11月5日~9日 クゥエート
第6回 1985年9月25日~29日 インドネシア・ジャカルタ
第7回 1987年7月22日~26日 シンガポール
第8回 1989年11月14日~19日 インド・ニューデリー
第9回 1991年10月19日~23日 マレーシア・クアラルンプール
第10回 1993年11月30日~12月4日 フィリピン・マニラ
第11回 1995年9月20日~24日 インドネシア・ジャカルタ
第12回 1998年7月19日~22日 日本・福岡
第13回 2000年8月28日~31日 インドネシア・ジャカルタ
第14回 2002年8月9日~12日 スリランカ・コロンボ
第15回 2003年9月20日~23日 フィリピン・マニラ
第16回 2005年9月1日~4日 韓国・インチェン
第17回 2007年7月25日~29日 ヨルダン・アンマン
第18回 2009年11月10日~14日 中国・広州

メダル獲得数

男子 女子
第1回 10 3 5 9 5 3
第2回 8 13 11 7 7 7
第3回 13 14 11 7 4 10
第4回 11 12 8 8 8 6
第5回 1 3 1 3 2 1
第6回 3 7 3 0 1 2
第7回 4 4 4 0 3 3
第8回 3 4 2 0 1 3
第9回 3 5 7 1 2 5
第10回 2 5 2 0 1 4
第11回 2 5 3 1 2 2
第12回 5 10 7 1 7 7
第13回 3 3 1 1 5 4
第14回 3 4 2 2 3 5
第15回 1 5 7 0 5 3
第16回 4 4 3 2 1 9
第17回 2 2 3 2 3 1
第18回 5 3 2 7 2 3

特別協賛

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協賛

大塚製薬株式会社 株式会社ニシ・スポーツ 株式会社セレスポ


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